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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第五章 疾風のクロスオーバー
84/375

貢献

 肌触りのよい、あたたかさを感じた。

 うっすらと目を開くと、そのぬくもりは殆ど真っ黒で、陽に透かすと微かに緑を帯びていることがわかる。心地よさに身を寄せると、それが動いた(・・・・・・)

 毛皮と同じように黒いのに、どことなく青みを帯びている瞳がこちらを向く。


「……ただいま」


 森狼は黙ったまま、彼女の頬を舐める。

 くすぐったさに声を上げると、フン、といつものように鼻が鳴った。




 昨日ぶり、とユーナには思えても、幻界ヴェルト・ラーイでは半月近くが過ぎていた。

 主がログアウト中の場合でも、テイマーズギルドに預けている状態ならば、従魔シムレースの空腹度は下がらないようだ。確かに、ちょっと旅行に行くだけで、即、従魔シムレースが餓死してしまうようなゲームでは怖すぎる。ユーナのステータスもオールグリーンになっていた。

 幻界時間にして、丸二日は遊べる。

 融合召喚ウィンクルムを行なったタイミングが、ログアウト直前でよかった。もしこれが直後だったら、またステータスの回復に時間を取られるところだ。

 ユーナは、できるだけ時間を無駄にしないように気をつけようと自嘲する。森狼のためにも、あまりステータス異常まで受けるような無理は禁物だ。融合召喚ウィンクルムは明らかに、自分と森狼双方のMPも疲労度スタミナ・ゲージも奪っていった。正直、身体アバターのコントロールを森狼に奪われるのも、かなり怖い。アルタクスがユーナにとってマイナスになるようなことをするとは思えないが、自分の体が自分の意思で動かない怖さというものは筆舌に尽くしがたいものだ。レベルの上昇でどうにかなるとは思いたいが、ユーナにとって、今のところは気軽に使うことはできないと考える代物だった。

 ユーナは寝台から起き上がる。合わせて、森狼も寝台から降りた。カリガを履き、腹部の皮鎧やシリウスの外套をまとい、初心者用短剣(ダガー)を装備する。武器も新調しなければ、と考えて、シャンレンのことが思い浮かんだ。


 ――そういえば、後でって言ってたっけ。


 彼ならば、安価な武器のひとつくらい融通してくれるだろうか。

 あまり頼るのは気が進まないが、商売になるのであれば問題ない。くれぐれも変な割引をしないように釘を刺す必要はありそうだが。

 あれから半月も過ぎているのなら、あのお祭り騒ぎの余韻の露店ももうかなり減っているかもしれない。ただ、露店を出しているのは同じ旅行者プレイヤーである上、アンファングは始まりの町なので、通常運転でも多少露店が残っている可能性もある。長時間ログインしている者とそうでない者で、体感時間が大きく違うので、何とも言えないのが正直なところだった。


「とりあえず、何か食べておく?」


 ユーナが問うと、森狼は「がぅっ」と返事をした。空腹度はさほど減っていなくても、何か食べたいらしい。

 宿泊施設は閑散としており、二階のダイニングには誰もいなかった。まったく使用感もない。階下に降り、厩舎になっている側を見ても、人影はなかった。森狼と連れ立って、ギルドホールのほうへ向かう。街壁の中を通り、ギルドホールへの扉の部屋にたどりついたユーナは、扉の向こうにざわめきを感じて驚いた。

 少しだけ、扉を押し開く。


 ――ひとが、いっぱい……!


 微かな隙間から、ギルドホールで多くのひとがくつろいでいたり、談笑している様子が伺えた。恐らく旅行者プレイヤーだろう。誰一人として初心者には見えない。全身を甲冑に覆っている戦士を始め、明らかにアルカロット産に見える華美な武器や防具を身に纏った者ばかりである。装備している品が並みではない。

 閑古鳥が鳴いていたはずのテイマーズギルドに、商売の風が吹き込んだのだろうか。

 アニマリートたちは?とユーナが視界を確保すべく、もっと扉を開こうとした時。


「!?」


 急に外套を引かれ、ユーナは扉を危うく手放すところだった。ぎりぎり、何とか重い扉を押し開けたまま振り向くと、森狼が外套の端をくわえ、こちらを見つめていた。その視線が「行くな」と言っているように思えて、ユーナは首を傾げる。


