第11話 夢幻の終わり
正義が一つではないと知ったのは、いつの頃だっただろうか。
6歳の頃の私は『ブレーズに怯える事で、ブレーズの心に率先して闇を作る愚かな民どもを正しく導かねばならぬ』と考えていた。
それは正しい考え方だと、今でもそう思っている。
だが新しい知識が加わると、私の思想にも若干の修正が加えられた。
『私の母は狼種である。出産と引き換えに狼種の母体は確実に死ぬ。
狼種が死んでゾフィーが死ななかったと言う事は、
ゾフィーは明らかに狼種を越える存在である』
『ブレーズの母である新たな皇妃ゾフィーは、身元のみならず種族すら不詳だ。
皇帝からの説明も一切無い。
黒髪に二本の黒角、緑瞳と真っ白な肌。顔の造りも、のっぺらとしている。
そして誕生したブレーズは、『赤黒い有翼の混血フェンリル』であった』
私に母は居ない。父は皇帝で何も言わない。そして私はブレーズを可愛がっていた。結果、誰も私に言わなかった。
だから私は自分で気付いた。
(皇妃ゾフィーは、伝説の竜人ではないのか?)
竜人を実際に見た事があるのは皇帝と、金羊大公ヴィンフリートと、惨殺者アミルカーレと、悪魔ゲロルトの4人だけだ。
ヴィンフリート達は地上時代からの皇帝の友だ。
ヴィンフリートなどは皇帝と遠慮なく喧嘩もするが、彼らが我々に口を割るはずもない。だから誰も皇帝の意図を確認できずに怯えた。
(なるほど)
かつて滅ぼされかけた相手と思えば、恐れるのも無理は無い。
私は民の言い分も認めた。
同時に、皇帝にとっての私は民心を繋ぐ存在であり、ブレーズは先の見えない地下帝国と地上の竜人との融和を図る存在なのではないか。と思った。
竜人は低温では女しか生まれず、ここには定住出来ない……らしい。
だが竜人以外との混血ならば?
ブレーズは男だった。
混血なら、一定の気温以外でも定住できるようだ。
弱き獣人に価値が生まれた。竜人とも共存できるかもしれない。
それに皇帝自身が竜人を娶り、しかもその間に子供が生まれたとなれば、竜人もむやみに襲っては来ないだろう。
だが我が父よ、そんな事は私とブレーズには関係ない。
私は民心を繋ぐ道具では無く、私である。
ブレーズは竜人との融和の道具では無く、ブレーズである。
自由になるには力が必要だと思った。
しばらく時間が経った。
エステルと言う治癒師がゾフィーに治癒を施した結果、臥せっていたゾフィーは子を産む以外は行えるまでに回復した。
ゾフィーは生き永らえ、転姿停止の指輪を嵌めて皇帝と共に本国で暮らしている。
エステルはさらに祝福を上げ、やがて第六軍団長に就任した。
またしばらく時間が経った。
極めて愚かなる人間どもがブレーズやヴィンフリートたちを殺した。
皇帝が動き、私たちは愚かなる人間どもを殺した。
戦いの副産物として、東ではなく西に地上へ至る道が判明した。
皇帝は私に、多くの軍団と民とを率いて西へ向かうよう告げた。
ああ、私は一体何を思い出しているのだろう。
Ep04-11
皇女ベリンダが都市ジュデオンに率いてきた戦力は、以下のとおりであった。
直属軍団 4000名 +軍団長補佐2名、大隊長5名
第五軍団 4000名 +ラビ軍団長、大隊長4名
第八軍団 2400名 +イルヴァ軍団長、大隊長2名(2個大隊は都市ゴセック確保)
輸送軍団 4000名 +アロイージオ軍団長、軍団長補佐1名、大隊長3名
予備戦力 (戦力外の一般兵)
一方、ジュデオン側が用意出来た戦力は以下のとおりであった。
騎士 約 800名
義勇冒険者 約 2230名(祝福20以上)
引退冒険者 約 660名(大祝福1以上)
兵士 約 3000名
治安騎士全員と兵士4割は、都市民の北部への避難の為に用いられた。
結果『人類冒険者3690名 vs 獣人冒険者2400名』と言う状況が生まれた。
