第10話 遭遇!
レナエルがそれを発見したのは、採取を終えて帰路につこうと思った矢先のことだった。
「ロランさん、人がいました」
「ん、どこに?」
「この先です。10人以上……こちらに向かって来ています」
魔物が出るほど奥地に入っていた訳ではない。
それに動物なら俺が何とか対処できる。だから今の俺たちにとって一番怖いのは人だった。
「どんな人達?」
「先頭は女性ですね。あれ、目が合った……相手は望遠鏡なんて使っていないのに」
「ヤバそうなら逃げるけど」
「いえ、ほとんどの人が新式の騎士装備です。あとは紫の髪を後ろで束ねたレザーコートの女性と、綺麗なブロンドの髪に槍を持った女性です」
「他に特徴とかある?」
「先頭の紫髪の女性は多分2~3歳くらい年上だと思います。金髪の女性は二十代前半でしょうか。二人ともすごい美人ですよ」
「あ、二十代前半は圏外」
「そうなんですか?」
「だって俺はまだ14歳だし。2~3歳上のお姉さんはセーフ……だけど、レナエルがストライク!」
「セーフとストライクの違いを、あとで詳しく教えて下さいね」
「ういっす」
新式の騎士装備をしているなら正規の騎士だろう。
いや、だって騎士以外が装備したら身分詐称で捕まるし、そもそも市販されていない。
それに新式の装備は配備されたばかりだから、横流しや戦場で拾ったとかも無さそうだ。つまり彼らは騎士で間違いないだろう。
後の2人は不明だけど、わざわざこちらへ向かって来るのなら本人から聞き出そう。
「と言う訳で、こんにちは」
「おや、こんにちは。ずいぶんと自然体だね」
俺の所に馬で駆け寄って来た紫髪のお姉さんは、挨拶を返しながら俺に微笑んだ。
一方金髪のお姉さんは槍を持ったまま会釈してきた。目は逸らさずに俺とレナエルを油断なく観察している。騎士たちは揃って待機状態だ。どうやら交渉役は紫髪のお姉さんらしい。
俺は問いかけに応じた。
「自然体なのは、そんなに沢山居るなら変な事はしないだろうという安心感からかな。3人以上居たら秘密は漏れるって言うし10……14人?何かしたら絶対バレるでしょ」
「内部告発制度を知っているんだね。君は将来の騎士希望かな?」
なにやら自然な流れで尋問されている気がしてきた。
「まだ14歳なので候補の一つですよ」
「うん、それなら頑張ってくれ。もう一人の子は?」
「この子は4月からの錬金術学校の生徒で、今日は素材の採取です」
「なるほど。ところで君はここ3日ほどの間に冒険者協会へ行ったかい?」
いきなりお姉さんの話題が変わった。
というか装備と年齢を見れば俺が駆け出し冒険者だと言う事は一目瞭然だから、俺に関しては問い質すまでも無いと言う事なのだろう。
レナエルに至っては明らかに冒険者ではないし、戦力外だから問題にもされないと言う事か。
「冒険者協会なら、4日前の昼ごろに一度行きましたよ」
「では、冒険者仲間からは新しい情報を仕入れたかい?」
「いえ、4日前に初めて都市アクスに来ましたし、冒険者の知り合いは居ません」
「くどいようだけど、都市の掲示札も見ていないのだね?」
「そうっすけど」
お姉さんは思案し、やがて目を少しだけ細めて言葉を続けた。
「そうか。じゃあ仕方がない。4日前に馬車が襲撃された事件は知っているかな?」
「あ、俺その馬車と盗賊の戦闘に参加しました」
「へぇ…………なるほどね。ところで盗賊たちが逃げた先だけど、アクス領の広い未開の森の中らしいんだ」
「えっ、マジで!?」「本当ですかっ」
「マジで、本当に」
俺とレナエルの疑問に、お姉さんはアッサリと頷きを返した。
襲撃後に近隣都市で検問が厳しくなったので、盗賊達は捕縛されるリスクを避けるためにしばらくは都市に入れないはずだ。
