第17話 家の中
――知りたい。カナタはそう思う。
透の家族のことを知りたい。透のことを知りたいと。
でも、勉強には手を抜けない。平日は頑張って勉強しなければならない。それをサボったら透に顔向けが出来なくなる。
なので、カナタが行動に移したのは休日の朝だった。
「……よし!」
朝食が終わった後の時間。
リビングから部屋に戻った透を、少し遅れて追いかける形でカナタは移動する。そして透の部屋の前に立って。
「あの、透さん、ちょっといいでしょうか」
「……ん? カナタ?」
扉をノックをして、透を呼ぶ。
すると透が中から顔を出す。
「なにかな?」
「……その、ですね。実はちょっと家の中を見て回りたくて」
「……家の中?」
それとなく透に話を振る。カナタは家族のことが知りたくて、でもいきなり透に直接問いかけるのは気が引けた。だって、ことは不幸に関することだ。
なので、カナタはまず調べられる範囲を自分で調べてみようと思った。
透に許可を取って、家の中を見て回って。
そうやって調べようとカナタは思う。
……なお、わざわざ許可を取るのは後で透を怒らせたくないからで、本気で触れて欲しくなさそうなら引こうとカナタは思っていた。
「その、そろそろこの家に来て二週間経ちますが、まだよく知らない部屋がありまして」
「……ん、ああ、そうか。そうだろうね」
家の中に、知らない部屋が二つある。おそらくはご家族の部屋だ。
透はたまに出入りしているけれど、カナタは近づいたことがない。そんな部屋。
「…………うーん、そうだね」
「……」
「…………」
透は少し思案顔で遠くを見る。
そのまま少しの無言の時間があって。
……これはもしかして、ダメな奴だろうか。
カナタは段々不安になってくる。
「……いいよ。じゃあ一緒に見て回ろうか」
「え? 透さんも付き合ってくれるんですか?」
「ああ、せっかくだし説明しながら回ったほうが良いだろう?」
古いけれど、田舎の家だから面積は広いからねと透が言う。
押入れとか納屋とかについても説明しておきたいし、と。
……納屋。そういえば庭に小さい小屋みたいなのがあったな、とカナタは思う。
「ちょっと待ってて。パソコンを落とすから」
「あ、はい」
透が部屋の中に戻る。
カナタはそんな透の背中を視線で追いかけて。
「……透さんの部屋。物が少ないですね」
「そうかな?」
部屋の中を見る。そこにはベッドとパソコン。そして机と椅子だけがあった。
他には何もない。フローリングの敷かれた床はがらんとしていて、小物もなければ棚のような物もなかった。
「……趣味のものとかないんですか?」
「趣味はあまりないかな。社会人だからね。忙しく働いていると、趣味に使う時間もなくなっていく。そういうものさ」
……そういうものなんだろうか? とカナタは思う。
カナタはまだ社会に出たことが無いので否定は出来ない。しかし、落ちてくる前の父親を思い出す限り、それなりに趣味もあったような。釣りとか。
「じゃあ行こうか」
「……あ、はい」
促されて、部屋から離れる。
カナタは扉が閉まる直前に、もう一度見た部屋の中を見て――。
「――」
そこはなんだか、寂しく見えた。
◆
透に連れられて、カナタは家の中を歩く。
それまでの生活で使っていなかった場所を中心に見ていった。
まず外だからと庭の納屋へと足を向けた。そして、中に入っている庭の手入れの道具を見る。試しに使ってみて、今度一緒に手入れを手伝わせてくださいという話をしてみる。するとそれに透は忙しいんだから無理はしなくていいと言って、しかし、勉強ばかりだと息が詰まるので是非、とカナタがお願いして――。
「――じゃあ、時間に余裕があったらね」
「はい!」
しばらくの問答の後、そういうことになる。
そして話が終わって、家の中に戻って。
今度は普段使っていない部屋へと向かい――。
「――ここが、両親の寝室だったんだ。今は使ってない。整理するべきだとは思っているんだけど、やっぱり手間がかかるしね。部屋は余ってるからそのままにしてるんだ」
「そうなんですか?」
次に、あっさりと目的の場所に案内される。
カナタが一度も入ったことのない部屋。
ご両親の部屋、その次には妹さんの部屋にも入る。
二つの部屋に足を踏み入れて、中を見た。
「……」
両方とも、さっき見た透の部屋とは雰囲気が違った。そう思う。
先に入ったご両親の部屋には写真が飾られていて、遺影で見た三人と透が笑っていた。壁には旅行先で買ったんだろうか。ペナントのようなものも飾られていた。
妹さんの部屋には、年頃の女の子らしい小物が多く置かれていて、全体の色も明るい。机の横には学校の鞄が置かれている。入り口横の棚には小さなクマのぬいぐるみが置かれていた。
「今の二部屋にはあまり入ることもないと思う。ずっと使ってないから、少し汚れているしね」
「……はい」
透はそう言って、踵を返す。
そして、次は物置に使ってる部屋だと歩き出す透に、カナタは後ろをついていく。
「……」
……部屋を出る直前。
最後にもう一度だけカナタは妹さんの部屋を見た。
物は多くて、でも整理された部屋。
空気は普通で、深呼吸も出来そう。
「……」
なんとなく、カナタは思う。
さっきの透の言葉は嘘だった。
部屋は汚れていないし、埃もない。棚も、ぬいぐるみも、それ以外も。
……だからきっと。
透が小まめに掃除をしているんだろうと。そう思った。
◆
「――ここが、物置に使っている部屋だね」
