短編 猪と銀狐のその後★
口を開くと、フォークに刺さった肉団子がするりと入ってきた。
「……ハグッ」
口の中に入ってきた肉団子を軽く噛むと、フォークが優しく抜かれてゆく。自分が無造作に抜くのとは違う女性らしい手付きだ。どうにも背中がむず痒い。
「……モグモグ」
一噛みすると、充分に浸み込んだ肉汁が溢れて来た。
肉をミンチにして捏ね、それを丸めて焼くなり煮込むなりしたのだろうか。料理は良く分からないが、濃い味付けも自分の好みどおりだ。
この濃い味をパンで和らげると丁度良い具合になる。
「……ムッ」
モグモグと租借していると、今度は一口サイズにカットされたサンドウィッチが手前に伸びてきた。
「……ハグッ」
卵やレタスを挟んだ柔らかいサンドウィッチが、口の中でいっぱいに広がる。
卵は半熟だ。レタスはシャキシャキしている。どちらも今朝作ったのだろう。 そういえば野営地でフライパンなど使っていた気がするが……。
「スキルは、同じ系統を刻むと威力が増すのではなかったか?」
「そうですよ」
氷系統に大きく特化していたはずの銀狐の獣人が、微笑みながらそれを肯定した。
おそらく、炎系のスキルや水系のスキルを覚えたのだろう。
確かに便利だが……。
と考えていると、軽く炙ったウインナーが伸びてきた。
「……ハグッ」
焼いた肉はそれだけでも美味いが、さらにピリッと辛いスパイスがわずかにかかっている。文句の無い美味さだ。
「100点だ」
「それは良かったです」
点数をつけたのは、点数をつけるように言われているからだ。
特に美味いと思った時に100点と言うようにしている。すると以降、100点を付けた料理が毎食1つは並ぶことになる。
もちろん単に並ぶだけではなく、素材や味付けが変わりながら出される。
どうやら好みを調べているようだ。
既にオレ自身よりもオレの好みに精通しているに違いない。何の問題も無いから自由にさせているが。
「……ズズズズッ」
左手で水筒に入った茶を飲む。
本当は酒でも飲みたいところだが我慢する。なにしろ右手は馬車の手綱を握ったままだ。
そう、今は御者台で馬車を操作しながら昼食を取っていた。もう少しで第四宝珠都市デイサラスに戻る。
「意外だった」
「何がでしょうか?」
「エリーカが、都市デイサラスの都市長になったことだ」
最初に覚えたのは、敬称を付けると怒られると言う事だ。尤も、10日もすれば呼び捨てには慣れたのだが。
「どうしてですか?」
エリーカが心底不思議そうに首を傾げる。
「よく軍を抜けられたと思った。引き止められたのではないか?」
「デイサラスは重要な土地ですから」
やはりよく分からん。
考えるのを止めたところで、エリーカがオレに寄り掛かってきた。
そのまましばらく進むと、やがて第四宝珠都市デイサラスが見えて来た。
まず見えて来たのは、都市防壁といくつかの高い建物だ。
次に、大街道の都市入り口近くで、殆どの馬車が一斉に右側に寄っているのが見えた。
空いている左側に進んだ馬車は停車して、慌てて逆走している。
だがオレは視力が悪く、何が起こっているのかはよく分からなかった。
「エリーカ、おい、エリーカ」
眠っていたエリーカがオレに肩を揺らされて次第に覚醒する。
いや、まだ起きていない。まどろみながらオレに抱きついてきた。
(…………。)
エリーカを起こすべきか、それともこのままにしておくべきか。
オレは起こさない事にした。
Ep04-42
第四宝珠都市デイサラスは、旧インサフ帝国の南部中央に位置している極めて重要な都市だ。
なにせ、東の開発された鉱山地帯の資源と、西の大海から得られる各種海産物と、南の経験値となる大森林のモンスターへの足場となる都市群を、全て統括する都市だ。
1国を滅ぼすのも重要だが、1国を味方に付けるのも重要だ。デイサラス周辺地帯の運用次第では、1国を味方に付けるに等しい国力増強が見込める。
よってこの都市の都市長には、相応の者を任命しなければならない。
8格にして皇女ベリンダの主席副官であったエリーカならば理想的である。
★地図
人間は血統に基づく貴族制度で権力と権威を継承し、都市を運営している。