だが都市外は瘴気が満ちていて、魔物も徘徊している。長期間野営すると体力や精神力が続かない。
そこに、検問が無くて見咎められたりもせず、魔物にも襲われない場所が有るとする。すると盗賊は当然そこへと行くだろう。つまりアクス領の加護が広がった森の中へだ。
ここまでは宰相代理の本にも書いていない。冒険者が経験を積んで判断する事だ。
「ミスった」
「遭遇したのが我々で良かったね。すぐに逃げると良い。森は今大変な事になっている」
「どういう事っす……
俺はその一言を最後まで発せなかった。
途轍もない悪寒が俺の肌をなぞっていった。いや、悪寒は通り過ぎずに強まっている。俺は咄嗟にレナエルを見た。
レナエルはお守りを握りしめていた。顔色は青白くなっているが、それは恐怖によるものであって体調からでは無い。
これは都市外の空気だ。加護が一切届かない都市外の肌を刺す瘴気が辺りに流れ込んで来た。
ふと足元を見れば、銀の霧が木々の合間から流れ込み始めている。
「ディアナ様」
「四突陣形!」
紫髪の女の人が命じると、騎士たちが素早く武器を構えながら2人ずつ四方向へ突出した。2個小隊の隊長と副隊長たちはその中央に陣取り、どの方角へも即座に駆け付けられる臨戦態勢で警戒している。
でも、どうして彼女は騎士へ命令出来るのだろう。
彼女がどんなに腕の良い傭兵だとしても、普通は雇い主側である騎士に命令したりは出来ないはずだ。
それに彼女は俺より2~3歳くらいしか年上に見えない。つまり16~17歳くらいの女性だ。対して騎士たちは全員年上だ。立場でも年齢でも騎士に命令できるはずは無いのだ。
「ロランさん、多分ですけどあの方はディアナ・アクス侯爵令嬢です」
「……ああ、なるほど」
俺はレナエルの言葉を聞いて納得した。
ベイル王国の最高司令官であるメルネス・アクス侯爵には、妻と一人娘が居る。一人娘の名前はディアナで、彼女はアルテナの祝福を得ている。それとここはアクス侯爵領で、侯爵は珍しい紫色の髪をしている。
アクス侯爵家と言えば、アルテナの祝福が得られ易い優秀な一族だ。一族から王国軍へ送り込んだ騎士団長の数は三百余年の間に10名を数え、これは全貴族中最多となる。しかもその中には、飛び抜けて優秀な大祝福2を越える大騎士団長が3人も居る。
アクス侯爵家は、王国が全冒険者に行う支援制度の強化版のような英才教育を一族の祝福を得られた者に注ぎ込んでいて、大祝福以上の者ならば一族に何人も居る。
侯爵家の過去の功績も華々しく輝いていて、アクス一族の冒険者を婿や嫁に迎えるのは貴族界にとって一種のステータスのようになっている。それに現王家とも極めて懇意だ。
つまりこのディアナという人は、最高司令官の一人娘にして貴族界でも侯爵令嬢、アクス一族の中でも現当主の血を引くエリートにして王家の覚えも目出度い。とすれば、騎士が彼女を無視できるはずも無い。
彼女が騎士に命令できる理由はなんとなく分かった。
「ディアナ様、貴女には逃げて頂きます」
「おいクロエ、それは無いだろう。私を誰だと思っている、民を見捨てて逃げるなど出来ない」
「言い分は分かりました。では、民と一緒に逃げて下さい。侯爵閣下に事態を知らせて速やかに動いて頂くには、貴方が伝えるのが最も良いのです」
「クロエが逃げ切った方が的確に伝えられるだろうに」
「私は貴女の師匠です。それと騎士たちは民を守るために居るのです。悔しければ私より祝福を上げる事です。『戦地にあっては祝福の高い者に従え』と言うことわざのとおり。私も相手がメルネス・アクス侯爵であれば何も申しません」
「16歳に無茶を言わないで欲しいな」
