第11話 責任の取り方
疾しい行いは、人の少ない夜に限る。
なぜなら人から視線を向けられず、自らの行為に対して心が乱れずに済むから。
私には未だに人としての良心の呵責があるらしい。
もう人では無いのに、未だに人の倫理を引き摺っている。
とても迷惑な話だ。いっそ完全に人で無くなれば良いのに。
闇に紛れ、住宅に押し入って新たな獲物を捕獲した。
悲鳴を上げさせない為に、まず男の喉を握って締め付ける。名前も知らない男は足掻いて必死に抵抗したけれど、呼吸を止められての抵抗は長くは持たない。
(大丈夫、別に死ぬわけじゃない。世界の力を奪われて、苦しいだけだから)
私もかなり慣れて来て、獲物の家族構成くらいは事前に下調べするようになった。
人の倫理が、無意識に子供の居る家を避ける。両親が狂うと、子供が両親に襲われて死ぬから。
そんな心配の無い独身男性への吸血によって渇きが満たされ、その余裕が新たな思考を生み出した。
身体に残っている0格の竜核30個と、1格の竜核1個が、私にエネルギーを与えてくれる。
完全に満たされた0格の竜核は、1個で最弱の転生竜の力の四分の一ほどのエネルギーがある。そして1格の竜核は、1個で二分の一ほどのエネルギーがある。つまり私は、現時点で最弱の転生竜8匹分ほどを創り出すほどのエネルギーを持っている。
でも、冒険者が祝福を受けたような特別な身体能力やスキルは得られなかった。私は祝福0のまま、体内を廻る凄まじいエネルギーで無理やり戦っているだけで、戦闘技術などは全く持っていない。この辺は魔物と変わらない。
神魔は生前のスキルを持っているけど、転生竜は神魔の時のスキルを持っていない。だから転生竜の竜核を用いている私にスキルを引き継げるはずも無かった。
転生竜と化す時に、心と身体が分離するのだろうか。すると転生竜は、特殊な性質を持った野生の竜と変わらないのだろうか。
(それにしても、転生竜が持っている祝福数まで引き継げないなんて)
これでは転姿停滞の指輪を装着している一般人に、放出と吸収とエネルギーを加えただけだ。
そこまで考えていると、食人鬼に変わった被害者が叫び出した。
ヴァァッアアォァ。
「ごちそうさまでした」
私の役に立てて嬉しい?
それはともかく、今後どうすれば良いのか。
街道の監視は厳しくて、逃げ切るのは困難だった。たった一人を相手に、沢山の騎士団が専従でいつまでも追い回してくる。
しかも、酷い罠がある。追手の中に大祝福2が紛れていて、私は一度捕まりかけた。彼が戦士系ではなく探索者だったら、私は絶対に捕まっていた。
その後、配下を作って監視をすり抜ける手法を思い付いた。私と同化している竜核をそのまま送り込めば、相手と同じ魂で繋がって意のままに操る事が出来た。
……でも、このまま逃げてもその先に一体何があるのだろう。
完全に袋小路。
ふと思いついた私は、逃亡生活の中で一通の手紙を書いた。
宛先はアクス錬金術学校で、内容は私の研究と発見したことの全て。
この行動に至った理由は、私がいつの日か騎士隊に捕捉されて殺される可能性が高かったから。私の死に何の意味もなく、何の積み重ねもされないのでは、そもそも私が目指した永遠からは対極の結果となる。
だからせめて、私が生きた証を残しておくことにした。
私はまず手紙を出した目的を語り、幼い頃に永遠を願った経緯から順に記した。
独学での勉強、錬金術学校への入学、疑問、仮定、実験、検証、結果何を得て、何を失い、どのように至ったのかを順に綴っていった。
もうすぐ人生の終わりが来る。
いいえ、人の生はとうの昔に終わっていた。
そうだ、追記しておこう。せめて最期は、私の手で。
Ep06-11
バダンテール暦1261年3月。
身寄りの無い元難民少女ドリーが引き起こした違法薬物調合事件は、都市アクスの市民生活に未だに苛んでいた。
『強力な脱毛剤と幻覚剤を組み合わせる』と言う、常人には想像すらできない邪悪な発想に人々は驚愕したが、『その薬を強く浴びたハゲに噛み付かれると、ハゲが感染する』という二次災害は、それを伝え聞いた人々を恐怖のどん底へと陥れた。
ハゲを何かに例えるならば、一年草が枯れた寒い冬であろう。
その難民少女が一体何を考えてそのような薬物を作り出したのかについては、巷に様々な噂が流布していた。
中でも取り分け有力な説は「両親のいずれかが浮気をして家庭が崩壊した事を恨んでの犯行」であったが、犯人自体を未だに捕縛できない以上は確認のし様が無かった。