獣人は祝福と皇女の任命に基づく能力制度で交代し、都市を運営している。
一見すると、人間の制度の方が優れているように見える。
優れていると見える点は、組織の『継続性』だ。
同じ血統の権力継承は、最初からリーダーを定めておくことで権力基盤が安定する。
権力者が次代に交代する前から横の繋がりや都市の有力者との人間関係を築き、子供の頃から都市の運用方法を教え、スムーズな交代が図れるのだ。
だが欠点もある。
血統に基づくと言う事は、無能者の就任を回避できないと言う事だ。
無能者が先祖から継承されたやりたい放題にできる権限を持ち、民から搾取した金で放蕩を尽くす事が可能となる訳だ。
貴族制度にはそのような致命的な欠点がある。
獣人帝国でその制度を導入すると深刻な問題になる。
一例を挙げるとすれば、獣人は人間と違い多様な種族が存在する。
その都市で永続的に権力を持つ一種族が、自分の種族への裁判で温情措置を与え、あるいは他の種族に対して種族差別を行えば、それは種族間の亀裂を生んで容易く争いに発展する。
そんな危険な貴族制度を安直に導入すれば、それはやがて獣人帝国を滅ぼす事に繋がるだろう。
不公平から生じる不満を減らすには、当たり前だが公平にすれば良い。
元々帝国は実力性だ。
『軍に属した祝福の高い者が、皇女により都市長を任せられる』と言う事にすれば良い。
祝福の上位者は、祝福を上げた努力・知恵・工夫、軍に属して民衆を守った実績、モンスター退治や戦場での経験、それらを全て持っている事が証明されている。
彼らは、努力・知恵・工夫・実績・経験の総合力において他の獣人戦士を上回っており、そこまであれば多少の失敗は本人の功績で差し引きされる。
そして権力が子供に継承されないので、種族差別という不満は長期間蓄積されない。都市長の個人的な領地でもないので、いざとなれば皇女が都市長の配置を変えれば良い。
帝国においては祝福上位者を都市長にする形が向いており、制度を容易く変えることなどできないと皇女は考えている。
寿退職を申し出たエリーカが軍籍から外れ、代わりに第四宝珠都市デイサラスの都市長に任命された建前がこれであった。
加えてギランも直属大隊長から外れ、都市デイサラスの治安責任者に就任した。
これは全て皇女の配慮だ。
ギランの所属都市がデイサラスであった事から、デイサラスがエリーカの就任都市に選ばれた。ギランの所属都市が他ならば、エリーカはそこの都市長に任命されていただろう。
そんな都市デイサラスで、多くの馬車がデイサラスの大門から一定の距離で一斉に右側へと寄っている。
さらに都市に近付くと、彼らは一斉に下馬して馬の手綱を引きながら徒歩で大門に入っていた。
左側に進んだ馬車に至っては、慌てて方向転換して逆走している。
「……ムッ?」
ギランは堂々と左側へ進み始めた。
デイサラスは地上総責任者である皇女ベリンダの命により、エリーカが都市長に任命された都市である。
そのエリーカが乗る馬車が、都市デイサラスにおいて何者にも道を譲らされる理由は無い。
ギランは堂々と馬車を進めた。
すると左側の路肩に、群青色のロングコートを纏った巨躯なバッファローの獣人が見えてきた。
左右に生えた黒くて立派な角。顔のように太い首。金色の瞳。頬に入った白い紋様。短髪。顎鬚。鋼鉄のような肌。不敵な笑み。
そう、不敵。
どんな敵と相対しても、あのバッファローの獣人は不敵な笑を崩さないだろう。
彼の二つ名は『破壊者』ではなく『不敵』でも良かったのかもしれない。
そんな第一軍団長・破壊者オズバルドが、都市デイサラスの大門左側に佇んでいた。
これは甚だしい進路妨害である。
イェルハイド帝国は、リーランド帝国とその属国を全て合わせたよりも広大な領土を抱える周辺国最大の国家だ。
その軍団長ならば、周辺の1国に匹敵する力を持っている。
ようするに『平民が都市に入ろうとしたら、なぜか国王が道に佇んでいた』に等しい非常事態なのだ。
あるいは『都市に入ろうとしたら、入口に上位竜が笑いながら佇んでいた』とも言える。
(それは馬車も引き返すだろうな)
