授受
差し出された羽ペンの先に青いインクをつけ、依頼書に受注のサインを施す。アニマリートが「成立」と呟くと、青いインクが黒に変質した。同時に、ギルドクエストのウィンドウが開く。特別依頼に関する内容が複写されていた。実際の書面はグラースが引き受けている。
「まずは前払い分のお支払い、と。
ユーナ、手を」
差し出されたアニマリートの右手に、ユーナもまた右手を重ねる。
「伝承:従魔回復」
アニマリートの術句に応じ、紫の魔術陣が浮かび上がる。
それは重なり合った手を中心に広がり、ユーナの手の甲に焼きついた。縮小された魔術陣はすぐにユーナに融けていく。
「スキルマスタリー:従魔回復を得ました」というウィンドウが現れ、すぐ消えた。
あまりの呆気なさに、ユーナはアニマリートを見る。
「ギルドマスターだけが持つ特殊スキルなの。まあ、本来はギルドマスターの持つスキルを伝えるためのものなんだけど、応用ね。もうひとつのほうも、やっちゃうわね。
――伝承:従魔支援」
ユーナに新しいスキルマスタリーがもたらされ、アニマリートはにこやかにその手を離す。
「あとは……スクロールからにしましょうか。どれか欲しいのある?」
生産系スキルスクロールはひとつ銀二枚、スペルスクロールはひとつ銀五枚、と言われて、ユーナは迷った。
正直、懐が厳しいのだ。
森狼王クエストや別荘クエストで手に入れた戦利品の対価として、かなりの金銭を受け取っていたが、先日ギルドへの加入料や様々な装備や生活用品を購入したために、現時点では半分に減っている。森狼が拾い集めてくれた戦利品の現金化はシャンレンに頼んでいて、まだ対価を受け取っていない。旅費が全くないというのは危険すぎるので、今後、長期にわたって購入不可能と思えば全部ほしいところだが、我慢するしかなさそうだった。
生産系で選ぶなら、森狼のためには一択しかない。そして、今後を思うのであれば、攻撃力よりも回復できる術式が欲しかった。
「調理師と……水の精霊術、お願いできますか?」
「ふふ、覚えていてくれましたか」
ユーナの選択に、初めてグラースが声を上げて笑った。彼女は調理のスキルスクロールと初級精霊術:水のスペルスクロールを取り上げ、どこからか取り出した数枚の紙と合わせて、ユーナの前に並べる。
ユーナが視線を落とすと、『レシピメモ:ピミエント入りベルドーラのエトノス』『レシピメモ:白パン』『レシピメモ:インサラータ』などのレシピメモが表示された。使用することでそのレシピが身に着き、作成できるようになるそうだ。スクロールの簡易版らしい。心ばかりの餞別だと、グラースは言う。
「本当は実地でお教えしたかったのですが、残念です」
代金を支払い、ありがたくユーナはスクロールとレシピを受け取る。スクロールの紐をほどくと、それは光に融けて消えた。ウィンドウに「スキルマスタリー:調理師をおぼえました」と表示される。レシピメモには材料や調理方法が書かれており、文面をすべて見終わるとスクロール同様、光に融けて消えていく。
「スクロールもレシピメモも、転売されたら困るから、ここで使っていってね」
道具的に使うことでも、同じように身に着くとアニマリートに言われて、ユーナはスペルスクロールとすべてのレシピメモを「使う」。初級の水の精霊術式が魔法陣のように広がり、ユーナに収束する。そして、メモ自体を見なくとも脳裏にレシピの内容が焼きついていく。
「ユーナ、こちらへ」
テーブルから少し離れた場所へ、グラースが促す。ユーナは席を立ち、グラースに指示された床の上に立った。やや離れて、グラースがこちらに向き直る。
森狼は動かず、同じ場所に伏せたままだった。視線だけがこちらを見ている。
「初級精霊術で喚べる精霊は、本当に小さな力しか持ちません。あなたにお見せしたのは、水の清らかさや静けさでしたね。最初は大した効果ではないと思いますが、使い続けることによって精霊があなたの心に触れて威力を増していくでしょう。気長に、接してあげて下さい。
――では、始めましょう」
グラースのことばに従い、ユーナは脳裏に浮かびあがった水の聖印を、両手で刻む。
ユーナを中心に青の契約陣が広がる。光の軌跡で描き出されたそれは、以前見た紫の契約陣とは大きく異なり、線も細く、頼りなく見えた。
グラースもまた、ユーナと同じ聖印を刻む。その動きは慣れないユーナと異なり、舞いのように艶やかに見えた。
「水の眷属よ、我が友の喚び声に応えよ……」
唐突に、契約陣が力を増す。薄い青の光は室内を照らし、まるで揺れる水面を見ているような美しい光景に心が囚われそうになる。
柔らかなグラースの語りかけに、精霊のための契約陣が本当に応えているようだった。
ユーナは、誓句を紡ぐ。
「精霊契約、我が喚び声に応えよ水霊!」
一滴の雫が、ユーナの目の前に降りた。
そこから波紋が広がり、部屋をさらうほどの波しぶきが立つ。一瞬、波の中に透明な人魚が見えたが、大量の水の感触と冷たさを感じ、ユーナは視界を奪われた。
青い光が収束していく。
契約陣が消失すると、軽い、金属音が場に落ちた。
……指輪?
