短編 新しい可能性★
都市アクスから北へ2都市の距離にある都市フーデルンは、何の変哲もない人口5万人の第一宝珠都市である。
中心部にアルテナ神殿を構え、そのすぐ傍には領主館や役場がある。
周囲には騎士隊の駐屯地や冒険者協会の支部、食堂や酒場や宿屋などが集まり、各種の店などが軒を連ねていく。
中心部から少し離れると、中心部に労働を提供する住民の民家が多数建ち並んでいる。
さらに郊外には民家の周囲に小規模な商店街や広場などが疎らにあり、あるいは小さな公園や川辺も点在しており、周辺住民の憩いの場となっている。
都市の外縁部には都市防壁と門があり、門の内側には厩舎などの施設、外側には農地が広がっている。
他の都市へ出せるような産業は無い。
第二宝珠都市と比べて土壌がさほど満たされておらず、土地や人手も足りない。
何かを生み出しても大抵は第一宝珠都市内で自己完結してしまう。あるいは、自分たちが生み出せるものは相手側の都市も生み出せる。
国境の都市で他国との輸出入が出来るとか、国内流通の中継地であるとか、豊かな森や湖や大河や山岳に面しているとか、そのような特徴でもない限り、第一宝珠都市は何の変哲もない田舎である。
そんな田舎の領主館に、ベイル王国から1通の特別郵便が届いた。
「これはどういう事だ!?」
怒りで白い肌が紅潮した中年男性が、大声を上げながらサロンへと怒鳴りこんで来た。
サロンで優雅に読書をしていた青年が、怒鳴りこんで来た男性を見てやれやれと声を上げた。
「父さん酷いな。特別郵便には『親展』って書いていなかった?本人しか開封したらダメなのに」
「ワシはお前の親だ!」
「僕は16歳で成人だよ。婚約者だっているし」
「それがどうした!子供は子供だ!」
「ボクは祝福を得た冒険者でもあるから、二重に成人なのだけれどね」
怒鳴っている中年男性は、テルセロ・エア男爵。
この第一宝珠都市フーデルンの領主であり、館の主でもある。茶髪で髭を生やし、高級そうな黒い革のスーツを身に付け、胸元からは赤い絹のハンカチーフ、手には白手袋、おまけに左手でシルクハットまで持っている。
いかに都市フーデルンに誇るものが無いとは言え、息子の目から見て父は形から入り過ぎているように思える。
一方、サロンで優雅に読書をしていた茶髪の青年は、ダビド・エア。
テルセロ・エア男爵の第一夫人の子供で、男爵家の跡取り息子だ。父が買い与えた紺色の立派な貴族服を身に付けており、左の薬指には婚約指輪が嵌められている。
身長が高く、それに見合った立派な体つきだ。彼は戦士系の冒険者でもあり、父にとっては祝福が得られた自慢の息子である。
その自慢の息子の元に、王国から特別郵便が届いた。
もちろん『これは何だ?』と開封する。親展など知った事では無い。
するとアクス錬金術学校の合格通知書と、入学申込書が出て来た。
テルセロ・エア男爵も、錬金術学校と言う存在ならば何度か耳にしている。それはイルクナー宰相代理が創設した学校である。
そこには庶民も難民も入れて、3年間も学ぶらしい。つまり、自慢の息子が3年間も遊ぶと言う事だ。
冒険者として修業するならまだ良い。アクス侯爵家の眩い栄光には目がくらむ。それにアルテナの神宝珠を創り出す神々も元は全て冒険者である。
息子は祝福を得られた。しかも騎士となれる戦士系である。体格にも恵まれた。教養も身に付けた。領民も口を揃えて『素晴らしいご子息ですね、男爵閣下』と褒めてくる。おべっかでもなんでも良い。全く悪い気はしない。もっと褒めて構わん。
そんな息子には、やはりそれなりの家柄の娘をあてがわなければならない。
もちろん領民ではダメだ。何せ息子は男爵家の当主となる。その妻となる者は、やはり貴族家の娘でなければならない。アクス侯爵家などは平気で平民と結婚するが、よそはよそ、うちはうち。だから頑張って息子を引っ張り、社交界へと顔を出したのだ。
そしてフーデルンから北へ3都市の距離にある、第二宝珠都市イルゼの子爵家令嬢ルーナと縁があった。
(で・か・し・た・!)
