第10話 神(エリ)杯(クシール) 後篇★
バダンテール歴919年12月16日。
クリスト・アクス司令官にとって、事態の収拾を図るのは極めて困難であった。
彼の元には祝福を得ていない騎士や指揮系統の複雑な西の3国出身の独立部隊が加わり、平民出身にして26歳の若き司令官であるクリストにはそれらを意のままに動かせる絶対的な権力など無かった。
南西の第二宝珠都市エギレスと北西の第三宝珠都市デュナシエが同時に襲撃を受けたとの報を受けたベイル王国は、クリスト・アクス司令官とイヴァン・ブレッヒ司令官の両名に出撃を命じた。
二人はそれぞれ直属の騎士団に、各地の騎士隊や併合した西の3国の部隊などを加えて二手に分かれて現地へと向かったのだ。
発生原因は不明で、クリストが勝手に想像するしか無かった。
人と妖精族とは用いている文字や言語の体系が根本的に違う。古代人の末裔とも目される彼らが何を思い、何を考え、何に対して怒るのかが全く分からない。武装中立と経験則に基づく境界ラインを判断して近寄らないのが従来のやり方だった。
だが主神と成ったデュナシエという偉大な治癒師が妖精たちの住んでいる西の森側に大きな宝珠都市を作った事により、都市自体が境界ラインの河川を跨ってしまった。
広い領土と豊かな土地、そして今まで得られなかった希少な鉱物や植物。そこに行くなと言うのは無理な相談だった。人の為の宝珠都市が出来た以上は、そこはアルテナの加護を得た人の土地であるという考え方が人の側にはあった。
過去にはインサフ帝国においてエリザ・バリエという人とエルフとのハーフが両種族の言語と文字を使い、人にしか得られない筈の祝福まで得て、両種族の建設的な交流の懸け橋となった事例があるが、ベイル王国にそのような奇跡が現れた事は無い。
宝珠都市は周辺の魔物を妖精たちの側へ大きく押し出し、人々は大挙して森の資源を乱獲し、ベイル王国と旧西の3国とは互いに口を出されまいと牽制し合った。
非協力的な環境が事態を悪化させ、各種の対策を取り難くさせた。
そしてクリストが南西のエギレスに辿り着く前に、既に都市は壊滅していた。
「バルフ卿、被害状況はどうなっていますか」
「幸いにもエギレス子爵家に被害は出なかった。我らの騎士団も大半が無事である。ご安心なされよ」
「……それは幸い。して都市民の方は?」
「彼らはボルヘスに入る資格無き故、判然とはせぬ。だが元々は3子以降の半端者や違法滞在者の子孫。都市を消されて他の都市に入れられぬ以上、捨て置くしかあるまい」
クリストはバルブ騎士団長の言い様に心中で怒りの激しい炎を燃やした。
彼は併合したボルヘス王国で代々騎士の家系だったと聞くが、本人は冒険者ですら無い。貴族を守れればそれで良いという思考のようだが、軍を構成する大半の平民出身者がそれで納得するか否かには思い及ばぬのであろう。なおクリストは平民出身である。
「この冬の寒空の中、都市外に放り出されたとあらば王国の名誉の為にも捨て置く訳には行くまい。兵を使って仮設小屋の設置と、軍の備蓄庫から古麦を開放しよう」
「お優しい事だ」
ある程度頼れる者は直属の部下だけだった。クリストは危機的状況の中、身を切る思いで部下を作業に割り振る事を決意する。
「アーベル副団長、貴官が5個小隊と兵800名でその指揮を執れ」
「了解しました。古麦はどの都市まで集めましょうか」
「長期的に調達する必要がある。まずこのボルヘスで集配し、その間に通達を出してルクトラガ以東からの輸送体制を構築するんだ。各地の隊にも協力させて可能な限り有機的な流れを構築しろ。それと物資の半数はイヴァンの担当する北のベルセラ側へ回せ」
「はっ、努力致します」
★地図(都市ボルヘス周辺)
王国軍は、かつてクリストが想像していたよりも遥かにだらしが無かった。命令される事に慣れて自分で考えようとしない者が多く、あるいは命令した事すらまともに実行できない者も多い。最悪なのは命令にすら従わない出自だけが良い指揮官たちである。
このような非協力的な態勢であればこそ、組織全体が機能不全に陥ったのであろう。
