第07話 失敗の結果
私は、どこで何を間違えたのだろう。
永遠の命は手に入れた。
但し、その対価として私は人生を失った。
人の生と書いて人生。
かつての私は、人の生を伸ばしたいと願ったはずだ。
人としての幸福を人よりも数多得たいと願い、そんな欲を以って自分の道を進んだ。
でも、その何が悪いのだろう。
食欲、性欲、睡眠欲。
それらの欲を満たそうと図るのは人として当然のことのはずだ。
そう、私は当然の事をしただけ。
その結果、人生を失った。
(……どうして?)
10人ほどを噛んで世界の因子を送り込み、別の幾人かは噛んで世界の力を吸収した結果、私は一時的に安定した。
まだまだ全然満たされないけれど、それで急激な飢えと渇きからは少しだけ解放された。私の捕食対象が人間に変化したからだ。
……ようやく納得出来た。
永遠の命という成果を求め、その結果何が起こるのかを一切考えなかった故に人生を失った。捕食される側の人間は、私の行動にいつまでも手をこまねいてはいないと思う。もうすぐ大騒ぎになる。
例えば素晴らしい新技術があるとする。
公開するのが、あるいは利用するのが当然だと普通は思う。
だけど『それを行ったら何が起きるのか』までを考えなければ、このような結末に至る事もある訳だ。
(……どうしよう……かしら?)
私は性急すぎたかもしれない。
もっと実験を繰り返していれば、あるいは誰か仲間を引き込んで複数の視点で見ていれば良かったのかもしれない。もっとも、今更取り返しは付かないのだけれど。
もちろん死ぬつもりはない。どこに逃げようかと考えて、追いかける側ならどうするのだろうかと考えた。
私が追い掛ける側のアクス侯爵なら、都市アクスに隣接する都市の大門を封鎖して、逃げ込もうとする者を早期に捕縛しようとするだろう。私は、伝達の早馬に速度で勝てる自信はない。
そして都市アクスでも捜索活動を行い、私を捕まえようとするだろう。
だとすれば、逃げるのは難民街だ。
建設中の沢山の建物と、大勢の建設作業従事者や元難民が入り乱れている。人は次々に入れ替わり、隣に知らない人が居るのが当然で、徴兵制度を止めて人手不足の軍による捜索は困難を極めるだろう。
冒険者が来る前に逃げようと思う。まずは時間が欲しい。そして、私の今後についてゆっくり考えたいと思う。
Ep06-07
錬金術師バランドの実験室では、研究室に所属する8人の特待生が様々な素材のマナ吸収量のデータ収集を行っていた。
配合する液体にどれだけのマナを含有させられるかは、回復剤やマナ回復剤の効果に直結する。だが効果が高くても人体に対する副作用が強くては使い物にならない。
最大の効果で最小の副作用の薬を作るには、素材の組み合わせだけではなく抽出方法にも高度な技術が必要となる。ディボー王国式の技術はベイル王国より遥かに先んじており、効果的な新技術を用いた薬剤には驚くべき結果が出ていた。
面白いように上がる成果に生徒たちは夢中となり、日夜情熱と時間とを研究に注いでいた。
なお、他の7人の特待生はそれとは別の研究を行っており、8人の方もマナ以外の研究も行っている。最高の環境が生み出すものは一つだけでは無い。
そんな革新的な研究室で、タニアは数値をノートに書き込みながら首を傾げた。
「アニーが顔を出さないなんて、今日は珍しいわね」
「そうですね、タニアさん」
アニトラ・ベルンハルトは正式には輝石の研究室に所属しているが、4つの研究室全てに顔と手を出している。
属性鉱石や特殊繊維の分野でもアニーは最高点を出し、高い才能も示した。研究室に所属できる実力が十二分にあり、錬金術師たちもアニーが混ざるのを認めており、それはマナ抽出・調合でも例外では無かった。
技術の組み合わせでより高度な物が生み出される以上、本来の錬金術師は4技術の全てに精通するべきなのだ。
それは1年生に求められる次元ではないが、アニーは才能が飛び抜けていてそれが出来てしまう。アニーの掛け持ちは錬金術師たちに認められた。そして、顔を出す頻度と時間が輝石と同じくらいに長いのがマナ抽出・調合の研究室だった。
キストが同意すると、レナエルは統計学に基づく予報を出した。
「今日は特殊繊維の方に顔を出しているんじゃないですか?」
最近アニーが長時間居座っているのが特殊繊維の研究室だった。そちらに仲の良い友達が出来たという話をレナエルは聞いていた。
「なるほど。それなら今日のお菓子はアニー抜きで頂きましょうか」
「それは魅力的ですね。タニア、今日は何ですか?」
「ホールケーキ。日持ちしないから」
「それなら8等分できますね。あ、お父さんを計算に入れていませんでした」