ルーナ・イルゼ子爵令嬢は、やや赤みがかった長い黒髪に青い瞳の容姿端麗な15歳の女性である。兄が居るため、爵位を継ぐ必要はない。子爵家の娘として高い教養を身に付け、歌声も美しく、詩歌を詠み、楽器を奏で、社交ダンスも華麗に踊れる。
息子のダビドは16歳で1歳年上。年齢も身分も申し分無い。これで彼女も冒険者ならばと思わなくもないが、先方はこちらより爵位が高いのでもちろん不満は無い。ダビドも、ルーナ嬢の事をとても気に入っている。
よし、早く結婚しろ。孫を見せろ。そしたら爵位も継承させてやる。ワシは前男爵で良い。孫と遊んでやる。さぞかし可愛いだろう。孫は男の子でも女の子でも良い。男の子なら剣を学ばせねばな。女の子なら教養が無ければな。
……だが、錬金術とは何であるのか。錬金術学校に行って、一体何者になろうと言うのか。
「許さん、ワシは許さんぞ!」
テルセロ男爵の真っ赤な顔から湯気が出た。季節は2月、まだまだ寒い。
「そんな事言われてもねぇ」
ようするに、単なるパパの過保護であった。
Ep05-34
要求とは、相手より有利な立場でなければ成立しない。
例えば、人類は獣人帝国との交渉を成立させられない。
だがアンジェリカ次期女王を妻に娶ったハインツは、絶対王政を掲げるベイル王国内の貴族に対して圧倒的に有利な立場にあった。
もちろんそれを相手に吹聴する必要は無い。どちらかと言えば、無自覚かつ自発的に協力するように仕向けるほうがずっと良い。
バダンテール暦1258年11月。
「オルコット侯爵のご高名は常々耳にしておりました。由緒ある家柄で愛国の志も高く、エドアルド王陛下が動員を発令された際には、真っ先にご子息のヨアヒム殿を王都へ向かわせられたと」
会議をスムーズに進めるには、事前に相手の内諾を得るのが最適だ。
ハインツは自らの起案した政策を各都市の領主に公表する前に、事前に厄介な順に可能な限り全ての貴族から内諾を得ておくことにした。
もちろん、初対面では相手に警戒心を与えてしまう。ハインツは年齢も若い。身分も、国家への貢献年数でも相手に届かない。
だからフォスター宰相に役割を振って同席してもらった。
「さようでございます、イルクナー卿。オルコット侯爵家は王家とも血の繋がりが深い由緒ある家柄。国を想う気持ちも、並の貴族とは比べ物になりません。侯爵閣下も、この度の獣人軍団侵攻では、さぞやお心を痛めたことでありましょう」
フォスター宰相も宝珠都市を領地に持つ貴族だ。
エドアルド王からの信も厚く、長年国家に忠義を尽くしてきた。
そのフォスター宰相からも愛国を讃えられ、オルコット侯爵は悪い気がしなかった。
まして宰相と宰相代理が自分一人の為にわざわざ時間を作って事前に挨拶と伺いを立てに来たのだとなれば尚更である。
「いや、王国貴族としての範を示したまで。ヨアヒムも、オルコット侯爵家の嫡男として当然の行いをしただけの事」
「さすがはオルコット侯爵。イルクナー卿、エドアルド王陛下も侯爵閣下のことは特に信頼しておいでなのです」
「なるほど。オルコット侯爵がベイル王国に在られる事、私も大変心強く思います。侯爵がいらっしゃる限り、ベイル王国は安泰でしょう」
実はオルコット侯爵は、アンジェリカ王女が金狼を倒した者を夫にするとの宣言を受けて、嫡男を配偶者にしたかったから冒険者たちを指揮下に付けて王都へ向かわせたのだ。
そこをハインツが美談に置き換えてしまえば、侯爵は肯定するしかない。
「いや、まさしく」
地位、名誉、権力、財産。
当然のことであるが、人は自身の生存に適した環境を維持しようと図る。
であれば、『相手は自分にどのような影響をどの程度与えるのか』『相手は自分にとってプラスであるのかマイナスであるのか』『相手の影響を自分がコントロールできるのか否か』を無意識に推し量るのも当然のことである。
