短編 高度な義肢誕生の由来
アクス錬金術学校にある4つの研究室では、錬金術師と特待生達が日夜それぞれの分野の研究を行っている。
とは言っても、特待生達は10月に研究室へ入ってからまだ半年余りしか経っていない。それ以前から座学による基礎教育を行っているとは言っても、大半の生徒は未だ指導する錬金術師の提示した内容から関心の高い研究を選択している段階だ。
だが、属性鉱石の製錬・加工の真髄を探究する研究室では、総合成績1位で研究室に入って来たリオン・ハイムが独自に何らかの液体を配合し、その固体化と加工を繰り返していた。
「リオン・ハイム、それは何だ」
錬金術師ヨーゼフ・ギレスは、リオンの創り出した物体について単刀直入に問い質した。
先だってドリー事件が発生してからまだ間もない。リオンが優秀な生徒であるという認識はあるが、だからと言って独自研究に無関心ではいられない。
それに、リオンの創り出したソレは錬金術師ギレスのみならず、人ならば誰しも関心を向けざるを得ない物体だった。
「先生、属性とは主たる物質に属する性質であり、その属性を製錬によって次の物質へと引き継がせる事が俺たちの研究……ですね」
「その通りだ。そしてお前がゴムの属性である『弾性』を人工金属に引き継がせようとしていたのは分かっている。だが、ソレは何だ」
ヨーゼフ・ギレスが目線を向けて問い質した先には、人間の右足が1脚だけぽつんと立っていた。
その足は実際のものと見間違うほどに生々しい。
下腿骨や足の骨・関節が人の構造どおりに加工骨で再現され、その上に深層の伸筋や屈筋である外果・内果・アキレス腱、浅層の腓骨筋支帯などが細かく肉付けされている。
その上には伸展と収縮が細かく出来るように細い繊維が何本も伸びており、最後に皮膚がある。
これを作ったのが義足の友人を持ち、第一回生の中でもトップ4に入る逸材のリオン・ハイムでなければバラバラ殺人事件としてすぐさま治安騎士を呼ぶ所だ。
そしてこれほどまでに高い加工技術を求められる物を創り出せる生徒は、全生徒の中でもおそらくリオン・ハイムだけである。
これだけを見れば、リオンの技術力は他の錬金術教師にも充分に匹敵している。
「可能な限り実物に近付けました。膝を上げれば足先が下に伸び、膝を降ろせば元に戻る仕組みで足が接地時の調整や、その後の地面からの反力を膝上へ適切に受ける構造もしています。膝を包む形で密着しますので、感触や振動もいくらか伝わると思います」
アクス錬金術学校で生み出された技術やノウハウは、錬金術師たちが生徒達に広く伝えてベイル王国へと還元させていく。
錬金術師ギレスは、リオンの創った義足をベイル王国が獲得すべき技術であると見做した。
ギレスはリオンの技術の再現性や製造期間などを素早く計算していく。
人工金属の製錬は、配合の材料と比率と工程を確認すれば錬金術師でなくとも再現できる。細かい加工には職人が必要だが、特化した職人ならば今のリオンよりも上手く作れるだろう。そして、量を作ればコストも下がる。
問題はどれくらい応用ができるかだ。
「手や指先にも使えそうだな。ハイム、それに針金の様な金属の束を加えて、本人自身が指先を曲げた状態や伸ばした状態に自在に調整できるようになるか」
「…………手は考えていませんでした。おそらく出来ると思います」
「よし、お前の研究費を増額する。それと手の空いている他の生徒にも手伝わせよう」
「俺の研究は、アロン・ズイーベルも手伝っています」
「お前らは足を中心にやるだろう。それで構わんから、義手の開発を他の生徒に手伝わせろ」
「分かりました」
ベイル王国は3年前の戦争で、多くの負傷者を出している。
中でも処理者バーンハード大隊長や金狼軍の北からの南下作戦での人の身体の一部を失わせて王国の労働力や経済力を損なわせる行為は、多くの四肢欠損者を生み出した。
ほとんど材木を足の長さに切っただけの義足や、欠落したままの腕を持った王国民も少なくは無い。
もちろん馬車などの事故や瘴気による病で手足を失った者も居るし、そういった者は今後も出続けるだろう。
リオンの技術はベイル王国が得るべき技術であると判断された。