槍を持った一見20代前半くらいに見える女性が、ディアナ侯女を説得した。
と言うか強引に押し切ったようだった。
侯女は毅然とした態度で俺とレナエルに馬を寄せて来た。
「と言う訳だ。敵が来たら反対側に逃げるぞ」
「サーセン、ちょっと理解できないんすけど、まだ敵が見えてませんよね。なんで逃げるんすか」
すると16歳と判明したディアナ侯女は無表情に俺を見て、次いで俺の隣に居るレナエルを見た。暫し見つめ合いやがてディアナ侯女はレナエルに顔で促す合図を送った。
「ええと、ロランさん」
「むむっ」
「加護を打ち消すのは瘴気ですよね」
「そうだね」
「瘴気は世界に満ちていて、生物は体内の加護で瘴気の侵入に抵抗します。でも生物は体外の、世界に満ちている瘴気までは消せません。そんな瘴気を消せるのは神族の創り出したアルテナの神宝珠が放つ加護です」
「うんうん。それで?」
「この周辺って、アルテナの神宝珠の加護で瘴気が消されていましたよね。でも今は瘴気が流れ込んできました。そんな事が出来るのは、神族の対になる魔族だけです。魔族が放つ瘴気がこの周囲の加護を打ち消したんです」
「つまり?」
「つまり敵は魔族です」
「……うげっ」
ディアナ侯女を見ると笑みを浮かべていた。つまりレナエルの言葉は正解らしい。てか笑ってる状況じゃないんじゃね?
「そう言う訳だ。転生条件を満たす相手なら少なくとも大祝福1以上だろう。盗賊の中にタチの悪い奴が居たのだろうね。ロラン君は祝福19だったかな?」
「へっ、なんで俺の祝福数を知ってるの?」
名前程度ならレナエルが俺に呼び掛けていたから分かるだろうけど、祝福数まで言った覚えは無かった。
「さっき君が4日前に盗賊との戦闘に参加したと言っただろう。その追撃戦に参加している私が、大本の襲撃事件を知らない訳ないじゃないか」
「ああ、なるほど」
そう言えば都市に到着した後にしっかりと調べられていた。報告書は偉い人の所に行くだろうし、目の前の侯女様はかなり偉い人だ。
最初にハーヴェ商会の馬車を降りて突撃したのは俺だし、旧式の騎士装備の駆け出し冒険者だし、どうやっても目立つか。
「ちなみに侯女様は祝福いくつ?」
「私の事はディアナで良いよ。君は侯爵家に雇われた訳ではないし、騎士でも領民でもない。私たちは対等な冒険者同士と言う訳だ」
「おおっ、話が分かる!」
「強いて言えば年齢が2歳差で、冒険者歴では4年と半年、祝福数では42と19という違いがあるくらいだ」
「……サーセン」
「クックッ……まあ冒険者は実力主義だから、祝福数で抜いてしまえば良いんだけどね。さて、逃げる準備をしてくれ。彼女は私の馬に乗って、ロラン君がそちらの馬に乗るんだ」
「何でですか?」
「私の軍馬は最上級でとても速く持久力に優れている。私の革製の装備は君の金属製の装備よりも遥かに軽い。私は6歳から馬術の訓練を受けていて、操馬術は君より巧いはずだ。よって私の結論は、3人で逃げるなら彼女は私の馬に乗せる方が良い。反論を聞こう」
「体重は……何でもないっす!」
「こらこら、胸を見るな、身体を見るな」
「いやだって……いだだだだだっ、レナエル痛いっ」
「もう、信じられません!ロランさんは私に求婚したくせにっ」
「おやまあ、これは将来が末恐ろしいね。最悪なのは結婚を敢えて3人以下にしておき、外でさらに独身女性に手を出す輩だよ『この女性は私の妻には相応しくなかった』なんて言って別れて、また次の独身女性に手を出す。貴族にはそんな輩が少なからず居るんだ」
「対処方法はありますか?」
「妻が夫の手綱を握ることだね。締め過ぎず、緩め過ぎず、乗りこなして目指す方向へうまく誘導するんだ……あるいはそもそも結婚しないかだね」