ハインツは相手に対して自分から会いに出向き、譲歩する姿勢で自身が味方であると最初に示した訳だ。
次期女王の夫となったイルクナー宰相代理は無視出来ない相手である。だが、味方にしてしまえばこんなに都合の良い事もない。オルコット侯爵はその流れに乗り始めた。
「うむ。いや、イルクナー卿も金狼にトドメを差したと聞いております。ベイル王国侯爵として礼を申しましょう」
「何を仰られます。我ら全員の愛国心が獣人打倒を為したのです。英雄たちも子孫をさぞ誉れ高く思っている事でしょう」
相手の心理を誘導するのは簡単だ。
事実と、相手が思いたがっている事とを繋げてしまえば良い。
オルコット侯爵は、愛国の貴族である自分が、獣人の侵攻に際して見事に立ち向かい、力を合わせて獣人軍団を打倒したとハインツに思い込まされた。
そしていつの間にか侯爵は、ハインツ達と共に戦った仲間になっていた。
「我々の力が合わされば、獣人共も恐れるに足りませんな」
タイミング良くフォスター宰相が追従する。
ハインツとオルコット侯爵の面会の場は、もはや共闘者による祝勝会の宴の場であった。
そもそもハインツは、かつてジャポーンで『NPCのハインツさん』と呼ばれていた。その気になれば相手が何を望むのかを容易に察知し、自分の人格まで変えてどんな相手にでも、どのようにでも合わせて演じる事が出来る。
健闘を讃え合い、相手を肯定し合う。ハインツはオルコット侯爵の自尊心が充分に満たされた所でさり気無く本題を振った。
「ところでオルコット侯爵、獣人が駆逐されたとなれば、次はいよいよ国を建て直さなければなりません」
「うむ。まさに!」
「そこで、これまで『国が7割、領主が3割』であった税の取り分を、大きく見直そうと思います」
「……ほう」
「具体的には、税の25%を軍が先取りします。残る税は、『国が1割、領地で9割』の使い方をしたいと思います」
「なんですと!?」
オルコット侯爵は、ハインツの言葉に耳を疑った。
だがそれは当たり前だ。
例えば100万Gの税収があったとして、従来ならば王国が70万Gを受け取り、領主が30万Gを受け取っていた。
領主はその税を以って領地を発展させ、王国は各地から集めた税を以って国家を発展させ、あるいは軍事活動を行っていた。
それを、25万Gを軍が使い、残る75万Gのうち1割にあたる7万5000Gを王国が使い、余った9割の67万5000Gを領地で使えと言っているのだ。
オルコット侯爵は、ハインツの正気を疑った。
だがハインツは、平然と答えた。
「膨大な軍事費を使う徴兵兵士たち、100人集まっても大祝福を得た1人の騎士に敵いません。ならば100人を徴兵せず、そのうち10人分の雇用費を用いて1人の騎士を追加で雇えば、残る90人分の雇用費が余ります。さらに徴兵しなかった若者たちは労働人口となり、税収も上がります」
「……そう上手く行きますかな」
「兵士は全て無くすのではなく、専門職で一定数を残して輸送や警備、哨戒や雑務などに用います」
「……ですが、それだけで先程の取り分は難しいのでは」
「ご懸念ごもっとも。なれど、この策には裏があります。税収を仮に100万とすれば、軍以外で75万Gが使えるわけですが、そのうち国と領主が1割ずつを財とし、残り8割を領地がこのように使います」
ハインツは、これから王国が行う12省の役割や予算配分を示して見せた。
それは、これまで領主が都市ごとにそれぞれ行ってきた内政を、国が事細かに指示した内政案だった。
オルコットはそれを不可能だと否定しようとして、だが即座には否定できなかった。
