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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第四章 黎明のクロスオーバー
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残像

 移動教室の後の終礼は、始まるのに時間がかかる。

 今日の化学は実験があったために、片付けに時間を取ってしまった。普段よりも五分は遅れて終礼が始まる。菊池先生キクセンは明日の移動教室の確認と、スケジュール管理ソフトウェア「リべルス」を見ておくようにと念を押し、呆気なく終礼の号令をかけた。授業が終わった解放感か、椅子が大きな音を立てながら引かれ、「気をつけ、礼」に合わせて頭が下がった。


『ありがとうございました!!!!!』


 お別れのあいさつでは、今日一日に感謝しよう、と菊池先生キクセンが言ったのは、入学式のあとの初めての終礼だった。そのことばを思い出しながら、結名も唱和する。

 頭を上げると、生徒たちは各自で散っていく。掃除、部活、委員会、担任へ提出物の受け渡しや質問……。

 母との待ち合わせは四時に来客用正面玄関である。結名は画面端の時計を確認してから、端末を終了させた。まだ、時間にゆとりがある。彼女が気がかりなことは、例の約束だった。


 ――今日、確か日直って言ってたよね。


 ちらりと視線を上げると、既に黒板はぴかぴかに拭かれていて、一分の隙もなかった。午後は体育と移動教室だったので、恐らく昼食後に掃除を済ませたのだろう。抜かりがなさすぎる。拓海は今、担任と何かやりとりをしているようだった。

 周囲で掃除当番が騒がしく掃除を始める中、結名は自分の鞄を手に取る。


「結名ちゃん、私……」


 掃除当番にあたっている詩織は困ったように言いよどんだ。既にその手には、掃除当番では大人気のほうきが握られている。賢明な彼女は礼のあと、速攻で掃除道具入れに走り、激戦を勝ち抜いたようだ。流石である。

 帰りまで付き合ってくれるつもりがあったのだろう。事情を察し、結名は頷いた。


「お掃除、がんばってね」

「帰りはおれが付き添うよ。お母さんが迎えに来てくれるんだってさ」

「あ、それならよかったー。じゃあおねがいねっ」


 詩織は結名を、あっさりと声の主にパスした。

 帰りの準備を整えて寄ってきた拓海に、結名は首を傾げる。


「日直は?」

「日誌データは送信済み。黒板も終わってるからね」


 完璧を絵に描いたようなどや顔をされ、結名は肩を落とした。逃げ場はなさそうだ。補助カバンも持ち、結名は詩織に「またね」と声を掛けて教室の出入り口へと向かう。途中で担任と視線が合ったので、頭を下げて「さようなら」を言う。「また明日」と返されて、少し表情筋が緩んだ気がする。

 後ろからついてきていた拓海が、廊下に出てすぐに結名に並んだ。


「……イヤ?」


 ぽつりと問われて、そちらを向く。とても哀しそうな……さびしげなまなざしと鉢合わせ、結名は思いっきり首を横に振った。


「とんでもないっ! 悪いなーって思ってるだけ!」

「イヤじゃないならよかった。気にしなくていいのに」


 否定した途端、満面の笑みに変わる。

 いろいろイケメンってズルいんだなと結名は悟った。心臓によくない。こういうのは遠目から眺めているだけで十分だ。

 ふと、両手でふたつの鞄を持っていたことに気付いた。右肩に補助カバンをかけ、右手に鞄を持ち直す。一応、左腕を労ってのことだったが、鞄のほうを拓海に取り上げられた。


「藤峰さんも教科書派? 持ち運びは不便だけど、書き込むのとかこっちのほうがいいよね」

「あ、うん。小川くんも?」

「うんうん。端末コンソールでもタブレットでも教科書に書き込めるけど、何となくこれまでの癖があって」


 結構な重さがあるため、気づいたのだろう。

 拓海も同じ高等部での入学のため、そのあたりの感覚が共通のようだ。内部進学組は逆に端末コンソールやタブレットに慣れきってしまっていて、印刷物の教科書を利用していない。荷物も軽いものである。

 同い年なのにジェネレーションギャップ的なものを感じていたので、拓海の話は結名にとってうれしいものだった。


「でも、ノートは端末コンソールで入れちゃうんだよね。そのほうが早くてさ」

「あ、わかるわかるー!」


 ゲームで培ったタイピング能力は、まさかの進学後に凄まじく活躍していた。五分で六百文字ほどローマ字日本語入力のタイピングができるのは、結名の密かな自慢である。

 意外と同じ感覚なんだな、イケメンだけど、と全然イケメンと関係ないことを考えながら、結名はおしゃべりを楽しんだ。その拓海の進行方向が、そっと特別教室棟の渡り廊下に向く。先に一階に下りずに、渡り廊下を通ってから下りるつもりのようだ。特別教室棟の一階に、来客用正面玄関がある。

 特に違和感なく、結名はそちらに続く。

 今日の英単テストどうだった? たぶんそこそこ行けたと思うー。あ、英単はやっぱり書かないと覚えないよね。おれ、ぶつぶつ言いながら書くほうかな。などと、世間話に花が咲く。

 だが、渡り廊下を通り、階段の踊り場まで来た時。

 拓海は結名との話を途切れさせ、厳しい顔で振り向いた。


「何か用か? 寺崎てらさき


 慌てて結名も振り返る。

 見上げた先には、同級生が顔をこわばらせて立っていた。まったく気づかなかった。

 この先は来客用正面玄関や受付、応接室や学部長室がある。基本的に、生徒は用事がない限りこちらには近づかないようにと言われている場所で、結名も入学時のオリエンテーションの学内案内で注意を受けた。

