閉ざされた未来
森の中の小屋で暮らし始めてから、一週間が経った。
想像していたよりも落ち着いている自分に、私は驚いてすらいた。何度も理不尽な死を経験しているせいなのか、あれに目をつけられた時点でもう逃れられないと、心のどこかで気が付いていたせいなのか、もう分からないけれど。
穏やかに過ごせていることに、今は安堵していた。
「……編み物でもしようかな」
夕食を終えた私は眠たくなるまで編み物をしようと、編み針と毛糸を手に取り椅子に腰掛けた。何かを作ったところで、渡すような相手もいないのだけれど。もしも死んだ後に渡されたところで、向こうの気が重くなるだけだろう。
──こうしてじっと何かをしている時に考えるのは、いつだってラルフのことだった。彼は元気だろうか、今頃何をしているのだろうか、私のことを恨んでいるだろうか。
一緒に過ごした時間はたった2ヶ月足らずだというのに、いつの間にか私の中で大きな存在になっていたことを、今更になって思い知らされていた。
胸の痛みには気づかないふりをして、私は黙々と編み物をする手を進めていく。
「…………?」
そうして誰かにあげるわけでもない片足分の靴下が編み上がった頃、外からばたんという何かが倒れるような鈍い音がして。それからすぐ、一人分の足音がこちらへ近づいてくることに気が付いた。
かつん、かつん、と室内にまで響いてくるそれはやがて、ドアの前でぴたりと止まる。護衛の人のものではない気がして、心臓が嫌な音を立て早鐘を打っていく。
私は手に持っていた道具をテーブルに置くと、両手をぎゅっと握りしめ、恐る恐るドアを見つめた。
次の瞬間にはドンッという大きな音がして、ドアがこちらへと倒れ込んできた。どうやら、蹴破られたらしい。メルヴィンの魔法で守られているはずなのに、一体何が起きているのだろうか。
この小さな家に、逃げる場所などないのだ。恐怖でパニックになりながら、バキッ、パキ、とドアだったものの欠片を踏み締め、歩いて来るその人物を待つことしかできない。
やがて、明かりの下でその顔を見た私は、息を呑んだ。
「………ど、して」
片手に聖剣を持ち、全身血塗れのラルフがそこにいた。
どうして彼が、ここにいるのだろう。何故そんなにも血塗れなのだろう。どこか怪我をしているのだろうか。何か尋ねようとしても、感情が一切読み取れないその顔を見た途端、喉が詰まったように声が出なくなった。
いつの間にか震えていた手が当たり、床に落ちてしまった毛糸がころころと転がっていく。やがてそれは、私のすぐ目の前まで来ていたラルフの足元で止まって。
彼からは、鼻をつくきつい血の匂いがした。
「……どうして、僕から逃げたんですか」
そして彼は私を見ているようで、私を映してはいない暗い瞳をこちらへ向けると、そう呟いた。
怒っているのか悲しんでいるのかすら、わからない。そんなラルフは、そっと手を伸ばし私の頬に触れた。生温い血塗られた手の感触に、ぞわりと鳥肌が立つ。
「嘘吐きですね、リゼット様は」
「…………っ」
「絶対に僕の側から離れないと、約束してくださったのに」
ようやく私の口から溢れたのは、ごめんなさい、という言葉で。彼はそんな私に「いいんですよ」と続けた。
「嘘吐きで酷い貴女も、僕は変わらず愛していますから」
彼の口から初めて聞いた「愛している」という言葉に、ひどく泣きたくなった。悲しさや虚しさに似た感情が込み上げて来て、やはり私の口からは謝罪の言葉が溢れていく。
「ああ、申し訳ありません。リゼット様の美しいお顔が汚れてしまいました」
ラルフはそう言うと、そっと私から手を離した。彼の手についていた血のことを言っているのだろう。
「怪我、したの」
「いいえ」
「でも、その血……じゃあ、何の、」
「さあ?」
どうでもいいことだとでも言うように、ラルフは小さく口角を上げた。私の知っている、穏やかで優しい彼はもういないのだと思い知らされる。
「リゼット様は、そんなこと気にしなくていいんですよ」
「っラルフ、私は」
「僕が悪かったんです。リゼット様を安心させられなかった僕が悪い。リゼット様を逃げ出してしまうような環境に置いていた、僕が全て悪いんです」
ラルフは、何を言っているんだろう。
「けれどもう、大丈夫です。自分勝手に生きた方がいいのだと、僕に教えてくれたのはリゼット様ですから」
「……ねえ、何を」
「僕は貴女が生きてさえいてくれれば、それでいい」
そしてラルフは、いつの間にか取り出していた小瓶を私に向かって振りかけた。同時に、ぐらりと景色が傾いていく。
意識を失わせる物だと気がついた時にはもう、遅くて。身体に力は入らず、私はラルフに抱き留められていた。
──これから私は、どうなるんだろう。どうして、こんなことになってしまったのだろう。
「おやすみなさい、リゼット様」
そんな彼の言葉を最後に、私の意識は途切れたのだった。
◇◇◇
「……う、」
ゆっくりと目蓋を開ければ、見覚えのない天井が視界いっぱいに広がっていた。
ここはどこだろうとベッドから起き上がれば、カシャンという金属が擦れるような音がして。違和感を感じた足元へ視線を向ければ、足首にはしっかりとした足枷が嵌っていた。
そこから壁へと、太く頑丈そうな鉄の鎖が伸びている。
「なに、これ……」
パニックになりながら視線を彷徨わせれば、自身が牢のようなものに閉じ込められていることにも気が付いた。一体どうして、と働かない頭を必死で考える。
──そうだ。ラルフが小屋に来て、それから、
「目が覚めましたか?」
そんな声に顔を上げれば、いつの間にかラルフが鉄格子の近くへとやって来ていた。
「食事を持ってきたんです。一緒に食べませんか?」
彼はいつもと変わらない柔らかな笑みを浮かべていて、トレーには温かそうな食事が乗っている。あまりにもこの状況に不釣り合いなその様子に、背筋に冷たいものが走った。
彼が私をここに閉じ込めたのだと、すぐに理解する。
「ここ、どこなの? お願いだから出して」
「リゼット様の好きなパンを用意させました」
「ねえラルフ、話を聞いて。私は、」
「デザートもありますから、沢山食べてくださいね」
さっぱり噛み合わない会話に、届かない言葉に泣きたくなった。私が何も言わずに彼の元を離れたせいで、こんな風になってしまったのだろうか。
片手で器用に鍵を開け、私の元までやって来たラルフは、トレーをテーブルに置き跪くと、震える私の手を取った。
「このままじゃラルフも危ないの。ここから出して」
「大丈夫です。リゼット様は僕が守ります」
「っねえ、私はいいから、お願いだから話を聞いて」
「もうすぐ、全てが終わりますから」
もう、ラルフに私の言葉は届いていない、届かない。
彼はいつの間にか流れていた私の涙をそっと拭うと「大好きです」と言い、誰よりも綺麗に微笑んだのだった。
いつもありがとうございます!感想もとっても楽しく読ませて頂いています……!
これにて二章は終わりになります。次が最終章になりますので、最後までお付き合いのほどよろしくお願いいたします。




