083 役目と責任
「ただいま~」
先週の日曜日早朝から練習開始ということもあって、前日の土曜日夜に出発して前泊。
そのまま1週間みっちりバレー合宿を堪能させられ、最終日は午前中に練習、その後昼食を兼ねた慰労会を行い、晩御飯前にようやくの帰宅。
明日は日曜日だからのんびりだらだらしたいが、陽菜にノートを借りて1週間の遅れを取り戻さなければ3学期に期末テストの屈辱を繰り返すだけだ。
「お帰り~」
俺に応えてくれたのは陽菜だった。といっても玄関まで出迎えに来てくれたりなどしないが。玄関の靴を見るに涼ねえは外出中で家には陽菜1人と思われる。そのまま靴を脱いで家の中をドスドスと足音を立てて台所へ進む。
「優ちゃん。女の子がそんな足音を立てて歩いちゃダメだよ」
台所ではTVの音声をBGMに陽菜が料理……晩御飯を作っている最中だった。
なお、どうでもいい話だが、俺が女言葉や女仕草をするのは人前だけで涼ねえや美佳ねえ、父さんの前では生来のそれに戻しているのだが、陽菜はこれが不満のようだ。家に家族しかいない時も「陽菜」と呼ぶと怒るし、今のように女らしくない仕草にはダメ出しを入れてくる。
……だったら家の中でとはいえ、パンツ丸出しで座ったり、風呂上りに上半身裸で出歩いたりしないで欲しいと思うのは俺だけではないはずだ。
「陽ねえ。ただいま。これお土産」
俺は手に持っていたビニール袋を陽菜に差し出す。
「ん?お土産?……あ、これ三日月堂のプディングケーキじゃん!どうしたの?」
「前に買って美味しかったから帰りにデパートに寄って買ってきた。1人で1ホールは大きすぎるから陽ねえにも少しだけおすそ分けしてあげる。私が半分貰うから涼ねえと2人で残り半分を分けてね」
「……1人で半ホールも食べたら豚さんになっちゃうよ?」
「ぶひー」
流れで豚の鳴き声を出してみたが、そもそも俺の体の燃費ってどうなってんだ?
まず食事量。これは同級生の女子高生と比べるとかなり多い。成人女性の涼ねえと比べても多い。だが、言っては何だが所詮常識の範囲内だ。ぶっちゃけ美佳ねえや陽菜と同等か、下手をしたら美佳ねえよりは少ないかもしれない。
これに対し、運動量。これは相当おかしなレベルだ。運動エネルギーは体重に比例し、速度の二乗にも比例する。つまり、2倍の速度で走れば4倍のエネルギーを必要とし、3倍の速度で走れば9倍のエネルギーを必要とするということだ。
いくら俺の体重が軽いとはいえ陽菜よりずっと速い速度で動くわけで、つまり陽菜よりも運動エネルギー、言い換えれば運動消費カロリーは陽菜よりも多いはずだ。
しかし、食事量は陽菜と同等。
これでは計算上は俺の入力と出力の関係が合わない。
……いや。入力が同じで出力は俺の方が多いならば、陽菜には入力の余剰分があるはず。その余剰分の行先が陽菜のむねとおしりだとするなら、なるほど理屈に合う。つまり俺はもっと食べないとダメってことなのだろう。
いや、待てよ。俺の超人的運動能力が『気功』、異世界で言うところの『魔力』によるものだとしたら必ずしも食事量と運動量は合致するものではない。
現に俺はあっちの世界でもこちらの世界とそうそう変わらない食事量だったが、一方で運動量は酷い時で時速100キロ超の速度で500キロ以上走破したこともあった。
つまり入力と出力の関係は(食事量+気)=運動量となる――
「優ちゃん。急に黙ってどうしたの?」
「ん?ちょっと地獄の様な合宿を思い出してブルーになってた」
文系人間の陽菜は俺が先ほどしていたような理系的考察には一切興味を示さないどころか理解もしてくれない。数学のテストもいい点数を取れるのでそうしたロジカルシンキングも出来ないわけではないのだろうが、やろうともしない。いや、重視しない、というべきか?
とまあそんな事情もあって適当にごまかしたんだが、陽菜がこれに食いついた。
「そんなに大変だったの?」
「そりゃもう。体力的にはそうでもないんだけど、技術面じゃ練習についていけないし、特に連携は全日本って名がつくだけあって普段とは全然違うから頭がすぐにパンクしちゃってたよ」
夏合宿の時も思ったが、全日本合宿では二手、三手先を読んで選手は動く。ブロックシフトにしてもどこにボールが飛んだら誰がブロックに飛んで~という判断が素早く正確なのだ。
なお、学業は壊滅的な美佳ねえだがスポーツIQは高く、バレーに限らずスポーツなら頭脳的なプレーは得意だったりする。その中で1人だけぽけーとコートに突っ立ってる俺。あれは精神的に堪える。
……一番堪えたのは浴室でのお姉さま方の襲来だが……
あれはセクハラで訴えたら勝てると思うのだがどうだろう?