人獣の戦力は、獣人側を1.5倍にして計算するのが常だ。
すなわち『人類3690 vs 獣人3600』と見做すべきであり、両陣営の冒険者は互角であった。
だが兵士数は『人類側3000(祝福0) vs 獣人側13600+α(祝福7相当)』であって、都市内に侵入されれば都市の壊滅はどうやっても避けられない。
大門の死守がジュデオンでの人類の勝利条件であり、逆に大門の突破が獣人の勝利条件であった。
「上空を旋回中の神速のアロイージオが落下して行きます!」
「なんだとっ!?」
大祝福2台の中で1人だけ王城に残らざるを得なかった国王グンナーが空を見上げると、皇女ベリンダを運んできた神速のアロイージオが急速に落下して行く光景が飛び込んで来た。
さらに威圧のスキルで怯えきっていた大門に、皇女の絶叫が響き渡った。
「ラビィイイイッ!アロイージオを追え!あの方角だっ!こいつらは私が引き受けた!」
敵軍団長が一気に2人も減った。
その瞬間、大門に居た大祝福2台の冒険者たちは同時に皇女に襲いかかった。
『二連撃』『刃斬』『剛破』『粉砕』
「グォオオオオッ!」
皇女はバスタードソードを大振りに一閃し、東から攻撃してきた冒険者たちのスキルを一気に弾き返した。
だが、西からの同時攻撃は剣で防げなかった。
『真空波』『斜落斬』『突刺』『竜破』
皇女は西からのスキル攻撃をフェンリルの髪の毛で受け、剣の腹を左の掌で逸らし、しゃがみ込んで避け、だが足を斬られてたたらを踏んだ。
「人間どもがっ!」
怒り狂った皇女のバスタードソードが力一杯振り絞られて、轟音と共に冒険者に叩きつけられた。
皇女の直撃を受けた冒険者は、顔を蒼白にしながらも無傷で後ろに下がった。
「!?」
必殺の一撃が効かない。その状況に皇女は愕然とし、だがその方法にすぐ思い当たる。
皇女自身も、ジュデオンに突入する際に物理無効化ステージ2のスキルを受けている。敵も無効化スキルを事前に掛けている可能性は充分にあり得る。
(私と相対するような大祝福2の冒険者に事前にスキルを掛けていたか?)
だが、1人の僧侶がスキルを掛けられる回数には限りがある。
『マナ量増大の輝石』や『マナ回復剤』などを併用したとしても、十数回ほどスキルを掛ければマナは尽きるだろう。
つまり1パーティ6人に僧侶1人を配備した場合、5人の前衛に3回ずつスキルを掛けるのが限度だ。
(ならば、範囲攻撃で一気に削るのみ)
皇女はバスタードソードを引いて構え、スキルを解き放った。
『デストロイヤー』
皇女の足を斬った西側の冒険者たちを、蹂躙のスキルでまとめて吹き飛ばさんと図る。
だが、冒険者の1人が皇女の前に飛び込んできてその攻撃をスキル効果で防いだ。
「ははっ、スリル満点だね!」
「バラルディ大騎士団長、無茶をし過ぎだ。下がれ!」
「言われなくてもっ!」
バラルディ大騎士団長は、探索者戦闘系という身軽さを以って皇女のスキルの前に立ちはだかり、一撃を受けると返す刀を避けながら後ろに飛び下がった。
それと入れ替わるように、ラムレイ大騎士団長とザムグレン大騎士団長が同時に皇女に向かってきた。
「ここで皇女を狩れば人類の英雄確定だな」
「そんなものになってどうする。金も地位も十二分にあるだろう」
『斬撃』『粉砕』
ラムレイ大騎士団長の斬撃をバスタードソードで弾き、ザムグレン大騎士団長の粉砕を跳んで避けた皇女にさらに追い打ちが続いた。
『ホワールウインド』
『斜斬』
ディエス大魔導師が旋風を巻き起こしてベリンダの視界を阻害した直後、追い風を受けたシャイエ大騎士団長の剣撃が、皇女のフェンリルの髪の毛で守られた脇腹を浅く斬った。
「各傭兵団は皇女との戦闘を避け、破壊された大門から侵入してくる敵大隊長を倒せ。各騎士団はその他の獣人と交戦して援護を阻害し、大祝福2以上の各戦闘を支援せよ」
