第13話 過去と今
――なぜ僕が目を覚ましたのかと言うと、音がしたからだった。
水の流れる音。そこまで大きくはなかったけれど、ふと目が覚めた。
「……喉、乾いたな」
なにか飲みたくなって起き上がる。
台所へ向かって。お茶を飲んで。
「……」
飲み終わった後のコップを洗い、部屋に戻る途中、なんとなく風呂場の方を見る。シャワーの音。あの子が入っているんだろうと思った。
「今は……」
時計を見ると、深夜の二時。ずいぶん遅い時間だ。
なんでこんな時間に? ……少し考えて。
「……まさか。今まで勉強をしてたのか?」
もしかして、と思う。頑張って勉強していたし、その可能性はあると思った。
……しかしそれは、いくらなんでも根を詰めすぎな気がして。
(……もしそうなら止めないと)
さすがに頑張りすぎだと思った。時間がいくらあっても足りないとは聞いているけれど、まだ四月だ。本番まであと十カ月以上ある。今からその調子じゃ体を壊してしまうだろう。
……いや、まあ、別の理由の可能性もあるんだけど。ただ寝汗をかいただけとかかもしれないし。
(なんにせよ、とりあえず明日話してみるか)
そう思う。そして踵を返して部屋に戻ろうとして。
――背後から扉の音。
いつの間にか風呂から上がっていたようだ。
僕は振り向いて、軽く挨拶をしようと――。
「……え?」
「――!?!??」
――そこにはタオル一枚のカナタがいた。
◆
「……やってしまった」
僕は部屋で一人、頭を抱える。やらかした。
まさかあんな姿で出てくるとは。驚きすぎて目を逸らすのも遅れてしまった。
――あの後、あの子は声にならない悲鳴を上げて風呂場へ駆け込んだ。
そしてあの子に扉越しに服を忘れたと説明されて、部屋に戻らないと服がないことが分かった。だから僕はこれ以上見ないために慌てて部屋に戻って。
……そして、今はただ反省しているところだ。
「……もう少し気をつけるべきだった」
後悔する。失敗だった。
まさか裸で出てくるとは。普段はちゃんと服を着て出てくるから油断していた。
いやいや、流石に予測は出来ないだろう、という気もするけれど、そうではなく、こんな状況にならないよう準備をしておくべきだった。
共同生活。始まったばかりで、お互い不慣れな状況。
風呂場やトイレの問題。漫画で良く見るような展開だ。
……予想できるからこそ、ルールを決めておくとか、手を打つ必要があった。
僕が年長者であり、家の責任者である以上、僕の怠慢に違いは無いだろう。
「……申し訳ないな」
今回は僕のミスだ。だから、とりあえず謝らなければと思う。
頭を下げて、再発防止のために話し合って、今後について――。
――扉から、ノックの音。
「……その、透さん、起きてますか?」
「あ、ああ、起きている。今開けるよ」
カナタの声。慌てて立ち上がって、扉を開ける。
するとそこにはちゃんと服を着て、頬を赤らめたカナタの姿があって。
「すまない、カナタ。この度は大変申し訳ないことをしてしまった」
「あの……ふぇ……えぇぇ!?」
頭を深く下げて謝ると、頭の上からそんな声が降ってきた。
◆
「あ、頭を上げてください! 謝らなくていいですから!」
「いや、そういう訳には」
「というか、そもそも謝るのはボクの方です! あ、あんな……その……あんな格好で、廊下に出たボクが悪くて……」
「……いいや、僕の責任だ」
僕が頭を下げると、カナタも頭を下げる。
お互いに謝りあって、彼女は自分のせいだと言って……しかし、僕にも大人として、彼女の身を引き受けたものとしての責任がある。カナタの言葉に甘える訳には――。
「――そ、それに、ボク、男ですから!」
「……なに?」
言葉に、頭を上げる。
カナタは顔を真っ赤にして、引きつった笑みを浮かべている。
「……わ、忘れましたか? ボク、元は男ですよ?」
「……それは、覚えているが」
「でしょう? だからそんなに気にしなくていいんです。だって男ですから。今回の件は驚きすぎただけで、別に問題でもなんでもありません」
男。元は男子高校生だったと聞いた。確かに男なら裸を見ても何も問題はないだろう。しかしこの子は今は女性で。
……いや、性別が変わった以上、大事なのは自己認識なんだろうか?
咄嗟にそう悩む僕に、全然大丈夫です! とカナタは言う。
両手を胸元でぐっと握りしめて、元気だとアピールするような仕草で。
――しかし、顔は真っ赤だった。目はうっすらと涙目で。
「……」
……明らかに大丈夫じゃないように見える。
でもなんと返せばいいか分からない。
「じゃ、じゃあそういうことで!ボクはそろそろ寝ますね! 明日も塾ですし! 透さんも明日仕事ですよね! 時間とらせちゃってごめんなさい!」
「……あ、いや、カナタ」
「お、おやすみなさい!」
そう言って、カナタは去っていく。
そして、その背中が彼女の部屋の中に消えて――。
「――」
……僕は、カナタに何も言うことが出来なかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――カナタは、部屋に駆け込む。
そして布団に飛び込んで、声にならない声で叫んだ。
「~~~~~~~~~~!!!!」
――嘘だった。本当は絶対に嘘だった。
全然大丈夫じゃなかった。大丈夫なわけなかった。
すごく恥ずかしくて、本当に恥ずかしくて。
恥ずかしくて、恥ずかしくて。どうしようもなく恥ずかしかった。
顔から火が出そうで。大声で叫びたい気分で。
布団に潜りこんで、丸まって。布団に顔を押し付けたままゴロゴロと転げ回った。
「~~~~~!?」
恥ずかしすぎて、もう自分が自分で分からなくなる気さえした。
でも一方で、どうして自分がこんなに恥ずかしがっているのか、カナタ自身分からなかった。
透に言った言葉は間違っていない。そうカナタは思う。
カナタにとって、自分は男だった。少なくともつい最近までは絶対にそうだった。
だから男性にちょっと裸を見られた位、少しは恥ずかしくても大したことないはずだった。
だって、昔はそんなの良くあることだった。プールの更衣室で。銭湯で。それをこんなに恥ずかしがっていたら、それこそ変だった。
――でも、それなのに。
「……なんでぇ?」
わからなかった。不思議だった。
なんで自分はこんなに顔が熱くなっているのか。
体は女になった。金髪の少女。ついさっき鏡で見た姿。
でも、二十年近く男だったはずなのに。どうしてこんなに?
この四ヶ月で? でも施設にいたときはここまで悩まなかった。
……それなのに、この数日で急に。
(……わからないよ)
――カナタは自分の変化を思い知る。
今恥ずかしがっている自分。下着を気にしていた自分。距離を気にしていた自分。男の自分と、女の自分。
少しずつ違和感を感じていたことを、今回カナタは強く自覚して。
男なのか、女なのか。過去なのか、今なのか。
それが分からなくて、グルグルと頭の中で回っている。
「……うぅーー!」
もう、何が正しいのかカナタにも分からなかった。




