第06話 創生
眼が覚めると、昨夜までの満たされた感覚とは打って変わって、全身の倦怠感と強い渇きがあった。
すぐに水差しからグラスに水を注ぎ、口の中を水で満たして飲みほしたけれど、渇きは、全く満たされなかった。
何かがおかしい。
私は竜核の力を溶かして混ぜた液体を飲み、力の源である竜核自体も飲んで体内に取り込んだ。
その時は膨大なエネルギーが体内を循環しはじめた事を確かに体感した。そして、力を身体に馴染ませようとベッドで横になった。
(……私は、生きているのかしら)
洗面所で鏡に映った姿を見ると肌が真っ白で、髪の毛がごっそりと抜けていた。
髪の毛は浮気をして加護が失われると抜けるけれど、どうして私の加護が不足するのだろう。誰とも浮気をしていない未婚の私は、アルテナの加護を失う理由が無い。
原因はもちろん竜核を取り込んだこと以外に考えられないけれど、この現象を生じさせる理由が分からない。
竜核の性質は吸収と放出。今最も考えられるのは、私の体内に取り込んだエネルギー不足の竜核が、最初に私の全身から吸収で加護を集めている場合。
ひとまず落ち着き、その現象に至った原因を冷静に考えてみる。
私が飲んだのは120個の0格の竜核と、1個の元々持っていた1格の竜核。
それぞれ内包するエネルギーは竜核相応にあり、1晩寝たくらいで消耗するわけがない。昨夜の時点では確かにエネルギーが満ち溢れていた。
でも今は、昨夜に比べて半数を上回る程度の竜核が、それぞれ1/3以下のエネルギーを内包する程度にまで力を落としている。
(………………。)
凄く嫌な想像をしてしまった。
考えたくないけれど、もう取り返しが付かないのだから事態を正確に理解しなければならない。
転生竜になるのは神と魔の二種類で、その二つの種族はお互いの力を相滅させる。
竜核のエネルギーを「神由来70個分+魔由来50個分=合計120個分」ではなく、「神由来70個分-魔由来50個分=合計20個分」と仮定する。
その場合、「神由来のエネルギーで魔由来のエネルギーが全て滅し、魔由来の竜核50個は防波堤の無くなった神由来のエネルギーで壊れた」という事が考えられ、残り70個の神由来の竜核だけが残る。
そうすれば「エネルギー20/容量70」という状況が生まれる。そこに1格の竜核を足せば、現状のつじつまは合う。
今の私の状態は、循環血液量減少性ショックに近いだろうか。増大した力の受容量に対して、循環する力が不足しすぎていることが今の身体症状を引き起こしている可能性がある。
症状としては強烈な渇きと飢え、髪の脱毛、脱水、皮膚の蒼白、脈拍は微弱で速く、筋は緊張低下している。
もしそうだとすれば、世界の力を外部から吸収するか、取り込んだ世界の因子自体を外部へ移さなければならない。
でも、吸収のみでの解決は間に合いそうになかった。
0格の竜核が内包できるエネルギー量が1格の転生竜1頭の半分の半分だとしても、それ1つで大祝福を受けた冒険者1人の生命力に匹敵する。
現状で仮に50個分のエネルギー不足だとすれば、0格の竜核の吸収速度でじわじわと吸い上げるエネルギーを1格の竜格が代わりに補っている間に、0格の竜核自体を誰かに移してしまわないと飢餓で理性が崩壊してしまいそうだった。
Ep06-06
ベイル王国の錬金術研究は、『属性鉱石の製錬・加工』『輝石の精錬・変質』『特殊繊維の精練・付与』『マナ抽出・調合』の4分野に分けられている。
属性鉱石の製錬はあらゆる金属を創り出す礎となる。輝石ならば全てのエネルギーを操り、特殊繊維は天然由来と人工との全ての繊維を自在に創り出して力を加え、マナ抽出・調合は全ての用途の薬品を網羅する。
これら4分野の研究が王都ベレオン、都市ブレッヒ、都市アクスの3都市で開始され、それぞれ独自の成果を上げるべく日々邁進していた。
そのうちアクス錬金術学校で『特殊繊維の精練・付与』へと進んだ特待生フィリオ・ランスケープは、これまで実家の工房が考えもつかなかった技法の数々を目の当たりにして愕然としていた。
「全く、学ぶ事があまりに多すぎる」
フィリオは特待生のみが入る事を許される研究棟を歩きながら独り言を呟いた。
示された染色技術の幅も奥行きもあまりに広く、人工繊維の精製や脱色方法、最適水温の調整などを従来の方法よりも高度に行える技術も多く、なまじ優秀なフィリオにとってはやれる事が多すぎた。
そして、『付与』という新技術。
(時代が変わるな)
防御力や保温効果を上乗せできる布が作れるようになれば、客が従来の素材と新技術の素材とのどちらを選ぶかは語るまでも無い。
技術者不足の問題は、錬金術学校の創設でいずれ解消される事になる。なにせ『特殊繊維の精練・付与』の特待生はフィリオを含めて15人おり、王都ベレオンや都市ブレッヒを含めれば3倍の45人となる。それが今後は、毎年同じ人数だけ世に送り出されていくことになるのだ。するとこれらは、秘匿でも何でもない常識的な技術となる。