ディエス大魔導師の指示に応じ、義勇冒険者達が次々に動き出した。
その中の一つ、祝福72の探索者ジャンカルロを筆頭に大祝福2以上が5人も在籍している最有力の傭兵団が、我が意を得たりと大門へ走り出した。
「傭兵団『自由の唄』、大隊長を1人貰うよ」
「団長、130人がかりで1人ですか?」
「1人ずつさ。大隊長を狩ったら、隊長以下は騎士団に任せて、次の大隊長を狩る。その繰り返し」
「うへぇ」
大門の魔法と矢の壁を潜り抜けて侵入してくる5個大隊に対して、騎士団1~2個と義勇冒険者達が次々とぶつかっていく。
「ラウリ、イスト、ヘンリク、セレスティアノ、それと治癒師のデーリアちゃん」
「『それと』は余計ですっ!」
「君は一番若くて祝福も46だからね。まあともかく、デーリアちゃんは回復。セレスティアノは魔法援護。後は突撃。他の皆は、大隊長への道を開いて足止め。GO!」
傭兵団「自由の唄」も、大門を突破して来た第五軍団の1個大隊に正面から突撃して行った。
大祝福2の数が1対5である。彼らに襲われた大隊長は、彼らの攻撃を防ぎようが無かった。
ジャンカルロたち前衛4人は、1人につき2回も3回も大隊長を切り刻んで倒すと、残る敵を全て騎士団に押し付けて次の大隊長へと向かった。
ジュデオンの大騎士団長や高位冒険者たちが皇女ベリンダを押さえている間に、1人でも多くの大隊長を狩っておきたい。彼らは戦力の一点集中を行って灯火のサイラスを倒し、第五軍団を大いに混乱させる事に成功した。
「団長、新手が来た!」
団員の警告にジャンカルロが振り向くと、今まさに敵の新手が大門を潜り抜けてくる所だった。
だが、異変はさらに続いた。
「アギレラっ、第五軍団を助けろっ!エリーカっ、ラビを追え!アロイージオの方角だ!」
敵に軍団長補佐1人と大隊長3人が増え、さらに5個大隊近くが新たに戦列に加わった。
だが、残る軍団長補佐1人と大隊長2人は戦闘を行わずに少数の部隊を率いて北へとすり抜けていった。
(……敵が、自ら分かれて各個撃破されようとしている!?)
ジャンカルロはそれを驚きと共に見送った。
この状況でわざわざ足止めする必要はない。都市民の避難は殆ど終わっており、自発的に残るような人間にまで命の保証をしてやる義理も余裕もジャンカルロには無い。
事実、ジュデオン王国軍の対軍団長パーティたちは、皇女1人を抑えるので精一杯のようだ。
ジュデオンの誇る大騎士団長たちと、大祝福2を越える有力冒険者数人が皇女を抑えているが、それでも手が足りずに騎士団の副団長級の冒険者達を入れ替えで盾にしている。
しかも、盾の何人かは皇女に殺されている。
ジャンカルロ達の所にも、軍団長補佐1人と大隊長1人が追加で増援に来て、大祝福2台の前衛が4対3と言う状況になった。ジャンカルロ達には後衛に大祝福2台の魔導師がいるが、相手の隊長級の支援も増えて有利不利が分からなくなってきた。
「くそっ、あと1人くらい大隊長を削れていれば」
「むしろここまで作戦がスムーズに進んだ方が不思議ですがねっ」
大門は、外側から絶対に破られないよう、門の内側の地面に巨大な鉄柱を何本も打ち込んでしっかりと閉じていた。さらに門を支える鉄柱を斜めに埋め込み、外からいくら押しても開かないようにしていた。
それを皇女ベリンダが、内側から襲って大門を外へ吹き飛ばしてしまった。
その時点で詰んだと思ったが、軍団長2名の戦線離脱はそれを帳消しにして余りあるかもしれない。さらに軍団長補佐や大隊長達が離脱して行く。
だからこそ現在の状況が全く読めない。
いや、ジュデオン王国軍は皇女にダメージを与えているようだ。このままジャンカルロが持ち堪え続けるだけでも、敵の総司令官を撃破できる可能性はある。
(……皇女を倒せば、戦争終結か?)