ギランは呆れ、呆れながらもエリーカを起こす事にした。
階位でも身分でも相手が上だ。
そもそも軍団長たちは、地上において皇女以外の言う事を聞かなくて良い事になっている。具体的には各軍団長は自由行動権と不逮捕特権を持ち、同時に役人への命令権や治安組織に対しても有効な上位司法権、果ては裁判権まで持っている。
(いや、『誰も言う事を聞かせられない』の間違いだろう)
ギランには、軍団長が皇女以外の命令に従う光景を想像できない。
軍団長同士ですら、要請や提案は出来ても命令などは出来ない。互いに国王同士のようなものなのだ。
深謀のイグナシオがオズバルド軍団長に指示を伝える時も、「皇女の命により」であるとか、「皇女の承認の下に」であるとか、必ず「皇女」が入っている。
ましてギランは大隊長である。挨拶するなら、ギラン達側からである。
それに、オズバルド軍団長の隣に別のバッファローの獣人と銀狐の獣人が一緒に居るのも見えた。
「エリーカ、あれはお前の両親か?」
「…………えっ?」
半覚醒だったエリーカの眼が覚めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「まあ座れ」
デイサラスで最上級の店が貸し切られていた。
いつデイサラスに到着しても良いように、数日間店を貸し切っていたのだろう。
軍団長がやろうと思えば何でも出来る。
オズバルドは群青色のロングコートを脱いで立派な紳士服姿になると、店のオーナーにコートを預け、店長が引いた明らかに普段使わないであろう豪華な椅子に深く座り、4人の同伴者にも座るように指示した。
ギランとエリーカ、それにオズバルドの弟にしてエリーカの父である中年のバッファローの獣人と、エリーカの母である銀狐の獣人が円卓を囲んで座った。
5つの席の後ろには5人のウェイターが立っており、すぐにグラスに飲み物が注がれる。
彼らはそれが終わると、速やかにその場から離れた。
(……贅沢な事だ)
呆れるギランの隣で、エリーカが問い掛けた。
「オズバルド伯父様、どのような御用でデイサラスにお越しになられたのですか?」
これは単に話を促すためだ。オズバルドは軽く頷いて答えた。
「立ち合いだ。お前は8階位、お前の夫のギラン大隊長は6階位。本来5階位以下からは『様付け』で呼ばれる立場にある。ブルクもクラーラも0階位。それでは言いたい事も満足に言えないだろう。故にお前たちの立場を破壊すべく俺が来た。これよりは階位を問わない親族同士の語りあいの場である」
オズバルドがそう宣言した。
伊達に破壊者オズバルドと呼ばれていない。
ちなみに『ブルク』はブルクハルトの略称で、エリーカの父の名だ。そしてクラーラはエリーカの母の名である。
「エリーカ、驚いたんだぞ。なにせいきなり結婚しましたと言う手紙が天山洞窟に送られてきたからなぁ!」
オズバルドより一回り小柄でやや老けて見えるブルクハルトがそう言った。
「巣立ちの挨拶はしたじゃない。銀狐の作法は全部満たしているでしょう?」
「いや、確かにそうなんだが。でもパパは寂しいじゃないか!」
ブルクハルトがそう言うのには訳がある。
エリーカは1人娘だ。
別種族との交配は種族が離れるごとに着床率がだんだん低くなる。
例えば『カバの獣人』と『赤金剛インコの獣人』では離れ過ぎていて子供が生まれるかどうかは運次第だ。
エリーカの場合は『バッファローの獣人』と『銀狐の獣人』を両親に持ち、兄弟姉妹は居なかった。例えに比べると近いように見えるが、金や銀の種族に他種族を混ぜるとその程度である。
つまりパパは1人娘がお嫁に行って寂しかったのだ。主張はそれだけである。
「とにかくだ!手紙に書いてあったギランさんをお父さんとお母さんに紹介してくれないか?」
ちなみに先程、店に来る前にギランと両親はお互いに軽く挨拶は済ませている。
「あなた、ごめんなさい。私の父ってこういう人なんです」
「なに、親子愛があって良いではないか」
「おおっ、ありがとう!……いや、ごほん。さあお父さんに紹介してくれたまえ」