これまで行って来なかった地図作成や公道整備、農作物の生産補助や流通開拓、産業発展や教育無償化など、目を見張るものが多数ある。
さらに領主が私的に行わせていた催事や都市民の管理、税の徴収、屋敷や公的建築物の補修に至るまで全てに人員と人件費と活動予算が割り振られている。
つまり内政に掛かるすべてを全て国が負い、領主は1割の7万5000Gを懐に得るだけとなる。
「例えば税の徴収。いくつか思う所がありまして」
ハインツの囁きがオルコットの耳に流れ込んでくる。
「従来のやり方どおり、店の帳簿と棚の品とを見比べても不正は見つかりません。材料の仕入れ先の帳簿を見て仕入れ価格と仕入れ数を、商品の納品先の帳簿を見て納入価と納品数を、そして店が出す廃棄処分の数字を調べれば、不正が簡単に分かります。なぜなら、仕入れ元や納品先も税を納めねばならず、安く買い叩かれたのに高く売れたなどと言って余分な税を払う事は無いからです」
「…………」
「あるいは公共事業。予定価格と落札価格が近ければ談合の可能性があると言うのは愚かです。予定価格など理由を付けていくらでも操作できます。材料費、工賃、相場を調べて、予定価格自体が適切か否かを調べなければなりません。そのように専門性に特化した者達を各省ごとに置き、社会の公正化を図って正しい行いが報われるようにすることで、社会の健全な発展が見込めます。それらの手順書は用意しました」
オルコット侯爵は、ハインツをただの戦場の勇者と見誤っていたと悟った。
金狼を倒すと言う大きな武勲を上げただけで政治など分からない素人だと思っていた。だが実際は、オルコットの想像の限界を越えていた。
「また、12省の案に基づいて無駄を省けば、全ての税を半分にできます。すると経済活動が一気に活性化して経済成長して行き、商会にも民にも余裕が生まれ、復興はさらに加速し、税収自体も増えていきます。その頃に税を元の額に戻せば、なぜか税収が2倍にも3倍にも増えています。ベイル王国は地盤の揺るぎない大国となり、以降末永く栄えることでしょう」
ハインツは金狼打倒の祝勝会に訪れた領主全員に個別の訪問をして、事前に根回しを済ませた。
その際、訪問の前触れには必ずフォスター宰相やバウマン軍務大臣に行ってもらい、ハインツ・イルクナー宰相代理がどんな人物であるかと相手に問わせた上で、「ハーヴェ侯爵が命の恩人だと言っていた」「アクス侯爵が全面的に支えると言っていた」などと伝えてもらい、使う予定の無い手札を相手に見せた。
訪問時には逆に低姿勢で相手をまず引っ掛け、相手の反応を見ながら話に細かい調整を加え、場合によっては妥協する姿勢を示し、次々と反対の芽を摘んで行った。
政策が公式に通った後、さらに全員に個別訪問して感謝を述べるなど細かい配慮を行って後の不満も減じた。
さらに不満を持続させそうな者が居れば、直接相手の領地を訪ねれば良い。三顧の礼と言う言葉がある。そこまですれば貴族も一時的には不満が納まる。
もし不満を爆発させようとする者が居れば、その時は『ハーヴェ侯爵が……』『アクス侯爵が……』と言う言葉を思い出すだろう。すると同調者が減り、爆発は未然に防がれる。
その間に実績が出来る。
貴族たちは自覚しないままに、いつの間にかハインツに行動を抑制されていた。
それから2ヵ月後、ディボー王国からジョセフィーヌ第一王女が交渉に訪れた。
要求とは、相手より有利な立場でなければ成立しない。
『……借款の即刻返済を求めますよ?』
『ならば条約の終結ということで、関税に関する約定もおしまいですな。返還いたしましょう。新たな締結文を用意します。アランダ外務大臣、今すぐ公文書の用意を』
『はい、宰相代理』
その頃ベイル王国では、国内のあらゆる税金を半額にして、さらに各都市への税の配分比率を増やした直後だった。
