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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第三章 生命のクロスオーバー
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「あの時、ユーナが『テイム』を選ばなかったら、どうせコレはなかった」


 両手で宝珠を包んだまま、フィニア・フィニスは宝珠へと視線を落とし、次いで森狼を見る。アルタクスはユーナの背後に回り、背中を擦りつけるように腰を下ろした。巨体がふんわりとしたソファのようで、ユーナは心地よさに背を預ける。


 ――「テイム」を選ばなければ。


 アルタクスはユーナを噛み殺し、ついでにフィニア・フィニスに止めを刺していたかもしれない。

 神殿帰りし、互いにそれ以上関わることもなく。

 討伐隊に参加することもなく。

 この場にたどりつくこともなく。


 命の対価とフィニア・フィニスは口にした。神術の媒介の高価たかさなど、フィニア・フィニスは身を以て知っている。

 それは、ユーナの命だけではなくて、フィニア・フィニスの命のことも示していたのだろう。命を救われたのだから、いつか命で返すつもりでいたのか。

 ユーナは首を振った。


「それは違うよ。フィニ」


 見上げたフィニア・フィニスは、金髪のふわふわ巻き毛を太陽の光で更に輝かせて、眩しかった。その空色の瞳が確かな強い意志でユーナを見返す。甘くて優しい見た目を選んだのに、この子どもの眼差しは少しも己を失わない。


「フィニも、わたしも、選んだんだよ。だから、選ばなかったら、なんてないの。それはフィニのだよ」


 アルタクスはユーナを選んだ。

 ユーナは「テイム」を選んだ。

 フィニア・フィニスはユーナを友に選んだ。

 全員が戦いを選んだ。

 その結果が今ここにある。


「命っていうなら、もう姫はユーナを救っていますよ?」


 セルウスが不思議そうに指摘した。


「姫があのタイミングでボスを倒したからこそ、ユーナもレベルがあがったんですから。あのレベルアップがなければ、青の神官がどれだけの腕前を持っていたとしても絶対、間に合わなかった。真っ赤になったHPバー見ながら何にもできなくておたおたしてた僕が言うんですから、間違いありませんよ」


 誇らしげに、彼は胸を張る。

 幻界ヴェルト・ラーイにおいて、レベルアップ時であろうとHPが全快する仕様ではない。だが、怪我を負った故の衰弱が一定数のパーセンテージで減少していくダメージだと仮定すれば、器が増加することによって減少度合が多少は変化したかもしれない。


 アシュアが立ち上がり、フィニア・フィニスが差し出した宝珠に手を添える。そして、ゆっくりとフィニア・フィニスのほうへと押しつけた。受け取ると思ったのか、フィニア・フィニスが驚きの表情で視線を上げて彼女を見た。

 綺麗に、アシュアは微笑んだ。


「いいわね、こういう奇跡」


 アシュアはフィニア・フィニスから両手を離し、周囲を見回した。ユーナもそのしぐさに視線を追い、目を瞠る。

 攻略最前線で名を馳せるPTと、今回のMVPのやりとりだ。

 いつのまにやら歓声は遠のき、その場の誰もがこちらを注視していた。

 興味、関心だけとは思えないほどの熱の入った視線に、ユーナは息を呑む。

 オープンチャットで話すことではなかったのかもしれない。


 ユーナたちに、自分が置かれている状況を理解させた上で、アシュアは何かの魔石を道具袋インベントリから取り出した。

 天に掲げる。

 そして、声も高らかに続けた。


幻界ヴェルト・ラーイにおいて昨日、ユヌヤの転送門ポータルが開かれました。

 神官である私、アシュアもまた、これより王都イウリオスへ向かいます。

 恐らく、とてつもない苦難が待ち受けていることでしょう。

 私たちがかつて辿った道を駆け抜けて、一日でも早く、来て下さい。

 ふたたび、あなたたちと肩を並べて戦える日を、心から楽しみにしています。

 その時こそ――命の対価を、いただきましょう」


 キラリと、太陽光に、石と彼女の眼差しが煌いた。


「だから今は、貸し一、ね?」


 転送石・・・が、起動する。

 アシュアの足元に小さな転送陣が描き出され、次の瞬間、彼女の姿が風に融けて消えた。

 場がざわめき始める。


「逃げたな」


 眉間に皺を寄せ、剣士シリウスは舌打ちして呟いた。外套を脱いだ彼は、中も黒い短衣と脚衣だったようで、時期的にはそのほうが合っている。いつの間にか、その隣に紅蓮の魔術師と美貌の弓手が揃っていた。