「ボクへの報告は怠らないでくれ。それと避難民たちの情報は食糧配布の際になるべく収集してくれ」
「了解しました」
なるほど、ベイル国王がクリストとイヴァンを欲しがるわけである。二人を司令官に迎えたベイル王国は、瞬く間に西の3国を圧倒してついには併合してしまった。
だが、彼らの頼りにならないこと甚だしい。クリストにしか出来ない事が多すぎた。
「ボクの名でボルヘス侯爵を呼んでくれ。今の態勢で攻められれば、この都市も滅ぶ」
Ep06-10
廃墟都市ボルヘスの魔物たちが徘徊する都市内を、白玉大騎士団の騎士たちが小隊ごとに連携しながら次々と制圧して行った。
各都市が次々と滅亡する報告を耳にした王の裁可によって、ついに冒険者のみで編成され直した大騎士団が2つも誕生した。
「「「おおおおっ!」」」
大騎士団1つで、通常の4個騎士団にも及ぶ兵力が集っている。
彼らは4人の騎士団長ごとにまとまり、クリスト・アクス大騎士団長の命に従って妖精女王の軍勢のこれ以上の侵攻を阻止すべく、廃墟都市ボルヘスの全域を支配して行った。
だが、意図的に瘴気で満たされた廃墟都市には多くの魔物が巣食っていた。
そして都市の深部にて、目撃証言のあった3頭の犬頭を持つ巨大なケルベロスがついに騎士たちの前に現れた。
クリストはナイトソードを構えて一気に飛び掛かり、揮下の騎士達に先んじてケルベロスの首の一つを刎ね飛ばした。
「はぁ……はぁ……」
袋叩きならぬ串刺しにされたケルベロスが息絶えるのを見届け、クリストは息を整えた。イヴァンと二人ならばここまで無茶をしなくて済むだろう。だがイヴァンは北を担当している。
3年間の間に、妖精女王とその配下による被害は各国へと広がった。巨大な瘴気を纏った妖精たちによるアルテナ神殿への特攻で、各都市の宝珠格が次々と落ちて行く。
「後悔しているのかい」
クリストは、かつて提案を拒否したボルヘス侯爵やバルフ卿の魂に呼び掛けた。
だが死者は黙して語らない。彼らは、既に後悔する身体も心も持ち合わせていない。クリストに同行した魔導師アダリナ・カナバルが報告にやってきた。
「妖精女王は、如何なる方法か、瘴気を溜める技術を持ち合わせているようです。妖精族以外にもそれを用い、強大な魔物を意図的に生み出す事にも成功しています。時間が経つごとに事態は悪化すると思われます」
「今更嘆いても仕方がないな」
クリストはそう断言した。
為すべき事は己で定めている。もはやこの段階に至って原因を追及しても仕方がない。一刻も早くこの戦争を終わらせるのだ。
「かつて、偉大なるバダンテールは人々にこう告げた。『私は数多の道を示したが、正しい道なるものは示していない。望ましい道とは、皆がそれぞれに悩み見出すものである』と」
「答えなんて無いから、いつか自分よりもっと良い道を見つけてくれという意味だね」
「はい。今回王国がデュナシエに繋げた道は、失敗したのかもしれません。ですがそこから何を学ぶのかは、私たち次第でしょう」
「……もう遅いさ。都市が滅び、難民たちが次々と死んでいく。もし過去に戻れたのならば、ボルヘス侯爵とバルフ卿を殴り飛ばしてでも防衛体制を強化したのだけれどね。この都市は寒いんだ。宝珠の輝きが全然届かない」
クリストが見上げた冬空からは、宝珠の輝きを受けず3年前よりも遥かに冷たさを増した雪が降り続いていた。まるで世界が死んでしまったかのように寒かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
暖かい生命の光が何度も何度も降り注ぐ中、クリストとイヴァンのバスタードソードがついに左右から金狼を貫いた。
それは妖精女王を撃破した時にも勝る英雄譚の再来だった。周囲から大気を吹き飛ばすかのような喜びの大歓声が上がり、それが背後の王都ベレオンへと広がっていく。
その時、北の都市から逃げて来た都市民や王都の民たちは、防壁の向こう側で何が起きたのかを誰かに説明されずとも理解した。
王国が救われ、王都が救われ、そして民衆が救われたのだ。王都ベレオンを創った神も、心なしか喜び暖かい光を撒いているように思える。
