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第19話 登山服

「……透さん、ご家族を亡くして趣味をやめたのかな」


 カナタは自分の部屋でぽつりとつぶやく。

 部屋の隅で、膝を抱えながら。なんとなくそうしたい気分だった。


 事故で亡くなったご家族。九年経っても綺麗に掃除された部屋。

 書かれなくなったノート。やめた趣味。空っぽの部屋。


 ――今日分かったこと。

 透のご家族へ思い。……おそらく、透は今も喪ったことを割り切れていないということ。


「……気持ちはわかるよ」


 そして、カナタにはもちろんその気持ちが理解できる。似た境遇だからだ。

 だって突然失うんだ。かくいうカナタだって全然割り切れていない。


 突然落ちてきて、何もかもがなくなった。

 それまでの幸福を失って、一人ぼっちになって。それを受け入れることが簡単なわけがない。


 ……今でも昔のことを夢に見る。

 幸せな夢を見て、起きた後に泣くことがある。


 かつての家。笑いかけてくれる皆の姿。暖かな食卓を囲む。そんな夢。

 だから、目が覚めた後はいつも胸に穴が開いたような気持ちになる。


 幸福と、現実の落差。

 もう家族がいないことを何度も何度も理解する。


 辛くて、すぐに透に会いたくなって、話がしたくなって。

 ……目が覚めたのが朝ならすぐに会いに行ける。笑いかけてもらえる。でも深夜なら、迷惑だからと布団の中で(うずくま)る。


 夜は深くて、朝は遠くて。

 頭から布団をかぶって、ただただ時が経つのを待つ。

 

「……寂しいよね」


 今のカナタが何とか頑張れるのは、泣いているカナタに手を差し伸ばしてくれる人がいたからだ。透がいてくれたから。本当ならきっと立ち上がれなかった。


「……」


 だから、カナタは透の気持ちを理解できる

 自らも大切なモノをたくさん失ってきたから、過去に捕らわれてしまう人の気持ちがわかる。


 割り切れなくて、前に進めなくなる気持ちもよくわかっていて。


「……………………」


 ……でも。

 わかるけれど。


「……それでも」


 カナタは、思う。


「……これでいいのかなぁ」


 カナタは透の部屋を思い出す。

 空っぽの部屋。寂しくなるくらい何もなかった。


 趣味を捨てて、押し入れに詰め込んで。

 これで本当にいいんだろうか?


 透は優しい人で、カナタはそれに救われていて。

 それなのに、透は救われていない。今も苦しんでいる。


 ……それが、カナタは悲しくて。


「……なにか、ないかな」


 だから、自分にできることはないだろうかとカナタは思う。

 もっと透に趣味とか、そういうのを持ってほしくて。そのために何かできないかと。


「……大きなお世話だとは、思うけど」


 透はきっとそんなこと求めていない。

 ……でも、カナタは透が心配だった。


 だって、カナタが知る限り本当に透には趣味がない。

 部屋にパソコンがあっても、別に動画とか見てるわけじゃないらしいし。以前カナタが透に話題を振ったら動画はあまり見ないと言っていた。


 というか、先週の日曜日、夕飯でカナタが『今日は何してたんですか』なんて聞いたら『仕事の準備をちょっと』とか言っていた。それにカナタは少し引きつつ、もしかして何かトラブルでもあったのかなとか思ってたけれど……。


「……まさか、毎週それじゃないよね……?」


 さすがにないと思いたいけど、疑わしくなってくる。

 もしそうなら悲しすぎる。そんなに忙しい仕事なんだろうか。いやでも、毎日早めに帰ってくるし……。


 ……なんで仕事してるの? 休日だよ?


「……あれで本当にいいのかなぁ……?」


 考えれば考えるほど、なんだか辛くなってきて。

 だから、カナタは少し泣きそうになりながら、頭を抱えた。


 