「王国に認められれば、特許と言う物が発生する。技術が普及すれば、お前は一定期間特許料という金を貰える事になる」
「特許とは何ですか」
「詳しくは法学担当のカルデナス先生に聞け。去年出来たばかりのまだ新しい制度だ」
「……法律が変わり過ぎて、何が何やら」
「刑法は罪刑法定主義だ。普通に暮らす分には問題ない。後は自分が関係する分野だけ覚えれば良い」
錬金術師ギレスはリオンが知らない多くの技術と知識を持っており、それを適切にリオンへ伝えていった。
リオンは1年前に義父が望んでいたよりも遥かに高い水準で歩んでいた。
「ところで、どうして開発を急ぎ始めた」
「実は、アロンが…………」
リオン・ハイムは、4ヵ月前の体験を話し始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
バダンテール歴1260年12月11日。
今から遡る事4ヵ月前、世界に吸血鬼が生まれた日にリオン・ハイムとアロン・ズイーベルは錬金術学校の広い大食堂で食事をしていた。
実家を追い出された体のリオンと義足で通学の利便性を考えたアロンは両名とも寮暮らしであり、彼らの食生活は朝昼晩の3食共に大食堂である。
無料の寮暮らしでも生活費補助は減額されないので二人が食費に困る事は無い。ベイル王国は学生達を錬金術学校と同じ敷地の寮に入れて勉強させたいのではないかと勘ぐってしまうほどの優遇ぶりである。
だが、おかげさまで多くの寮生たちが大食堂のメニューに飽きてしまった。
「くそっ、俺はスパゲッティが嫌いだ。ナポリタンが嫌いだ。カルボナーラが嫌いだ。ペペロンチーノが嫌いだ。ベイル王国め、この恨みはらさでおくべきか」
アロンが呪いの呪文を唱え始めた。
ちなみに彼の生活費補助金は52点で合格したかつてに比べて特待生となった今は飛躍的に上がっており、その結果アロンの食卓にはパスタ以外もしっかりと乗っている。
「アロン、スープとサラダへの恨みは無いのか」
「いや、コーンポタージュスープは嫌いじゃない。それと代わり映えしないサラダは元から諦めているし、トマトがあるからまだ耐えられる。だがパスタ、お前はダメだ」
「そうか」
リオンは友人の不満を聞き流し、売店で購入したレタスハムサンドを齧った。
ベイル王国の錬金術学校への力の入れようは人々を驚かせたが、物事に満点と言うのはなかなか無いものである。生徒にとって重要な食事に関して、少なくともアクス錬金術学校は残念ながら片手落ちであった。
朝食セットや昼のランチ定食なるものはあるが、それらは毎食一種類のみで選択肢は提示されない。おまけに夕食には定食すら無くて、教師の中には夕食は外で摂る者も居る。
300席ほどある大食堂は、3学年600名が揃ってもおそらく飽和する事は無いだろう。
なぜなら生徒の中で一番多いのは都市アクスの都市民であり、その半数は実家通いで朝と夕食はそちらで食べ、昼にはお弁当を持って来る。
もちろん、それに合わせて売店でパンを購入して教室で食べる生徒もいる。そして最大の理由は、リオンとアロンを悩ませるメニューの少なさである。
「本当に何とかならないのか。あと2年と3ヵ月もこの食生活だと、俺は反パスタ教を創って布教を始めるぞ」
「アクス錬金術学校で布教すると、意外に信者が集まりそうだな」
リオンが見渡した食堂では、200人の生徒のうち2割にあたる40人ほどが夕食を摂っていた。
夕食は19時のラストオーダーまでに頼めば良いので、夕食は生徒の食事時間が最もバラける。リオンとアロンは食後に研究室へ向かって研究を行う予定だが、18時半ほどまで勉強や課外活動を行ってから食事に来る一般生徒も居る。
ちなみにメニューの一番人気は『しゃぶスパ』という、パスタの上にしゃぶしゃぶがどっさり乗って、大麦パンとスープとサラダが付いたセットであった。
王国は一体どこへ向かっているのか。リオンには、食生活で苦しむ生徒の声が聞こえた。
「ぎゃあああっ!」
「いや、大げさだろう」
リオンは即座に突っ込みを入れた。
それに食事に付いて悲鳴を上げるなら、せめて大食堂で上げて欲しいと思った。教室や研究室への食事の持ち出しは、リオンの常識ではマナー違反だ。
「最近の子供はマナーが悪いな」