「……行っちゃ、ダメなの?」

「ああ、正解だ」


 扉の向こう側から、知る人の声が低く響いた。

 ほぼ同時に扉が軽々と開かれ、その人だけを受け入れるとすぐに閉じられる。あまりこちらの様子を知られたくないのか、巨体を滑り込ませることができるぎりぎりの隙間だけを生み出していた。その異様な光景に、ユーナは困惑する。イグニスは懐から鍵束を取り出した。鈍い金属音を立てて、鍵をかける。その躊躇いのない動きに目を奪われた。

 振り向いた彼は、静かに言い放った。


「話がある」


 否やは言わせない。

 そういった響きを含めて、イグニスはユーナを奥へと促した。街壁側ではなく、今まで気づかなかったもう一つの小さな扉を示す。鍵が掛けられたそちらの扉も、イグニスが同じ鍵束の中の鍵で開いた。どう見ても体を屈めなければくぐれないだろう扉の向こうには、縦に細長い通路があった。さきほどまで闇に沈んでいた気がするが、イグニスが入って灯したのかもしれない。出入り口は小さいが、横幅もあるため、彼が普通に立って歩けるほどである。口元に人差し指を立て、イグニスは先を行く。今度は、後ろの扉の鍵は閉めなかった。

 壁に等間隔で灯された明かりを見上げながら、ユーナは沈黙を守って後を追う。足音を立てることもなく、森狼もついてきた。途中から昇りの階段となり、更に進む。

 不意に、イグニスが立ち止まった。

 明かりのための燭台に手を掛け、回す。

 すると、壁の一部が静かに横に動いた。隠し扉だ、とユーナは胸を高鳴らせる。

 その向こうには、陽光が見えた。


「そう、帰ってきてくれたのね」


 少し寂しげな、彼女の声が聞こえた。

 イグニスはユーナへと視線を向け、隠し扉のほうへ顎で促す。口元を引き結び、ユーナは部屋に入った。森狼も一歩遅れて入る。

 赤い、彼女の髪が一房、風に揺れていた。

 窓が開いている。その向こうに、アンファングの街並みが広がっていた。そちらを見つめたまま、ユーナに背を向けた彼女……アニマリートは口を開く。


「もっと……もっと、いろいろ教えてあげたかったんだけど、な」


 ぽつりと呟かれたことば。

 まるで別れのようなセリフに、ユーナは瞬きして問い返した。


「どういうことですか? あの……わたし、やっぱりダメでしたか?」


 己の行動を振り返れば、テイマーズギルドの裏口を叩き、はぐれ従魔シムレースを打ち倒し、従魔の宝珠で事情を無神経に聞き、融合召喚ウィンクルムを発動したものの暴走させ……と何一つ問題のない行動をしていないユーナである。

 軽くブラックリスト入りになってもおかしくない。


 ユーナの不安げな問いかけに、アニマリートが振り向いた。

 寂しげな深紅の眼差しが、揺れる。


「いいえ、あなたのせいじゃないの。

 ちょっとテイマーズギルドが忙しくなっちゃってね。その関係で、他の支部に応援を要請したんだけど……いろいろ、めんどくさいのまで来ちゃって……今なら、ユーナの融合召喚ウィンクルムはテイマーズギルド全体で共有された情報じゃないから、足止めを喰らう前にアンファングを出たほうがいいんじゃないか、ってみんなで相談してたのよ」


 静かに、イグニスが室内に入る。隠し扉が閉められた。

 同時に、アニマリートの向こう側にあった木製の扉が開かれる。美しい銀の結髪には一分の隙もない、氷の美女が現れた。その手には木の盆があり、食事が載せられている。彼女は無言で優雅に一礼し、足を進める。室内には食事ができるほどの大きさの丸テーブルに、三人分の椅子が囲っている一角があった。そちらに食事が並ぶ。