 要するに、寺崎かれはおそらく、自分たちを追いかけてやってきたのだ。まあ、拓海に用事だろうと安易に結名は考えた。

 が。

 寺崎は唇を引き結んだ。それから、ひとつ息をつくと、意を決して口を開く。


「……話があるんだ、藤峰に」


 思ってもみない発言に、結名は寺崎の顔を見返した。


「――わたし?」

「謝りたくて、その、幻界ヴェルト・ラーイでのこと」


 顔には見覚えがあるが、そもそもあなたと口利いたことないよね?と思っていたら、とんでもない爆弾が投げつけられた。蒼白になる結名の前に、拓海が立つ。


「藤峰さんに関係あるのか? それ」


 硬い声のまま、拓海が問う。

 寺崎は首を横に振って言い募った。


「違うんだ、その、確認したいとかそういうんじゃなくって!

 ――ただ、謝りたかったんだ。あの時、オレも土屋を、グランドを止めなかったから!」




 寺崎は一方的に説明した。

 宿で、グランドと一緒にいた魔術師が自分であること。

 カードルの印章が手に入るとグランドが浮かれて、一緒に行こうと誘われるままについていったこと。

 全滅したあと、仲間割れになったこと。リアルの友人だったグランドと彼以外は、完全に仲違いしたそうだ。

 更に、事件の日の朝はどうやって復帰しようかと土屋が大声で寺崎と相談しており、そして、あの暴力沙汰の騒ぎを起こした。その日の夜中に幻界ヴェルト・ラーイに魔術師の寺崎は呼び出され、二人は会った。その時、グランドが結名のことをPKし損ねたユーナだと打ち明けたそうだ。何とかして道具袋インベントリを取り返そう、と寺崎にまた誘いをかけてきたが、今度ばかりは寺崎も断った。あれだけの事件の後に、結名がユーナかもしれないと声をかける気にはなれないという、まっとうな考えで。やりたきゃ一人でやれよ、なんて適当なことばを吐いた。

 そして、グランドが……土屋が幻界ヴェルト・ラーイから完全に消えた。

 寺崎は昨日の夜、土屋からリアルで連絡を受けたそうだ。そこで、伝えてほしいと、伝えるだけでいいからと泣きつかれたらしい。

 弱り切った声で、彼は土屋のことばをそのまま告げた。


「ごめん……悪かった」


 その響きは、土屋のものなのか、寺崎かれのものなのか。

 判断がつかないまま、彼は自身のことばを続ける。


「オレ、正直藤峰があの時の子かどうかって考えたら、違う気がしてきてて……ユーナってコ、昨日の討伐クエでも姿見かけたけど、藤峰、学校休んでただろ。

 すっごい従魔使い(テイマー)になっててさ、狼乗って敵つっこんでってた。

 小川なら、わかるだろ? VRバーチャル・リアリティってマジ怖いんだぜ。だからオレ、魔術師してんだから。殴られたら普通に痛いのに、敵どつくなんてありえねーよ。

 だから……あんなふうに藤峰が戦えるなんて思えなくてさ。

 あー、もう、ユーナ(あのコ)が本当に藤峰かどうかなんて、マジ知りたくないから言わないでほしい。

 ――幻界ヴェルト・ラーイが好きなんだ。もうPKなんてする気もないし、普通に遊びたいんだ! 学校だってやめたくない……だから、もう学校ここでも、ゲームでも関わらない! ……誰にも言わないからさ、信じてくれよ……」


 結名は呆然と話を聞いていた。

 拓海は結名を見て、その様子に唇を噛み、首を横に振った。


「わけわかんない。お前、単に自分が楽になりたいだけだろ」

「……っ」


 言い捨てたことばは、そのまま寺崎に刺さった。

 更に拓海は、息を呑む彼の傷を、抉る。


「何でそんなこと、藤峰さんに言うの?

 藤峰さんが、それ、何にも答えられないのわかるよな?

 わけわかんないことでさ、彼女に迷惑かけるなよ。

 ……行けよ。お前の勝手にすればいい」


 返す刀で、そのことばは自身を切り裂く。

 わかっていても、拓海は言うのを止められなかった。




 階段を駆け上がり、渡り廊下のほうへ消えていく寺崎の後姿を見送る。

 結名は、わからなかった。

 何故、これほどまでに拓海が怒るのか。

 淡々とした口調は決して声を荒げるものではなかった。それでも、そこに込められた感情くらい、結名にもわかる。

 握りしめられた手が真っ白で、小さく、震えていて。

 何と言えばいいのだろう。ことばを探すうちに、彼はすぅっと息を吸い込んで、短く吐いた。

 震えが、消える。


 振り返った彼は、綺麗な笑顔を浮かべていた。

 その全ての感情を覆い隠す、営業スマイルを浮かべる姿が、幻界ヴェルト・ラーイでの彼と重なる。

 結名は息を呑んだ。


「そろそろ、お母さん来るよね?」


 早く正面玄関へ行かなければならないことを暗に示し、拓海は階段を先に降り、結名の隣を抜ける。

 結名は、言わずにはいられなかった。


「――何で……」


 問わずには、いられなかった。


「何で、あなたが……シャンレンさん……っ!?」

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