23.ウェディングドレス
帰りの馬車は控えめに言って地獄であった。
それはもちろんアレナにとって。
中に入ると同時にジュリアスに抱え上げられ、有無を言わさず彼の膝の上に乗せられてしまったのだ。
そして、後ろから腕を回して抱きしめた挙句、耳に唇を寄せて愛を囁くという凶行に走る。
息を吐くように砂糖を吐き、アレナの肺は砂糖で埋め尽くされ呼吸困難に陥ったのだった。
その結果足元がおぼつかなくなったアレナは、ジュリアスのお姫様抱っこで自室まで運ばれる事態となっていた。
「昨日の記憶がないわ…………」
「顔を真っ赤にしたお嬢様はジュリアス様に抱き抱えられ、ぐったりとして」「やめてええ」
寝起きのアレナの独り言に、朝の支度で部屋に来ていたレネが真面目な顔で返答して彼女の羞恥心を煽ってきた。
色々と思い出したアレナはまたシーツの中に潜り込んでしまった。
レネは既視感のある光景にため息をつきつつ、互いに誤解が解けた様子にホッとする。
「それはそうと、早く準備しませんと迎えが来てしまいますよ?」
「……………なんの迎え?」
「ジュリアス様が結婚式の件で相談したいから明日迎えに行く、と。」
「そんなこと言っていたかしら…?記憶にないわ。」
「その時お嬢様はとろとろに甘やかされて溶かされて液体寸前でしたからね。代わりに私が承りました。」
「ゲッホゲホゲホッ…」
あまりの言われように、アレナが盛大にむせった。
(もう!どんな顔して会えばいいのよっ…)
シーツの中で身悶えるアレナだったが、準備のタイムリミットが迫り、レネの手によって強制的にベッドから引き摺り出されてしまった。
朝食をとり支度を終えると、すぐ迎えの時間がやって来た。
淡い水色の生地に金の刺繍が入ったドレスを身に纏ったアレナが玄関ホールで出迎えた。
現れたジュリアスは、濃紺の上下にグリーンのクラバットをつけている。アレナの瞳の色だ。
「アレナ…今日も物凄く可憐で素敵だ。贈ったドレスも良く似合っている。…想像以上だ。」
少しだけ視線を晒して口元を手で覆うジュリアス。彼の耳がほんのりと赤く色付いている。吊られてアレナの顔も赤くなる。
そして、噛んだ。
「どゅっ…ジュリアス様もとても素敵ですわ。」
「ふっ」
「笑わないで下さいませ!」
ふくれ面をするアレナに、ジュリアスはすぐさま彼女の手を取り、その甲に口付ける。
「…悪かった。許してくれるか?」
しょんぼりと肩を落とし、捨てられた子犬のような瞳で赦しを求めてくる。
(ひいっ………そんな目で見つめないでええっ!!絶対に顔が良いって分かってやってるわよね?確かにとても素敵なご尊顔ですけども!!?)
「……狡いですわ。」
「好きな子にはつい意地悪をしたくなってしまってね。嫌われないように気をつけるよ。」
そんなこと微塵も思っていないかのように、余裕たっぷりの笑みを見せつけると、「さぁ行こうか」と、彼はアレナを馬車までエスコートした。
「アーレーナ?」
「………」
(目を合わせたら負けよ、アレナ。心を鬼にして耐え抜きなさい。)
「ねーえ?」
「……っ」
(少年のようなあどけなさを全面に押し出した笑顔…素敵っ…じゃなくて!!液体化して公爵邸に行ったら末代までの恥なのよっ!)
相変わらず馬車の中は戦場で、アレナはあの手この手で膝の上に乗せようとしてくるジュリアスと戦っていた。
「こっちの方が良かったのか?」
「…………ひゃあああっ」
攻め方を変えたジュリアスは、アレナの膝の上に頭を乗せ、満遍の笑みで彼女の顔を見上げてくる。
「な、何をなさっているのです!!?」
「大丈夫。降りる前にちゃんとスカートの皺を整えるから。」
「そういう問題じゃありませんわ!」
「はぁ…柔らかくて温かい。」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
ジュリアスが声を発する度にアレナの太腿に振動が伝わり、どうしようもない気分にさせられる。
「これから公爵邸にお邪魔するのに、心を乱さないで下さいませ!」
「分かった。」
ジュリアスは驚くほどあっさり引き下がると、起き上がって彼女の隣に座り直した。
真横を向いてにっこりと微笑み、わざと抑えた声で囁く。
「帰りならいいんだな?」
「いやあああああっ!!」
(そういう問題じゃなーーーーい!!)
結局その後もジュリアスに弄ばれ続け、馬車が到着する頃にはぐったりとしたアレナの出来上がりとなっていた。
次に意識を取り戻した時には、アレナは邸の中にあるドレス部屋に来ていた。ふかふかの絨毯の上に置かれたスツールとテーブルのセットに、ジュリアスと向かい合って座っている。
部屋の四方には所狭しとドレスが並んでおり、こんなに数があるにも関わらず、その色は淡い水色か金色の二択であった。
(物凄いドレスの量ね。どれも美しく高そうなものばかりだわ。)
使用人が紅茶を並べると、頭を下げ恭しい態度で部屋を後にした。
「今日はアレナのウェディングドレス作ろうと思って。式まであと少しだろう?」
「うぇでぃんぐどれす…?」
アレナが戸惑った声を出すと、ジュリアスが安心させるようにゆっくりと大きく頷いた。
(待って…ドレスのことを完全に忘れていたわ。ジュリアス様のことを落とすことで頭が一杯だったせいだ…)
アレナの顔色がみるみるうちに悪くなっていく。
それもそのはず、高位貴族のウェディングドレスはその権威を示すためにもオートクチュールが当たり前で、製作には最低半年は掛かると言われているからだ。
(やってしまったわ………)
本来であれば、婚約した時に新婦側が主体となってドレスのデザインから製作まで準備を進めるのだ。
「ジュリアス様、申し訳あり」「アレナごめん」
謝罪の言葉が被った。
ジュリアスが申し訳なさそうに、でもどこか嬉しそうに言葉を続ける。
「オートクチュールは時間が掛かるから、先に発注しておいたんだ。あの時はまだ気のないフリをしていたから言えなくて…勝手に申し訳ない。」
「え…?」
アレナが目を見開いてジュリアスを見る。
(私なんてドレスのことを忘れていたのに、ジュリアス様はそんなことまでやってくれていたなんて…)
彼の優しさと自分に対する想いに胸が熱くなり、アレナの瞳が滲む。
「ただオートクチュールは数が作れないらしく…王都中の職人を雇っても20着が限界だった。」
「………にじゅっちゃく?」
「ああ。人気のデザインから古典的なものまで、アレナに似合いそうなものを20着作らせたんだ。この中で君が気にいる物を最終調整しようと思う。」
「はああああああああ!!?」
オートクチュールはかなりの高級品であり、普通の貴族なら年に1回作れば金回りが良いとされるほどだ。
それを20着…しかも19着は予備だとすると、とんでもないお金の使い方である。
「お、お金がもったいなーー」
「とりあえず気になる物から着てみようか。針子も仕事をしたくて待ってるし。ね?」
ジュリアスの笑顔の圧が凄い。
そして待ってましたと針子達がやって来てアレナの衣装合わせが始まったのだった。