一時的に、国庫に入る税が劇的に減っていた。
『……あなたはきっと後悔しますよ』
『では成立ですね。残りは6億Gです。取り決めどおり、調印日から半年以内に全額お支払いいたしましょう』
だが、ベイル王国内の役人や商人達に対する調査の方もかなり進んでいた。
ジョセフィーヌの要求を、ハインツは既に何種類かの方法で跳ね除けられた。
『目は瞑りません。わたくしは次期女王です。きちんと教えて下さい。納得できれば旦那様に従います』
『悪かった。だが、それでも処刑には目を瞑っていろ。アンジェが厳しい王女様になる必要は無い。『優しい王女様と、厳しい宰相代理』はバランスが取り易いんだ。厳し過ぎると声が上がればアンジェが温情措置を出し、綱紀が乱れたら俺が正す。それを繰り返せば、どちらにも傾き過ぎないと民衆が感じて安心するんだ。簡単だろ?』
『……わたくしは目を瞑りません。その代わり、納得できれば口は閉ざします』
『いや。よし、それなら役割を振ろう。まず俺が過激な案を提示する。次にアンジェが俺に温情を訴える。俺がそれを聞いて少し温和な修正案を出す……』
ハインツは思い出した。ここはアンジェリカの国であった。そもそもアンジェリカのためにやっていたのだ。
綱紀粛正の為に見せしめの処刑を行うつもりだったハインツは、方針を修正した。
ハインツはハーヴェ商会を囮に使って調査を加速させ、過去に談合を行っていた役人や悪徳商人たちを一気に捕らえ、まず一族ごとの死罪を言い渡した。
『お前達が不正を働かねば、その予算でエルヴェ要塞に遠距離兵器を多数配備出来て、バーンハード大隊長によるフロイデン侵入で1万人以上が死ぬ事は無かったのだ』と。
そこにアンジェリカが温情を求め、それを受けたハインツは全財産の没収で済ませる寛大な案を提示した。
『獣人侵攻で国が揺らぎ治安と風紀が乱れた結果、民心が荒廃した事も一因にあったのだろう』と。
人々はアンジェリカによる助命嘆願のストーリーに安堵した。だがアンジェリカは本当にハインツに助命をさせていたのだ。
ベイル王国が過去に浪費させられてきた多大な財が次々と国庫に返って来た結果、ディボー王国が返還を求めた6億Gを支払ってなお余裕が生まれた。
ベイル王国はかつて失った物を次々と取り戻し、やがて発展を始めた。
アンジェリカ次期女王とイルクナー宰相代理が支えるベイル王国は、すでにディボー王国の要求を飲まざるを得ない弱い国では無くなっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
第一宝珠都市の領主と言えば、大半が男爵位である。
第二宝珠都市なら子爵位、第三宝珠都市なら伯爵位、第四宝珠都市以上なら侯爵位が基本で、そこから功績で爵位が1つくらい上がる事もある。功績がアクス家並なら2つ。だが、そんな事は一代の功績では不可能だ。
ちなみに公爵位は、在位中の王の血を引いていなければならない。
領主になるには、その都市の神宝珠との由縁がある方が良い。
その理由は、縁のある者ならば宝珠も永く守ってくれるだろうという人の心理に由来する。
かつてはそう信じられていたので由縁は絶対だったが、アルテナの神宝珠の謎を解き明かした千瞳のドリスと呼ばれる冒険者が、迷信に根拠が無かった事を証明してしまったので、今では由来があったら気分的に良いよね。くらいの感じである。
都市が誕生すれば、基本的には宝珠都市を誕生させた神の子孫が領主候補と見られる。候補が居なければ由縁のあった者か、あるいは王侯貴族だろうか。
よって第五宝珠都市ブレッヒが誕生した時、大英雄イヴァン・ブレッヒを蘇らせた死霊の杖の提供者アドルフォ・ハーヴェはその地の領主となった。