「リオン、違う。廊下の壁に人が叩き付けられた」
「…………」
アロンは義足になって引退したが、祝福を得た冒険者だ。身体能力に優れ、聴覚も戦闘経験もリオンの比では無い。リオンはアロンの邪魔をしないようにすぐさま無言となった。
二人は食事を中断し、大食堂の外の音に耳を傾けた。同時に食堂に居た大半の生徒が静かになる。
そんな静寂を、大食堂の入口のドアが破壊される大音響が打ち破った。
入口の扉が大食堂内に倒れて来て、その扉の上には頭部の眩しい男が乗っているのが見てとれた。
「ハゲだっ!」
誰かが一目瞭然の事態を大声で叫んだ。
もちろん叫び声には「ハゲが現れたので女性は逃げて下さい」という警告の意味がある。
それにしても、ハゲとは情けない限りであった。
「錬金術学校の入学年齢は14歳から17歳まで。誕生日を迎えても最年長で18歳。それで4人との結婚は出来ないだろうから、夫がいる女性との浮気だろうな。下半身のだらしないハゲだ」
「リオン、妻に生活費を渡さなかった可能性もある。みっともないハゲだ」
堕落した同姓に対し、リオンとアロンは軽蔑の視線を送った。
二人には夫が居る女性に手を出す感覚が理解できないし、王国から生活費補助を貰っていながら妻に生活費が渡せない状況も理解できない。ようするに、ここにハゲが出現する理由が理解できないのだ。
そのハゲはドアと共に大食堂の入口に倒れた所で、近くの生徒達からパスタを投げられていた。
生徒達は食器を掴み、中身のパスタを次々とハゲに振りかける。
生徒達のパスタには飽きたという想いが、非道なハゲの出現と相まって大食堂にパスタの雨を降らせていた。ハゲは局地的大豪雨を全身に受け、パスタまみれになりながら意味不明な言葉を叫んでいた。
「おいおい、しゃぶしゃぶは勿体ないだろう」
「ぬおりゃああっ!」
リオンが冷静に突っ込みを入れる中、リオンの向かい側に座っていた反パスタ教の教祖アロンが、自らの皿を掴んで同志たちの聖戦へと加わった。
冒険者の腕力で飛ばされたパスタが、大食堂の入口へと突き進んで行く。
そして、次に大食堂へと入って来た生徒の顔にそのまま降り掛かった。
ベチャッ。パイ投げのパイならぬ、パスタ投げのパスタのようにアロンの遠投が見事に次に入って来た生徒の顔面へとヒットした。
「おい、アロン」
「しまった……って、またハゲかよ!」
次に入って来た生徒も見事なハゲだった。錬金術学校に学生服など無いが、女物の服を着てそれなりの果実を持っているので女性と分かる。
「女生徒か。結婚していながら夫以外と浮気をしたな。節操のないハゲだ」
「いや、夫から貰った生活費をホストにでも貢いだんじゃないか。くそっ、次のパスタは無いのか?おばちゃん、パスタ3皿追加だ!」
「お止め!食べ物で遊ぶんじゃないよっ」
「…………サーセン」
「ほら、これ使いな」
アロンを一喝したおばちゃんは、厨房から瓶に入った液体を瓶ごとアロンに渡した。
「これは?」
「調合科の生徒さんが作ってくれた強力洗剤。ハゲの罪を洗い流してやりなっ」
「おばちゃん、ありがとう!」
おばちゃんは、もしかしたら旦那がハゲで苦労したのかもしれない。
アロンは実に協力的なおばちゃんから強力洗剤を受け取ると、振り被って2匹目のハゲへと投げ付けた。
「ぬおりゃああっ!!」
冒険者アロン・ズイーベルの手によって投げ放たれた強力洗剤の瓶は、受け取りカウンターから大食堂の入口へと飛び進み、入口に現われた3匹目のハゲに叩き付けられた。
グアアッ。ハゲの頭部にヒットした瓶が割れ、中身の強力洗剤が周囲へと飛び散る。それとほぼ同時にやって来た4匹目、5匹目のハゲも洗剤を浴びて呻き出した。
「ハゲだらけじゃないか。錬金術学校の倫理はどうなっている」
「おばちゃん、次の洗剤を」
「あいよ。持って行きな!」
アロンは追加で2本の瓶を受け取ると、雪崩れ込んできて入口付近の生徒と揉み合いになったハゲ達の後続に向かって次々と瓶を投げつけた。
だがハゲ達は、強力洗剤に足を滑らせながらも何人かの一般生徒に噛みつき出している。悲鳴と罵声と食器とが飛び交い合い、大食堂は大混乱に陥り始めた。それを見たアロンは、自らも直接戦闘へと加わった。
「おいアロン、危険だっ」
