第22話 受け継がれた意思
エアハルトは、不思議な夢を見ていた。
それは、兵器局に勤務して間もない頃。まだ「課長」ではなかったクラウス先輩との記憶だった。
二人は行きつけの店に入り、酒を飲みながら、他愛のない話をしていた。
「エアハルト、お前もいつか、部下を持つ日が来るだろう」
「私なんかまだまだ未熟者です。先輩みたいに、部下を何人も持てるような技量はありませんよ」
クラウスは鼻で笑った。
「なーに、私がエアハルトにしてやったことをそのまま部下にすればいい。それだけのことさ」
「えぇ?クラウス先輩からしてもらったことって……」
「なんだ、分からないのか?」
「え……あ!いえいえいえ!分からない訳では!」
「まぁ、エアハルトもいつか部下を持ったら分かる時が来るさ……少しずつでいいんだ。なに、焦ることはない。ゆっくり、着実に。始めが肝心だよ」
「……はい」
クラウスは笑いながら、グラスを掲げた。
「さぁ飲もう。今日は少尉から中尉への昇進祝いだからな。今日は私の奢りだ、どんどん飲め」
「ありがとうございます!」
「よし、乾杯だ!」
二人はグラスを打ち合わせた。
「エアハルト少尉改め、エアハルト中尉。昇進おめでとう!」
ここで夢は途切れた。
「……夢か……なんで、あの時のことを……」
ぼんやりと天井を見上げ、ゆっくりと立ち上がる。
重い身体を起こし、いつものように朝の支度を始めた。
1942年11月11日。
この日、クラウス課長が連絡もなく欠勤した。
エアハルトは不審に思った。
兵器局に入って以来、クラウス課長が無断で休むことなど一度もなかった。
欠勤することがあっても、必ず報告を入れていた。どうしても無理な場合は、誰かに代理報告を頼んでいた。
(一体どういうことだ?)
エアハルトは最初こそ気に留めなかったが、時間が経つにつれて、不安が胸を締めつけた。
つい先日、次期課長の話までしていたというのに。
以前から持病の話を聞かされていた身としては、嫌な予感しかしなかった。
エアハルトはついに居ても立ってもいられなくなり、第4課の面々に告げた。
「クラウス課長の様子を見に行ってくる」
それだけ言い残し、兵器局を飛び出した。
廊下を駆け抜ける。
途中、すれ違ったレーブ局長にぶつかりそうになりつつ、駐車場へ直行。
車に飛び乗り、エンジンをかけると、アクセルを踏み込んだ。
(クラウス課長は独り身だ。もし、もしがあったら……頼む、間違いであってくれ!)
街中を全速で走り抜け、アパートへと辿り着く。
クラウス課長は質素な生活を好んでいたため、持ち家はなく、少し値の張るアパートの一角に住んでいた。
扉の前に立ち、息を整える。
ノックした。
「クラウス課長、エアハルトです」
返事はない。
もう一度呼びかける。
それでも、反応はなかった。
ドアノブに手をかけて押すと、鍵はかかっていない。
(開いてる……まさか)
意を決して部屋へと入る。
深呼吸をして、一歩、また一歩。
リビングにはいない。
最後の一室。扉は閉じられたままだ。
(頼む……頼む……!)
扉を開けた。
そこには、椅子にゆったりと腰かけ、窓の方を静かに見つめるクラウス課長の姿があった。
「クラウス課長、エアハルトです。勝手に入ってしまいすみません、声をかけたのですが」
返事はない。動きもない。
肩を揺さぶっても、何も反応がない。
「……先輩……そりゃないですよ。いくらなんでも……いきなり……そんな……」
隣に立ち、顔を覗き込む。
クラウスは穏やかに笑っていた。
「ずいぶんと気持ちよさそうに……笑ってるじゃないですか。もう思い残すことはない、そういうことですか」
手を取ると、すでに冷たくなっていた。
すぐに医者を呼び、診断を受けた。
「死亡時刻は……恐らく、日の出ごろでしょう」
「ということは、日の出を見ながらですか」
「……なにか、精神的に安堵したのでしょう。以前の診断では、いつ倒れてもおかしくない状態でしたから」
部屋を見渡すと、一枚の絵が目に留まった。
その絵は、ホイシュレッケがクンマースドルフ試験場で、クレーンを展開している光景だった。
線だけでなく、丁寧に色まで塗られている。
よほど入れ込んでいたのだろう。
「……そうか、そうでしたか」
エアハルトはクラウスの隣に立ち、静かに言葉を紡いだ。
「引き継ぎのお話、一度はお断りしましたが……お引き受けいたします。第4課のこと、どうかご安心を」
冷たくも、どこか温もりを残したその手を、しっかりと握りしめた。
クラウス課長の急死は第4課、ならびに関係各所に伝えられた。
葬儀は、クラウス課長がエアハルトに言っていた言葉に従い、慎ましやかに行われた。
「私が死んだときは、小さな葬儀でいい」
その言葉どおりに。
それでも参列者は多く、第4課の全員が列席した。
中には、東部戦線からかっ飛ばして戻ってきた、ハンス少尉の姿もあった。
