第12話 変化と悩み
――ふと、あの子が家に来て何かが変わっただろうかと考える。
久方ぶりに誰かと暮らすことになって、僕は変わったのだろうかと。
もちろん、生活のリズムは変わった。食べるものも、栄養バランスを考えるようになった。朝起きる時間も変わって、夜寝る時間も変わった。できるだけ早く家に帰るようにしようと思うようになった。
でも、それはあくまで生活のリズムに関することだ。
僕が考えているのはそうではなく、もっとこう人格的な部分で。何か変わっただろうかと、そういうことで。
「……」
……何も変わってないよなと思う。
僕は僕で、あの子が来ても何も変わっていない、そう思い――。
◆
「――なあ、透。お前ちょっと変わったか?」
「……そうか?」
――しかし、会社の同僚は違う意見を持っているらしい。
昼休みの休憩室。コーヒーを両手に持った男が近づいてきて僕にそう言った。
その男は隣の席に座り、何がしたいのかまじまじと僕を見てきて。
「……変わってないと思うが」
「いや絶対変わったって……あ、これコーヒーな」
「ありがとう」
コーヒーはありがたく頂くけれど、その意見はよくわからない。
何せ自覚は全くないし――それとも、昔からの腐れ縁だからこそ、分かることがあるんだろうか。
「……違うって、どう違うんだ?」
「雰囲気」
……雰囲気と言われてもな。
よくわからなかった。
この男ともそれなりに長い付き合いだ。同期で入社してからずっと。
新卒期間が終わって様々な部署に飛ばされるようになっても、どういう訳かこいつとは異動のたびに近い部署に飛ばされている。なので、顔を合わせる機会も多いヤツだった。
「それにここ数日、お前早く帰ってたし。何かあったのか?」
「それは、ちょっとな」
「……あ! おいおい、もしかして女か? 美人? 写真ある?」
「そういうのじゃない」
なんだ、違うのかとヤツがつまらなそうに呟く。
こいつ、いいヤツではあるけれど、ちょっと下世話なんだよな。
「てっきり、あの心を閉ざした透にも春が来たのかと思ったのに」
「何の話だ」
心を閉ざした覚えはない。普通だ。
……友人も普通にいるし。
「……なあ、本当に彼女じゃないのか?」
「違うと言っているだろうに」
妙にしつこい男に少し辟易としつつ、立ち上がる。
……彼女って、あの子はそういうのじゃない。
僕はただ、あの子に笑って欲しいと思っているだけだ。
ただそれだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――そして、そんな風に透が同僚と話している頃。
塾の自習室で宮代カナタは困っていた。
(どうしよう、一度気にしたらずっと気になってくる……)
家事の合間や、授業の合間。
教科書を一章読み終わって、軽く背伸びをした瞬間。
そういう時に、ふと顔を出してくる悩みがある。
(ボクは男なのか、それとも女なのか)
カナタはどちらとして、透と接するべきなのか。
そういうことを考え始めたら、止まらなくなってきて。
(……というか、距離だけじゃないよね)
改めて冷静に考えると、この数日の生活でもポツポツと悩む瞬間があった。
例えば、洗濯物。
下着を干す瞬間、悩むことがある。
カナタの下着。これは隠した方がいいのか。
前の世界で、カナタの母と妹は隠して干していた。
それと同じようにするべきなのか。
干している場所は外からは見え辛い場所で、他の人の目は気にする必要はない。
……でも、透からは、見える。
(……)
……それが少し、落ち着かない気がして。
その一方で、気にしすぎじゃないかと思うカナタもいて。
施設にいたころは、共同生活の上、以前トラブルがあったとかで気を付けるように言われた。なのでそれに従っていればよかった。
でも、今は? カナタと透しか住んでいない家。
ルールなんてない。なので、決めるのはカナタだ。
(ボクは、本当の女じゃない)
だから、隠すということ自体が意識しすぎな気がする。
男なら、気にせずに透の下着の横に普通に並べればいい。
色気なんてないスポーツタイプの下着。別に見られて恥ずかしいものではない……はずだ。
(……)
……そのはずなんだけど。でも。
と、そう思う。カナタは葛藤する。
気になる。でもわざわざ隠して、透に変な目で見られないかとも思うし――いや、透じゃない。カナタの知っている透は、そんな目で見ない。
――だから、気にしているのはカナタ自身だ。
元は男だったのに、下着を見られることを気にすること自体が恥ずかしい気がする。
かつてのカナタが、今のカナタを見て男なのにと引いている気がして。
「……」
……どうすればいいかわからない。
そしてわからないままに時間は過ぎて、授業の時間がやってくる。
「……切り替えなきゃ」
一旦、カナタは悩みを棚上げする。
勉強は、真面目にしなければならない。そうでなければ透に顔向け出来ないのだから。
◆
――そして、その晩
ずっと悩んでいたからだろうか、カナタは悪夢を見た。
「汗が、気持ち悪い……」
服がべったりと体に張り付いている感触。
そこを夜の冷気が撫でて、カナタの体が震える。
「……寒い。風邪ひきそう」
どんな夢だったのかは覚えていない。
ただ、どうしようもなく悲しい夢だった気がする。今も視界が少し潤んでいて、カナタの目じりには涙が流れた後の少し引きつった感覚があった。
「シャワー……浴びなきゃ」
ベッドから抜け出して、カナタは少しふらつきながら立ち上がる。
時計を見ると、もう深夜と言ってもいい頃。こんな時間にシャワーを浴びると透に迷惑だろうかと思って、でも気持ち悪さがどうしても耐えられなかった。
(……申し訳ないけれど、うるさいようなら明日謝ろう)
カナタはそう決めて、部屋から出る。
少し震えながら、急ぎ足で風呂場へと向かって。
「――」
シャワーを頭から浴びる。暖かいお湯が上から下へと流れていく。
冷えたカナタの体が少しずつ温まっていった。
「……ほぅ」
大きく息を吐きたくなるような、心地いい感覚。
強ばっていた体から力が抜けていくような気がする。
「――ぁ」
――ふと、カナタは目の前を見る。
そこには鏡がある。大きな鏡。全身が映っている。
「……」
少女の姿。頬と肩に張り付いた金色の髪。
白い肌。薄い体。細い手足。
慣れたようで、まだ慣れていない。そんな姿
……少し罪悪感を覚えてしまうような。
――でも、これが今のカナタの体だった。
過去とは違う。男だった時とは似ても似つかない。
「……ボクは」
目を逸らす。少し見たくない気分だった。
そのまま風呂場を出て、体を拭く。
そして、カナタは服を着ようとして――。
「――あ、部屋に忘れた」
◆
カナタはまず最初にどうしようと思う。
急いでいたからすっかり忘れていた。失敗したと反省して、裸で部屋に戻るしかないんだろうかと悩む。
次に、でもそんな姿を透に見られたらどうしようと思って――今が深夜だと気が付いた。
透はもう寝ているはずだ。少なくとも風呂に入る前、家の中は真っ暗だった。
……安心して、大きく息を吐いて。
「……ぅ」
……でも、恥ずかしいことには変わりはない。
裸で歩き回るとか露出狂じゃないんだから。
(……急いで部屋に戻ろう)
そう、カナタは思う。
一応タオルを体の前に当てて、最低限を隠して。
そしてそのまま扉を開けて――。
「――あぁ、カナタ…………え?」
「――――? ―――っ!!?!?」
――扉の向こうには、透がいた。




