第28話 ハンスと勝流の逃走劇
勝流とハンスは、クンマースドルフ戦車大隊の一員として、西へと撤退を続けていた。
しかしながら、途中で部隊全体が大混乱に陥り、本隊とはぐれてしまう。
「ハンス中尉、急ぎましょう。そこら中に敵はいますから」
「はい……しかし、足が欲しいですね。徒歩での移動は大変ですし」
「そうは言っても……車輛なんて残ってるのか」
何も行動しなれば、ソ連軍に見つかってしまうのは明白だった。
もしソ連に囚われたら、技術者として雇われる可能性もゼロではないが、それはそれで嫌だった。
むしろ、その場で頭にズドン、の可能性が高い。
歩く、走る、また歩く。
しばらくすると、ソ連軍がまだ足を踏み入れてない場所にたどり着いた。
運がよかった。
「アルデルト中尉!あれを」
ハンスが指さした先には、天幕を掛けたまま放棄された一台の車輛があった。
「……Ⅱ号弾薬運搬車だ!」
ハンスが天幕をめくる。
車内はもぬけの殻だが、運搬用ラックに弾薬箱、燃料缶、工具が残っている。
近くの廃屋を覗くと、人影はないが、鮮やかな赤いタオルが目に留まった。
勝流は一計を案じ、回収することにした。
「盗みになったりしませんかね」
「どうせソ連軍が荒らしていくんだ、変わりないだろう。ハンス中尉、ちょっとこっちに……服もいくつか……この色だな、丁度いい」
彼らは民間人風の上着を身につけたあと、Ⅱ号弾薬運搬車に燃料を注いでスターターを回した。
Ⅱ号弾薬運搬車は、低い唸りをあげて走り出そうとする。
西方まで、二人旅の始まり……のはずだった。
「これで走れそうですね、後は」
「……待って!静かに」
ギャラギャラギャラ……
機関音。背後から近づく履帯の軋む音、エンジン音。
「友軍でしょうか」
「いや、この音は多分……まずい、こっちは対抗できる武器がないぞ」
「ここにあります」
ハンスが取り出したのはパンツァーファウスト……
ではなく、パンツァーシュレックである。
「使えるのか?というか、当てれるのか」
「撃たねば、ここで終わりです」
そこへ、さらに幸運が転がり込んだ。
車体側面に、見覚えのない小さな発射機が幾つか増設されている。
「擲弾発射機だ。誰かの現地改造かな」
「アルデルト中尉。私が運転するので、荷台はお願いします」
「分かった……って、パンツァーシュレック撃てってか!?使い方どうだったかな……」
ひとまず、手榴弾と発煙弾を発射機に装填。
後は車内に身を潜めた。
その後、道の方からソ連軍の機甲部隊がやってきた。
T-34-85、多数の歩兵。
それと太った指揮官の乗ったジープ。心なしか、ジープが苦しそうな表情に見える。
Ⅱ号弾薬運搬車を視認した指揮官は、歩兵に確認するよう命令した。
近づいて来るソ連兵。
そして、車輛に手をかけようとした、その時だった。
(今だ!)