陸軍兵器局からは、レーブ局長をはじめ、多くの幹部が参列した。
皆が沈痛な面持ちの中、エアハルトと勝流の二人は、静かに立っていた。
「クラウス課長は、俺が兵器局に入ってからずっと面倒を見てくれた先輩だった。まだ課長じゃなかった頃から」
「……」
エアハルトの脳裏に、数々の記憶が蘇る。
兵器局に入ったばかりの新人時代。
クラウス先輩が課長に就任した日。
昇進を祝ってもらった夜。
酒を酌み交わし、苦楽を共にした時間。
時には愚痴を言い合い、時には一緒に仕事をし、時には朝まで飲み明かした。
(もう、あの人と一緒に酒を飲めないのか……そうか、もう飲めないのか。これから一生、ずっと……)
「……アルデルト、雨が降ってきたみたいだ。傘はあるか」
「いえ、晴れています、晴天です。雲ひとつない晴天です」
「そうか……いや、いかんな。やっぱり雨が降ってるみたいだ」
葬儀の終わりに、レーブ局長が声を張った。
「その多大なる功績と貢献を称え、クラウス・トラウトマン大佐に最大の敬意を表する!」
そして、姿勢を正した。
「総員、敬礼!」
葬儀から数日経ち、エアハルトは勝流を飲みに誘った。
「飲み代は俺の奢りだ。無礼講で行こうじゃないか」
酒が進むにつれ、少しずつエアハルトの昔話がこぼれ始めた。
「大学を出た後は兵器局に入った。その時の先輩がクラウス課長だったんだ。まだ課長じゃなかったが、成績は優秀で、みんなからの信頼も厚かった」
グラスを置き、静かに続ける。
「俺が良い仕事をしてくれた時とか、昇進した時は必ず祝ってくれた……」
勝流は黙って聞いていた。
杯の底に、わずかに琥珀色の光が揺れている。
話は進み、今度は勝流のことに。
「しかし、本当に今でも信じられないな。あのアルデルトが……自走砲はアルデルトにぴったりだったんだな」
「ありがたいことです」
「本当に嬉しいことだよ……そういえば、第6課から転属してきたんだよな」
(あぁね、はいはいそのことだったら……)
勝流はすぐに答えようとしたが、致命的なことに気付いてしまう。
(……待てよ?……第6課から転属してきただと!?元から第4課所属じゃないのか!いや待て、今は無難な回答を)
勝流は迷った。
ギュンター・パウル・アルデルトがどんな経歴だったのか、正確には未だ分からない。
(今ここで思い出すことは簡単なんだろうが……)
迷った結果、それっぽい答えを出した。
「最初は戦車に興味があったのですが、あとになって合わないことに気づき、転属しました」
「そうか、向いてないと思ったんだな。誰にだって向き不向きはあるし」
「はい」
「転属してきて大正解だった訳だ……向き不向きね」
エアハルトは、どこか懐かしそうに笑った。
しばらくの沈黙。
「どうされました?」
「……いや!昔のことを思い出しただけ。さ!飲もう!」
静かな夜だった。
クラウス・トラウトマンという技術者の意志が、確かに受け継がれていく夜だった。
その日の夜、エアハルトは、また懐かしい夢を見た。
いつもの店で、いつも通り、クラウスと酒を飲み交わしていた時のことだった。
「なぁエアハルト、自分はこの仕事に向いてるとか、考えた事あるか」
「いえ、ありませんが」
「そうか……私は何度も考えたよ。他に向いてることがあるんじゃないかって」
「え……クラウス先輩が?」
「あぁ。今の仕事は、上からの命令通りに動くだけで、自分から提案しても、余程のことが無い限り聞き入れてもらえないだろう?」
「そうですねぇ。軍隊という組織では、上からの命令は絶対ですから」
「それに、ここは特に権力が物を言うから、私たちのような下っ端は話の相手にすらされん」
「ご老人方は頑固……すみません、なんでもありません」
「いいさ……だから、私は軍を出て行って、企業に入ることを何度も考えた。企業だと成績優秀は重宝されるからね。しかしだ、今の軍だからこそできることもある。だから私はここに残っている。向いてないとは思いつつね」
「軍だからできること……自分には、兵器の設計くらいしか思い浮かびませんが」
「そう、まだ私たちはその段階なんだ。その更に上へ行くには、まず課長クラスにならないといけない。エアハルト、私が課長になったときは、下を頼むぞ。上下どちらも見ないといけないからね」
「……課長ですか!なら、その時は是非任せてください。しかし……課長になって、兵器の設計以上というと」
「こっちからの提案を融通してもらえるかもしれん。権力が増えると、できることは増えるから。まずはそこからさ」
そこには、闘志を燃やすクラウスの姿があった。
エアハルトはその背中をずっと見ていたのである。
近くにいるはずなのに、遠く離れて行く、その背中を。
Ich hatt' einen Kameraden
https://de.wikipedia.org/wiki/Der_gute_Kamerad