リオンの警告が飛ぶが、アロンはその次の瞬間には侵入して来たハゲを1匹殴り飛ばしていた。
何かがおかしい。ハゲの数もそうだが、彼らが人語を話さずに「ガー」とか「グォオッ」とか、まるでゾンビの様なうめき声を上げている事も異常だ。リオンは戦闘を避け、冷静にハゲ達の行動を観察し出した。
一方アロンは次のハゲを殴り飛ばし、それとは別のハゲの下顎を拳で力一杯打ち据えて地面へと沈めた。
だが、ハゲに髪の毛を掴まれてしまう。
「くそっ、ぬわあっ」
アロンは髪を引っ張られ、咄嗟に相手の髪を掴んで態勢を立て直そうとした。
だが、相手には髪が無かった。
アロンの伸ばした手は、相手の頭部でツルッと滑ってしまう。
ペチン。
髪を掴み損ねたアロンの手が、相手の禿げ上がった頭部を叩いた。
大食堂に響く良い音がして、ハゲは物理よりも精神に属するダメージを受けて呻いた。
だがその攻撃は、もろ刃の剣でもあった。アロンはハゲの頭部を掴み損ねてバランスを崩し、その場に倒れてしまったのだ。
ハゲとの戦闘経験を有する者ならば身に染みて知っているであろうが、ハゲに対しては髪の毛を掴まれたら掴み返す『目には目を、歯には歯を』という対処が出来ないのだ。
アロンが相対しているのは、まさに強烈なハゲであった。いくら掴もうとしても、相手には掴む髪の毛が無い。
「くそっ!」
アロンは素早く起き上がったが、その間にもハゲ達は入口から増え続けてアロンの周囲をハゲで埋め始めていた。
周囲では、殴る蹴るの大乱闘が発生している。
アロンはさらにハゲを殴り飛ばし、地面へと叩き付けたが、強力洗剤の瓶3本で周囲が泡立ち始め、白い泡が足場を不安定にしていたために戦闘継続が困難となり始めていた。
ハゲを殴っても洗剤でツルッと滑る。義足が床にまかれて泡立つ洗剤で滑る。握力が落ち、視界不良で、ハゲの大量出現とも相まって大混乱に拍車が掛かった。
そうこうしているうちに、アロンはどんどん追い詰められ、ついには地面へと引き倒されてしまった。
「アロンっ!」
リオンには、義足のアロンの苦戦が見て取れた。この状況での義足は致命的だった。洗剤が塗り込まれるような形になった義足の先端は床を滑り、アロンは起き上がる事すらできない。倒れながらの戦闘では、ハゲに対して有効なダメージを与えられていない。
リオンの叫び声を聞いたアロンは、大食堂の天井目掛けて叫んだ。
「逃げろっ!」
リオンが何かを言い返す前に、ハゲに喰らい付かれた生徒達の絶叫が響き始めた。冒険者アロンという防波堤を失った生徒達は襲いかかってくるハゲたちに生身での対処を迫られ、常軌を逸したハゲ達の力に次々と捻じ伏せられて噛み付かれていった。
「ぎゃあっ、噛み付かれるならせめて女子が良いっ」
「嫌あぁっ、お嫁に行けなくなるっ!」
それは阿鼻叫喚のハゲ地獄であった。
邪淫、飲酒などといった大罪を犯して阿鼻地獄や叫喚地獄に落ちたハゲの群れが、もがき苦しみながら生者を恨んで同じ地獄へと引き摺り下ろそうとしているのだ。
ところで浮気は分かるが、飲酒は誰が行ったのであろうか。
「逃げろおおおっ!!」
アロンは完全に組み伏せられてしまった。ハゲの頭部をベシベシ叩いて、口元を自分へ近づけまいと必死に抵抗している。
ハゲたちは難敵を倒したとばかりに大食堂内に分散を始めた。それはアロンの負担が軽減された瞬間でもあったが、同時にリオンにとっては脅威であった。
「分かった。お前も俺を気にせず逃げろ!」
リオンが襲われていては、アロンは自らの状況を打開しても逃げ出す事がままならないだろう。
リオンはそう考え、脱出を図る事にした。
「応!」
アロンの声を背にリオンは他の生徒達と共に逃げ始めた。
「と言う事がありまして」
「…………そうか」
無数のハゲに追いかけ回されましたと告白された時、一体どう答えたら良いのか。
錬金術師ギレスは押し黙り、言葉を慎重に選んでからゆっくりと口を開いた。
「無事で良かったな」
「ええ。ですが、アロンは今でもハゲに襲われた悪夢にうなされるようです」
「……よし、義足の開発は俺も手伝ってやろう」
「ありがとうございます」
こうして、リオン・ハイムの研究は前進して行った。


