「食べなさい。これからエネロまで、きっと休憩なしになるから。余ったパンは持っていって」

「え、っと、すぐにですか?」


 アニマリートは硬い口調で返した。


「従騎訓練が終われば、すぐにでも」


 本当にすぐだ、とわかって、静かに胸の中が重くなっていく。

 返すことばも浮かばず、イグニスの手によって引かれた椅子へ、ユーナは力なく座った。

 重力のままに頭が下がり、俯く。


「ユーナ」


 低い声に背中を押され、ユーナはのろのろと森狼のための食事を床に下ろす。森狼はユーナを一瞥し、そのまま食べ始めた。よほど、彼のほうが状況を理解しているように思える。

 食事は、懐かしいピリ辛スープとゆでたてのソーセージ、サラダにパンだった。いつかの朝食を思い出す。スープを掬い、その辛さに目を細める。あたためなおされたパンをちぎり、口に運ぶ。そこで、溜息が漏れた。

 ユーナの匙が進まない様子に、グラースは口を開く。


「ヴェールの討伐の折のあなたの活躍、多くの者から伺いましたよ」


 予想外の柔らかな口調は、どこか誇らしささえ感じるものだった。

 顔を上げると、グラースの細い青の眼差しが、ユーナに向けられている。


「あなたの戦いぶりが、従魔使い(テイマー)従魔シムレースの存在を強く彼らの心に焼き付けたのでしょう。

 先日から、従魔シムレースを求める旅の者が格段に増えました。以前はスキルポイントだけではなく、金銭面でも難しいということで、テイマーズギルドにやってきても皆すぐに帰っていましたし、その数もそれほど多くはなかったのですが……今は、個別相談だけでも順番待ち状態です。

 あれだけ閑古鳥が鳴いていたテイマーズギルドが、大賑わいなんですよ。

 どんな従魔シムレースでもいいという者から、騎乗用の従魔シムレースに期待する者まで様々です。以前と逆なのは、金銭面では問題がなくとも、スキルポイントが足りないという者が多いことかもしれませんね。ようやく支部所属の従業員が個別に相談に応じ、問題のない場合は支部の従魔使い(テイマー)をつけてテイムスキルを取得するための仲介を行うことができるようになりましたが、旅立てる者はごく少数です。それでも、テイマーズギルド所属の従魔使い(テイマー)に特別依頼がかけられているほどの盛況ぶりで、私たちも驚いています」


 語られる事実に、ユーナも驚いた。

 空っぽのギルドホールには、たった三人しかいなかったのに。


「あなたは先日の討伐でも、ギルドへの貢献度を上げていたけれど……もっと高く評価しなくちゃいけないくらいね。そのお礼も兼ねて、もっと一緒に訓練したかったわ。それなのに――はぁぁぁっ」


 深々と溜息をつくアニマリートの肩を、イグニスが慰めるように叩く。

 気を取り直して、彼女は話を続けた。


「今のあなた、レベルが低すぎるの。高レベルの従魔使い(テイマー)が複数の従魔シムレースをあなたにけしかけたら、たとえアルタクスがいても歯が立たない。なのに、あなたはもう、その高レベルの従魔使い(テイマー)でも扱うことができない融合召喚ウィンクルムを覚えていて、更に『共鳴』に使える森狼王フォレスト・ウルフ・キングの牙をもう一本持ってるのよ。実物なんて見たことないひとが殆どだから、首飾りに加工されてたら普通はわからないでしょうけど……手に取られて鑑定されたらおしまいね。

 わかる? 他の従魔使い(テイマー)に気付かれることが、どれだけ危険なのか」


 痛いほどに、アニマリートの気持ちが伝わってきた。

 切々と語られることばに、ユーナは目を伏せて頷く。


「せめて、いつも通りテイマーズギルドに閑古鳥が鳴いていたらよかったんだがな」

「それよ! よりにもよってあの連中まで呼ぶ羽目になるなんてもうサイアクー!!!」


 綺麗に結われていた赤毛をかきむしり、アニマリートは叫んだ。

 イグニスは小さく溜息をつき、彼女の頭からピンを一本引き抜く。はらりと落ちる結髪が、ユーナの視界の一部を赤に変える。ピンを引き受けたグラースが、アニマリートの髪を結い直し始めた。その視線がこちらにちらりと向く。

 促され、ユーナは匙を口に運ぶ。舌に刺激が走る。胸の奥があたたまる。

 このスープの味を、覚えておきたいと思った。

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