25.婚前旅行
深夜だというのに珍しくアレナの私室にはまだ明かりが灯っていた。
普段花が飾られている猫足のテーブルには、今は花の代わりに金貨が積まれている。そして互いに向かい合うように座っているアレナとレネとハンクの3人。
「こんなことやっていて良いのですか?」
「だって掛けないとすぐ飽きるじゃない。」
「その金は誰にもやらねぇ。」
「はぁ…」
レネはため息をつきつつも、自分の手札を確認した上で二人の表情と視線を素早く読み取り、捨てるカードを決めてテーブルの上に投げ出す。
アレナとハンクが二人揃って嫌そうな顔をした。求めていた絵柄ではなかったらしい。
「お嬢様、明日から婚前旅行ですよ?早くお休みになりませんと、旅行中に眠くなってしまいますよ。」
「それが狙いよ。」
アレナがカードを手にしてない方の手で、ビシッとレネのことを指さす。
「ジュリアス様との馬車旅は心臓に悪いから、寝てしまおうという作戦よ。着いた先で使い物にならない方が困るでしょう?」
「それはまた短絡的な……」
レネが今日何度目かのため息と共に、遠い目をしている。
ジュリアスとの旅行が明日となったこの日、アレナは寝不足の状況を作るために二人を誘ってカードゲームに勤しんでいたのだ。それも、せっかくなら金賭けようぜと宣うハンクに唆され小遣いまで投げ打つ始末だ。
相変わらず見切り発車をする主人に、レネは呆れつつも手を緩めることなく二人を追い込んでいた。
「眠ったところで、訪れる未来は目に見えていますけどね。……はい、これで最後です。」
「「あああああああ〜!!」」
そう言って最後のカードを出したレネは上がりとなり、しっかりと山積みの金貨を掻っ攫っていったのだった。
***
翌朝狙い通り睡眠不足で目覚めたアレナは、レネにクマ隠しの化粧を施してもらった。
この日のためにとジュリアスから贈られた白の生地に水色のリボンがついたワンピースに袖を通し、ふわふわのライトブラウンの髪はハーフアップにして金色のリボンで纏める。
こうして全身ジュリアス色にされたアレナは、迎えに来た彼のエスコートで公爵家の長距離用の馬車に乗り込んだ。
宿にはメイドがいるため今回侍女の付き添いはない。
荷物も先に運んでおり、馬車1台の旅だ。公爵家の護衛が馬で追走しているが、それとは別にハンクとレネがアレナの護衛として潜んでいる。
「贈ったワンピース着てくれたんだね。これも良く似合っている。金色のリボンまで…ふふふ。これは満たされるものがあるな。」
当たり前のようにアレナの隣に座ったジュリアスは、愛おしそうに彼女の頬に触れながら見つめてくる。
そんな彼も、黒の上下に中は深緑のシャツを着ていた。第二ボタンまで胸元を開け、ラフに着こなしている。
「ジュリアス様もその…素敵ですわ。」
「ふふふ、ありがとう。」
ジュリアスの鎖骨から視線を逸らして頬を赤く染めたアレナを見て、彼もニヤリと口角を上げた。
馬車は順調に走り続け、規則的な揺れでアレナの眠りを誘ってくる。
(眠たい…寝たいけれど、やっぱり人がいると眠れないわ。)
自分の習性を思い出し、安易に寝不足作戦を考えた昨日の己に腹が立って来た。
(こんなことになるのなら、昨日ちゃんと眠れば良かった。)
眠いのに眠れない…そんな生殺しの状況にアレナの瞼が半開きになってくる。
「眠かったら寝て良いよ。」
「…………え?」
気付いた瞬間、アレナはあっという間にジュリアスに膝枕をされて横になっていた。彼の美しいアイスブルーの瞳と正面からぶつかる。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
(ひゃああああああっ!!なんと言う美形の至近距離!!顔面凶器に殺されるわっ!!)
腹筋を使って起き上がろうとすると、ジュリアスにやんわりと戻されてしまう。
「初めての場所に行くから緊張してる?大丈夫、俺がついてる。」
ジュリアスが柔らかな表情でアレナを見つめ、眠りにつかせようと何度も何度も指で髪をすいてくる。その手つきは酷く繊細で、慈しむように指を滑らせていた。
(……っ!!この緊張はあなたのせいです〜〜!!)
起き上がることも目を瞑ることも叶わず、ジュリアスの蕩けるような視線に晒され続けながら、アレナは順調に溶かされていったのだった。
その後休憩を挟み、馬車は予定通りに目的の街に到着した。
二人はお忍びでの視察という名目で、公爵領の街中を散策した。
王都のように洗練された華やかさはないものの、それなりに栄えていて街道の両端には活気のある店屋が立ち並ぶ。それはそのままレーウェン公爵家の繁栄を意味していた。
観光名所である古い大聖堂に足を運んだり、食べ歩きを楽しんだり、雑貨屋で現地土産を手に入れたり、二人はデートと違わない時を満喫した。
予約していたレストランで早めの夕飯を済ませた二人は繁華街にある宿屋に来ていた。公爵家への来賓が泊まることもあるそれは、見た目も中身も贅を尽くした豪奢な作りであった。
ロビーにある噴水前のベンチに腰掛け、アレナはフロントで手続きをしているジュリアスのことを待つ。
(建物の中に噴水があるってとんでもないわ…装飾品も絵画も全てが一流ね。)
天井に描かれた壮大な壁画を眺めながら、アレナは超高級なこの宿に圧倒されていた。
まもなくしてジュリアスがアレナの元に戻ってきたが、その表情は暗い。心配に思い、彼女も彼を迎えるように立ちあがる。
「アレナ、本当に申し訳ない。」
「何かありましたの?」
初めて聞く暗く沈んだジュリアスの声音に、アレナの中に動揺が走る。
(まさか窃盗…?先に送った荷物を盗られてしまったのかしら…)
意を決してジュリアスの顔を見上げた。
「宿のミスで一部屋しか取れていなかったらしい。そして他は満室とのことだ。」
「へ」
アレナの頭の中が真っ白になる。
(嘘嘘嘘嘘嘘嘘………本当に本気の予約ミスイベントの発生なの!!!!???そんなこと現実に起こるの!!?)
「だから一緒の部屋で良いよね?」
「!!」
次の瞬間、ジュリアスは大変朗らかな良い笑顔を見せた。まるでこうなることが分かっていたかのように、嬉々としている。
(なっ……これ絶対ワザとだわーーーーーー!!)
意図的だと確信したが拒否権などあるわけもなく、ジュリアスはいつもより拘束感のあるエスコートでアレナのことを部屋まで連れて行ったのだった。




