19.世話の焼ける主人達
「………さま」
「…」
「お嬢様」
「ん」
レネの声で目を覚ますと、そこは自室のベッドの中であった。
「お嬢様、大丈夫ですか?昨日何かされましたか?されたのですよね?このレネが可及的速やかに処理して参ります。さぁ、処理方法をご指定下さいませ。」
堂々と暗殺用のナイフを手にしているレネの目が据わっている。かなり本気だ。
「………レネ!?な、何やってるのよ!危ないから早くしまってちょうだい!心臓に悪いわ。」
「失礼いたしました。毒殺をご所望ですね。後遺症が残って死よりも酷い思いをする薬を用意しましょう。」
「朝から怖いこと言わないでくれる?そんなもの誰に使う気よ?」
「悪鬼ですよ。昨日帰宅したお嬢様はこれまで見たことのないほど憔悴しきっておりました。あの悪鬼め…」
「昨日…………」
寝起きの頭が少しずつクリアになってくると同時に、昨日の出来事が蘇ってくる。
ジュリアスとデートをしていたこと、彼に甘やかされて心臓に悪かったこと、そして最後の…
「あああああああっ!」
「やはり何かされたのですね!?」
ティーワゴンでモーニングティーの準備をしていたレネが鬼の形相ですっ飛んできた。
「思い出したわ!レネ、どうしよう私…とんでもないことをしてしまったみたいなの。」
「みたいとは?具体的なお話をお聞かせ頂けますか?」
アレナの顔が一気に青ざめ、その瞳に自責の念が強く映し出される。話したいのに、口内が乾いて上手く声を出せない。
レネがミルクを加えた紅茶を差し出し、落ち着かせるようにゆっくりと背中を撫でてくれた。
「今すぐに一番強い解毒剤を用意して。」
「対象となる毒の種類は?」
こういう時レネは余計なことは尋ねない。
感情は動かさず、詮索せず、主人の要求に応えるために必要な情報のみを聞く。
「………媚薬よ。」
消え入りそうな小さな声で答えると、アレナは両手で顔を隠して肩を震わせた。
「私きっと、あのクッキーに薬を盛ってしまったんだわ。だから突然あんなに甘やかしてくるのよ。あぁなんてことをしてしまったのかしら…」
ぐすぐすと本気で泣き始めたアレナ。
本来なら、今すぐ主人のために解毒剤を用意して、当人に飲ませるまでの算段をつけるべきなのだが、当惑したレネは動けなかった。
(またとんでもない方向に勘違いを…)
予想だにしない展開に、彼女の脳はその役割を果たさなくなってしまっていた。
「少しは落ち着かれましたか?」
「うん。」
レネに言われてとりあえず軽食を摂ったアレナ。先ほどよりも顔色が良くなっており、気持ちも落ち着いたように見える。
「お嬢様がそう思ったのは、ある時からジュリアス様の態度が豹変されたからですか?」
「そうよ。婚約を決めたあの日から何も進展していないのに、あんなに甘い態度になるんだもの。何か裏があるに違いないわ。」
(大変申し訳ございません…)
元凶であるレネは心の中で床に額をのめり込ませ、深く謝罪の言葉を述べた。
(勝手にあのノートを暴露したことをアレナに伝えるにしても、今はその時ではない。今はジュリアス様の気持ちが本気だと分かって頂かないと)
「とにかく一度、ジュリアス様と話し合われてはいかがでしょうか?」
「でも薬の影響なら、話したところでなにも解決しないと思うのだけど。」
「彼に尋ねてみれば、お嬢様のことを慕う理由がちゃんとあるかもしれませんよ。」
「なかったら薬の影響ってことね…」
「大丈夫ですよ。私から見て、彼の振る舞いに薬の影響は感じられませんでしたから。きちんと向き合えば、ジュリアス様の本心に触れられるはずです。」
その後、弱気になって渋るアレナのことを宥めすかして、なんとかジュリアスとの約束を取り付けたアレナ。
側で励ましの声を掛けながら、外出の準備を急いだのだった。
***
その頃の公爵邸では、ジュリアスは絶賛二日酔い中であった。
酔い覚ましのハーブティーを飲んで落ち着いたところ、ディックが急ぎの要件で執務室の扉を叩いて来た。
「ジュリアス様、執務中に大変申し訳ございません。先方の侍女より、彼女の主人が今から訪問したいといった趣旨の連絡がございました。大変不躾ではございますが、今お返事頂きたく。」
執務室に入ったディックは一度も顔を上げることなく、そのままの姿勢で用件を述べた。そしてその状態で主の返答を待つ。
「嫌だ。」
「おい」
普段より幼い言い方で断固拒否の姿勢を見せたジュリアス。
ディックの顔が真っ青になるのと、ミケルのツッコミがほぼ同時であった。
「せっかく向こうから来てくれるんだ。なんで拒否するんだよ。昨日の話ちゃんと聞いてこいよ。」
「婚約解消なんて言われたら生きていけない。そんな話聞きたくない。無理。」
「この意気地なし。」
「アレナと一緒になれるのなら意気地なんていらない。…そうだな、一層このまま会わずして婚姻届を出してしまえばいい。そうすれば、彼女と離れることは無いんだから。」
「お前はなんでそう犯罪じみた思考になるんだよ。……おい、その仄暗い目で俺を見るな。」
壁に視線を向けたまま、ふふふと狂気に満ちた笑みをこぼすジュリアスに、ミケルが顔を歪めてドン引きしている。
そんな二人を目の前にしたディックはどうしていいか分からず、未だ頭を下げたままだ。
そんな混沌とした状況の中ミケルが、『俺がなんとかするから、お前は先方に承諾の連絡をしとけ』とディックに指示し、彼はようやく顔を上げてこの部屋から抜け出すことが出来たのだった。




