025 夏の残滓
(もう2週間も走ってない……)
ふと思い出して、その事実に驚く。
9月も折り返しを過ぎ、間もなく陸上の一大イベント、国体が始まる時期。でももうその記録を追ったりはしない。
私の名前は御手洗 佳鈴。
陸上競技で女子世界記録を2つも持つスーパーアスリート……
だいぶ盛った。『女子世界記録を2つ』は嘘じゃないけどスーパーは大嘘。今の私は世の中に何十万人といる現役受験生。それが私。
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“佳鈴は子供の頃から落ち着きがなくてしょっちゅうそこら中を走り回ってた”
お母さんに私の子供の頃の様子を聞くといつもこんな感じ。
“土手とかちょっと大きな公園とか広いところに連れてくとすぐにパーっと走っていった”
お父さんに聞いても似たようなことを言われている。
確かにうんと小さい頃を思い出すと走っている記憶ばかり。
私は走るのが好き。
ただ単純に走るという行為、それが楽しかった。
本当に小さい頃はオリンピックとか世界陸上を見て「大人になったらもっと速くなってあそこで1番になる!」なんてこともいってた。
その映像は男子のもので女子が追い付くことなんて絶対に出来ないのだけど、当時はそれすら知らなかった。
小学校の頃は長距離走はともかく、短距離走なら男子を含めたって学年で一番足が速かった。小学生なら6年生でもまだ男の子は本格的な二次性徴前だしね。
誰よりも足が速い。それが私の自慢だったし、自信だった。
それが崩れたのは中学校に入ってから。
まず男子に勝てなくなった。それもクラスで1番速い男子とかじゃなくて普通の男子にも勝てなくなった。
性別差
それをはっきりと感じた。
それでも中学校の中では女子では1番になれた。
けど……そのレベルだった。
大会に出れば県大会の決勝戦までは勝ち残れる。でもそこで表彰台に登れるかどうか。100mも200mも県内4~5番目くらい。全国大会は遥かに遠かった。
自慢と自信を失って、それでも私は走り続けた。
なぜ?
それは本当に単純に走るのが好きだから。
例え1番になれずとも、例え記録が伸びずとも走ることが好きだった。
それで満足できた。
高校はもちろん陸上推薦なんて貰えるはずもなく、0.01秒でも速く走りたい、ではなくそれなりに練習ができる環境があれば満足してしまう私は陽紅とか姫咲じゃなくて松原女子に進んだ。
実際、松原女子高校の陸上部はそれなりに整った環境だ。
現顧問の田島先生は学生時代に1万メートルを29分台で走れた陸上選手で専門は長距離走ながらも短距離走についても詳しく、ガムシャラに走るだけじゃなくて速く走るための足運び、腕の振り、身体の鍛え方を理論的に教えてくれた。それで確かに私は速くなれた。100m走で中学生の時のベストタイムを1秒以上更新できた。
そうして高校に入学し、2年が過ぎてもまだ17歳。高校3年生なったばかり。まだまだ――
「御手洗。お前、進路どうするんだ?」
あ、はい。私は4年制大学志望です。学部は経済学部でそこそこ陸上が出来れ――
「……御手洗。悪いが大学で『そこそこ』陸上が出来るところなんてまずないぞ。『まったく』陸上ができないか『本気で』陸上が出来るかの2択だぞ」
へ?いや、あの、陸上ですよ?ソフトボールなんかと違って特に道具は必要ないですし、そんなに広いところも必要じゃないんですよ?
そりゃミニハードルとかコーンとかチューブとかパラシュートなんかがあれば練習に変化が付けられますけど、最悪平坦な直線さえあれば――
「御手洗。信じられないと思うが、高校以降にお前の想像するような部活なんてないんだ。陸上にしたってお遊びかより専門的で高度に取り組むかの2択だ」
え??????
担任の先生に言われて、少し調べて―――
言われたことが事実ってことがわかった。ま、まあ私の陸上は趣味みたいなもんだし、最悪私一人で近所でひっそりと……
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何を目標に?
どうやって練習メニューを組むの?
道具は?
場所は?
なにより一人でやるの????
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走ることは好きでもそれだけじゃなかった。それだけじゃ走れない。少し未来を想像して、それじゃ走れないと思った。
じゃあ、本格的に陸上の出来る大学を目指す?
担任の上杉先生も言ってくれた。
“御手洗は県でトップレベルだし、本格的な環境で練習すればもっと記録も伸びるかもしれないぞ”
“よく親とも相談しなきゃいけないが、自分が納得できるところまでやるのも一つだ”
って。
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でもそれは『逃げ』になる。
レベルの高いところで陸上をやることからの『逃げ』じゃなくてもっと先の将来からの『逃げ』。先生の言うように環境を変えればひょっとしたら私はもっと速く走れるかもしれない。
でも、陸上で将来を決めれるほどにはならない。
同世代だってもっと速く走れる選手が何人もいる。上の世代にも下の世代にもだ。それに勝つ、最悪でも互角レベルまで持ち込ませないと陸上で将来は決められない。そしてそこまでは伸びない。
だから逃げずに今、将来を考えなくっちゃいけないんだ……
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けれど、出る結論はよく変わった。陸上はそう珍しい競技じゃない。私の志望する学部もよくある学部。だから両方を兼ね備えた大学はたくさんあった。
後は私の気持ち次第。
たった4年。されど4年。陸上を続けるか、やめるか。
そんな中、あの話が出た。
「リレーは学校選抜チームで出る??」
「そうだ。せっかくなら少しでも速い方がいいって話になってな」
うちの高校には女子高生でありながらこの前の3月に男子も含めた世界最速記録でフルマラソンを走った超人がいる。
で、その超人に陸上もやらせよう、リレーも出させよう、でもリレーを走るのなら彼女だけ陸上部でないのはおかしいから全校生徒の中から最速の4人を選ぼう、ってことになったらしい。
……田島先生の言っていることが理解できない。
リレーはただ単に足が速ければ強いというわけではない。バトンを渡す……
4×100mR 記録 43秒33
へ????