「……クリスト」
「なんだい?」
「……俺は、ジデンハーツに新しい宝珠都市を作る。でかいのが良いな」
「分かったよ。僕は、アクス領の神宝珠に力を注ぐ。従神に出来るなら主神にもできるだろう?ダメなら妖精女王が滅ぼした都市のどこかに新しい都市を作る。大街道が繋がっているしね。イヴァンが東ならボクが西を受け持つさ」
「……長い付き合いだったな。さらばだ」
「ああ、イヴァン…………さあ、ハインツくん。金狼の首を掲げてくれ」
「…………はい」
ハインツは金狼の首を掲げた。
「金狼へのトドメは、ハインツ・イルクナーが刺したぞおおおおっ!!」
「「「「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」」」」
「うぇぇっ!?」
クリストは嬉しくて笑いが込み上げそうだった。
それを必死に噛み殺す。クックッ……。
大小様々な未練があったが、それらが全て吹き飛んでしまった。誰かに任せられてばかりの人生だったが、安心して任せてしまえる事の何と幸せな事か。
彼の力は大祝福3という絶対的な壁を大きく突破しており、それも治癒師祈祷系という最も上げ難い職だった。スキルも前代未聞で、彼がその気になれば英雄の石碑で寝ている連中を軒並み起こして大軍団すら創り上げられるだろう。
尤も、彼の力は彼の努力の結晶だ。どのように行使するかは彼次第で、余人が口を出す事では無い。それも含めて、ベイル王国の事は生者である彼らに任せてしまえば良い。
偉大なるバダンテールも言ったではないか。道など人それぞれで絶対の正解など無いのだと。
元第四宝珠都市ボルヘス、現第一宝珠都市アクス。そこがクリストの永眠する地となりそうだった。
永久に眠ると書いて永眠。
それはとても良い言葉だとクリストは思った。ゆっくり眠らせて欲しかった。暖かく、幸せな夢を沢山見よう。ジデンハーツでイヴァンと釣りをする夢を、楽しかった冒険の日々の夢を、ほんのひと時妻と過ごした日の夢を、英雄の石碑で多くの者と語った日々の夢を。
そして幸せの光を都市へ振り撒こう。冬の寒さなど消し去ってしまえる暖かい光を、夏の暑さなど吹き払ってしまえる涼しい風を。そして農作物を育てよう。水を澄み渡らせよう。
かつてクリストを慈しんでくれたジデンハーツを遥かに凌駕するような良い都市にしたい。子供達が遊び、笑い、そして彼らの中から新しい道を探しに冒険へと旅立つ子が生まれてくれれば、この上ない喜びだ。
さあ、光を振り撒こう。
少女よ。この光を受け取って、皆に運んで行くと良い。
レナエルの用意した液体に膨大な光が注ぎ込まれ、そこに沈めた竜核の6割程が凄い勢いで光を取り込んで行く。
レナエルは魔由来の竜核を取り除いて袋に仕舞い込み、神由来の竜核だけを高濃度の加護の水に沈め続けた。
竜核が光を吸収できなくなって数刻、レナエルが竜核を取り出すと竜核から光が溢れて僅かに砕けた。それで作業の半分は完了だった。
あらゆる病を治すと言う霊薬、不老不死を得られる伝説の薬とされ、時に賢者の石と同義とも見なされるエリクサー。その名を神杯と言う。
レナエルが創り出した『高純度の加護を込めた竜核の粉』は、まさしく賢者の石であった。
今、神々が形を変えた素材を材料に用いた神杯に、神であるクリスト・アクスが力を注いで満たし、新たな賢者の石を創り出していた。それは病に適した薬に、瘴気を払う薬に、あるいは技量に応じてそれ以外の様々なものに変わっていく。
差し当たって粉末にし、液体に溶かして飲み薬とする。
それを吸血鬼に飲ませれば、ドリー・オードランが創り出した元魔族の核という不純物を混ぜた紛い物の杯を満たして壊し、吸血鬼を人へと戻すだろう。あるいは加護を欠乏させた食人鬼の体内に加護を注ぎ込めば、食人鬼を人へと戻すだろう。
バダンテール歴1260年12月16日。
世界の謎の一つを解き明かした賢者レナエル・バランドの手には、膨大な力が注がれた数多の賢者の石が握られていた。


