精霊の姿はなく、そこには銀の指輪が、転がっていた。
小さく溜息をついたグラースがそれを拾い上げ、ユーナに差し出す。
「えー……まあ、成功ですから、だいじょうぶでしょう。どうぞ」
やや、棒読みのように聞こえる。珍しく歯切れの悪いグラースだった。
礼を言ってユーナはそれを受け取ろうと両手で皿を作ると、グラースはユーナの左手を取った。その冷たさに彼女が驚いている間に、指輪を中指にはめこまれてしまう。
「大事にして下さい」
「は、はい」
ユーナの手を一撫でして、手放す。
内心どぎまぎしているユーナは、慌ててその手を胸に引いた。近くで見ると透明な青い石がひとつ嵌め込まれていて、細い輪には精緻な流水紋が刻まれている。とても高価そうに見えた。
そういえば、とユーナは気づく。
少しも、濡れていない。
「ひとにはあれほど過剰介入するなと言っておいて……ユーナ、次はこちらだ」
ぶつぶつとイグニスが武器をテーブルに広げながらぼやきつつ、ユーナを呼ぶ。
派手な金属音を立てて、武器がテーブルに並べられた。既に残りのスクロールは片付けられている。武器はどれも彼女の手に合いそうなサイズのもので、剣が何種類かと、戦槌、短槍、柄の短い斧などがある。
「テイムのための必要経費が足りないから、買い取ってほしいと言われてな。
命の神の祝福を受けし者から二束三文で買い叩くのは、なかなか心が痛んだ」
どこにある心なのか。相手の心じゃないの?と思うほど、イグニスはにこやかに言う。
どの武器も、攻撃力が二十五以上あり、耐久度も百/百の新品だった。どれでも銀一枚で良いという。
お財布事情が切羽詰まってきたユーナは、ここでも一本だけに絞ることにした。銀一枚では、使い捨てできる金額ではない上、数値的にも今のユーナには十分すぎるほどの高さだ。いろいろ目移りする中で、短槍で視線が止まる。
「マルドギール」と表示された槍には、やや幅広の木の葉型の穂先に鉤爪がついていた。穂先と柄を留める目貫の位置に、深紅の宝玉が輝いている。イグニスの槍を思い出させるその色合いに、誘われるように手が伸びた。
持ち上げると、ユーナの力でも十分取り回せるほどの重さで、長さも申し分ないように思えた。
「決まり、だな」
会心の笑みを浮かべるイグニスが怖かったが、確かに、惹きつけられたことに間違いはなかったので、素直に代金を支払う。
穂先を覆う鞘はなかったため、ユーナは道具袋から白い布を出して巻いた。穂先は覆うことができたが、宝玉だけがきらりと光っている。これもまた高価そうに見えるかもしれないと思った。くれぐれも盗難に気をつけなければと気を引き締める。
「そろそろ行かなくちゃね」
アニマリートの声が、寂しげに響いた。




