第9話 呼び名
二章の投稿です
夢を見た。家が空っぽになったころの夢だ。
失った後、呆然としていたころの夢。
『……』
僕は一人、家の中にいる。家族がいつも集まっていたリビングで、皆が座っていたソファに一人で座っている。何もせず、何もする気が起きず、ただ僕は座っていた。
『……』
ふと、部屋の隅、作ったばかりの簡易的な台を見る。
そこには三つの包みがあって、その中には三人が入っているはずだった。お骨を墓に入れる前。四十九日もまだ来ていない頃。
……耳鳴りがするくらいに静かな部屋の中。
過去との差を一際強く感じた気がした。
『……ぁぁ』
沈黙が辛くて、声を出す。でもしばらく使っていなかった声帯は、まともな音を出してくれない。かすれたうめき声だけが部屋に響いて。
『……ぁ』
――そんなとき、思い出す。
その曜日、その時間にあるテレビ番組。有名なアイドルが司会を務める音楽番組を母と妹が毎週楽しみにしていたことを。
二人ともこの番組だけは譲らなくて、それに付き合う形で僕も毎週見ていた。
一人暮らしを始めてからも、たまに見ていた番組。
『……リ、モコン、は』
テレビをつける。軽快な音楽が部屋に響き始める。
何人かのアイドルがテレビに映し出されて、歌って、踊っている。一昔前の有名な曲だ。よく街中で流れていた曲。
静かだった部屋に音が入ってくる。
耳鳴りは消えて、陰鬱だった気分も少しだけマシになる気がして。
『…………………………』
………………でも。
……しばらく経って、ふと気づく。
賑やかなのに、静かだ。テレビは点いているのに、それだけでしかない。
だって、昔なら妹の声がしていた。父と、母の声がしていた。人の気配があった。身じろぎする音が、椅子の動く音が。
それが、どこにもない。音楽だけ。機械だけ。
テレビは同じなのに、それ以外が全て違った。
『……っ』
だから、テレビを消した。
そしてリビングを出る。
……家の中は、どこまでも静かだった。
◆
四月一日。その日、僕は朝早いうちに目が覚めた。
休日の朝。いつもより数時間は早い頃。
普段なら暇を持て余して二度寝するか、意味もなく天井を見てぼうっとしているか。そんな感じの時間だ。特に用事もない、暇を持て余した社会人の休日。それが普段通りの僕の朝だった。
「……」
でも、今日は少し違って――。
「――あ」
体を起こし、スマホを見る。すると、一件の通知が来ている。
ロック画面に表示された通知。そこには。
『おはようございます! 今日はいい天気になりそうですね!』
彼女からのメッセージが来ている。手紙ではなく、SNSアプリで。
先日交換した連絡先からだ。そこから日に何件かメッセージが送られてくる。彼女はこういうのがマメな方らしく、特に朝と寝る前の挨拶だけは欠かさず送られてきていた。
なので、僕からもいつものように彼女におはようと返信を返しつつ――。
(――というか、今更ながら)
数か月続けていた手紙のやり取り。あれは少し前時代すぎたように思う。最初に送られてきたときからなんとなしに続けていたけれど、手紙というのは手間も時間も金もかかるものだし。
(もっと早くこちらにしておけばよかった)
そう思う。彼女から返ってきた、照れるゆるキャラのスタンプを見ながら。
……まあ、彼女はあの手紙が嬉しかったと言っていたけれど、しかし。
「――?」
そんなとき。スマホが震えだした。
画面を見ると着信の表示になっている。
「……はい」
『あ、おはようございます!』
画面を押すと、すぐに彼女の声が飛び込んでくる。
『朝早くからごめんなさい。でも、もう起きているみたいだったので』
「……ああ、かまわないよ」
少し申し訳なさそうで、でも嬉しそうな声だ。
華やいでいて、電話越しにも笑顔が伝わってくるような声。
そんなに楽しみにしていたんだろうかと、つい思ってしまって、そんな自分の考えに気恥ずかしくなってくるような。
……背中が痒くなってくるような。
『はい! じゃあ今日の引っ越しについてなんですけど!』
「……ああ」
落ち着かない気がして、彼女に返事をしつつベッドから抜け出す。
そして窓を開けると、彼女の最初のメッセージ通り、真っ青の空が広がっていた。
――今日は、彼女がこの家に引っ越してくる日だ。
◆
あの卒業式が三月の上旬で、それから約一か月。
その間は僕も彼女も色々と走り回る日々だった。
なにせ、何もかもが突然すぎた。
色々と一晩で決めたツケが回ってきた形だ。
彼女の持ち物の移動や、生活用品や衣服や家具の手配。
急に進路を就職から進学に切り替えたことに対する各所への説明と謝罪。
四月から通う塾を調べて、そして比較。毎月の支援金と睨めっこをした。
……それに、彼女を施設から引き取る上での手続きも。
独り身の男が、元は男だったとはいえ少女を引き取るのだから、色々大変なのではないかと最初は心配していた。
結果としては、彼女が身寄りのない異邦人であること、そして十八歳で成人していることもあって、予想していたよりは難しくなかったのだけれど。
むしろ、あまりにあっさりと終わって、本当にこれでいいのかと悩んだりもして――。
「――あの、今日からお世話になります!」
「ああ、よろしく」
「……ぇへへ、よろしくお願いします」
――まあ、なにはともあれ今日彼女は無事に引っ越してきた。
今、この子は目の前で笑っている。ゆるんだ笑顔。だから、それでいいのだろうとも思う。
冬が終わり、春の陽気がやってきた昼下がり。
今は彼女を駅まで迎えに行って、家に連れて帰ってきたところだ。
「……じゃあ、荷物を運びこもうか」
「はい!」
車のトランクから彼女の鞄を取り出す。
そしてさっそく玄関へと一歩足を踏み出して。
「あ!……あの、その。……ちょ、ちょっといいですか?」
「……? なにかな」
呼び止める声に振り向くと、彼女は少し落ち着かない様子でもじもじとしている。
「その、今日から一緒に住むことになるじゃないですか」
「そうだね」
「だからその…………透さんって呼んでもいいですか?」
「――」
突然の提案だった。……いや、突然でもないのか。
同居。新しい関係。そして、新しい関係には新しい呼称がつきものだ。
進学を機に、赤の他人が先生になるように。
就職を機に、赤の他人が上司になるように。
「……それで、その。ボクのことも、カナタって呼んでほしいなって」
「――」
そして、続けての言葉。
金髪の少女が上目遣いで僕を見ている。
「…………だ、だめですか?」
「い、いや、そんなことはないよ」
もちろん、僕のことなんてどう呼んでもらってもいい。
彼女のことも、ただの名前であって特別な呼び方でも何でもないし。
「……じゃあ」
「……」
「カナタ。家に入ろうか」
「――! はい、透さん!」
勢い良くうなずいた彼女――カナタと二人、今度こそ玄関へ向かって歩き出す。
カナタは弾むような足取りで後ろをついてきて――。
「……」
……人を下の名前で呼ぶのなんていつぶりだろうか。
なんとなく、そう思った。