錬金術学校で最初に起きた事件の俗称は『禿の乱』となり、犯人には『脱毛剤のドリー』という通り名が与えられた。
同名のドリーと言う少女にとっては迷惑な話である。ドリーと言う名は多く、同じ名前の少女などいくらでもいるのだ。どうせならオードランも加えて欲しかったが、何故か巷で覚えやすい通り名が流行って定着してしまった。
人は驚愕と恐怖を抱きつつも、絶望の淵には立たされなかった。
事件の詳細が公表されると同時に、アクス錬金術学校の研究チームがそのハゲを治療する育毛剤の開発に成功したとの発表があったのだ。
今回薬物を投与されハゲた者達はそれで治療する事が出来た。投薬量を増やせば、一次感染した者が髪を増やした時のような現象が起きてすぐにフサフサとなる。
だが、従来のハゲを治せる訳ではなかった。従来のハゲは加護を受ける加護細胞の様なものが死滅しており、身体に注いでも加護が体内を循環しない。浮気は決して許されないと言う事だろう。
また、二次被害者にはもう一つの救いがあった。一次感染した者は罹患中の記憶が残っているが、二次感染した者は罹患中の記憶が完全に抜け落ちていたのだ。彼らは、自分たちが他の誰かを襲う記憶を一切残していなかった。
「では皆さん、人通りが多い夕方までに必ず3人以上で集団下校してください。それと、ハゲを見つけたらすぐに2歳、『に・さ・い』ですよ。バランドさん、にさいとは何ですか?」
「逃げる、叫ぶ、石を投げる。です」
「その通りです。ハゲから逃げて、叫んで周囲に助けを求め、足元に石を投げつけて下さい。普通のハゲならそれで立ち去ります。追ってきたら、都市内を警邏している騎士様か兵士さんたちの所へ走って逃げて下さい」
「「「はーい」」」
「ではみなさん、気を付けて帰って下さいね」
起立、礼。
一日の最後の唱和が響き、教師が教室から退室して行った。それと同時に、中等生たちがザワザワと話し始める。
「リディ、ノーラ、帰るよー」
「はーい」
クラスの中で唯一の飛び級生徒であるリディ・バランドに声を掛けたのは、家が同じ区画のマリエット・シュラールだ。
マリエットは茶色の髪を二つ編みにして赤いリボンで結んで右肩から前に垂らし、星型のアクセサリーが付いたチョーカーを首に付け、フリルの洋服にピンクのスカートといった可愛さを優先した出で立ちの13歳の中等校一年生だ。リディとは2歳違いだが、飛び級制度によって二人は同級生となっている。
マリエットによるリディへの呼び掛けに、やはり家が同じ区画のレオノーラ・アレッシという少女も手提げバッグを持って立ち上がった。
レオノーラは、黒のシャツに赤い上着、オレンジのチェックのスカートに革のロングブーツという明るい服装で、それが大人しい黒髪を映えさせている。
やや伸びて来た身長に肉付きが伴っていない子供のリディ、モテるよりも自分思考の可愛さを追求するマリエット、カジュアルなレオノーラ。この3人のアンバランスさは、この上ない。
そんな3人がどうして一緒にいるかと言うと、単にグループのリーダーであるマリエットが二人を気に入ったからだ。マリエットは他にも沢山の同級生たちを外に囲っているが、家の方角が違ったり、時間短縮された部活をやった後に帰ったりして、最近の帰宅はこの3人で落ち着いている。
それに加えて、最近は理由が一つ増えた。
「ねぇリディ、今日はロランさん迎えに来ないの?」
「その予定は無いけど」
レオノーラのいつも通りの問いかけに、リディはいつも通りの返答を返した。
12月のドリーによる事件以降、ロランは都市アクスでの捜索活動に専従している。
だが、都市アクスの加護範囲はとても広い。広大な未開発地域や、旧ボルヘス王国時代からの未使用の建造物、魔物が存在しない森の奥深くなど隠れる場所はいくらでもあって、成果は得られていない。
この事件の解決には未だ決め手が足りず、ロランは割り振られた休みの日には都市の巡回を兼ねてリディを迎えに来てくれる事が何度かあった。
その時、2歳年上であるロランの現状を憂う表情を見たレオノーラは、不意に心ときめいてしまったのである。
「ノーラは、お兄ちゃんを誤解してる」
「してないわよ。ロランさんには6回家まで送ってもらったけど、真面目でとても優しい人じゃない」
「……ほら、誤解してる」
人に何らかの目標を持って直向きに努力する時期があるとすれば、現在のロランはまさにそれであった。