後はコストの問題だろうが、上乗せ効果と価格との天秤が上手く釣り合う辺りが市場で流通する質になるだろう。そして生産工程において付与を行うのは、どう考えてもランスケープ工房であった。
(いっそ、俺の苦手分野を学んでいる特待生を卒業後にうちで雇うか)
祖父や父たちが何と言うだろうか。と、フィリオは考えた。
フィリオの考えの根本にあるのはランスケープ工房が時代や新技術に乗り遅れないためであるのだが、それを同級生という情で雇用を用意してやるのだと思われてはあまりに不本意である。
説得するには実際に付与効果が加えられた品を祖父や伯父、父に見せなければならない。それを何種類か持ち込んでフィリオが直接説得すれば、話は通じるだろう。それに新技法もいくつか手土産に持って帰れば、そのメリットを合わせた損得勘定で結局フィリオの案は通る事になるだろう。
3年間という短い習得期間でどこまで学べるのかは分からないが、フィリオは他の生徒に比べても地盤が整っているという面でかなり有利な立場に居た。
「ああ、それと錬金術学校に在る資器材も欲しいな。いずれカリーニ錬金術師に相談してみるか」
錬金術学校にある資器材のいくつかは手製や特注の非売品だが、フィリオの目から見て市販品で補えそうなものもあった。また、特注とはいえそれを作った生産工房に金を払って追加生産を依頼すれば同じ物を作る事も出来る。
王国が技術の普及を目的として錬金術学校を作ったのだとすれば、ベイル王国内に生産工房を構えるフィリオの実家がその技術を得る事を、錬金術学校の教師たちは否とは言わないのではないかとフィリオは考えた。
ランスケープ工房は7代目で大きく様変わりしそうだった。いち早く時代の波に乗ったフィリオの実家は、元弟子たちが経営する他の工房に逆転される事も無く、拡大した都市アクスでこれからも大きなシェアを占める事が出来るだろう。
「特待生に配布された教科書1冊分でも、王国に持って行かれた追徴課税分は取り返せたな」
既に得た物と、これから得られるであろう物とを考え、フィリオは心持ち笑みを浮かべた。
その時、暗い髪の女が考え事をしているフィリオに正面から近寄って来た。
フィリオはその女に対して特に注意を払わなかった。
4人の錬金術師のうち女性はフィリオが所属する特殊繊維の精練担当の錬金術師アイーダ・カリーニだけで、もちろん自分の見知った教師では無い。研究棟に居るからには特待生の1人で、かつ自分の研究室の所属では無い女だ。つまり殆ど接点の無い他人である。
フィリオは少し脇に避けてすれ違おうとしたが、その女はフィリオと反対側に避けるのではなく真っ直ぐフィリオに近寄って来た。
そして互いに何歩か近づき、フィリオがおかしいと思った瞬間、突如女が両手を伸ばしてフィリオに抱きついて来た。
「んあ、なんだっ!?」
15~16歳の少女が抱きついて来た時、若い男性はどう対処するだろうか。
殴り飛ばすと言う者はあまりいないだろう。めまいがして倒れ込んで来たのかと勘違いして抱きとめるか、違和感を覚えて両手で身を守るか、危ないと思って避けるか。
だが、そのいずれであってもフィリオの運命は変えられなかった。
女は正面からフィリオに抱き付き、その首筋へ勢いよく歯を突き立てた。
「ぐああああっ」
上下の中切歯が鋭く噛み合わさり、フィリオの肩の皮膚を裂いた。
フィリオは女を全力で突き飛ばそうとしたが、組み付いている女の力は凄まじく、どんなに突き飛ばそうとしても小揺るぎすらしなかった。
「放せっ、ぐがががっ」
フィリオには左肩から血がドクドクと流れ出ている感覚と同時に、その血を女に吸われているというおぞましい感覚があった。その生理的恐怖から懸命に女を突き飛ばそうと、女の手を身体から振り解こうとする。
「なにをっ」
だがそれもつかの間。今度は女が首筋からフィリオの体内へと、何か熱い液体を注ぎ込み始めた。
「あああああっ!」
フィリオの指先から足先までを怖気が走った。心臓は早鐘を不規則にかき鳴らすかのように脈打ち続け、今にも破裂してしまうのではないかと言うほどに痛かった。
その熱い何かは女の口からフィリオの体内へと何度か流し込まれ、まるでフィリオの魂が何かと強制的に融合させられるかのような言い知れぬ圧迫感を持ってフィリオの全ての感覚を押し潰していった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その光景を陰から見ていた者がいた。
同じく特待生であり、総合点数で最優秀生徒になったアニトラ・ベルンハルト。彼女はたまたま研究棟の階段に居合わせ、ちょうど女がフィリオに抱き付いて首筋に噛みついた瞬間に階段から廊下へと顔を出した。
(あうっ!?)
