第22話 翌日
休日が明けて、次の日がやってくる。
色々と考えることも多かった登山が終わり、また平日の一日が始まった。
僕たちは朝起きてそれぞれの準備をする。
そして僕は重い筋肉痛を感じながらも普段通りに会社へ行き、カナタは軽い筋肉痛を呟きながら普段通り塾へ学びに行った。
昨日の疲労度と筋肉痛の重さが逆転しているのは年のせいだろうかと思いつつ、カナタの前では隠してしまったのは見栄と言うヤツだろう。昨日余裕そうな顔をしておいて一夜明けてこれでは全く格好がつかない。
なので、家を出た後は歩くときに少し足を引きずって――
「透、どうしたんだそれ」
「気にしないでくれ……」
同僚に微妙な目で見られたけれど、まあ、結果としていつものように起きて、なんとか仕事に行った。
……つまりは、ほぼ普段通りの生活と言えるだろう。
「……」
――思う。この一週間、僕は妹を思い出した。
そしてカナタが妹とは違う人間であると理解した。彼女が一人の大人であることも。
しかしまあ、それで生活が変わるかと言えば、あまり変わらない。
というか生活自体はとっくに変わった後だ。
一緒に暮らして、一緒に食事をする。
おはようと言って、おやすみなさいと言う。
なんてことのない会話をして、笑い合う。
もうずいぶん前から家の中では音がしているのだから。
(……ただ、まあ)
あえて、今朝いつもと違った点を言うのなら。
仏壇に祈るとき、少し報告したい気になった。
これまでのように、ただ祈るだけでなく話しかけたくなった。
妹の顔を思い出したからだ。あの子が祈られて微妙な顔をしているところを想像できた。
考えてみれば、あの子は法事とか葬式とかそういうのが好きではなかったように思う。まあそういうのが好きな子なんてそうはいないだろうけれど。でも確かにあの子は嫌そうな顔をしていた。
そんな子にただ冥福を祈っても退屈だろう。あの子もさぞ不満だったのではないか、なんて。そんなことを思って――。
◆
「――ただいま」
「おかえりなさい、透さん」
――そんなことを考えているうちに、仕事から家に帰る。
家にはカナタがいて、夕飯の準備をしてくれている。
いつもありがとうと言って、カナタからはいえいえこちらこそと返ってくる。
そして、今日は自信作ですよとカナタが言って、僕はどんなものを作っているんだろうかとキッチンの横に並んでカナタの肩越しに覗き込む。
フライパンの上にはチキンステーキが乗せられたところで、美味しそうな音と匂いがし始めていた。僕はカナタに楽しみにしていると言って、一度着替えに行く。そして、またキッチンへと向かって。
僕は皿を出して、もう出来上がっているサラダを盛り付ける。
そうしているうちに、チキンステーキが焼きあがって、すべての料理が完成する。
二人で席について、手を合わせて。
箸を伸ばして、口に運ぶ。
「――」
――この一か月、何度も繰り返してきた光景。
ぎこちないところも薄れて、今となっては日常になった。
カナタがいて、共に過ごす。
心地いいと心から思える時間。
……家族がいなくなって、もう二度とないんじゃないかと思っていたような、そんな贅沢すぎる時間だ。カナタがくれたモノ。
そして、それに加えてカナタは妹のことも思い出させてくれた。
「――あの」
「うん?」
「美味しくなかったですか……?」
「え?」
と、考え事をしていて、手が止まっていたことに気づく。
また箸を伸ばして口に放り込み、不安そうな顔をしているカナタに美味しいと伝える。
カナタは嬉しそうに笑ってくれて――。
「……」
そんなカナタに、僕は目を細める。
本当に、感謝している。
だから、カナタにやっぱりお礼をしたいなと、そう思う。
山ではこれ以上は要らないと言ったけれど、でもそれでは気が済まない。
(……やっぱり、あれかな)
そしてそのお礼について、僕には一つ心当たりがあった。
それは先日カナタに勧めた礼服のことだ。
……なんというか、今更ではあるけれど、やっぱりカナタの服をちゃんと作った方がいい気がしてきた。
元々あのワンピースは女性ものだし、カナタの過去的にも難しいかもとは思っていた。もし使えたらと、そのくらいの気持ちで渡して……でも、やっぱりああいうものは個人に合わせて用意した方がいいように思う。
……いろいろと同一視していた結果だ。
しっかりと反省するべきだった。
だから、今度はそれをカナタに送りたい。そう思う。
(…………しかし、どうやって贈ろうか)
何を送るかが決まったら、次は送り方について悩む。
普通に採寸に誘っても断られると思うし。
……さてどうしようかと考えて。
(――あぁ、そういえば、上手くいけば来年には大学の入学式か)
思いつく。それならスーツが必要なはずだ。
それを贈るのはどうだろうか。お祝いなら受け取ってもらえるかもしれないし。
「……」
そうしよう、と思う。
一年後、カナタと一緒に買いに行ければと。きっと楽しいに違いない。
僕はそんな未来が来るのが楽しみで。
そして、未来を楽しみにできること自体が、何よりも嬉しかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(――今回の件、結果的には成功だよね?)
