おまけその2 アルデルト社の戦後
アルデルト・ヴァッフェントレーガーに纏わる話として「アルデルト社自体も第二次世界大戦末期に社長以下主な社員が戦死したために消滅してしまい……」がありますが、それに関するおまけの話です。
載っている情報は、「できるだけ」調べた範囲でのこと。
情報が誤っている可能性が十分にあることを留意した上で、お読み頂きたいです。
私はクレーンに詳しくないので、そのあたりの用語解説が多々抜けています。
ただ、今回重要なのはそこではない、と考えているので、その点はどうか目を瞑っていただけると……
「全部、消えてなくなったな」
アルデルト社の代表ロベルトは、廃墟と化したドイツ国内を見て、そう呟いた。
アルデルト社も例に漏れず、であった。
アルデルト社は、ソ連に占領されたエバースヴァルデを去り、ドイツ国内の幾つかの支店で、戦後ドイツでの商売を続けた。
時代は進み、西と東で冷戦が始まり、ついこの間まで「打倒悪の枢軸国」を目指した世界は、泥沼の諜報戦が始まった。
そして、血だらけと憂鬱な戦争、最前線に変わって新たな恐怖、核の恐怖に晒された。
そんな中でも、アルデルト社は商売を続けた。
得意としていたクレーン製造を続け、そのクレーンは、開発現場、港湾、建設、世界の現場で見ることができた。
過去の言い伝えでは、アルデルト社は社員一同がアルデルト・ヴァッフェントレーガーに搭乗、会社諸共戦死したとされていた。
しかし、違ったのだ。
アルデルト社は生き続けていたのである。
ヒトラーは、ドイツの滅亡を語った。
確かに、戦後ドイツは西と東に分断され、事実上の「ドイツ」は消えてしまった。
それでもなお、灰にまみれた瓦礫から少しずつ立ち直り、ついにはドイツとして復活。
欧州の主要な国家として立っている。
アルデルト社も同じである。
形を変え、名を変えても、その根本的な精神は揺るがない。
社名は次々と変わっていった。
確かに「当時のアルデルト社」は消えてしまったかもしれない。
しかし、それでもなお、本当に消えてしまった、という訳ではなかった。
アルデルト社共通の歴史(1902〜1945)
何故共通と書いたかは後述。
1902年に、ロベルト・アルデルト(Robert Ardelt)がエバースヴェルデで技術事務所を開く。
これがアルデルト社の始まりである。
1904年に、Robert Ardelt & Söhne Maschinenfabrik 設立。
1912年に、Ardelt-Werke GmbH(GmbHは有限責任会社というもの) に改称した。
1913–1930年に、クレーン・工作機械の世界的メーカーに成長。
米国・ソ連・スイスなどに輸出した。
1932年に、「Doppellenker(二重ラッフィング機構)」という特許を取得。
1933–1945年に、軍需生産、大砲、対戦車砲、V1/V2ロケット関連の部品、飛行機用軽合金部品などを生産。
1945年に、第二次世界大戦終結。
エバースヴェルデの工場は、ソ連占領地域に位置している。
そのため、設備の多くは賠償としてソ連に没収・移送される。
ここまでが東西共通の歴史である。
ここから、東側と西側に分かれる。
東はエバースヴェルデのアルデルトの工場で、西は当時のアルデルト社の代表や幹部が建てたもの。
東側(共産側)のアルデルト社。
1945年に、ソ連により工場接収、設備の一部は賠償として持ち去られる。
1948年に、VEB Kranbau Eberswalde という名称で、国営企業として再建。
1953–1964年に、港湾クレーン中心に生産拡大。
1964年に、TAKRAFコンビナートの一部となる。
1968年に、DDR(東ドイツ)の外貨獲得企業として世界的輸出を行う.
1970–1980年に、世界中の港にクレーン輸出(Heraklion、Rio de Janeiro、Hamburg など)
1990年に、東西ドイツの統一によりVEB廃止 → Kranbau Eberswalde GmbHとして民営化開始
1994年に、Treuhandにより Vulkan Kranbau Eberswalde GmbH に売却
1997年に、Kirow Leipzig AG により買収 →社名変更、Kirow Leipzig KE Kranbau Eberswalde
2000年に、Feeder Server(世界初のモバイルコンテナ橋)で受賞
2008年に、社名変更、Kirow Ardelt AGで、 「AG」は株式会社のこと。
ナチス時代の名称という理由で、地元市議会が全会一致で反対するも、社名は変わった。
2010年に、社名がKirow ARDELT GmbHへ 。
GmbHは有限責任会社というもの。
2015年に、Kocks Ardelt Kranbau GmbH に再編・ブランド統合。
2022年に、Kocks Ardelt Kranbau GmbH が破綻した……らしい(wikiより)
2023/08/01に、資産買収 → Ardelt Kranbau GmbH として再出発
ここまでが東側の歴史。
ここから西側(資本側)のアルデルト社。
1945年に、アルデルト家は西に逃れ Osnabrück にて再建開始。
1946/10/01に、Wilhelmshaven に新工場設立
ここが本拠地となる。
1953–1954年に、Friedrich Krupp AG が買収 → Krupp-Ardelt GmbH 誕生。
1964年に、ルドルフ・アルデルト Jr. 死去 → Krupp-Kranbau に改称。
1968に、Wilhelmshaven 工場が Krupp Industrie- und Stahlbau に統合。
1984年に、500 GMT モバイルクレーン開発・製造。
1988年に、MEGATRAK® 技術導入。
1989年に、Kocks(Bremen)が Wilhelmshaven の旧 Krupp-Ardelt 関連事業を取得。
後に Kranunion に統合した。
1995年に、Grove Worldwide が Krupp Mobilkrane GmbH を買収。
Deutsche Grove GmbH 設立。
2002年に、Manitowoc Cranes が Grove を買収。
Deutsche Grove として GMK モバイルクレーンを継承。
2025年、現在も Wilhelmshaven を拠点にモバイルクレーン(GMKシリーズ)を製造している。
と、言うように……アルデルト社は、形を変えて、名を変えて現代に残っている。
設立当時から得意とした「クレーン技術」を主戦力として。
一体どこから「アルデルト社は社員一同がアルデルト・ヴァッフェントレーガーに搭乗、会社諸共戦死」という情報が出たのか……クビンカ戦車博物館にその資料があるのか、或いは、誰かが言い伝えたものを曲解、もしくは誇張して伝えられたのか。
もしかしたら、本当に社員の誰かが乗って出撃して、という可能性も否定できない。
……その辺りは、私には分かりませんでした。
見つけたかった。発見したかった。
もしかしたら、本当の「ギュンター・パウル・アルデルト」を見れたかもしれないのに。
……とまぁ、以上をもって、本作「憑依先はドイツ軍の無名技術士官でした。ド素人の兵器開発記録」を完了とさせていただきます。
作者としての感想・思い・考えを述べたいところですが、あまり長くダラダラと書いてもしょうがないので、一文で。
「終わるとか完成するとかではなく、魂を込めた妥協と諦めの結石が出る」
ではまた!!