そんな時期にロランと運命的な出会いをしてしまったレオノーラはまさに恋する乙女であって、リディが何を言っても無駄だった。
三人が校門まで行くと、ロランは待っていなかった。
「残念」
気丈に言い切ったレオノーラを見て、マリエットは何かを思い付いた。
「ねぇリディ」
「何、マリー?」
「ロランさんは、リディのお姉さんと婚約者だよね。それで、お姉さんは都市ファルクの都市民」
「うん。でも正確には、婚約者候補だよ」
「じゃあリディのお姉さんとノーラは違う都市の登録だから、ノーラもロランさんと結婚出来るね。2番目の奥さんになっちゃうけど」
「……えっ?」
マリエットの言葉にリディは困惑し、レオノーラは歩きながらマリエットへの距離を詰めて来た。
「ファルクはアクスと2都市しか離れていないし、ロランさんは祝福いくつだっけ」
「……39かな」
「完璧だねっ。大祝福を得ていれば大街道は安全だし、祝福の理想は年齢÷2って言われるけどロランさんは飛び抜けているし。と言う事で、リディ協力してあげて」
「何を?」
11歳のリディは、13歳のマリエットの感覚に付いていけなかった。
そもそも15歳の結婚可能年齢にはまだ早いし、15歳ぴったりで結婚する人間だってそこまではいない。ちゃんとした心当たりがあるならともかく、無いならせめて1~2年ほど優良物件を探さないと早売りで損をしても取り返しは付かない。
ただし、3年以上も様子を見ると人よりも婚期が遅れてくる。3年探してダメなら、次の3年でも理想の出会いがあるとは限らないし、そうやって20代に入ると売れ残る。売れ残ると今度は安売りしないといけなくなる。
と言う事は、女の結婚適齢期は17歳くらいで、その時期に一番高く売れる事になる。
ようするに、まだ色々早すぎるとリディは思った。姉のレナエルだって、最終結論を出すのはちょうど17歳の錬金術学校卒業時なのだ。
マリエットはリディとは違う考えを持っているようだった。
「リディ、まだまだ甘い。そんな事じゃ丘の上の白い家と大型犬は無理だよ」
「何それ」
「わたしの理想。それはともかく、ロランさんは優良物件だから、今のうちに売っておこうと思って。ノーラ可愛いし」
「………………」
リディは改めてノーラを観察した。
ノーラはストレートの黒髪を赤くて長いリボンで結び、綺麗な黒い瞳でリディをしっかりと見詰めている。容姿も体型も整っていて、肌も健康的で瑞々しい。
黒のシャツに赤い上着、オレンジのチェックのスカートに革のロングブーツと言う服装の他にも、ピンクの手提げバックに向日葵を模したアクセサリーを付けて、
そして、リディやマリエットには殆ど無いものを立派に持っていた。
「リディ、わたしはこれから成長するの」
「……お兄ちゃんは今とても大変だから、事件が解決した後になら手伝っても良いけど。でもノーラは本当にそれで良いの?」
「良いわ。ちなみにロランさんの好きな物は何かしら」
「ハーレム」
「「…………」」
通り道に停めてあった箱馬車を通り過ぎ、3人はリディの自宅の前まで来た。
「じゃあまた明日ね」
「また明日」
「またね」
三人が別れの挨拶をしたちょうどその時、邸の中から暗色系の髪の女が出て来た。
リディは、自宅から出て来た始めて見る女性の口元に血が滲んでいるのを見て一歩引いた。
だが、その女性に髪の毛はあった。そして、後ろからメイドのイファーネが出てきたのを見て、リディは少しだけ安心した。
「イファーネさん、ただいま」
「お帰りなさいませ、リディお嬢様」
バランド家のメイドであるイファーネのいつも通りの挨拶に、リディは普段と違ったニュアンスを感じ取った。
「イファーネさん、こんにちは」
「お久しぶりです」
「こんにちは。お嬢様をお送り下さってありがとうございました」
リディは、マリエットとレオノーラに返事をするイファーネの様子にやはり違和感を持った。そして、致命的な一言を掛ける前にリディは本能的に二人とイファーネとの間を遮って言った。
「二人ともありがとう。また明日」
「うん。あ、イファーネさん、首の所にちょっと血が付いていますよ」
「「…………」」
マリエットの言葉に、口元に血のにじんだ暗色系の髪の女と、首筋に血のついたイファーネと、ずっと違和感を持っていたリディと、指摘を聞いたレオノーラが一斉に固まった。
そしてマリエット自身も、固まった周囲を見て顔色が変わった。
「………………ええと、嘘だよね」
「ごめんなさい、逃がしてあげられないみたいです」
