第18話 登山計画書
「――どうですか?」
「可愛いよ」
「……へ?」
目の前で服を当てているカナタに、僕はつい本音の感想を言う。
カナタの顔が最初にぽかんとして、次にだんだんと赤くなっていった。
……その姿に、先日の性別の差のことを考えると少し感想を間違えたかもと思いつつ、しかし、それ以外の感想はないようにも思う。
――懐かしい服。十年近く前の、妹の記憶を思い出す。
元々は、結婚式用に用意されたものだった。少し遠い親戚が式を挙げることになった時の服だ。
母は制服でいいと言って、妹は初めて出席する結婚式なのにそれじゃ嫌だと喧嘩になったと聞いている。当時は僕は家にいなかったので詳しくは知らないけれど、深夜に僕のスマホに電話がかかってきて妹の愚痴を聞かされた。説得を手伝ってくれ、とも言われて。
それで結局僕も少し手伝って、母が折れて買うことになった。
その服の写真を送ってきて、しかし、まだ着てはいないと。……僕が家に帰ってきたら、みんなの前で着るのだと。そう言っていた。
……でも、その前にあの子は。
「……あ、ありがとうございます」
顔を背けて、小さく呟いているカナタ。その姿に、かつての影を見る。
あの子が着ていたら、こんな感じだったのだろうか。
「……」
なんとなく、カナタから目を逸らす。
どういうわけか、見ていられなかった。
視線を物置の中で彷徨わせて。
「……ん」
――そして、一か所で止まる。
それはさっき服を引っかけた登山用のバックパックだった。
(……あれも、処分した方がいいよな)
登山サークル。僕が大学時代にのめり込んでいたもの。
懐かしい、友人たちとの記憶。
……僕が長期休暇になっても実家にあまり帰ってこなかった理由。
あの日、家族全員が事故に巻き込まれてしまった、その遠因。
……だから、辞めた。
(サークルが、山が悪いわけじゃないけれど)
でも、どうしても、あの写真や道具を見ていると後悔ばかりが湧いてくる。
過去の自分が許せなくて、家に帰ってきた日からずっと物置に詰め込まれたままだ。
「……っ」
本当は何度か、捨てようと思った。
しかし、登山用の器具はともかく、写真や記録は個人情報も多く入っている。気軽に捨てられるものではなくて、長い間そのままになっていた。
面倒だったからだ。手間がかかる。
どうしてもやる気が起きない。
……だから、まだ捨てていない。
「……」
……でも、そろそろ片付けた方がいいんだろう。透はそう思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――カナタは考える。
気にしてはいけないと。
何のことかといえば、それは当然可愛いと言われたことだ。
そして自分はどうして可愛いと褒められてお礼を言ってしまったのか。
それらについて深く考えると大変なことになるとカナタは思う。
きっとそうだ。間違いない。だからやめよう。
「気にしない気にしない……」
なので、意味もなく呟きながら物置部屋を歩く。
あれから少しの時間が経った。カナタは一人で物置小屋にいる。中に何があるのかもう少し見てみたい、と透にお願いした結果だ。
なお、透は台所で昼食の準備をしている。家の食事当番は交代制で、休日は主に透、平日はカナタが多かった。
(……まあ、それはいいとして、ご家族の件は)
気を取り直して、思う。今日の最初の目的。
透と、その家族のことを知りたいとカナタは思った。そのために透にお願いした訳だけど。
(……あの二部屋には、触らないほうがいいかな)
ご両親と、妹さんの部屋。不自然にも感じるほど綺麗だった。
きっとこまめに掃除している。思い入れも深そうだ。……下手に触れると、透も本気で嫌がるかもしれない。
――カナタは、透に嫌がらせしたいわけじゃない。
怒られるのも嫌だし、嫌われるのは当然もっと嫌だ。
なので、今後は基本的に近づかないことにして――。
「――でも、こっちはどうだろう……?」
次に、カナタは物置の隅を見る。そこには透の登山道具が置かれている。
さっきはちらりとしか見えなかったモノ。カナタが初めて見た、透の趣味。
(どうやら、今は登山はしていないみたいだけど)
ちょっと透のことを知れてカナタは嬉しくなる。
そうそう、こういうのが知りたかったんだよねと。
そして、少しもったいないよねとも思う。
写真の透はすごく楽しそうにしていたのに。社会人になって時間が減ったからと透は言っていたけれど。
「……それにしても、サークルかぁ」
大学のサークル活動。夢のある言葉だった。
少なくとも大学を目指して必死に勉強しているカナタからするとそうだ。なんだかすごく楽しそうな写真だったし。いいなって思う。
カナタもそんなキャンパスライフを送りたい。
透に恩を返すのと同時並行でやっていこうと考える。
(…………でも、そういえば、ちょっと変な雰囲気だったよね)
しかしそこで、透が荒い手つきで写真をダンボールに押し込んでいたのを思い出す。あんな姿初めて見たのでカナタはびっくりした。なにかあったんだろうか。
「……」
……うーん、とカナタは思う。
もしかして、こっちも調べるのは止めておいた方がいいだろうか?
