18.猜疑心と暴走
(やっぱりおかしいわ)
優雅な仕草で食後の紅茶を飲むジュリアスを目の前に、アレナは猜疑心を強める。
演劇を見終えた二人は、夕飯を取るため彼が予約していた全室個室の高級レストランを訪れていた。ここもアレナが気になっていた店だ。
食事中もジュリアスは甲斐甲斐しくアレナの世話を焼き、グラスに飲み物を注いだり、メインのステーキを切ってあげたり、ナプキンで口元を拭ったり、使用人以上のことをしていた。
(こんなに甘やかしてくるなんて…私の計画はことごとく失敗していて、彼に惚れられる理由がないのに。)
「ジュリアス様」
「ん?」
甘やかな声で顔を上げたジュリアス。彼の美貌に慣れたはずでいたが、彼が醸し出す甘い雰囲気にはどうしてもドギマギしてしまう。
アレナはバレないように横を向いて深呼吸をし、気持ちを整えた。
「あの、昔私と会ったことありますか?」
(恋愛小説の王道なら、実は昔助けた相手だったとか一目惚れ要素が隠れているはずだけど…)
「君と初めて会ったのは、婚約を申し込んだ時だよ。」
「やはりそうですよね…」
(じゃあ、どうして…)
「俺もアレナと同じ気持ちだ。もっと前に知り合えていたら、もっと同じ時を過ごせたのにって。でも自分たちには今と未来がある。そうだろ?」
そう言って微笑むジュリアスの顔は端正で美しく、直視出来ないほどに眩しかった。
「愛してる。」
突然紡がれた言葉。
それは感極まる気持ちを堪えたかのように、その声はいつもより低かった。
真っ直ぐに見据えてくるアイスブルーの瞳。そこには一切の翳りが見当たらない。代わりに見えるのは、隠す気のない情熱的な色。
(待って…やっぱりおかしいわ。どうして彼はこんなにも私のことを…)
疑いようのない深い愛情を向けられて、アレナの心が不安に呑み込まれそうになる。
(え…もしかして…私…)
ひとつの仮説に思い至ったアレナ。
それが本当だったらと、サーっと顔から血の気が引いていく。とんでもないことをしでかしてしまったのかもしれないと、一気に体温が低くなった。指先の感覚が失われていく。
様子のおかしいアレナにジュリアスが声をかけてくれている気がしたが、その声は随分と遠くに感じた。
その夜、どうやって自分の部屋まで帰ってきたのか全く記憶に残っていなかった。
***
夕飯時を過ぎた頃、公爵家の執務室にいたミケルは一人、サンドイッチを片手に事務処理に追われていた。
ジュリアスが丸一日休暇を取ったせいで皺寄せが来ているのだ。
(ちゃんと帰ってくんだろうな)
時計を気にしながら書類に目とペンを走らせる。しばらく動き続けていた彼の手がふと止まる。
自分はこんなに忙しいのに、今頃アイツは女とイチャついてるのかと段々腹が立って来たのだ。
(帰って来たら嫌味の一つでも言ってやらないと気が済まねぇ)
しばらくすると、執務室のドアが開きジュリアスが戻って来た。
「………お前、どうしたんだよ。」
一言物申してやると決めていたはずが、彼の姿を見た瞬間ミケルの顔色が変わる。
悲壮感を漂わせて焦点の定まらない虚な瞳で、生気がなくふらふらと歩くジュリアス。
雑にジャケットを床に投げ捨てると、力を失ったように自分の椅子に座った。普段の彼らしくない、ひどく投げやりな態度だ。
「嫌われた」
「は?」
長い沈黙の末に聞こえたのは、絶望した声だった。
「アレナの好む男になれなかった。きっと甘やかし過ぎたんだ。いやあれでも加減した方なんだが…」
「………話が見えねぇ。はっきりと婚約解消を口にされたのか?」
ミケルの問いに、ジュリアスは苦しそうな表情で首を横に振った。
「別れ際、明らかに様子がおかしかった。アレナの好きなタイプはもっと男らしいやつだったのかもしれない。俺はきっと優しくし過ぎたんだ。」
ゆっくりと語り始めたジュリアスに、ミケルは仕方なくお茶を出して聞く姿勢を取った。
どうせ勘違いだろうから話を聞いてやればすっきりするだろうと安易に考えたのだ。
「最後くらい強引に口付けをして欲しかったのかもしれない。きっと意気地なしと呆れられたんだ。」
ジュリアスのボヤキは止まらない。
「むしろもっと強く言われる方が好きだったのか?好きな人に罵倒されると気持ちが昂る人間もいると聞いたことがある。彼女がそのタイプだったら、俺がしたことは全くの逆効果じゃないか…なんてことだ…」
「おい、頭冷やせこの馬鹿。そして勝手に人の性癖を妄想すんな。」
膝から崩れ落ち、床に座り込んだジュリアスにミケルが侮蔑を含んだ冷たい視線を向ける。
「…そうだな。諦めるにはまだ早いな。」
「今の会話で、どうやったら前向きに受け止められんだよ。」
ミケルが心底呆れているが、今のジュリアスには何一つ届かない。
ジュリアスは立ち上がり、落ちていたジャケットを拾い上げて埃を払うと袖を通した。
「お前、どこに行く気だ。」
「アレナのところに行って、強引に唇を奪って罵ってくる。見せたことのない俺を見せて惚れ直させる。」
「………………お前はいつから犯罪者予備軍になったんだ。」
「ああ俺は女神に恋してしまった罪深い男だ。でももう後には引けない。」
「話が通じねぇ…恋は盲目どころの騒ぎじゃねぇぞこれは。………おい誰か、今すぐ邸にある一番強い酒を持ってきてくれ!」
放っておいたら平気で罪の一つや二つ犯してしまいそうなジュリアスに、ミケルは強行手段に出た。
「酔って勢いをつけた方がいい。その方が男らしいぞ。」などと適当なことを言い、酒を飲ませて彼の意識を奪ったのだった。