まずは步兵を処理すべく、手榴弾発射。
ついで煙幕を全力展開。 視界不良となる。
Ⅱ号弾薬運搬車はもがくように加速し、煙の中を進んだ。
全速力で逃げる。
大慌てになるソ連軍。
ソ連兵が鹵獲したパンツァーファウストを撃つも、Ⅱ号弾薬運搬車は間一髪で躱すことに成功する。
煙を抜けたあと、勝流は後方を警戒した。
すると、T-34-85が煙を突っ切り、こちらへ砲を向けていた。
勝流はすぐさまパンツァーシュレックを構える。
幸いなことに射程距離内である。
「あたれぇぇぇ!」
走行しながらの射撃、祈るように発射した。
重い衝撃が空気を殴り、T-34-85が鈍い音を立てて止まる。
「あっ……あ…当たった……」
奇跡に思えた。
しかし、すぐに追手が掛かった。
機関銃弾が近くを掠める音。
殺す気で撃たれているのが良く分かる。
ハンスは右へ左へ動き続け、狙いをずらし続けた。
追手からの攻撃を躱し続ける。
しばらくして、林を抜けて平野に出たとき、上空が影で覆われた。
「……ここまでか」
ハンスが呟く。
ソ連機の大軍であった。
「まだだ!まだ終わりじゃない!」
勝流は、赤い布に黄色いペンキで描いた鎌と槌のマークを掲げ、必死に振ってソ連機へ合図を送った。
意図を察したハンスも、運転手用のハッチを開けて、笑顔で手を振った。
服装も、一般市民を装った格好である。
すると、何機かが食いついてきた。
勝流とハンスは同時に、東側の土手を必死な表情で指さした。
追手がいる方向である。
「あっちだー!頼むー!!」
「同志よー!助けてくれー!」
そこには、ソ連軍が鹵獲したパンターとT-34-85がいた。
誤認するには十分な車輛である。
「うわぁぁぁ!俺らじゃない!あっちだあっち!バカ野郎!!」
一瞬遅れて、金属音と火柱。
地表に影が奔り、爆煙が上がる。
見事に誤爆してくれた。
「あぁーあ、やっちゃった。まさか成功するとは」
「アルデルト中尉は発想が豊富ですね。いやー、流石にこの手は思いつきませんでした。どうやって思いついたんです?」
「……さぁ?ただ何故か、似たような状況を目にしたことがあって、そういやこれやってたなーと」
その隙にと、勝流とハンスを載せたⅡ号弾薬運搬車は、身を低くして全速で西へと走る。
「燃料、残り僅か!」
「もう少し、もう少し踏ん張ってくれ」
しかし、燃料が切れてしまった。
手元のジェリカンも空である。
すぐさま降車、徒歩で移動を再開した。
「また足となる車があればいいですが」
「運がよかったんだ。仕方ない、歩き続けよう」
その数十分後だった。
勝流の運が尽きたか、運命か、それとも筋書き通りなのか。
一発の銃声が鳴り響いたと思ったら、勝流の胸に急激な痛みが走った。
(ぐっ……!?)
勝流は膝から砕けた。
息が吸えない。指先が痺れ、視界の縁が黒く染まる。
気付いたハンスがすぐに勝流の襟を掴み、遮蔽となる影へ引きずり込む。
土が冷たい。
もう1発飛んできたが、遮蔽となった木が防いでくれた。
「アルデルト中尉!アルデルト中尉!!」
気力を振り絞り、声を出す。
「ハンス中尉。私はもう……ここまでのようだ。運が尽きたんだ」
胸に手を当てると、血でその手が染まった。
「そんな馬鹿な!そうだ……手当を!」
「無駄だ。胸を貫かれたんだ……この出血は、もう、間に合わないよ」
遠くからロシア語が聞こえてくる。
「そんな!……駄目です!死んではいけない、生きねば!」
「ハンス中尉……私の分まで、背負わせることになりそうです」
「……こんな、こんな終わり方は……」
近くからソ連兵の声がした。 近づいてきている。
「……まぁ、私は兵器とそう変わりません……だけど、どうか……これだけは」
勝流は鞄を押し出す。
ハンスはそれを受け取り、勝流の手を強く握った。
掌が徐々に冷たくなっていくのを感じる。
「さぁ早く、行ってください……」
「……」
「行け」
「……」
「頼む、行ってくれ!」
「……しかし!」
「生きて、我々の記憶を!記録を!」
ハンスは小さく頷き、姿勢を低くして走り出した。
ハンスは走り続けた。
胸が焼ける。
喉が痛む。
世界が遠のく。
林からでると、道端にジープが止まっていた。
燃料は半分以上、点火は一回で掛かった。
ハンスは迷いなく飛び乗り、西を向いた。
振り返らない。振り返れば、足が止まってしまう。
一体、どれだけの時間を走り続けただろうか。
途中でジープが止まっても、休むことなく走り、また足を見つけては乗っての繰り返し。
ハンスはボロボロだった。
風が頬を打ち、境界線が近づく。
星条旗のワッペンが視界に入った。
M4中戦車の列、アメリカ製のジープ、無数のブローニング機関銃。
間違いなくアメリカ軍である。
「止まれ!」
ハンスはヨレヨレと両手を上げる。
口を開くも、何も飲まず食わずだったためか、乾いた喉から掠れ声が出た。
ただ一言。
「降伏する」