「……こちらは、私の最愛の夫のギランさん。猪の獣人で6階位。38歳で、去年から指輪で45年間ほどの停滞中。職業は軍人で階級は大隊長。あなた、あちらは私の父でバッファローの獣人のブルクハルト。隣は私の母で銀狐の獣人のクラーラ」
「初めまして。ギランです」
「こちらこそ。ブルクハルトです」
「エリーカの母のクラーラです」
ギランとブルクハルトが握手を交わした。
ちなみにブルクハルトは、力一杯ギランの手を握った。力一杯とは、青筋が浮き出るくらいの事である。
だが0階位であるブルクハルトの力では、大祝福2であるギランにはビクともしなかった。
もちろんブルクハルトは結果を分かっていて、むしろギランがどう反応するかを試したくてやったのだ。
ギランは平然としていた。
「料理を食べながら話すか」
オズバルドが右手を上に上げて店長に向かって招く動作をしながら、そう声を掛けた。
ちなみにオズバルド自身はギランを気に入っていた。
なにせギランは、オズバルドを見ながら真っ直ぐに堂々と馬車を進めて来たのだ。そういう男はオズバルドにとって評価に値する。今ほどのブルクハルトの握手の件と合わせて及第点だった。
及第点とは、オズバルドがギランとエリーカに介入する必要は無いと言う事だ。
もし落第点ならば、結婚を取り辞めさせる事が出来ないとはいえ、現役の大隊長としてオズバルドの手元に配属させて鍛え直す程度の手伝いはしてやった。だが、そんな必要はなかったようだ。
クラーラがエリーカに二人の馴れ初めを聞いている。それはオズバルドにとっては些事である。
(男が年上の方が上手く行く)
指輪を使ったギランは38歳で今後44年停滞。指輪を使ったエリーカは21歳になって今後62年停滞。
オズバルドにとって重要なのは、今後少なくとも60年以上に渡って都市デイサラスと周辺都市が安定発展すると言う事だ。
エリーカは内政向きの軍団長補佐だ。大隊長が1人付けばモンスターへの防衛も万全だろう。
(後方の懸念が1つ消えたな)
オズバルドが満足していると、最上級の料理が銀の食器に乗せられ運ばれて来た。
インサフ帝国の上級貴族が口にしていたような料理の数々。地上の支配によってもたらされた文化の一端だ。
「……ふむ」
オズバルドはそれらの料理をテーブルマナーに則って上品に食した。
オズバルドは『破壊者』と呼ばれている。
破壊するのは、無意味あるいは有害な伝統や固定観念、くだらないしがらみ、生きるのに邪魔な障害など多岐に渡る。もし自分が間違っていたと考えれば、その自分の考えをすら破壊して前に進む。
超然的な思考で俗世など歯牙にもかけず、障害を排して自らの道を進む。故に破壊者。
「お父さんはね、心配なんだよ。デイサラスの水は身体に合うのかな?」
「この店の味、気に入った」
オズバルドが料理を褒め、ブルクハルトが黙った。
しばし歓談が続く。
「もし子供が出来たらどうするんだい。一度天山洞窟に戻って……」
「宝珠都市の加護は妊婦に良いらしいな」
オズバルドが宝珠都市を褒め、ブルクハルトが黙った。
しばし歓談が続く。
「そういえば……」
「気に入った」
「ところで……」
「問題ないな」
ブルクハルトの悪あがきを、オズバルドが次々と破壊していった。ブルクハルトは恨めしそうな眼でオズバルドを見た。
「兄さん」
「ブルク、俺が立ち会いをしているのは、お前にそう言うくだらない事を言わせる為ではない。新婦の父は新郎に対して、一言だけ真摯に言わなければならない事があるだろう。俺はその立会人になってやる為に来たのだ」
「…………」
「…………」
ブルクハルトはオズバルドの表情を探ったが、オズバルドは自分からは語らなかった。
やがて新婦の父は一呼吸し、新郎に言った。
「ギランさん、私たちの娘をよろしくお願いします」
「もちろん。任されました」
ブルクハルトの言葉に対し、ギランが力強く答えた。
その一言に立ち合って、都市デイサラスでのオズバルドの役割は終わった。用件を済ませたオズバルドは、その日のうちに前線へと帰っていった。
その後ギランとエリーカは子供にも恵まれ、家族で末永く幸せに暮らした。


