選ばれた4人が集まって初めての試走。場所は普通のグランドでリレーもそんなにうまくなかったのに???
いきなり日本記録????
才能っていうのがあるのは知ってる。私より速い子なんていくらでも見てきた。
でもいきなりこれ????
なんで自分が陸上をやっているのかわからなくなってきた。
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1次、2次、最終と開催されたインターハイ県予選。
私は100mも200mも400mも最終予選の決勝まで残ったけど、結局全国は後少しってところで逃した。でも今年はインターハイに4×100mRと4×400mRの2種目で出場する。そりゃ出場できるよ。下準備もなくていきなり女子日本記録を叩き出しちゃうんだもん。ちょっとシューズとフォーム、あとはバトン練習をするだけで記録はみるみる伸びた。
大会中はどっちも女子日本記録を塗り替えながらの快進撃。今度は世界記録かって勢い。
でもこれは私の力じゃない。私の力は精々県上位レベル。他の2人も陸上に専念してくれれば違うのかもしれないけど、今は私と同等かちょっと劣るくらい。
怪物は1人。後輩の立花 優莉さん。
起伏に富んだ華奢な体つき、下ろせばお尻くらいまで長く伸ばした髪。おおよそアスリートらしからぬ容姿の彼女だけど、その実力はぶっ飛んでる。
個人種目は悉く女子をつけない世界記録を連発。
彼女におんぶにだっこで私は生まれて初めて全国大会に出るのだ……
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出場が決まった時は心の中でわだかまりが出来てしまったけど、結果としてインターハイ本選に出場してよかった。
立花さんは規格外過ぎて参考にならないけど、インターハイには全国から一流の高校生アスリートが集まり、彼女達から色々聞けた。
なにより一緒に並走して実感する。足運び、加速力。私なんかとは違う。これが全国クラス……
あぁ、勝てないな、って心から思った。思ってしまった。思ってしまったのだ。
しかもこれほどの選手ですら、立花さんを除いた女子の高校生記録を抜けていない。
上が高すぎる……
彼女達ですら陸上の世界ではその他大勢の記録で顧みられることなく終わってしまうのだ。それと比べたら私なんか例え他人の力100%であっても女子世界記録保持者として、あるいは立花さんの足を引っ張った雑魚として記録に残るのだ。恵まれている。
そう恵まれているのだ。
私が最後に疾走したのは4×400mRのアンカー。
ゴールの後に取材のために記者が集まるけど、私には一言、二言聞くとすぐに立花さんのところへ飛んで行った。そりゃそうだ。
立花さんには記者が集まっている。これまでの経験からあんなふうになると長い。片付けやらもあるから私は1人会場を後にする。
……後にしようとしたら、ゲートのところに顧問の田島先生がポツンと1人でいた。
「おう。御手洗。良い走りだったな」
「ありがとうございます」
「……俺のもとで3年間。小中学も含めればもっと長い間か。本当によく頑張ったな」
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本当にそう。本格的な陸上は中学に入ってからだけど、走るだけなら小学生、もっと前の幼稚園から――
「……泣いていいんだ。その涙は嘘じゃない」
言われて気が付いた。
私は涙を流していた。
「っ!!ほ、本当は――私、一番になりたかったんです!」
「誰だってそうだ。すまんな。俺の力不足でもある」
「違います。私には才能が――凄い子は本当に凄くて、でもあんなぽっとでた子にまで――でも立花さんは凄くいい子で――」
「それも困るんだよなあ。正直、あいつがもっとヤな奴なら恨むことも出来るんだけどなあ」
「くっ……うぅ……」
一度認めると涙は止まらなかった。
「御手洗。お前は本当によく頑張った。お前のやって来たことは決して無駄じゃない。陸上は自分と戦う競技だ。お前は負けてない。お前の勝ちだ。お前は自分に勝ったんだ。記録を見ろ。お前の努力はちゃんと残ってる」
先生はそう言ってくれた。
確かに記録は残った。
私の出来る全力全開の走りを100mと400mのリレーでやった。
それこそ、ここで燃え尽きてしまうほどに――
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インターハイが終わったのは8月の上旬。
陸上部を引退となった私はそこから本格的に走ることがなくなった。夏休み中にちょっとだけ気分転換に走ったけど何かが乗らない。
もう私は出し切ったのだ。
後悔は――あるのかないのかわからない。
でも間違いなく私の夏は終わった。