アニーはそれを見た瞬間に慌てて廊下へと身を隠し、一瞬目にした光景を思い出して動揺していた。そして早くなった鼓動をなんとか鎮めようと図る。
(学校で抱き付くなんて。あまつさえ首にキ……するなんて!ダメです!いけない事です)
アニーは創り出した怒りで恥ずかしさを抑え込みながら、二人の邪魔をしないようにと足音を立てないように壁際に座りこんだ。
そして情事に耳を塞ぎながら、顔を俯かせて首を横に振った。
(でも15歳を超えたら成人年齢ですし、成人同士ならキスくらいしても……ダメダメ!ここは学校です!研究棟です!そういう事は寮でやって下さい)
ちなみに研究棟は1人部屋で、プライベートは守られる。
元々は1000人の徴兵兵士の兵舎として、兵士用の4人部屋を多めに300室用意していた。学生数は200人であり、しかも実家通いの生徒もいるために部屋の数は空いている。
環境面で優遇してより優秀な生徒を獲得したい王国により学生寮の増築工事も行われているので、アクス錬金術学校の学生寮は今後も1人部屋のままだろう。
だからそういう事は、学生寮でやるべき事なのだ。と、アニーは心中で切実に訴えた。
なぜなら、そんな事をされてはむしろアニーが恥ずかしくて廊下を通れない。
(でも大人なレディなら、その脇を颯爽と通り過ぎて行くのでしょうか?)
アニーは昔住んでいた家の近所のオバサンたちを思い出した。あのミセス達なら「あらあら、若いわねぇ」と言いながら笑って通り過ぎて行くような気がする。
いや、「あらまぁ」と口元に手を当ててニヤケ顔を隠しながらも、隠していない目でしっかりとその光景を観察するだろう。アニーには到底理解できない心境だ。まずキスするのが口ではなく首筋という時点からして大宇宙である。
「あああああっ!」
(あわわわわっ)
情事を正視できず顔を両膝に埋めてしゃがみ込んでいると廊下の向こうから叫び声が聞こえて来て、アニーの心をさらに激しく揺さぶった。
(はぁ……もう帰ろう)
精神を削られたアニーは研究に傾ける1日分の気力を使い果たし、このまま道を逆戻りして寮へ帰ろうと立ち上がった。
ドサッ。
立ち上がる際に、アニーが手にしていた錬金術の本が左手から零れ落ちて廊下の床へと音をたてて落ちた。
アニーは不味いと思いながら慌ててその本を拾って、恐る恐る廊下側の壁から後ずさった。だが廊下側から階段の壁へと女が顔を覗かせてきた。
暗い髪、細い身体と痩せこけた頬、生気の乏しい病んだ表情、病的に白い肌。そしてアニーを見つめる狩人の様な眼差し。
「……あうっ」
アニーはその女と視線が交差し、思わず立ちすくんだ。
「あのっ、あたし誰にも言いませんから」
女の手が伸びてくる。
アニーは両手で身を庇いながら、この段階に至ってようやく女の口元から血が滴り落ちている事に注意がいった。全てを鑑みると、この事態は決して恋人の情事ではなく、明らかに異常である。
そう判断した瞬間、アニーが錬金術師である母親から作ってもらった衣服に織り込まれた魔力の凝縮と放出の装置がアニーの僅かな動作で発動した。
「ぐっ」
スキルで言えば『エアカッター』という一刃の風が女を斜め様に切り裂く。女は一瞬だけ呻き声を上げたが、そのダメージをものともせずに両手をそのままアニーに伸ばしていった。
「えっ、どうして」
アニーは、女の裂かれた傷が光り出し塞がれていく信じられない光景を目の当たりにしながら、いつも身に付けている銀の笛を取り出した。
音響拡大警笛。アクス錬金術学校長のローデリヒ・ベルガーが用いた物とは少し造りが違い、広範囲に音を鳴らして助けを求めるための品だ。アニーはそれを取り出し、だが音を鳴らす前に女に両手を掴まれてしまった。
「放して下さい。嫌っ!誰か助けて!」
騒ぎ出したアニーの首筋に、女の鋭い歯が迫っていった。
バダンテール歴1260年12月11日。
錬金術が世界に『吸血鬼』という新たな種を生み出した。


























