102 サミュエル・クレチアン
「キミ、近くで見るとますますかわいいね。私はサミュエル・クレチアン。クレチアン公爵家の嫡子だ。キミはあの踊っている子のパートナーだろ?」
目の前の青髪と糸目が印象的な殿方が、ジル様を指差しました。
クラスメイトの方ではありません。おそらく上級生の殿方。その方が、わたくしに何のご用でしょう?
「あの子は赤髪の少女に夢中みたいだし、私と踊らないか?」
「ッ……」
サミュエル様の言葉は、想像以上にわたくしの心を抉りました。思わず胸を押さえてしまいます。
いいえ。それよりも今は早くお断りしないと。こんなところ、ジル様に見せられません!
「申し訳ありません、サミュエル様。わたくし、婚約者がおりますので……」
「それって、あの赤髪の少女と踊っている子だろ? 婚約者を放っておいて自分は意中の少女と踊っているなんてひどいね?」
「ち、ちが――――」
「違わないよ。だから婚約者のキミを放っておいて、あの少女と踊っている。私が思うに、キミは婚約者の彼に疎まれてるんじゃないかな? 見てみなよ、あの二人のダンスを。息もピッタリだ。きっとキミに内緒で二人で練習していたよ?」
「そんな、ことは……!」
ジル様は、コレットとダンスの練習する時、必ずわたくしの許しを求めていました。そんなはずありません。ありえません!
ジル様を疑うことはありません。でも、本当に息の合ったジル様とコレットのダンスを見ていると、わたくしよりもコレットと結ばれた方がジル様は幸せなのではないかとも思えてしまうのです。
「かわいそうに。キミは本当にあの少年のことを愛しているのだね? だが、キミはあの少年に本当に相応しいのかな?」
「それ、は……」
思っていたことを言い当てられて、思わず呼吸が乱れてしまいます。
そうです。ジル様はわたくしにはもったいないほど素敵な殿方だと思います。それはつまり、ジル様には、わたくし以上に相応しい方がいるということ――――。
「さあ、私の手を取るんだ。キミが、彼を解き放ってあげるんだ。その方がお互いに幸せになれるよ。私がキミを幸せにしてあげよう。クレチアン公爵家の嫡子である私が言うんだ。約束しよう」
サミュエル様が柔和な笑みを浮かべてわたくしに手を差し伸べます。
わたくしは、どうするべきなのでしょう……。サミュエル様がおっしゃるように、わたくしは身を引くべきなのでしょうか……?
その方がジル様のためになるなら、わたくしは……!
その時、肩に重さと温かさを感じました。
驚いて振り返ると、そこにはビックリするくらい近くにエグランティーヌ様のお顔がありました。
「お久しぶりですね、サミュエル。また女性を誑かすおつもりですか?」
「これはこれはエグランティーヌ様。誑かすなんてとんでもない。私はただ、彼女の幸せを願っているだけですよ」
「そう。でも、結構よ。アリスはわたくしのお友だちなの。これ以上の手出しは無用です」
「……なるほど。エグランティーヌ様は私についてなにか誤解なされているようだ。ここは引きます。アリス、いい名前だ。アリス、また会おうね」
そう言って、サミュエル様は背を向けて舞踏会の人混みの中へと消えていきました。いけないことだとわかっていても、正直ホッとしました。
「アリス、大丈夫ですか? 変なことはされていませんか?」
「エグランティーヌ様……。その、サミュエル様と少しお話したのですが……。わたくしはジル様に相応しいのでしょうか……?」
エグランティーヌ様、そしてエグランティーヌ様の後ろに控えていたコルネリウス様が目を見開いて驚いていました。
「重傷ですね。すぐに駆け付けたつもりでしたが……。アリス、よく聞いてください。あのサミュエルという男は、婚約者のいる女性を狙う詐欺師なのです」
「詐欺師、ですか?」
わたくしの問いかけに、エグランティーヌ様は力強く頷かれました。
「そうです。巧みな話術と権力で婚約者の仲を引き裂き、女性を我が物にします。しかし、女性の初めてを奪えばすぐに女性を捨てて、他の婚約者のいる女性を狙う最低な男ですわ」
そんな殿方がいるなんて!? 社交界は怖すぎます!
「エグランティーヌ様、そんなことをして問題にならないのですか?」
「それが大きな問題になっていないのです、コルネリウス。あの男が狙うのは、親の爵位の低い女性ばかりで、握り潰されているのです」
「そんな……」
「いいですか、アリス? あの男の口車には決して乗ってはいけませんよ? 話を聞いてもいけません。あの男を見かけたら、すぐに逃げなさい」
「はい……」
サミュエル様の言動には気を付けないと。
でも……。
『キミはあの少年に本当に相応しいのかな?』
『キミが、彼を解き放ってあげるんだ。その方がお互いに幸せになれるよ』
サミュエル様に言われた言葉は、わたくしの心の柔らかい場所をいつまでも傷付けていました。
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