9.邪魔者の再来
「さぁ、早く中へ。」
ドアを開けて手で抑えながら、雨に濡れないようにと先にアレナを小屋の中に通すジュリアス。
その気遣いに内心小躍りしながら足を踏み入れたのだが、中に目を向けた瞬間固まってしまった。
「・・・」
(なんでさらにドアが?)
外観はなんの変哲もない簡素な板張りの小屋なのに、ドアを開けたらさらにドアがあり(それも二つ)、アレナの頭が混乱している。
「二つの部屋に分かれているようだ。ちょうど良い。この雨だと馬車での移動は危険だから、少し落ち着くまでここで時間を潰そう。ではまた後ほど。」
「は………….」
アレナが呆気に取られている中、ジュリアスはさっさと部屋の中に入ってしまった。
(いや、何もちょうど良くないから!)
なんなのよ、この状況は……
わけが分からないわ。
想定外の出来事に呆然と立ち尽くすが、いつまでもこの微妙な隙間に留まるわけにいかない。
(これでジュリアス様の部屋に入ったら完全に痴女よね…うん、さすがにないわ。)
色々と諦めて一旦部屋の中に入ることにした。
狭い空間だったが、長椅子と小型のサイドテーブルと備え付けの棚があり、その中にはふかふかのタオルが置かれていた。軽く身支度を整えるには十分であった。
「はぁ…同じ部屋じゃないと意味ないのに…」
長椅子に腰掛け、ジュリアスが掛けてくれたタオルを丁寧に畳んで傍に置いた。
この状況で挽回の余地もなく、出来ることと言えば、早く雨が上がることを願って窓の外を眺めることだけであった。
(せめて帰りの馬車の中では、少し親しげな会話が出来るといいな…)
一方隣の部屋では…
「くそっ……なんでここに壁があるんだ!これでは彼女の雨も滴る妖艶な姿を目に焼き付けることも、髪や身体に触れることが出来ないじゃないか!せっかく雨に濡れているという大義名分を得たと言うのに…誰だ、こんな余計なことをした奴はっ…あぁ甲斐甲斐しく彼女に世話を焼いて甘やかしたいのに!この仕切りが死ぬほど憎い!散れ!」
ジュリアスが一人で怒り狂っていた。
が、この細工を実行しようと決めたのは紛れもなく彼自身だ。
今回の計画を冷静な時に聞いた際は、まだ婚約者の身分で密室に二人きりはマズいだろうと苦言を呈し、仕切りを作るよう突貫工事を指示したのだ。
だが、いざ本番となるとあっさり理性が負けたというわけだ。
その頃小屋の外では、目立たない低い位置に作った小窓から中の様子を窺っていたレネが、激しい苛立ちを露わにして舌打ちをしていた。
(何してくれてるんですか…)
またもや計画の邪魔をしてくるジュリアスに、レネのこめかみに青スジが走る。
「お嬢の着替えのタイミングに合わせて、間仕切り吹っ飛ばしてやろうか?そうすりゃ後は勢い任せにーー」
「その前に、貴方の身体に風穴が開きますよ?」
「げ」
周囲に人がいないからと気分で姿を現したハンクに、気が立っていたレネは視線も向けずに割と本気で釘を刺した。
彼女の隠す気のない殺気に気圧されたハンクは、冗談だってははは!と青い顔で笑いながら雨の中に消えていった。
「なるほど。壁に穴…そう悪くないかもしれません。」
レネは徐に足元の小石を拾い上げると、アレナがいる側の高い位置にある採光用の窓に狙いを定めた。
手首のスナップをきかせて投石すると、僅かな力で小石が狙い通りの放物線を描く。
ーー ガシャンッ!!
「ぎゃっ!………って、風で石が飛んできたのね。とりあえず、飛散すると危ないからナイフで残りのガラスを割ってしまって、タオルを当てて釘で留めますか。」
アレナは音に驚きつつも、過去に受けた脱出訓練を参考にしながら冷静に算段をつけた。
頭に挿してあった剛鉄のピン型の髪飾りを外し、スカートの内側に忍ばせていた護身用のナイフに手を伸ばす。
「アレナ嬢!入るぞ。大丈夫か!?」
「きゃあああああっ!ジュリアス様!??」
落とし掛けたナイフを慌てて空中キャッチし、背中側に隠しながらスカートの中に仕舞い込んだ。
「……っ。怖かったろう。すまない…俺がこちらの部屋を当てがったばかりに。」
「!!」
アレナが怯えていると信じて疑わないジュリアスが早足で距離を詰め、彼女のことを包み込むように優しく抱きしめた。
身動きが取れないのに圧迫感がなく、予想外の心地よさに胸がときめいて呼吸が浅くなる。アレナの心臓がビチビチと音を立てて跳ねまくっていた。
(ひゃあああああああっ!あのジュリアス様に抱きしめられるなんて……!!なんの心配をされているかは分からないけれど、そんなこと今はどうでも良いわ!はぁ…ついでにとても良い匂い…)
胸板に押し付けられた鼻からスーハースーハーと肺一杯吸い込もうとした途端、呆気なく体温が離れて行ってしまった。
「不躾に触れてしまってすまない!」
「…………い、いえ!」
必死な顔で謝られ、アレナは赤くなった顔を隠すように横を向いた。
(危なかった…危うく痴女扱いされるところだったわ。理性を保たないと。)
「とにかく、反対側に避難しよう。ここにいては君が風邪を引いてしまう。」
「ええ、ありがとうございます。」
自然な流れで差し出された手を、アレナも迷うことなく掴んだ。その瞬間視線が交差し、互いに互いを強く引きつける。どうしようもなく目が離せなくなくなってしまった。
移動しなければいけないのに足が動かない…
そんな時、雷雨に似つかわしくない朗らかな音が聞こえた。
ーー チュンチュン
(……え?こんな雨の中鳥の鳴き声……??)
不思議に思ったアレナが隙間の空いた窓を見ると、そこから燦々と光が降り注いでいた。
先ほどまでの雷雨が嘘のように、雲ひとつない絶好のピクニック日和になっていたのだ。
「「あ゛」」
せっかく雨が止んだというのに、息ぴったりに落胆の声が重なった。
天候が回復した今、二人がこの場に留まる理由はもうなく、帰路につく以外に選択肢は無かったのだった。