「ディアナ様、参考になります」
「ギャース」
馬鹿を言えたのはそこまでだった。
周囲全ての馬が倒れ始め、俺は地面へと投げ出された。
「臨戦態勢!」
俺が地面に転がっている間に、既に起き上がって槍を構えてたクロエさんから騎士たちに指示が飛んだ。
騎士たちも俺より起き上がりが早かった。
旧式の騎士装備に比べて軽くて動き易い鎧を着こなし、実戦や訓練を重ねている。それに祝福も騎士に成れるのは20以上からで、祝福19の俺よりも高い。
「ロラン君、早く立つんだ」
ディアナはレナエルを抱えて起き上がると、俺の右手を掴んで立ち上がらせた。
「馬が……」
「ああ。予想外の事態だが、高濃度の瘴気にやられたのだろうね。馬の加護は祝福3の冒険者と同程度だったか。今一番まずいのはこの子、レナエルだ」
ディアナはレナエルの名前も口にした。
レナエルの名前は俺が1回呼んだかもしれないけど、人の名前を覚えるのが早い侯女様だった。
「レナエル、あれの予備とか持ってるか?」
「有ります」
「よし、身体に振り掛けるか飲め」
「……そんな実験はした事無いです」
「良いから。俺が責任を取るから」
「それならこれで……」
レナエルは加護の小瓶を取り出し、それを持っていた回復剤の容器に注いだ。
「何をしているんだい?」
「ちょっと待っていて下さい」
レナエルは続いてガラス管を取り出し、容器の中身を混ぜた。
「……金色に発光しているだと!?」
レナエルはかき混ぜた液体を眺めると、その容器を口元へと運んで勢い良く飲み込んだ。
「んん~っ」
容器の中身がレナエルの身体の中へと消えていく。
すると、レナエルの身体が薄く発光し出した。
「それは……何だ……?」
ディアナが驚愕の眼差しで抱えていたレナエルを地面へと降ろす。
ふとレナエルの足元を見れば、銀の霧がレナエルの身体に触れて金の光と打ち消し合いながら消えていた。
「責任を取って下さいね」
レナエルが俺にそう言ってきた。
「ああ、それはこちらも願ったり叶ったり。でもこれってどういう現象?」
「瘴気は毒の空気のような物で、周囲へと広がっていきます。加護も同じと考えて下さい。それと竜核は、神宝珠や魔宝珠が形を変えた物と仮定して下さい。それで私は、加護が沢山入った竜核の成れの果てを飲みました。しばらくは身体から加護が溢れて、瘴気を弾きます」
「なるほどね。しばらくってどれくらい?」
「実験した事が無いので分かりません。将来的な副作用もです。だからロランさんが責任を取って下さい。私が副作用で加護を失ってゾンビになっても、逆に体内の竜核が加護を集めて神様になってもです」
「……ゾンビになられるとちょっと困るな」
「ちょっと困っても仕方がないです」
レナエルの説明を理解した時、横からディアナが口を挟んで来た。
「その技術で、都市にあるアルテナの神宝珠に加護を補填する事は出来るのかな?」
「いいえ、加護を金のマナに戻せないので出来ません。炎を油に戻せないのと同じです。それに個人でやっているので、実験も検証も不十分です」
「そうか。だが途方もない可能性と価値がある。クロエ」
ディアナがそう呼び掛けると、クロエさんが決意に満ちた表情でディアナを見詰め返していた。
「たった今、優先順位が変わった」
「元よりそのつもりです」
「すまんな」
ディアナがクロエさんに謝り、クロエさんは槍を構えたまま前に出た。
一体どういうことだろう。ディアナはレナエルを降ろして空いていた両手で俺とレナエルの腕を掴むと、銀の霧が流れてくる方向とは反対へと進み始めた。
「ディアナ?」
「逃げる。来るんだ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ベイル王国騎士団への入団条件はいくつかある。