 ◆



 そして、翌日がやってくる。

 日曜日。その昼下がり。カナタは透について悩みながらも、しかし朝から勉強に励んでいた。勉強は大事。手は抜けない。


「……?」


 そんなとき、ふとカナタは大きなものを動かすような音が聞こえた気がした。

 なんとなく気になって、部屋から顔を出す。見ると、物置部屋の扉が開いているようだった。


「……透さん?」

「うん? カナタ?」


 近づいて中をのぞくと透がいる。

 何をしているんだろうと不思議に思って。


「……なにしてるんです?」

「ん、ああ、ちょっと片付けをしようと思ってね」


 昨日見て回った時に気になったんだ、と透は言う。

 手元では何かを整理していて――。


「――え、それ、登山の」

「もういらないからね」


 透が片付けようとしているのは、あの登山用のリュックサックと、写真やノートが詰まっていた段ボールだった。


「……す、捨てるんですか?」

「? ああ、そうだね」


 透は写真を手元でまとめている。

 横にはまとめるための紐やごみ袋があって、もう今にも捨てそうで。


 ……でも、それは。


「……えっと、その」

「……カナタ?」


 カナタはちょっと待って欲しいと思う。

 だって、カナタは透に趣味を持ってほしいと思っている。もっと人生を楽しんでほしい。少なくとも休日に仕事は止めてほしいと。


 それなのに、今の透は過去のものとはいえ趣味を捨てようとしている。

 ……カナタには、本当にそれでいいのか分からなくて。


「……」


 でも、カナタはなんと透に言えばいいか分からない。

 九年以上も前の道具だ。捨てるのは透の勝手で、カナタが口出しすることじゃない。


 ……ない、けれど。


「……その」

「……?」


 透が不思議そうにカナタを見ている。

 カナタは悩んで、困って。


「その、ちょっと……えっと」

「……??」


 言葉を濁すと、透は軽く首を傾げる。

 カナタは何も言えず、しかし何もしないのもダメな気がした。


「……その、昨日の服とか、少し見てもいいですか?」

「服? もちろんいいよ」


 とりあえず適当な言い訳をして、部屋に残る理由を作る。

 そして、昨日のタンスの前に屈みこんで、ちらちらと透の方を見た。


「……」


 透は特に思うこともなさそうに作業を続けている。

 いつのまにか透は段ボールを整理し終わって、次にリュックサックの中の器具の整理を始めている。


 テントや寝袋を出し、用意していた粗大ごみの用のシールを貼っている。

 そして次の回収日は四日後か、なんて言っていた。

 

 カナタはそんな透を何とも言えない気持ちで見つつ、言い訳の通りに箪笥を開けて服の箱を取り出そうとする。


 ――と、そのときだった。


「――あれ?」


 箱が何かに引っかかる。

 箪笥の奥。そこに何かが入っているようで、箱の留め紐と絡まっていた。


 カナタは箪笥の奥に手を突っ込んで、その何かを取り出す。

 箪笥の奥。そこに丸まるようにして入っていたのは……。


「……服?」


 それは、昨日の礼服とはまた違う服だった。

 新しくて、ビニールの包装に包まれている。タグも残っていた。絡まっていたのはそのタグだ。

 

 商品名は――登山服?

 

「……」


 サイズは小さい。カナタと同じサイズ。

 つまり、この服は――。


「――カナタ? なにかあったのか?」


 後ろから透の声が聞こえてくる。足音も。

 

「透さん、実はこれを見つけて……」

「……?」

 

 カナタは透に登山服を差し出す。

 透はそれに最初、不思議そうな顔をして。


「……こんなのがあったのか」


 見たことがない、という顔でカナタから、受け取る。

 服を両手で持って。タグのあたりに目を走らせて……。


「………………え?」


 ……透は呆然とする。

 そのまま、少しの沈黙があった。


 驚いた顔。呆然と服を見つめている。

 ……カナタは何でそんなに驚いているのか分からなくて。


「……登山、服」


 ポツリ、と。透が呟く。

 その単語が、何よりも重要だというように。


「……」

「……透さん?」


 透の顔が歪む。カナタにはそう見えた。

 しかし、透がすぐに顔を伏せたので見えなくなって。


「……そうか。…………そうか」


 俯いたまま、透が何度か繰り返す。


 優しげな手つきで服を撫でていて。

 そして、透は少し(かす)れた声で語り始めた。


 それは、亡くなった妹さんの話だった。


「……あの子、山なんて何がいいのか分からない、なんて言ってたんだ」

「……はい」

「いつも、サークルを辞めて早く家に帰って来いと言っていた」


 年が離れていて、懐いてくれていたと。

 透も可愛がっていたと。

 でもサークルに入ってからあまり会えなくなって、そんな透にいつも苦情を言っていたと。


 喧嘩をしたこともあった、と。

 山なんか嫌いだと言っていたと。

 山の話をする度に不機嫌になっていたと。


 ……そう、懐かしむように透は言った。


「……」


 ……そして、それを聞いたから、思う。

 そんな子が登山服を買うのなら、それは。


「……あの子、僕の趣味に付き合ってくれるつもりだったのかな」


 きっと、そうなのだろうとカナタも思った。

 兄と一緒に山に登りたくて買ったのだと。


「ありがとう。……ごめんな」


 ……透が服に手を当てて呟く。

 その声はすごく寂しそうで、少しかすれていて――。


「……僕も、一緒に山に行きたかったよ」


 ――でも、同じくらいに嬉しそうな。

 そんな声で、静かに透は服に語りかけた。


「……」


 そして、透は顔を上げてカナタを見る。

 目は少し赤くて、でも微笑んでいて。


「――ありがとう、カナタ。これを見つけてくれて」


 その笑顔に、カナタはいつもより少し幼く感じるような。

 そんな朗らかさを、感じたんだ。


 



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