3人の後ろには、いつの間にか先程通り過ぎた馬車の御者や集配員が立っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
都市アクスにおいてドリー・オードランと最も接点があったのは、錬金術学校で唯一会話を交わしていたレナエルと、6月頃から依頼を受けて竜核を継続的に集めていたロランだった。
二人はドリーと学校以外でも何度か会っている。
その二人にドリーから人質を取った面会が申し込まれた事に対して驚きはあったが、同時に心境の推察も可能だった。
「ドリーの手紙の内、錬金術の部分に関して矛盾はあるかな」
「ありません。ドリーは自らを竜核と融合させ、放出と吸収の性質を引き継いでいます。ですから、他の吸血鬼化した人達のように、彼女の体内に限界以上の加護を注いでからダメージを与える形で放出を行えば、体内の竜核を破壊して人間に戻す事も可能です」
「なるほどね。それで殺せる訳だ」
「待って下さい。ドリーも人間に戻せます」
「うん、だから人に戻して殺すんだよ」
メルネス・アクス侯爵は、レナエルの提案を一笑に付した。
そんな説明する必要すら感じないメルネスに代わり、レナエルの賢者の石造りに協力した治癒師のユーニス・カミンが説明を引き継いた。
「裁判になって、法廷で吸血鬼の創り方が知られれば、きっと誰かが模倣するわ。もちろん彼女が誰かと接触して話しても同じことよ。その時、今回の都市アクスのように早期に封じ込めが出来なければ、この世界に被害者が蔓延するわね」
沈黙するレナエルに代わって、ロランが言葉を返した。
「大祝福2なら対処可能な強さみたいだけど」
「それは祝福の無いドリーだからよ。もし大祝福1の冒険者が吸血鬼化したらどうするのかしら」
ユーニスの言葉には取り付く島も無い。
「ですけど、賢者の石を元に創った賢者の剣で刺せば、竜核は破壊出来ます。大祝福の冒険者が吸血鬼化しても対処できます」
「君の技術を獣人が得てしまうと、人類国家は最悪の場合は滅びるかもしれないね」
否、否、否。
ロランとレナエルの助命嘆願が、メルネスとユーニスに否定される。双方から距離を取って黙って見ていたディアナが、そこに口を挟んだ。
「少し良いかな。埒が明かないので、別の視点から問題を見て見ようと思うのだけれど」
「良いよ。言ってみなさい」
「ありがとう父上。さて、ドリーはこのまま放置できない。なぜなら人類に有害だからだ。人の血を啜る、人質を取る、仲間を増やす。人に戻せばこれらのうち2点は解決出来るけど、仲間を増やすと言う危険を排除できない。二人ともここまでは良いね」
ディアナの確認にロランとレナエルが不承不承に頷いた。ディアナはそれを見て話を続ける。
「強大な新技術に対して、人がまだ適応できていないのだろうね。吸血鬼とは何千年共に歩んで来た訳ではなく、その対処方法に付いて人類のコンセンサスが得られていない。そのまま解き放てばトラブルになる。新技術に犠牲は付き物だけど、想定される犠牲が大きすぎる。そこでだ……」
ディアナは一旦言葉を区切り、ロランとレナエルを改めて見つめて言った。
「二人は、ドリーを助命した結果生じる被害に責任を持てるかな」
あらゆる行動には結果が伴う。
結果を考えて行動するのは冒険者ならずとも大人ならば当然のことであり、15歳の成人年齢となって既に半年近くが経過したロランやレナエルにも思考は求められた。
大祝福1の冒険者、あるいは新技術を用いる錬金術師は大きな力を持っている。その結果大きな事が出来るが、大きな行動は大きな結果を生じさせる。
結果に責任が持てないならば、最初から手を出さなければ良い。それでも行うと決めたからには、生じた結果に対して責任を持たなければならないのが大人だ。
二人がドリーを助けるのならば、当然その後にも責任を持たなければならない。
そして責任の取りようが無いからこそ、メルネス・アクス侯爵は二人の意見を認めないのだ。
「僕たちはドリーの研究に少なからず関与している。僕たちの正しい責任の取り方は、罪悪感から感情的にドリーを助命する事ではなく、被害者を最大限に減らす事と、今後の予防策を用意する事だね」
死者は現時点で6人に達している。
そしてこのままでは、死者にレナエルの妹であるリディや、無関係にも関わらず巻き込まれた同級生2人が加わる可能性もある。
沈黙した二人に、メルネスは淡々と告げた。


























