第16話 知りたい
――宮代カナタは困っていた。
何かというと、あの日に気付いてしまったことだ。
『……なんで、透さんだけ?』
――透と他の男の違い。抱いていた羞恥心。
なんだかズレている気がしていた。
……それはカナタがそれまで抱いていた認識とは違うものだ。
あの恥ずかしさはもしかしたら……男と女の差ではなかったのではと。そんなことを考えてしまうような。そんなズレ。
『……』
だからそれに気づいてから、カナタは困っている。
恥ずかしいとかではなく、困っている。
それはまだ考えてはいけない気がして。
今のカナタには向き合うのが早すぎる気がして。
……だってそこには、羞恥心なんかよりよっぽど重い何かがあるような――。
『――慣れるのは、少しずつって言われたし』
同郷の人の言葉。
まだこの体になって四カ月と少しだ。
まだ、きっと早い。そう思った。
だからカナタは、その感情から目を逸らして――。
◆
「――でも、あのときはやっぱりびっくりしたよね」
自分の部屋。そのベッドの上でカナタは呟く。
ちょっとした勉強の休憩中。ゴロゴロと寝ころびながら、慣れた様子でだらけている。
――カナタが透の家に来て、そろそろ二週間くらい。
カナタはそろそろ生活にも慣れてきて、肩からも力が抜けてきた。
どれくらい力が抜けたかと言うと、ちょっとだらしない恰好でぶつぶつと独り言を呟いているくらい。
「透さん、いきなり――その、君がいてくれてうれしい、とかそういうこと言うから」
カナタが浮かべているのは一週間前の言葉だ。
カナタを許してくれた言葉。
『カナタ、僕は君のことを知りたい』
カナタのことを、教えてくれと言った。
話をしようと言ってくれた。
そして、許してくれた。
訳が分からなくなるくらい嬉しかった。
嬉しくて嬉しくて。この一週間ずっと頭の片隅にあった言葉。
何度も頭の中で回想した、大切な記憶で。
「……でも、やっぱりちょっと不思議だよね」
……しかし、何度も思い出したからこそ。
カナタは一つ、不思議に思ったことがある。
それは――。
「ボクが来る前の透さん、どんな生活してたんだろう……?」
透の言葉。家に音がなかったとか、変化がないとか。時間が止まってたとか。
まあ、そんなことを言っていた。
「あれ、改めて考えると結構すごいことを言ってるよね」
いやいや、以前のこの家ってどんな状態だったの? と思う。
どれだけ寂しい暮らしだったんだと。そんな感じだ。
……だから、カナタは自分が来る前の透のことがなんだか気になっていて。
「……でも、考えてみればボクって透さんのことあんまり知らないなぁ」
思う。今更ながらの疑問だった。
色々世話になっておいて不義理な気もするけれど、今までのカナタは自分のことでいっぱいいっぱいだったから。
それに、透はあんまり自分のことを話したりする性格じゃない。饒舌な方でもないし、話しかけるのはいつもカナタの方だ。
普段から落ち着いているし。
大人って感じで、寂しそうな雰囲気はなかったし。
だから、突然あんな風な――君がいてよかったとか言われてカナタはびっくりした訳で。嬉しかったけど。
「……うーん」
――どうなんだろう?
とりあえずカナタは自分が知っている透のことについて考えて。
「………………多分、不幸があったんだよね」
まず最初に思い浮かんだのがそれだった。
朝、仏壇に手を合わせて祈っている姿。
ご家族を喪ったんだろうということはカナタも知っている。
ご両親と、妹さん。おそらく家族全員が亡くなったんだと。それは透が少しだけ零していた言葉や、仏壇の遺影に、食器の数。閉め切られた部屋とかを見て予想は出来た。
毎日必ず祈っているので、仲が良かったんだろうな、とか、情が深い人なんだな、とかカナタは思っていたけれど。
……もしかしたら、それが寂しい理由だろうか?
「……家族がいないと、寂しいよね」
それはカナタも理解できる。
喪う悲しみも、一人ぼっちの寂しさも。
「……」
足りなくなるんだ。欠落が出来る。
ぽっかりと開いている穴が。
己の中にいた大切な人がいなくなると、そうなる。
心の中で自分を満たしてくれていた誰か。その人がいなくなるとそこに空いた隙間は深い深い穴になる。
だから、もしかしたら透も同じで――。
「――いや、まあ。とは言っても全部想像なんだけど」
――そこまで考えを巡らせて。
今さっき考えていたこと、その全てに、『多分』とか『おそらく』とか『きっと』とかそういう言葉が付いているなと思う。
なにせカナタはご家族が亡くなった理由すら知らない。
つまり今まで考えたことには確証がなくて、全部ただの予想でしかなかった。
「……知りたいな」
……わからない。全くわからなかった。
だからこそ、カナタは知りたいなと思う。
それは別に事故のことだけじゃなくてもいい。もっと他のことでもいい。
透について何でも知りたいと――。
「……趣味、とか」
――気になってくる。
真面目じゃなくて、雑多なことも。
以前のあの人はどんな人だったのか、とか。
ご家族や、友人についてとか。
学生時代や、今の仕事についてとか。
「……むむむ」
知りたい。すごく。
どうなんだろうと、カナタは首を捻る。
疑問はどんどん増える。透とは。
連想ゲームみたいに知りたいことが増えていって――。
「――」
――そして、つい。
そのうちに、ああ、そうだ。恋人とかはどうなんだろう。いたのかな、なんて。
カナタはそう考えて――。
「――ぁ」
――ズクリ、と胸が痛む。唐突に。
ズキズキ、ズキズキと。痛みが広がっていく。
……彼女。恋人。
それを思うと、なぜだか苦しくなってくる。
「……」
痛くて、嫌で。
でも、なぜだか考えるのを止められなくて。
だから思う。よく分からないうちに考える。
頭の中で一人のカナタが言う。恋人、多分いたんだろうなと。
だって透さんはいい人だし。雰囲気も良いし、と。
理性に近い場所がそう言っている。それはもしかしたらかつての自分の姿をしているかもしれない。男子高校生。透と同じ性別。
尊敬できる人には恋人がいて当然と思っている。そんな考え。
「……ぁ、ぅ」
でも、そう思う一方で。
カナタの中に、それをすごく否定したい自分もいる。
――だって、すごく胸が痛い。
苦しくて、悲しくなってくる。
それはもしかしたら、向き合うにはまだ早いと投げ捨てた場所かもしれない。透と他の男の違い。羞恥心と何かの感情。男と女の差。重い感情。
……身体の――。
「――!!」
――思考を無理やり投げ捨てる。
ダメな気がする。ダメだ。これは考えてはいけない。
「……違うよ」
だから、違うことを考える。
もっと別の。そうだ。
「――ボクは、透さんのご家族が知りたい」
透の大切な人。あの仏壇で笑っている人達。
間違っても、親しかった他人のことじゃなく。
――透の家族のことを知りたいと。そうカナタは思った。