「グラート先生なら職員会議の後に外へ夕食に行って1時間は戻らないでしょう。構わないから頂いてしまいましょう」
ちなみに夜遅くなると出されるおやつだが、抽出をメインにしている8人の生徒のうち女性であるレナエルとタニアがいつも提供している。
これは男女差別ではなく、女子はおやつがないと死んでしまう生き物だからだ。二人だけで食べるのも味気ないし、周りに悪い気もするし、おまけに二人だけお菓子の臭いがしたら絶対に嫌だ。
むろん男子はそんなものが無くても生きていける。だがご相伴にあずかれると言うならもちろん腹に入る。その代わりに重い物を運んだり、高い場所に在る物を取ったりするときは男子が行う。世の中は実に上手く成り立っている。
「では私は紅茶を淹れます」
「そう。それならあたしはケーキを切るわ」
そう言って二人が立ち上がり掛けた時、研究室のドアが開かれて一人の男がフラフラと入室して来た。
室内に居た8人の視線を一身に浴びる男は、肌がやや白く、そして頭部がハゲていた。
「おや、ハゲだね」
トトが笑いながら一歩身を引いた。
ハゲ。それは人類の敵である。
ハゲとは婚姻の誓いを破り、あるいは他所の夫婦に手を出すなどの浮気をした重罪人がアルテナの加護を体内から突如失い、その結果として主に頭部の髪を失った状態を指す。
すなわちハゲとは、良心と道徳心と倫理観とを全て失った重罪人の事である。
「タニアさん」
キストが何かに気が付いて声を上げた。タニアはそのハゲを注意深く観察し、キストが声を上げた訳を理解した。
「もしかして、フィリオくん?」
「……ううっ」
『特殊繊維の精練』の特待生フィリオ・ランスケープ。
タニアの以前からの同級生で、実家の商売でも付き合いがある。タニアとは恋人ではないが少し仲の良い時期もあった。
そんなフィリオが、タニアの目の前にハゲとして現れた。
タニアは蒼い瞳をやや細めながら、発声に冷気を加えつつフィリオに言葉を掛ける。
「フィリオくん、どうして浮気しちゃったのかな?」
「ぐううっ、違う」
フィリオはタニアの言葉を否定しつつ、ドアからタニアの方へ向かって一歩一歩近づき始めた。
タニアは近づいてくるフィリオから後ずさりながら、何か武器をなる物を探し始めた。
「ダメだよ」
知り合いで無ければとっくに物を投げつけて叫んでいただろう。ハゲに倫理は通じない。男のハゲが半径3メートル以内に入れば大抵の女性は逃げ出す。ちなみに子供なら石を投げる。
タニアが身の危険を感じつつもダメだと言葉で注意をするのは、フィリオが昔からの知り合いだからであった。
「おい、それ以上は止めておけ」
手前に居た特待生の1人がフィリオの前に立ちはだかった。そんな彼に続き、さらに2人がフィリオとタニアの間に割って入る。おやつは女性、力仕事は男性。いつも通りの役割分担だった。
もっともフィリオが暴力を振るうような男で無い事をタニアは知っていたので、止めに入った研究室の男子達がフィリオを叩き出す以上の過激な行動を取ればそちらを止めるつもりだった。
だが、タニアの予想は大きく外れた。
「ぐあああああっ」
フィリオが研究室生の1人にいきなり噛みついた。
「…………えっ?」
噛みつかれた研究室生が悲鳴を上げ、二人の研究室生が咄嗟にフィリオを引き剥がそうと動き、キストはタニアの肩を掴んで下がらせた。
トトは何らかの薬品の瓶を掴みながら無言で騒動とレナエルとの間に身体を滑り込ませる。残る一人の研究室生もフィリオの側へと向かった。
タニアが何かを言う前に、キストはタニアを抑え込んでいた。
「お嬢様、荒仕事はお任せ頂けますでしょうか」
「……うん」
キストもジャニー商会の取引先であるランスケープ工房のフィリオを知っており、その彼の異常な行動に気付いていた。工房と多数の従業員の生活とを背負う後継ぎが、本来このような暴挙に出るはずがない。
錬金術学校では『タニアさん』と呼ぶように言われていたキストが殊更『お嬢様』と言ったのは、同級生キストくんではなくジャニー商会の付き人キストとして動きますと言う意思表示であった。
フィリオの行動は異常だった。タニアの最初の問いかけに「違う」と否定したと言う事は無意識と言う訳ではない。だがそれを上回る何かが彼を突き動かしている。
研究室生の一人が、フィリオの顔面を拳で力一杯殴り付けた。
だがフィリオは噛み付いたままで、噛みつかれた側はもはや悲鳴も上げられず四肢をだらりと落として為されるがままになっている。
そして攻撃を受けるフィリオの巻き添えとなって噛み付かれた研究室生が揺さぶられるたびに、その頭部から髪が抜け落ち始めた。
「おいおいおい」
「おやまあ。キストくん、君はタニアくんを。僕はレナエルくんを。良いね」
「分かった」
