いつからか、いつだって
僕、ラルフ・レッドフォードには前世の記憶がある。
こうして記憶を引き継ぐ人間は「前世持ち」と呼ばれ、かなり珍しい。だが、その中でも僕は特殊な部類だろう。
初めて生を受けてから今まで絶えず生き死にを繰り返し、既に500年以上が経っていた。
一度目の人生では田舎の村で、貧しい農家の三男として生まれ落ちた。両親すら僕に興味はなく、いつも何かに苛立っていた兄達に虐げられる日々を送っていた。
そんな辛いはずの環境にあっても、彼女のおかげで僕の世界はいつだって輝いていたように思う。
「すみません、エーリカさん。また怪我をしてしまって」
「えっ、大丈夫? 見せてみて」
いつものようにエーリカさんの家を訪れ、兄達に殴られた跡を見せれば、彼女は泣き出しそうな表情を浮かべて。「痛かったね」と優しく頭を撫でてくれた。
「痛いの痛いの、飛んでいきますように」
そして殴られた箇所に彼女が手をかざすと、心地よい光と温かさに包まれ、あっという間に傷は消えていく。
子供の頃からいつも、怪我をした時には彼女にこうして治してもらっていた。
優しくて温かい彼女らしい魔法だと、いつも思う。
「よし、もう大丈夫だよ」
「エーリカさん、いつもありがとうございます」
「ううん、また怪我をしたらいつでも言ってね。それとロイクは頑張り屋さんだから、無理をしすぎないように」
宝石のような瞳を柔らかく細め、ふわりと花のように微笑む彼女が、僕は好きだった。何よりも好きで大好きで、彼女が存在してくれているだけで、幸せだった。
「もうすぐ、エーリカさんの誕生日ですね」
「わあ、覚えてくれてたの?」
「はい。もちろんです」
治療してくれたお礼を口実に、彼女の仕事の手伝いをしながら声をかければ、エーリカさんは困ったように微笑んだ。
「もう20になるのに、行き遅れもいいところよね」
「そんなことありません」
僕の5つ年上の彼女は、既に結婚適齢期だ。けれどこんな田舎の村では、彼女の珍しい魔法に偏見を持つ人々が一定数おり、まだ相手は決まっていないようだった。
「エーリカさんが素敵で、釣り合う人間がいないんです」
「ふふ、ロイクは優しいね」
けれど僕も、来年には結婚できる歳になる。まだ男として彼女に見られていないことも、分かっているけれど。彼女の誕生日に思いを告げ、エーリカさんさえ良ければもう少しだけ待っていて欲しいと伝えるつもりだった。
好きだと言ったら、彼女はどんな反応をするだろう。
少しだけ怖いけれど、長年胸の中に秘めていた思いをようやく伝えられると思うと、嬉しくもあった。
「……エーリカさん、喜んでくれるかな」
そして彼女の20歳の誕生日当日、僕は彼女を近くの森の中に呼び出していた。
彼女の好きな花畑で、プレゼントとして用意した彼女の瞳と同じ色の髪飾りを渡し、思いを告げるつもりだった。
早鐘を打つ心臓の鼓動を感じながら待っていると、不意に背後からガサガサと木の葉が揺れる音がして。
「エーリカさ、」
彼女が来たのだろうと思い振り返った僕は、絶句した。震え出す手のひらから、髪飾りがすべり落ちていく。
この世の終わりを象ったような何かが、そこにいた。
過去に何度か魔物は見たことがあったけれど、それとはまるで違う、もっと恐ろしく、禍々しいものだった。
「…………っ」
苦しそうな叫び声を漏らしながら近づいてくるそれは、崩れかけているようにも見える。これは一体、なんだろう。膝が震え、やがて僕はその場に腰を抜かしてへたり込んだ。
逃げられるはずなんてないと、本能的に悟る。やがて目の前まで来たそれに、もう駄目だと思った時だった。
痛みの代わりに、びしゃりと赤い液体が降ってきたのだ。
自分のものじゃない、誰かの血だった。顔を上げると同時に桃色の形の良い口から、また血が溢れるのが見えた。
「……エーリカ、さん?」
一体、どうして、なんで。エーリカさんが、こんな、
「っに、っげ……て、」
僕を庇うようにして立っていた彼女は、それに身体を食われていた。べちゃ、ぼき、という聞き慣れない音が響く。
我に返った時にはもう、遅くて。黒い何かは、先程よりもはっきりとした姿になった後、あっという間に消えた。
やがてぐらりと傾いてきた彼女の身体を慌てて抱きとめた僕は再び、言葉を失った。急いで村に連れ帰って治療を、なんて気持ちは一瞬にして消え去っていた。
胸のあたりに、ぽっかりと穴が空いていたのだ。それなのに彼女はまだ、生きていた。
「……エーリカさ、っ……ごめ、なさい……」
自分の愚かさを、これほど呪ったことはなかった。大好きな彼女に命懸けで庇われた末、僕は何も出来ずにいたのだ。
みっともなく泣き出した僕の頭を、彼女は真っ赤に染まった震える手で、撫でてくれた。
「僕が、僕が悪いんです、全部……ごめんなさ、っ……」
「……ねえ、ロイク。……人生ってね、少しくらい、自分勝手に、生きた方が……いいんだって、」
「っ僕は、……貴女が、」
「ロイクは、いつもたくさん、我慢してたもの……これからはもっと、っ好きな場所で、すきなこと、を、……」
こんな時にも、彼女は僕の心配をしてくれるのか。
そして彼女は小さく微笑み、ゆっくりと目を閉じて。翡翠のような美しい瞳が僕を映すことは、二度となかった。
◇◇◇
──あれから、どれくらいの時が経っただろうか。
エーリカさんを埋葬した後、僕は冒険者となり村を出て狂ったようにひたすら魔物を倒し続けた。贖罪のつもりだったのかもしれない。
彼女が死んだのは、僕が弱かったせいだ。そう自分を常に責めていないと、頭がおかしくなりそうだった。
そんなある日、近くの村に時折降りてきては人を喰らう魔物がいるという遺跡に、討伐依頼を受けて向かった。
けれど想像以上の数が潜んでおり、全て倒し切った頃にはもう、身体は限界がきていた。じきに死ぬのだと、すぐに分かった。遺跡の最奥で、倒れ込むように横たわる。
こんな僕でも、少しは何かを守れたのだろうか。そんなことを考えていると、何かが落ちていることに気が付いた。
美しい、緑色の石だった。最後の力を振り絞り手を伸ばすと、彼女の瞳によく似ているそれを握りしめた。
……エーリカさんに、会いたい。
神なんてものがいるのなら、どうかまた彼女と巡り合わせて欲しい。そうしたら今度こそ、彼女を守ってみせる。そんな馬鹿げた願いを胸に、目を閉じる。
そうして愚かな僕の人生は終わった、はずだった。
「まあ、とても可愛い子ね」
「君に似ているんじゃないか?」
けれど次の瞬間、ぼやけた世界の中で聞こえてきたのは、ひどく幸せそうに会話する男女の声だった。




