27.思い出の場所で
アレナの精神力回復に時間を要したため、二人は予定時刻よりもだいぶ遅いチェックアウトとなった。
(宿の方に申し訳ないことをしたわ…)
本来の時間を大幅に過ぎてしまったのに笑顔で見送ってくれるフロントの者達に、アレナは謝罪の気持ちを込めてぺこりと頭を下げた。
なお、ジュリアスはあらゆる可能性を視野に入れ、予め2泊分の予約を取っていたのだが、アレナはそんなこと想像すらしていなかったのだった。
帰りの馬車旅は順調に進んでおり、昼休憩を取った二人はまた馬車に揺られていた。
ジュリアスはアレナの腰を抱くようにして密着しており、ものすごく近い距離から彼女の顔を見つめている。
心なしか彼の肌艶が良くなっており、上機嫌でいつも以上にキラキラを散布していた。
「そういえば前に言ってた媚薬の話って…」
甘い視線を向けながら、ジュリアスが何気ない口調で問いかける。
「どんな手を使ってでも俺のことを手に入れたいと思っていたということ?」
「ゴホッゴホッゴホッ」
涙目になって咳き込むアレナの背中を、ジュリアスは動じることなく、よしよしと優しく撫でてくれた。
(なっ……ジュリアス様の話題のチョイス!!)
こんな場面でなんてことをぶっ込んでくるだろうと、アレナの身体にじんわりと嫌な汗が滲む。
「これは…自惚れても良いのだろうか。」
アレナの乱れた前髪を指で撫で付けながら、ジュリアスがアイスブルーの瞳を細めて微笑む。つい俯きそうになる彼女の視線を強引に絡め取り、目を逸らさせるものかと熱を注いでくる。
注がれた熱はアレナの顔を火照らせて鼓動を速め、正常な思考すら奪っていく。
「アレナ?」
彼女がいっぱいいっぱいになっているのを分かった上で、笑顔で催促してくるからタチが悪い。
「こ、降参ですわ……」
ぷしゅーっと湯気の立つ音が聞こえてきそうなほど、アレナの顔が真っ赤っかになってしまった。それを見たジュリアスが顔を背けて笑いを堪える。
「悪い、揶揄い過ぎたな…ふふふ。」
「もうっ……!!」
密着しているせいで身体が揺れ、笑っていることがバレバレだ。
腕を組んだアレナはふくれ面をして、ジュリアスとは反対方向の窓に視線を投げた。
「少し寄り道をしていいか?」
「ええ、もちろんですわ。」
少しすると馬車が止まった。立ち寄る場所に到着したらしい。
ジュリアスのエスコートで外に出たアレナが感嘆の声を上げる。
「まぁ!ここはっ…」
見覚えのあるなだらかな斜面に咲き誇る花々の風景。季節が変わり咲いている花の種類が変化しているが、間違いなく二人の思い出の場所だ。
「ああ。二人で初めてデートした場所だ。」
すっと腕を出されて笑顔を向けられ、アレナもはにかみながら手を乗せる。
誘導された先にはこの前は無かった真新しいベンチが設置されていた。ジュリアスがハンカチを敷き、御礼を言ってアレナが腰掛け、その隣に彼も座る。
「いつ来ても素敵な場所ですわ。……それに前よりも花の種類が増えたような??」
「あまり手を加えないようにはしてるが、花は少し増やした。季節が変わっても絶えず花が咲いているように。」
「手を加えた…?」
「ああ。ここは俺が買い取ったからな。二人の大事な思い出だから、他の誰にも踏み入れさせたくない。」
「ヒッ」
あまりのスケールの大きさに、アレナの喉の奥がなった。いくらなのか、そもそも値をつけられるものなのか、考えれば考えるほど胃が痛くなってくる。
「迷惑だったか…?」
「そんなことないです!とても嬉しいですわ。ええ、物凄く!」
「ふふ…良かった。」
仔犬のような瞳を向けられたアレナは絶えきれず、間髪入れずに全力肯定した。
「アレナ」
ジュリアスは不意に立ち上がると、アレナの前に跪いた。突然の出来事に、彼女のグリーンの瞳が大きく開く。
彼は流れるような所作で彼女の手を取ると、熱を込めた真摯な瞳を向けた。
「俺は君のことが好きだ。心から愛している。」
緊張のせいか、その声は普段よりもやや低く強張っている。だが、一言一句揺らぐことなくはっきりとした言葉になった。
「………ジュリアス、さま」
すんでのところで涙は堪えたが、感極まってアレナの声が震える。
(ああもうなんて素敵な方なのっ…)
伝えたいことは山ほどあるのに、あまりに嬉しくて上手く唇が動いてくれない。僅かに言葉にできた相手の名前に、ありったけの想いを乗せた。
「だから俺は、この生涯をかけてアレナの心を手に入れられるように全力を尽くす。今はまだ形だけの夫婦だとしても、絶対に妥協はしない。」
物凄く真面目に深刻に伝えられた言葉。それは誰がどう見ても嘘偽りはないと分かるほど真のものであった。
だからこそ、アレナの頭の中にハテナマークが大量生産される。
「え?」
脳内を埋め尽くしたアレナの疑問が溢れて、声に出た。眉を顰めて手が繋がれた先のジュリアスを見る。
「え…」
対して、一瞬にして輝きを失い顔面蒼白のジュリアスの口からは絶望の声が出た。
二人の間には、晴れ渡る青空のに下に咲き誇る花達が色を失ってしまいそうなほど、気まずい空気が漂っていたのだった。