「嘘ばっか。今日の練習で玲子が言ってたけど、全日本の優ちゃん、別人みたいに巧かったって言ってたよ。全日本に優ちゃんが入るともう勝負にならなかったって」
今日の練習で玲子が???
あぁ。U-19の合宿は昨日で終わりで玲子はさっそく土曜日の午前からの練習に参加してたのか。元気だなぁ。
「それは誤解。私はいつもと変わらないよ。ただ、美佳ねえは冗談みたいにボールを拾っちゃうし、上がってくるトスだってものすごく打ちやすいボールばっかりだからね。だからスパイクだっていいところに飛んでくよ。
ついでに私の場合、守備が下手くそだからファーストタッチ厳禁って言われてレシーブしないでスパイクだけに専念してたからね。得意なところしか見せないんだからそりゃ巧く見えちゃうよ」
「……で、そのトスが凄かったんでしょ?テンポ0速攻だって使ってきたって言ってたし」
「???なんで陽ねえがそこを驚くの?夏休みの頃にはテンポ0速攻出来てたじゃん」
本当にコイツは何言ってんだ?夏休みにあんだけイケメン先輩に手伝ってもらってテンポ0速攻の練習したじゃないか。あくまでお遊びだったから本練習中はやらなかったけど。それにあれは当時、まだポジションが定まってなくて俺がセンターエースをやってた頃の限定の技だったんだよなあ。
陽菜からするとセッターの位置からすぐ上、中央に上げるトスとレフトまで飛ばさなきゃいけないトスを比べれば後者の方が難易度が高い。
故にせっかく練習したテンポ0速攻もお蔵入りになっている。
お蔵入りと言えばBクイックと見せかけてCクイックをぶちかますエアフェイクや、あえて低く飛んで相手の守備陣を惑わす低空スパイクもお蔵入りになっている。
前者は同じく俺がセンターでないと使えず、後者は俺自身がスパイクを前後左右に打ち分けられるようになったので惑わすまでもなく高く跳んで相手のいないところへズドンとスパイクを打ち込めば点が入るからだ。
「……でも私とやってた時はセンターからじゃないとテンポ0速攻出来て無かったじゃん。それで全日本だとレフトからでも出来たんでしょ?」
「あのねえ、それはセッターが日本で一番巧い人だからだよ。だから比べるだけ無駄だよ。ついでに言えばファーストタッチのレシーブだって巧い人がするんだよ?比べるのは意味がないよ」
例えるなら高校球児がプロ野球選手と自身を比べて『自分もあれくらい巧くなるぞ』と奮起するのではなく『自分は下手くそだ』と嘆くようなものだ。健全でないし、無意味だ。
「意味はあるよ。私がしっかりすれば、優ちゃんはもっと凄いスパイクが打てるんでしょ?」
「いや、陽ねえ1人が頑張ってどうこうなるんだったらチームの意味がないよ」
「でも……」
なんとなく陽菜が言わんとしていることはわかるが、それは間違っている。優莉ではなく悠司として言ってやるか。
「陽菜はダメな意味で責任感が強くて真面目だな。競技歴9ヶ月目の俺が言うのも変だが、バレーってのは繋ぐスポーツだ。全部が全部自分でコントロールできるわけじゃねえよ。
それにお前、トスがどうって言ってるが、どんなにいいトスをあげてもブロックに捕まることはある。『自分が最高のトスをあげればスパイカーは点を取ってくれる』なんて傲慢もいいとこだぞ」
実際、全日本合宿でもセッターがスパイカーに対しいいトスをあげても防がれる時はあったし、そんな時はセッターが「今のは決めてくれないと困る」といった趣旨の発言をすることもあった。全日本代表の選手の中で温厚な沙月さんが、年上のスパイカーにすら「今のは決められましたよ」なんて言った時には驚いたものだ。それにファーストタッチがショボいとセッターは「ちゃんとあげてくれ」と言ってくる。これはお互いがお互いを一流のアスリートだと認めているからこそ、責任を果たせ、ということなのだろう。
これに対し、陽菜は変に責任感が強くて相手には求めないくせに、自分にはやたらと厳しい。ファーストタッチがダメでも自分がフォローすればいいと思っている節があるし、自分が良いトスをあげればスパイカーが決めると思っていそうだ。
実際、松女は俺や玲子はもちろん、明日香だって他校ならエース級のスパイカーだ。良いトスが上がれば決まりやすい。だからといってスパイカーの決定率まで陽菜が面倒を見る必要はない。
「もうちょっと力を抜いたらどうだ?お前の頼れるお兄ちゃんはテンポ0なんて使わなくてもそれなりにボールを上げてくれれば決めて見せますよ」
「……頼れるお兄ちゃんならそれなりじゃなくて『どんな』ボールでも決めて欲しいんだけど……」
陽菜の顔色が少し明るくなった。まあ一旦はこれでいいだろう。後は――
「ところで陽ねえ、明日、空いてる?近所の市営体育館でちょっと自主練しない?」
ちょいと陽菜が自信を取り戻すための練習を明日はやりますか。
長くなったので2分割
明日も更新します(多分)




