第10話 距離
そうして、彼女は我が家にやってきた。
空いていた客間に、私物を運び込み、家具を用意配置して、空き部屋は彼女の部屋に変わった。
生活の中にあの子が入ってきて、モノが一揃えずつ増える。
家事が倍に増えて、それを二人で分担する。
挨拶をして、挨拶を返される。話しかけて、話しかけられて。
行ってきますと、行ってらっしゃいを言うようになった。
おかえりと、ただいまも。
「――カナタ」
そして、約束したように、名前を呼ぶ。
朝の少しゆったりとした時間。
彼女が洗濯物を干している間に、僕が作った朝食を食べながら。
「――ぅ、は、はい……」
「…………いや、なんで照れてるんだ。君は」
顔を少し赤く染めて目を逸らす彼女。
しどろもどろとしている様子に、少し呆れる。
だって僕はカナタと名前を呼んだだけだ。
特別なことは何も言ってない。
最初の一回はともかく、もうカナタがここで暮らし始めて数日は経つし……そもそも、名前で呼んでくれと言い出したのはカナタの方なのに。
「……だ、だって、その、まだ数日ですし……慣れないというか……というか透さんは照れないんですか?」
「それはまあ……大人だからね」
大人だから、色々と経験もある。
大人だから、名前を呼んだとか呼ばれたとかで照れたりはしない。
そもそも、呼び方なんて時と場合によって簡単に変わったりするものだ。
仕事でも初対面なのにすごく馴れ馴れしい人とか、時たまいるし。
「……うー」
「なにかな?」
「……なんでもないです」
不満そうにそっぽを向くカナタに苦笑する。
仕草が幼くて、外見に逆に合っている。
十八歳、高校卒業。成人だとは言ってもまだまだ子供だな、なんて思いつつ。
(……)
……つい、妹を思い出すような、そんな気もして。
「――さて、そろそろかな」
「あ、ボクも手伝います」
出勤時間が近づいてきたので立ち上がる。するとカナタもいっしょに立ち上がった。
雑談しつつ、二人で洗い物をして片付けて。
歯を磨いて、服を着替えて。
順番を譲り合いながら諸々の準備を整えて。
そして――。
「……」
「……」
――僕はいつものように仏壇に手を合わせる。隣にはカナタもいて一緒に手を合わせてくれていた。
別に頼んだわけではないのだけれど、自然に。
……正直、悼んでくれるのは嬉しい。
皆もきっと喜んでいるだろうと思い――。
(……あれ、そういえば)
――ふと、疑問に思う。
それは隣にいる異邦人の少女についてだ。
異世界ではこういう……仏壇とか引いては宗教とか、どうなっているんだろうか。大きな違いがないとは聞いているけれど。
「――え? 宗教ですか? こっちと変わりませんよ?」
聞いてみると、そんな答えがあっさりと返ってくる。
「仏教と神道が基本です。お葬式は、だいたい仏教。初詣は、だいたい神道。七五三とかは適当で……仏壇はある家にはあるし、無い家には無いですね。特に厳しい決まりとかはないです」
まあ、とは言っても細かいところは違うらしいですけど、と彼女は言う。
しかし、一般人にはほぼ関係ないとも
同じ異邦人の中に宗教学に詳しい人がいて、そんなことを言っていたようだ。
「ボクとしても全く違いが分からないというか……そもそも、仏教とか神道の細かい教義とか知りませんでしたし」
嘘をついたら舌を抜かれる。悪いことしたら地獄に落ちる。
彼女はそれくらいしか知らないらしい。
「お経とかお葬式くらいでしか聞かないですし、神様の名前も漫画やゲームでしか知りませんし。それはこっちの世界も同じじゃないですか?」
「……同じだね」
「あと、あっちの世界でもクリスマスは祝ってましたし、ハロウィンとかバレンタインデーみたいなのもありました」
宗教ごちゃまぜな季節イベントは同じ、と。
その辺りの日本のおおらかさは共通のようだ。
「まあ、ボク達からすると本当に助かります。宗教色の強い国だと大変だと聞きますから」
「……ああ、そういえばニュースになってたね」
異邦人の墜落は日本だけでなく世界的な現象のため、もちろん外国でも多くの人間が確認されている。人口に応じて落ちてくる数も変わるそうで、お隣の国はかなりの人数が落ちてきているのだとか。
そんな外国の異邦人の中には信仰していた宗教がそもそもなかった人とかもいるらしい。泡を吹いて倒れたんだとか。あとは地図上では元住んでいた場所と同じところに落ちたはずなのに、別の宗教が国教になっていて追い出された人とかも。
その点、日本では僕が改めて質問するくらいには話題にもなっていない。
「……」
……心から、思う。
この子が、そんな目に遭わなくてよかった。
排斥されたり、追い出されたり。
そういうことが無くてよかった。
「……透さん?」
「……ん? ああ、何でもないよ」
少し考え事をしていると、いつの間にかカナタが僕を覗き込んでいた。
彼女の手の平が僕の腕に触れて――。
――ぺたり、と。
少し高い体温が、ワイシャツ越しに伝わってくる。
金色の少女。青い瞳。肩の辺りで揺れる髪。
中性的な恰好。パーカーと長いズボンを身に着けている。
……ほんの、すぐそば。
ほんの数センチ先動くだけで頬が触れてしまいそうな。
(……少し、近いな)
「……さて、もう家を出ようか」
「あ、はい」
立ち上がり、距離を開ける。
そしてそのまま二人で玄関から出た。
「行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい」
車の中から彼女を見送る。
僕は車通勤で、彼女はバス通学だった。
彼女が道の角に消えた後、僕も車を発進させて――。
「…………………………」
――運転し始めてしばらく経った頃。
しかし、と思う。
何かというと、先程のことだ。
前から思っていたけれど、あの子、距離が近くないだろうか。
気が付くとすぐ傍にいるというか。
パーソナルスペースが狭いというか。
自然と距離を詰めてくるというか。
手が触れることなんて日常茶飯事で、体温を感じそうなくらい近くにいることもある。……まあ、別に嫌と言う訳じゃないけれど、困惑はするというか。
というか、名前呼びに照れるのに。
距離感バグってないか?
(……もしかすると、これも異邦人だから、なんだろうか?)
世界によって宗教が違うように、人との距離も違うとか。
案外、そういうものなのかもしれない。そんなことを思った。