トトがレナエルの腕を掴み、キストはタニアの肩を掴んで、押さえつけられているフィリオとは最も離れたルートを辿りながら研究室のドアへと足早に動き出した。
その時、フィリオが叫び声を上げて1人目の犠牲者を解き放ち、手近に居た2人目に襲いかかった。
「うわああああっ」
組み付かれた2人目の研究室生が体勢を崩して机にぶつかり、その上に置いてあった実験器具を倒しながら床へと押し倒されていった。
「やめろっ!」
「てめぇ!」
無事な2人の研究室生がフィリオを抑え込もうとしたが、そのうちの一人の足に、最初の犠牲となった研究室生が噛みついた。
「ぎゃああああっ!」
「…………嘘」
「グラシア、一度逃げるぞ!」
「だがっ」
「応援を呼ぶ。手に負えん」
無事だった研究室生のグラシアが、キストの声で抗戦と逃亡との狭間に揺れ動いていた心の迷いという天秤を一気に逃亡の側へと傾け、現在進行形の犠牲者へ背を向けてキストの後を追い始めた。
「なんだろうね。あれは」
トトはレナエルを引っ張ったまま誰に向けるでもなく疑問を提示した。
だがトトに引っ張られるレナエルも、その横を走るキストも、キストに肩を掴まれながら引っ張られるタニアも、後ろを追いかけるグラシアもその答えは持ち合わせていなかった。
「待て」
キストが廊下の前方に目を向け、全員の足を止めさせた。
「……そんな」
「アニー?」
彼ら5人が目にしたのは、5人共に良く見知ったアニーの服を着た……ハゲだった。
「反対へ走るぞ」
「了解」
指示を出したキストとそれに応じたトトは、すぐさま反転してそれぞれ保護している少女たちと共に走り出した。逃避行に同行しているグラシアもその後ろを追って走り始める。
だが、アニーらしき人物は5人を追いかけては来なかった。彼女は廊下にしゃがみ込んで泣きながら、首にかけている白い装飾具を歯で齧って追い掛けたい衝動に必死で耐えていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
錬金術学校と冒険者協会との距離はさほど離れてはいない。
錬金術学校は第一宝珠時代の旧アクス領の防壁内に建っており、錬金術学校も同じ範囲内に建っていた。
体力には自身のあるキストやグラシアが走ればそれほど時間を要さずに辿り着ける距離であり、彼らはレナエルらに先んじて冒険者協会へと掛け込んだ。なぜアクス侯城でなかったのかと言うと、アクス侯城は都市中心部にあって冒険者協会に駆け込む2倍の距離を要したからだ。
「緊急事態だ……はぁっ、はぁっ」
冒険者協会に駆け込んだキストとグラシアを見た1階ロビーの冒険者たちは、好奇心から二人に対して耳をそばだてた。
だが取り纏めるのは冒険者協会の職員である。受付の職員がこっちだよと目線で訴えたが、二人はそんな視線に全くお構いなしに話し始めた。
「私はアクス錬金術学校の生徒キスト・サンです。アクス錬金術学校で、非常事態が発生しました。異常状態に陥った生徒たちが、一般生徒を次々と襲っています。襲われた側も何らかの感染状態になり、襲う側に回っています」
「わたしもアクス錬金術学校の生徒で、エルナン・グラシアです。その異常状態の者は、男4人がかりでも全く歯が立ちません。義勇要請します。助けて下さい!」
冒険者達は、それが本当ならば手続きどころでは無い異常事態であろうと二人の行動に一定の納得をした。
状態異常魔法を掛けられた者が混乱状態に陥るのは良く有る事で、混乱を引き起こす薬物もあるにはある。
アクス錬金術学校ならば、薬物も置いてあるだろう。所詮冒険者では無い非力な生徒たち。どんなに暴れても冒険者10名ほども向かえば事態の解決には十二分であろうと彼らは判断した。
トト、タニア、レナエルが次々と駆け込んでくるが、状況の断片しか見ていない5人にとって最初にした説明以上の事は出来なかった。
そして初動が致命的に遅れ掛けた瞬間、居合わせた一人の女性が声を上げた。
「領主代行ディアナ・アクスより、冒険者協会内の冒険者に緊急要請。今すぐ、アクス錬金術学校へ向かって全ての騒動を鎮圧せよ。依頼主はベイル王国とアクス侯爵家である。指揮官はディアナ・アクス侯爵令嬢である」
錬金術学校は、ベイル王国の未来への要である。走り出した1年目で死人を出せば、王国の今後の発展が阻害される。
ディアナがそう考えたのは、加護の粉を創り出したレナエルが冒険者協会内へ駆け込んで来た姿を見たからであった。
「全費用は王国とアクス侯爵家で持つ。手すきの者は全員来い」
ディアナは勝手にそう宣言すると、一緒に居たロラン達や自分の護衛を引き連れながら真っ先に冒険者協会の外へと飛び出して行った。


