いくつか例を挙げるなら、『ベイル王国登録冒険者である事』『祝福20以上の冒険者である事』『祝福数ごとに定めた年齢以下である事』『男性である事』などである。
クロエ・ブランシェは、その制度を不満に思っている。
なぜならクロエの祝福数は52であり、もちろんベイル王国登録冒険者で、転姿停滞の指輪を使って22歳の姿を保っている。これでもし男だったら、軍で将軍にすらなれるのだ。
もちろん、女性に月の障りがあって戦闘能力や集中力が極端に低下し、男の騎士と同室にもできず、行軍中の不浄や着替えにすら気を使い、戦争に出して敵の捕虜にさせる訳にもいかず、現実的に騎士に出来ないのだと理屈では分かっている。
分かっていても不満を持ってしまう。
冒険者支援制度に関してもそうで、冒険者よりも数が少ない騎士の装備や限られた資金を全員に配る事が出来ない以上は優先順位を付けざるを得ず、税を用いるからには将来的により国家へ貢献できる若者を優先するのは当然の帰結だ。
だが、不満を持つ者は居るだろう。
そして不満を持った全員に懇切丁寧に全ての理由を説明する事も不可能だ。
武力や社会制度で封殺するか、偶像に熱中させるか、パフォーマンスで民の参加を誤認させるか、理由を察せるだけの教養を義務教育で身につけさせるか。
全ての国々は、民の不満に対して国家政策に反しないあらゆる制度と手段とを組み合わせて対処する。
ベイル王国は今の子供達から教育を施すらしい。それと全体への新制度の周知や、アンジェリカ次期女王の忠言を受けた宰相代理の政策の柔軟化もあった。
だが武力を用いて反旗を翻した者に対しては、より強い武力を用いて対処する。それと、どうやら非合法の処断も用いているようだ。
クロエはそんな政策すら出る以前に、自分と社会との折り合いの付け方を模索していた段階でアクス伯爵家を調べてみた。
王国騎士を調べれば一番に出てくる名門がアクス家だ。何せ過去に騎士団長を10人も輩出し、大騎士団長まで3人も出している。過去の栄光は全て公表され書物にまとめられており、調べるのも実に容易だった。
そのアクス家には、当主は一族の中から最も祝福数の高い者が就任すると言う有名な定めがあった。男女を問う文言は無い。
そして前当主には、ディアナという1人娘がいる事も分かった。前当主の妻はギルドの窓口で働いていた一般人だと言う事も。
『奥方は、さぞや肩身が狭いだろう。そして、1人娘は強さを求めるはずだ』
クロエは、自分が高い祝福を持つ女であるという他人には無い武器を用いて見事にディアナの師匠に納まった。
目指すのはディアナのアクス家当主就任だった。
ディアナは、アクス家であれば例え女でも領主権で騎士に指示が出来るだろうと思ったが故の、自分の願望を果たす為の投影対象であった。
だがアクス家の権力は、クロエが思った以上であった。そもそもアクス家は、最初から騎士に指示を出せる立場にあったのだ。
いきなり叶った願望とちっぽけな自分に対して、クロエは暫く立つ瀬がなかった。
そんなちっぽけなクロエの心を揺さぶったのは、冒険者となったディアナであった。
ディアナは、女性の身でありながらアクス家当主よりもさらに高みを目指していた。
なんとか社会制度に納まろうとしていた自分と、そんなものは眼中に無かった侯女。人としての器の違いを見せつけられた時、クロエはディアナを自分の主であると認識した。
その後ディアナには、まるで女神からの寵愛を一身に受けたかのように次々と幸運が舞い込んだ。
アクス家初代であるクリスト・アクスが盟友たるイヴァン・ブレッヒと共に復活し、王国を侵略していた獣人軍を撃滅させて外敵を打ち砕いた。