 ペルソナがユーナに歩み寄り、何かを投げて寄越した。無造作なそれは、ユーナの抱いたシリウスの外套の上に落ちた。牙と革紐と魔石で作られた首飾りである。


「貸し一だな」


 呟きに顔を上げると、紅蓮の魔術師の手にも、アシュアの時と同じ石が握られていた。口元のみが笑みをかたどり、その姿もまた消える。

 慌てて弓手を見ると、彼の手にも同じものがあった。ユーナは声を上げた。


「すみません、短剣っ」


 彼から譲られた、大切な短剣クリスだった。

 幾度もユーナを助け、最後には魔術の付与を受け、魔獣の消滅と共に失われてしまった。


「いいんですよ。あれだけの成果が挙げられたんだから、本望でしょう。まあ、気にするなら貸し一で」


 惜しむ様子など全くなく、ただ楽しそうに微笑みながら、美貌の弓手も消えていく。

 取り残された剣士は、指先で頬を掻いた。


「……んじゃ、それも貸し一な」


 ふと思いついたように、指先を外套へ向けて言い放つ。

 そして彼もまた、転送石で消えていった。


「どんだけ貸し作ってんだよ……」


 苦々しく、MVPが呟く。

 収拾がつかなくなりそうな予感を胸に、ユーナは視線を泳がせた。

 転送石なんていう高級品など、当然持っているはずもない。歩いて帰るよりほかないのだ。今の体調でアルタクスに乗れば、間違いなく即落ちである。


 馬蹄の音だ。


 石畳から地面に降り立ち、音が変わり、それが自分たちに近づいていると気づいた時にはもう目の前にいた。

 遥か高みから、聖騎士マリスはMVPを睥睨する。


「ふふん、神官にMVPの報酬を渡そうなどとは、最近の命の神の使いにしてはよい心がけだ! では、謹んで聖騎士である私が預かり、神殿へ捧げよう!」


 そして、手を差し出す。

 フィニア・フィニスはフンと鼻を鳴らした。

 攻略組が消えて視線が分散しかかったところに、余計なものが登場した。どのように対処するのかと、再び興味本位の視線が集まり始める。

 だが、フィニア・フィニスは冷静だった。腰の十字弓に手をやり、右手で持ち、高く天に突き上げる。


「行くぞ、凱旋だ!」


 勇ましい声に呼応し、歓声が上がる。次々と旅行者プレイヤーはアンファングへの道を急ぎ始めた。本来の台詞を取られた聖騎士マリスは、周囲をきょときょとと見回している。フィニア・フィニスはお構いなしに、一斉に動き始めた旅行者プレイヤーの中へ混ざり、消えていく。聖騎士がフィニア・フィニスに視線を戻した時にはもう遅い。慌てて追いかけていくが、人ごみに馬を突撃させるわけにもいかず、既にかなりの距離が開いていた。


『後からゆっくり来いよ。セル、ユーナを頼む』

『かしこまりました』


 百も承知とばかりに、セルウスは残っていた。幾度もフィニア・フィニスを護ったのだろう。HPはユーナよりも回復していたが、その出で立ちはボロボロである。

 アンファングへ進む、後ろのほうの旅行者プレイヤーはたいへん身綺麗だった。季節に合った服装をしていたり、高級そうな装備に身を包んでいる。聖騎士に付き従って、戦闘に至れなかった者だろう。

 気合いを入れて、ユーナは立ち上がった。合わせてアルタクスも立ち上がる。

 やはり少し、足元がふらついたが、何とか歩けそうだ。

 ユーナはシリウスの外套を後ろから羽織るように纏い、胸元で袖をくくった。やや裾がひきずりそうなほど長いが、許容する。袖で胸元は隠せるし、背中が丸見えなのも困る。どうせ貸し一なのだ。遠慮なく使わせてもらおう。

 そして、ただ一つ残った、初心者用の短剣を利き手で使えるように佩く。

 たったそれだけの動作だったが、ユーナは暑さに息を吐いた。

 見上げれば、太陽が天高い位置で、大地をくとでも言いたげに熱を振り撒いている。


 ユーナはあまりの眩しさに、片手で視界に影を作った。

 ふと、その手の形にアシュアの見せた聖印を思い出す。反対側の手で対称な形を作り、組む。命の聖印の向こうに、アルタクスが見えた。

 そっと、手を伸ばした。ユーナの細腕では両手をついて押しても、びくともしなさそうな体躯である。大きく育ったものだ。

 彼は動かなかった。

 先ほどまでその背に乗り、強く握りしめていたはずの毛並みが、ユーナの手をやさしく受け止める。

 黒々とした毛皮は太陽の熱を受けて、とても、熱かった。

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