第23話 スズメバチ
1943年1月。
クンマースドルフ試験場から戻った勝流は、図面と泥の匂いを引きずっていた。
デスクに向かっては次の案を練り、また図面に線を刻む日々が続いている。
1943年になっても「ゲレート809」と「ゲレート810」は遠い夢のままだった。
図面は山のように積まれ、試作の断片は幾度となく積み替えられている。だが、完成図は未だ手の届かぬところにある。
そんな折、兵器局に通達が下された。
「一部を除き、自走砲の開発計画を即刻中止せよ」
総統からの命令であった。
この命令は以前にも出されていたが、今回はさらに開発を削減し、本当に限られた計画のみを残すという、より踏み込んだ内容だった。
だが、それはある意味で当然の判断でもあった。
ドイツの戦局は、日を追うごとに悪化していたのである。
この状況下で、悠長に新兵器の開発に労力を割いている余裕など、もはや存在しなかった。
事実上、新規の自走砲開発は不可能となった。
エアハルト課長は、落ち込む勝流を呼び出した。
「エアハルト課長、もうあの計画は……」
「そのことなんだが……はっきりと言おう。これはクラウス課長の根回しのおかげだ」
「……どういうことでしょうか」
「レーブ局長や関係各所へ根回しを重ね、ゲレート809と810は中止の対象から外れた。これは、クラウス課長のお陰なんだよ」
勝流は思わず目を見開いた。
ゲレート809/810は中止になるものだと、完全に思い込んでいたからだ。
「流石はクラウス課長だな……アルデルト、託されたんだろう。期待に応えないとな」
「はい!」
「……と、そう言った手前で非常に言いにくいんだが、こっちを優先してほしい。総統から最後の要求だ。これだけは必要と判断されたのだろう。頼めるか」
エアハルト課長から渡された要求仕様は短く、しかし明確だった。
1.主砲は新型の8.8cm PaK43/41を搭載すること。
2.主砲の旋回は限定的でよい。
3.使用車体はIII/IV号砲架車。
工期はとても短い。
現場の声は「一輌でも多く、十分に強力であること」を求めていた。
主砲として指定された 8.8cm PaK43 は、恐るべき威力を誇る一方で、その重量ゆえに人力での陣地移動、牽引運用が困難な兵器だった。
自走砲として運用するのは、従来通りの自然な流れと言えた。
8.8cm PaK43。
ドイツ軍のみならず、世界的に見ても、第二次世界大戦期において屈指の性能を誇る対戦車砲である。
元となった 8.8cm高射砲と比べ、生産コストはその約半分に抑えられていた。
対戦車砲としては珍しく十字型砲架を採用し、専用トレーラーから降ろした状態では全周射撃が可能となる。
もちろん、トレーラーに載せたままでも射撃は可能だが、その場合は射角が大きく制限される。
しかし、十字型砲架の生産が大幅に遅れ、工場には砲身だけが山のように積まれていくという事態が発生した。
砲身だけ余るという状態は看過できず、急遽、暫定的な対戦車砲が生産されることになる。
それが8.8cm PaK43/41である。
8.8cm PaK43/41
できる限り安価に、かつ効率的に生産するため、既存兵器の部品を大幅に流用していた。
7.5cm PaK40のものをベースに拡大、改良した撃発装置と閉鎖機を使用。
これに10.5cm leFH18の脚、15cm sFH18の車輪などの部品を組み合わせていた。
車載型としては、専用トレーラー及び十字型砲架を持つ本来のPaK43ではなく、後者のPaK43/41が採用された。
勝流は資料に目を走らせ、すぐに実働案を描き始めた。
思考はシンプルに、実用一辺倒。
試作に時間をかけている余裕はない。
車体はIII/IV号砲架車。
信頼のおける車体を利用し、薄い装甲で戦闘室を囲う設計である。
計画は短期間で進んだ。
砲は据え付けられ、射撃試験は一通りの結果を叩き出した。
見た目は攻撃的で、まるでスズメバチのように鋭い輪郭を持っていた。
この特徴から、開発陣は「ホルニッセ」と呼称していた。
総統がその呼称を聞いたとき、どうやら不満を覚えたらしい。
その場で新たな名前を与えた。
「ナースホルン」
ドイツ語で「サイ」を意味する。
恐らく、ヒトラー総統は虫の名前を付けることを嫌ったのであろう。
ナースホルンは即日量産が決定し、新型の対戦車自走砲として正式に採用された。
だが、勝流の胸は晴れなかった。
ナースホルンの試験を終えて以来、勝流はとある考えに耽っていた。
心の底から、満足するに至らない何かがあるのだ。
グレート809/810のことではない。
ナースホルンについて、思うことがあった。
(本当にこれで良かったのだろうか。ホルニッセ……いやナースホルンか。ナースホルンは特段悪い兵器ではない、むしろ理想的な自走砲と言える。しかし!しかしだ)
勝流の引っ掛かりの正体は単純である。
III/IV号砲架車を対戦車自走砲に仕立て上げるのは、あまりに無駄に感じられたのだ。
従来の対戦車自走砲は、Ⅰ号、Ⅱ号戦車、38(t)軽戦車といった、前線で不要になった車輛を流用してきた。これは、不要となった戦車を再活用できる、という大きな利点があったからだ。
性能不足となった車輛に、装甲を犠牲にして強力な砲を載せることで、牽引式の対戦車砲よりも、遥かに素早く前線の穴を塞ぐ。
それこそが、対戦車自走砲の本来の姿と言えた。
これらの自走砲はコストが安く、生産効率も高かった。
対して、今回のナースホルンは、あまりに高価であった。
もっと安く、もっと手軽で、それでいて実戦に耐える兵器。
「これは違う、もっと合理的な方法があるはずだ」
そう呟きながら、勝流はクラウス課長の顔を思い出す。
あの日課長が語った「後世へ繋げる」という言葉が、暗い部屋の中で再び熱を帯びる。
(……一か八か、やってみるか!)
無謀でも構わない。
やらなければ、何も始まらないのだから。
↓8.8cm PaK43/41を大人数で必死に移動させている現場の兵士達。
↓米軍が鹵獲した8.8cm PaK43を評価・試験する映像
https://youtu.be/_ycPDDRE80Y?si=EWPnCZFPPYgQLuh7
射撃は50秒くらいから始まります。
↓こちらは分かりやすい実戦でのPaK43使用例(redditの投稿)
https://www.reddit.com/r/WorldWar2/comments/1kejy24/heavy_antitank_gun_88_mm_pak_4341_on_the_eastern/
↓こちらは元となった8.8cm FlaKの実戦映像。音量注意です。
先にお伝えしておきますと、この動画の投稿者様は他にもカラー化、音を付けて当時の映像を投稿されている方です。ご興味がある方いらっしゃれば動画、ショート動画をどうぞ、個人的におすすめです。
https://youtube.com/shorts/QZsr59YkKco?si=sb8edXR6dDAOe9ZL