同時にクリスト・アクスは、第一宝珠都市であったアクス領を第五宝珠都市にまで跳ね上げた。
さらに実の父親である大英雄メルネス・アクスが英雄の石碑から復活を果たし、当主に返り咲いた。
アクス伯爵家は侯爵家となり、ディアナ前伯爵令嬢は侯爵令嬢へと格上げされた。
王国からアクス領への莫大な投資や支援、王国自体の大変革、外交政策の変化、国力飛躍、経済活性化、さらに南の獣人軍団長撃破に伴う獣人帝国軍の全面撤退。
栄華、栄光、繁栄……ディアナは上り続ける太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
クロエはディアナの幸福を自分の事のように喜んだが、ディアナの目標はその様な事では無かった。
ディアナの目標は、女の身でありながら大英雄に匹敵する功績を打ち立てることだった。
妖精女王や獣人軍団長を倒して相討ちとなった先祖たちに対して、獣人軍団長を倒して生き残ればそれを超える事になる。
それは至高の功績だ。
女の身で、だが不可能とは言い切れない。ディアナは16歳で祝福42であり、今後1年間に1ずつ祝福を上げても34歳で大祝福2に届く。
『ディアナの後押しをして、その先を見てみたい』
もはやクロエの願いはそれだけだった。
転姿停滞の指輪を嵌めてこれ以上祝福が上がらないクロエにとって、魔物を取り押さえて経験値をディアナに注ぎ込むのが、自分自身の願いへの最短の道であった。
「少し早かったですね」
「ブランシェ殿、何か?」
「いいえ、何でもありません」
クロエの感覚では、あと5年はディアナの役に立てるはずであった。
それで大祝福2の侯爵令嬢が誕生するはずだったのだが、終わりはアッサリとやって来た。
「しまった。命を大事に、と言い忘れました。あの子は無茶をするんですよね」
クロエはそう言いながら、霧の奥から飛び込んで来た銀髪の男に槍の尖端を合わせた。
全ての雑念を捨て、魔族の身体を槍の尖端で貫くことだけを考える。
太刀の攻撃圏外から槍で身体を一気に貫き、そのまま押し込んで大地に身体を縫い止め、周囲の騎士たちで全身を滅多斬りにする。
そんなイメージを思い浮かべ、魔族の突撃に合わせて自分も前に出た。
『刺貫』
『破断』
クロエがスキルに乗せて突き出した槍の尖端が、魔族のスキルに乗せた太刀の振り下ろしによって大きく逸らされた。
クロエは槍を掴んでいた左手を離し、石突きの近くを持っていた右手だけで槍を操って、衝撃を受け流しながら引き寄せ、左手を添え直して槍を構え直す。
狙うのは敵の身体の重心だ。
人体の腰付近であれば上半身のように身体を逸らす事も出来ず、足のように動かす事も出来ない。
『刺貫』
『破断』
クロエは再び槍を逸らされた。
そのまま接近されそうになり、クロエは飛び退いて魔族から距離を取った。
敵の攻撃範囲外から一方的に攻撃できるという槍の優位性を失ってはならない。
(……敵は大祝福1祝福22の私よりも、さらに祝福数が高い)
力はクロエより上だが、大祝福2には達していない。クロエは相手の祝福数を54から58だと推し量った。
技量はクロエが上のはずだ。槍と言う武器も有利だ。だが相手はいくらダメージを受けても気にせず攻撃ができる。それにスキルも乱発できる。
一気に押し込んでも押し切れる相手では無い。クロエはそう判断し、戦い方を変えることにした。
「交代しながら長期戦で魔族を疲弊させます。隊長と副隊長で囲んで攻撃。残る騎士は包囲網を作って下さい」
「「了解」」
2個小隊が包囲網を作ろうとした瞬間、魔族が動き出した小隊の一つに突如襲いかかった。


