そして次の部屋に入ると、カナタを少し埃っぽい空気が出迎えてくれた。
中には多くのものあって、整理はされているけれど圧迫感がある。この部屋はカナタも何度か足を踏み入れていて、使ってない家具を自分の部屋に運び込んだりしていた。
……つまりは、普通の使ってない部屋だ。
「この部屋には古い家具と、あと季節外れの電化製品とか服とか。そういう物が保管されている。夏が来たらここにある扇風機を使うから――おっと」
「あ……」
透が部屋の一角に置かれた段ボールを軽く触って――そんなとき、横に置かれていた荷物がグラリと揺れる。
大きなリュックサックと、その横にあった段ボールがバランスを崩して倒れ込む。中に入っていたものが床に散らばって。
「……しまったな。服が引っかかった」
「手伝います」
透が屈みこみ、床に散らばったものを集める。
カナタもその横で手を伸ばして――。
「――あれ、この写真……写ってるの透さんですか?」
たまたま手に取った一枚に、透が映っていた。
今より若い外見の透が写真の中にいる。楽しそうに笑っていて、横には友人らしき人もいて――全員、なんだか厚着をして重装備だ。そして後ろには大きな山も見えた。
「……ああ、大学時代の写真だね。…………昔は登山サークルに入ってたんだ」
「そうなんですか? 楽しそうですね」
見た感じだと、結構本格的なサークルっぽい。
他の写真にはテントや寝袋が写っているものもあって――。
「――昔の話だよ」
「あっ」
透の手が横から伸びてきて、カナタの手元から写真を持って行く。
そして少し乱暴な手つきで段ボールに詰め込んだ。他の写真も一緒に。
……カナタは、その様子に驚いて。
透は、目を見開いて自分を見ているカナタにバツの悪そうな顔をした。
少しの沈黙の時間。段ボールの中に紙を押し込む音だけが部屋に響いている。
「……」
「……」
そして、段ボールを元の場所に戻した後。
透はわざとらしく咳払いをする。
「……ああ、そうだ。そういえばカナタに見せたいものがあったんだ」
「……?」
「もし使えたら、くらいの話なんだけどね。やっぱりカナタも色々あるだろうし、難しいとは思うんだけど。でもいざという時には使えるかなと」
と、そう言いながら透が部屋の隅のタンスへ移動して、中から一つの箱を取り出す。
そしてその箱を開けた。
……さっきの事を誤魔化そうとしているのは分かるけれど、カナタもそれに乗っかることにして。
「……これ、服ですか?」
「ああ。君、少し前にフォーマルな場で着れる服が無いとか言ってただろう? その時これを思い出したんだ」
中には、一着の服が入っている。
落ち着いた色の服。手に取って広げて見ると、ワンピースだった。デザインもそれ用のものに見える。
サイズも……多分、カナタと同じくらいじゃないだろうか。
「どうしたんですか、これ」
当然の疑問。カナタは透を見る。
透は少し懐かしそうに服を見ていた。
「実は、妹のものでね。でもおそらく、一度も袖を通していないんだ」
……妹さんの。
でもそれは。
「……いいんですか?」
「ああ、もちろん」
カナタは問いかける。色んな意味を込めて。さっきの部屋の様子を知ったから。
……しかし透はあっさりと頷いた。
「……そうですか」
だからカナタは、それならまあ、と思う。
遺影の妹さんの物にしては、大人でもいけそうなデザインだなと広げた服を見て。
綺麗な服だ。しっかりとした布地。黄ばみとかもない。
まあ着ていないのなら、そういうものかもしれないけれど。高そうな箱に入ってたし。
「……」
――でもこれ、当然だけどスカートだよね。
カナタは服を見て思う。ワンピースだから当たり前だ。
なので当然、やはり抵抗がある。すごくある。カナタはスカートは履いたことが無い。抵抗がありすぎる。男女差。性差の葛藤。まだそこまで認められてない。抵抗がすごい。ありすぎて普段なら絶対に着ない。
……しかし。
――そうは言っても、こういうのって高いんだよねぇ……。
思う。やはり生きていると、突然こういう服が必要になる場面はある。ほんの少し前までなら制服で良かった。でも今はもう卒業している。今のカナタが着たらコスプレだ。高校を出たら、自分の着る物は自分で用意しなければならない。
……そして、今のカナタには金がない。
少なくとも、スーツ屋で用意する金はなかった。
なので、カナタは現実を見て、財布の中身を考えて、そしてしばらく悩んで……。
「……ありがとうございます。機会があれば、使わせてもらいますね」
「ああ」
葛藤の末に、カナタはそう言った。
まあ、こういうのを着る機会なんてそうそう来ないし、と思ったのもある。
「……」
一応、サイズも見とこうかなと思って、体の前に当てる。
なんか合いそうな気がする。試着する気にはなれないので、大体だ。
そして、ついでに透にも見てもらおうと、カナタはそちらを向いて――。
「――どうですか?」
「可愛いよ」
「……へ?」
――可愛い?
予想外の言葉にカナタは固まる。
そうじゃない。カナタはサイズを見て欲しくて。
似合ってるかは関係なくて、可愛いとか言われても困って。
元は男だし。葛藤もあるし。ああ、でも――。
「……えっと、その」
――なんだか、嫌ではなくて。一応褒めてもらったわけで。
それにすごく不思議だけど、妙に顔が熱くて。胸の辺りも熱くて、それは先日悩んでいた場所にすごく近い気がして。
「………………あ、ありがとう、ございます」
だからカナタは目を逸らしながら、ついお礼を言ったんだ。