アドルフォが選ばれた理由は、本人に宝珠都市誕生に関わる功績があり、イヴァン・ブレッヒに子孫が居なかったからだ。
死霊の杖など嘘八百で、しかも王国や役人に不信感のあったアドルフォは当初渋ったが、要請したハインツの事情を鑑みてアッサリと折れた。そもそも、死霊の杖の嘘を付き通す事が妻のベルティーナを蘇生してもらった対価であると約束していた手前もある。
領地の宝珠格が落ちれば爵位も下がり、宝珠を消失させれば爵位も失う。そして本来あり得ないが、宝珠格が上がれば爵位も上がる。
宝珠の格を落とさない為には、宝珠に祈れる大祝福1以上の治癒師祈祷系が不可欠だ。
だが第一宝珠格の都市は、実は自前で大祝福1の治癒師祈祷系をきちんと用意する事が出来ない。
アルテナの神宝珠が第一宝珠格ならば、人口は5万人ほどだ。
5万人のうちに200人に1人が祝福を得られるので、冒険者数は250人だ。
250人の冒険者のうち、治癒師は1割の25人。
大祝福1以上は10人に1人ほどだが、攻撃手段をろくに持たない治癒師は祝福が上げ難いために1人がせいぜいだ。
★経験値表&人口5万人に占める冒険者比率
だが治癒師には祈祷系と付与系が居る。
そして、アルテナの神宝珠に祈れるのは祈祷系の大祝福1以上だけだ。
祈りが届かなければ宝珠の力を回復できない。するとアルテナの神宝珠の消費は激しさを増して消滅へと至る。
治癒師には祈祷系の方が多いが、長期的な視野では第一宝珠都市は自前で神殿長を用意できない時期が必ずある。
だから第一宝珠都市は、治癒師の不足時にはどこかから治癒師を派遣してもらわなければならない。
第一宝珠都市の領主は、基本的には立場がかなり弱い。『基本的には』と言うのは、例えばアクス伯爵家ならば一族の冒険者仲間に声を掛ければ大祝福1以上の治癒師を簡単に用意できるからだ。
だから「冒険者で、かつ余裕のある子爵家の令嬢と婚約した息子は偉いのだ」と、テルセロ・エア男爵閣下はご満悦だったのである。
「ちなみに、ルーナも一緒に錬金術学校に通うよ」
「……何、ルーナ嬢が?」
「そう。僕は67点だったけど、ルーナは82点。流石に教養が高いね」
「ほう。流石はイルゼ子爵家の令嬢だな」
「そうだね。それに学校があるのはアクス侯爵領だからアクス家とも懇意になるし、イルクナー宰相代理の政策に賛同したと言えば、王家からの覚えも良くなるんじゃないかな」
「うむむっ」
「領地、だんだん発展してきたでしょ」
ダビドが指摘する通り、アクス侯爵領からこの都市フーデルンを経由してリーランド帝国や北の国々へ商品が輸出され始め、領地の経済活動が発展して来た。
つまり輸出元のアクス侯爵家と懇意にしておく事はなにかと有意義だ。
もちろん王家と懇意になる事も、イルゼ子爵家令嬢と共に学校へ通う事も、治癒師派遣の保険として必要だ。
それにそもそも大元の発展は、イルクナー宰相代理の手に寄るものだ。当初は政策への懐疑を口にしていたテルセロも、最近では何も言わなくなってしまった。
「……いや、だがなぁ」
テルセロ男爵の語気が次第に弱まっていく。
「アクス領から輸出されているマナ回復剤の工場、実はイルクナー宰相代理が作らせたもので、従来よりも薬の効果が高いんだって。冒険者にとって途方もない価値があるよ。人類の歴史が変わるかもしれない」
「薬一つで変わるわけ無いだろう」
「マナ回復剤が作れると言う事は、普通の回復剤も高い効果の物が作れるね。戦場でどうなるかな」
「…………うむう」
「この産業の無い都市にも、何か新しい可能性をもたらせるかもしれない。ボクは価値があると見た」
ダビドは手を伸ばし、説得した父から特別郵便を受けとった。


