食後、洗い物も二人で終えて、寝るまでの少しの時間
カナタは部屋でベッドに飛び込み、そしてこの一週間のことを考えた。
カナタはここの一週間で沢山のことを知った。
透のことをいろいろ知って。透本人のことも、ご家族のことも知った。
そして、その過程で趣味がないことも知って、休日に仕事してる惨状も知って、だから何とかできないかと悩んだ。
なんとか以前の趣味を再開してもらおうと思って、頑張って。
そして昨日、二人で山に登った。
透も楽しそうにしていた。笑ってくれていた。
――つまりは、きっと大成功だ。
(……これで、休みの日に仕事はしないよね?)
また山に行こうと約束したし、きっともう大丈夫だと思う。
カナタは安心して、よかったぁ、と思い切り息を吐く。
返しきれないくらいの恩がある人。優しい人。
そんな人が仕事しか休日にすることがないなんて、そんなの見ていられない。悲しすぎるでしょ。
だから、カナタは胸をなでおろす。
やっぱり大成功だ。
……それに、予想外だったけれど、あの登山はカナタにとってもいい効果あったし。
(……いい気分転換になったよね)
なんだかカナタも色々とすっきりしていた。
透に付き合うつもりだったけれど、気づけばカナタも楽しんでいた。景色は綺麗で、風は気持ちよくて、弁当は地上で食べるよりも美味しかった。体を動かしたからか頭が軽くなった。
そうだ。今朝は少し体が痛かったけど、爽快な気分で目が覚めたし。知らず知らずのうちにたまっていた勉強の疲れが抜け落ちた気がしたし。
……それで今日は勉強にもすごく集中できたから。
(また行きたいな)
だからそう思う。そして、なんだか体がうずうずしてくる。
次の約束が楽しみで、いったいどこの山に行くんだろうと考えるくらいには。
(……)
……カナタは、横に転がしていたスマホを手に取る。
そして近場でいい山はないかと調べようとした。
透が知っているのかもしれないけれど、それでも自分で調べたくなることはあるとカナタは思う。
だから、家から日帰りできる距離で、体力差がある二人組。みたいな感じで検索する。どこかよさそうな所があったら透にも言ってみようと――
「――ん?」
一瞬の待機時間があって画面に検索結果が表示される。
そこに書いてあったのは。
「……登山、デート?」
最初に出てきたのはそんな記事だった。
デートに最適な山十選! とか書かれていて……。
……え?
「……でーと?」
デート。一般的に男と女が一緒に遊びに行くこと。
厳密にいうと別の考えもあると思うけれど、基本的にはそうだと思う。
そして、よくよく考えてみると、山に行くのも行楽と言える。
なるほど、そういう目で見るとデートかもしれない。
言われてみるとその通りだけど、その認識がなかったのでカナタは驚いた。
なるほどなるほど、仲のいい男女が一緒に山に登ったらデートになるのか。なるほど。
……なるほど?
「……?」
あれ? ということは。そうカナタは思う。
昨日の、二人での登山は、まさか――。
「――いやいやいや、それはおかしいよ。そうだよ。僕は元男で。女じゃなくて」
仲がいい二人だとは思う。それは間違いない。そうだと透が言わなかったら泣く。
でも、もっと根本的な部分で違いがある。
心は男のはずだ。だからデートじゃない。
……そうでしょ?
「……違うよ?」
カナタは違うような気がする。絶対デートじゃない。
だって理性はそう言っている。合理的に考えてデートじゃないよねって言ってる。
「……」
……言ってるん、だけど。
……なんでだろう。
なんだかとても不思議だけど、胸の一部に違和感がある。
違うと言う度に、何だか胸のあたりが変になる。
でも、デートじゃないはずだったんだ。
そんなつもりはなかった。
ただの気分転換のはずで、透の趣味を再発見するためだった。
それ以上でもそれ以下でもなくて。
もちろん体は女だ。女なんだけど。
それでも元は男なんだ。最近いろいろ悩んでいるけど、考えないようにしていることもあるけど。確かに男だったはずで。
「……うぅーー!!」
訳が分からなくなってきて、カナタはうめく。
モヤモヤする胸が嫌で、苦しくて。何か別のことを考えようと……。
「……そうだ、透さんは」
――そこでカナタは気付く。透はどう思っているんだろうと。
考えてみれば、デートは二人の共通認識が大事だと思う。だから透がデートじゃないと思えばデートじゃない。
そして、きっと透はデートだと思っていない。
だからデートじゃないんだとカナタは――
「…………………………」
何故だろう。そう思うと、カナタの胸は何故だかもっと変になる。
なんだか胸が締め付けられるような気がしてくる。
違うはずなのに、絶対に違うはずなのに。
……でも、なんだか。
胸が、すごく切なくて。
「――あぁぁぁ、もう! モヤモヤする!」
分からなくて、カナタは頭から布団をかぶってジタバタとする。
だってそうしないと、全然落ち着かない。
胸の中にいろんな感情が渦巻いていて――。
「………………困るよぉ」
――その晩、カナタはいつまでたっても眠れなかった。