どうしようか悩む。
あの写真、気になるんだけどなぁ、と。
(……友達に囲まれてたよね。たくさん人がいた。男女混合のサークルみたいで、きれいな女の人とかも映って……いて………………?)
……うん? ……え?
きれいな、おんなのひと?
「………………………………」
……あれ? とカナタは思う。
なんだか、すごく胸がざわざわしてくる。
カナタはすごく写真が気になってきて、見たときの記憶を思い出そうとする。
何人かの女性たち。透と距離が近いわけではなかった気もする。透の周りには男性が多かったような。そうに違いない。そうだった。
「……うん」
……そう思う。
そう思う、んだけど。もう一度確認したいような。
「……」
しかし、一方で頭の中のカナタが止めておいた方がいいのではないかと言っている。だって、あの少し乱暴な手つきだ。
……でも胸が落ち着かなくて、苦しくて。
なんだかちょっと泣きそうで――。
「……うぅ、ごめんなさい」
――カナタは、どうしても我慢できなかった。
◆
そして、カナタは段ボールの蓋を開ける。
中の写真を手に取って、一枚一枚めくりだした。
「………………」
そこには透の写真がある。
笑っていて、楽しそうな、そんな姿。
男友達と肩を組んだり、きれいな景色の前でピースしてたり。
一緒にテントを立てたり、寝袋に入っていたり。そんな写真。
今の落ち着いた透じゃない。若くて、少し子供っぽい姿。
そんな、大学時代の透を見て、カナタは。
「……特定の女はいなさそう」
そう呟いた。極端に距離の近い女はいないな、と思う。
サークル内は三割くらいが女性のようだが、透はどちらかというといつも男性の中心あたりに立っている。
……付き合ってたら、ペアで写ってる写真もあるよね?
「……ふぅ」
カナタは安堵の息を吐いて……。
――あれ? ……安堵?
……ここでボクが安心するのって、なんかおかしくない?
そこで、今更ながら気づく。すごく今更だけど、正気に戻る。
だって別に透に彼女がいても、カナタには関係ないはずだ。
カナタは元は男だったはずで、まだ心は女にはなっていない。
そのはずだ。そのはずなんだけど――。
「……だめ」
――だめだ、これは考えちゃいけない。
かなたはそう思った。
「…………………………違うよ?」
だからまた、カナタは、むりやり気にしないことにする。
目を背ける。いろんなものが崩れてしまうから。
――そうでなければ、いけない。
カナタは頭を振って、手元の段ボールに無理やり意識を戻す。
一通り取り出した写真の下。そこには一冊のノートがあった。
「……登山記録書?」
なんとなく手に取って、ぱらぱらと中を見る。
「登山計画にルート……あと持ち物とか?」
これまで透がどんな山に登ったのか。沢山の計画が書かれていた。
どんなルートを使ったのか。日程は何日か。そんなことが書いてある。
几帳面にノートに記入した日付まであって、透らしいなとカナタは思った。
ノートの中には色々な計画が綴られていて――。
(………………あれ、でも最後)
色々と書かれている、その一番最後。
その計画だけは、途中で記述が途切れていた。
九年前の、夏。
盆の少し前に、突然途切れている。
なぜだろうと考えて。
……九年前?
(………………まさか?)
思い出す。今日の最初の目的。透の家族。
そういえば以前。亡くなったのは十年くらい前だと言っていたような。
「……」
カナタは、取り出したノートと写真を元に戻す。
そして、物置から出て、自分の部屋に帰って。
「……九年前の、この町」
計画票の記載が無くなった後の数日をスマホで調べる。
もしかしたらと思い――。
「……あった」
――九年前にこの町で起きた事故。
三人が亡くなった経緯が、そこに書かれていた。