本来ならば危険と判断した時点で引き上げるつもりであった。
だがジャンカルロは、『戦争終結』と言うあまりにも甘美な果実に誘惑され、自分で定めた判断のラインを見失ってしまった。
相対するジャンカルロの迷いを見たアギレラ補佐は、一瞬の隙をついてジャンカルロ達の後ろ側へと回り込んだ。
「セレスティアノ、デーリア!」
『暗殺』
アギレラは祝福84の探索者戦闘系で、その祝福数は金狼の娘イリーナよりも高い。その容赦のない一撃が、大祝福2台の魔導師セレスティアノの胸を貫いた。
「がはっ」
身体を剣で突き上げられて浮かび上がったセレスティアノは、剣を抜かれる動作で地面へと投げ捨てられた。
アギレラはそのまま走り抜け、治癒師デーリアの髪を掴むと首筋に剣を差し込んだ。
「うおおおおっ!」
無謀だと分かっていても進まなければならない時がある。ジャンカルロは傭兵団の団長だ。団員の危機を無謀だからと言って見過ごす事は出来なかった。
『暗殺』
『ブロー』
ジャンカルロに暗殺のスキルは使えない。
アギレラは、逆上したジャンカルロの打撃スキルを引き付けてダメージを受けながらも冷静に直撃を避ける一方、暗殺のスキルをジャンカルロの胸に突き立てて一撃で倒した。
アギレラとジャンカルロとの攻防の合間に、ラウリ、イスト、ヘンリクの三人は、アギレラが引き連れて来た直属軍団の大隊長1人を倒した。
大祝福2がアギレラと第五軍団の大隊長のみになったアギレラは、敵3人に対して第五軍団の大隊長や自分の部下の隊長たちを上手く盾にしながら敵1人を削り、さらに大隊長の犠牲と引き換えに1人を倒した。
ついに1対1に持ち込んだアギレラは、敵から大ダメージを受けるのと引き換えに残った最後の大祝福2を倒し、そこで戦線から離脱した。
アギレラの仕事はそこまでで充分だった。
第八軍団のイルヴァ軍団長が、揮下の軍勢を引き連れて大門内部へと侵入して来たのだ。
かくして『上位竜が徒党を組んだ』結果、戦況は獣人側に一方的な展開へと至った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
王都ジュデオンが真っ赤に燃え上がっていた。
火種となった強力な魔法は未だに具現化を続けており、一向に鎮火する気配が無い。その炎が風に煽られて各所へと飛んで燃え広がり、都市を燃やしながらベリンダ達の足を止めていた。
「上級指揮官の戦死者は、第五軍団長ラビ様、輸送軍団長アロイージオ様、第五軍団の大隊長全員、直属軍団の大隊長2名、第八軍団の大隊長1名、輸送軍団の大隊長1名です」
「全軍団の35%が戦闘不能です。先鋒の第五軍団は6割の損失、直属軍団は4割の損失、第八軍団は3割の損失、輸送軍団は1割の損失。但し、後続の兵士たちは殆ど被害なし」
「敵は8~9割の損失を出して敗走しました」
付近の残敵掃討、負傷者の治療、被害規模の把握、ベリンダにやる事は沢山あった。
エリーカ補佐達が無事に戻って来たまでは良かったが、アロイージオ軍団長とラビ軍団長の死、そして人類側に大祝福3以上の魔導師特殊系が確認された件を聞いてから、ベリンダは無言となった。
こう言う時に普段ベリンダをさり気無く気遣うはずのエリーカは、敵魔導師の魔術で未だ痺れてまともに動けない。
エリーカは厄介なスキル封じも掛けられているが、数の少ない治癒師は生命の危機にある負傷者を優先して治癒するべきであって、エリーカですらこの際は後回しとされた。
(部下の大隊長が面倒を見ているからエリーカは問題ない)
今のベリンダには考える事が多すぎた。
差し当たって、今後の侵攻計画をどうするか。
(ジュデオン王国は保有戦力が壊滅した。私は負傷兵を率いてインサフへと戻り、イルヴァに1個軍団と数個大隊を預けて侵攻を任せると言う手もある)
軍団長の死と軍団の壊滅は何度か経験があった。
今回は軍団長が2人同時に死んだものの、軍団が壊滅したわけでも敵に負けた訳でもない。今は侵攻のチャンスだった。
そこにイルヴァが声を掛けた。今のベリンダに声を掛けられるのは、ジュデオンに侵攻して来た軍勢の中でイルヴァだけだっただろう。
「ベリンダ様、軍団長として報告しなければならない事が有ります」
「許す」
「はっ。飛行騎兵の生き残りを尋問した結果、この度の所業はジュデオン王国ではなくリーランド帝国の差し金であったとの自白が得られました。帝国内に住む人間どもの証言とも一致します」
「……リーランドは、なぜそのような事をした?」
「私の駐留していたロマーノ王国は、リーランド帝国とジュデオン王国のちょうど中間に位置します。ガスパール軍団長の戦略で大打撃を受けたリーランドが、私の軍団の進路をジュデオンへ向けようとしたとの事です」
(ブレーズ、お前は私に教えてくれたのか)
人間は獣人帝国と違い、沢山の国に分かれている。各国がそれぞれの意志を持ち、それぞれの考え方で動く。彼らには国の数だけ正義がある。
ベリンダは、イェルハイド帝国最大の敵をジュデオン王国からリーランド帝国へと移した。
だが……
「損害が大きすぎたな」
「はっ」
「消費した戦力を回復させなければならん。撤退する」
「はっ」
バダンテール歴1260年7月4日。
獣人帝国は、皇女ベリンダの命によりジュデオン王国からの全面撤退を開始した。
その後、獣人帝国による各国への侵攻が全て止まった。


























