第21話 ゲレート 809/810
勝流のデスクには、分厚い新しい仕様書が置かれている。
表紙には赤字でこう記されていた。
ゲレート 809/810計画。
クラウス課長から最後の計画を託された勝流は、まず全体像を把握することにした。
じっくりと仕様書を読み込み、計画の全容を把握していく。
その間、課長の言葉が、勝流の脳内に色濃く浮き出る。
「後世へ繋げること」
クラウス課長からの最後の依頼。
それがこの「17cmカノン砲」及び「21cm臼砲」の自走化計画だった。
ドイツ軍が保有する自走砲の中では、カール自走臼砲に次ぐ巨大な自走砲となるだろう。
車輛そのものの規模も、ティーガーⅠやIII/IV号砲架車など比較にならない。
勝流は次に、車輛の仕様を把握した。
1.搭載する砲は、17cm K 18、21cm Mrs 18
2.装甲は、小口径火器に対する防御力を備えれば可とする
3.主砲は全周旋回が可能。加えて、車体から降ろしても射撃を行える着脱式にすること
4.使用車体は、ティーガーⅠも含めた既存の車輛を流用すること。
まるで、「制限なしに自由に作れ」と言われているようだった。
ティーガーⅠを使用可能という点では、ホイシュレッケ以上の自由度である。
「ティーガーⅠを使ってもいい、か……」
勝流は思わず口の端を上げてしまうと同時に、不安がよぎった。
(本当にいいのか、ティーガーⅠを使っても……カール課長に話したら、返答はグーパンかもしれんな)
ティーガーⅠはつい最近生産が始まった、最新鋭の重戦車である。
勝流が憑依する前でも、ティーガーⅠの伝説、そして兵器としての出来栄えは時折話題に上っていた。
大戦中屈指の伝説的存在として語り継がれているティーガーⅠだが、その栄光の裏には、実に厄介な問題を抱えていた。
(クッッッソコスト高いんだよな!ティーガーⅠって)
ティーガーⅠの生産は、その複雑な構造故に、非常に時間がかかる。
加えて、既存の戦車よりも遥かに多くの資源を必要とする。
必然的にコストは高く、生産数も限られている。
そのため、幾ら開発のためとはいえ、「車体にはティーガーⅠを使います」「はい、わかりました」と二つ返事で許可が下りるとは思えない。
ヒトラー総統からの許可は取れているだろうが……カール課長は無傷で帰らせてくれるだろうかと、勝流は半ば本気で心配した。
(さりとて、既存車輛ならティーガーⅠしかないのも事実。しかし、この搭載する砲のデカさたるや……)
21cm Mrs 18
この砲は、第一次世界大戦で使用されていた21cm Mrs 16の後継としてクルップ社が設計した。
ヴェルサイユ条約破棄と再軍備宣言の後、最初に大量生産された火砲の一つである。
↓21cm Mrs 16
名称の「Mrs」は「Mörser」で、臼砲を意味する。
榴弾砲ではないのか、と思うかもしれないが、ドイツ軍では口径20cmを超える砲は臼砲と呼ばれていた。再軍備宣言の後も、臼砲に分類されたまま運用されている。
数字の「18」は、1918年に生産開始、もしくは部隊配備したことを意味するはずだが、これは偽装である。大口径砲はヴェルサイユ条約により新規開発と保有が禁じられていたため、条約に抵触しないよう、第一次大戦中に既に生産開始されていた、と見せかけるための表記だったのである。
実際は1933年に開発が始まり、1939年から生産が開始されている。
威力は非常に大きかったが、射程は16km程度と、他国の大口径火砲と比較して短射程であった。
そのため、赤軍のML-20 152mm榴弾砲やA-19 122mmカノン砲などに、射程外から撃破されることも少なくなかった。
ML-20 152mm榴弾砲の射程は約17km。
A-19 122mmカノン砲では約20kmである。
そのためか、1942年には生産中止となる。
その後、小口径化しつつ射程を約2倍に延ばした、17cm K 18へと移行していった。
17cm K 18
21cm Mrs 18の後継としてクルップ社が設計し、1941年から生産が開始された。
砲架は21cm Mrs 18と共通であり、砲身部のみ新規に設計された。
名称の「K」は「Kanone」で、大砲もしくはカノン砲を意味する。
口径は小さくなったが、射程は2倍以上に延長されたため、超遠距離からの対砲兵射撃戦をより有利に行えるようになった。
17cm K 18、21cm Mrs 18。
どちらもドイツ陸軍最大級ともいえる重砲で、通常の師団には配備されず、軍団直属での運用となる。
軍団とは、数個の師団をまとめた編成であり、17cm、21cm砲が特別な存在であることを感じられる。
(まぁ……普通の師団じゃあ扱いきれないからだけどな!)
大重量であるが故に、牽引砲としての運用に支障が出ることが多かった。
17、21cm、どちらも約17t前後と非常に重い。
長距離輸送時には、砲身を分解して輸送する必要があり、移動と射撃準備に非常に手間取った。
また、装軌式の牽引車や支援車輛が不足していたため、輸送する以前の問題もあった。
状況によっては、馬で引く、なんてことも。
仮に輸送できたとしても、砲を設置する地盤は、安定した場所を選ばねばならない。
場所を誤れば、車輪や台座が地面に沈み込み、動けなくなってしまうことがある。その場合は放棄、あるいは輸送可能な車輛を呼び寄せる必要がある。
いくら高スペックの砲であっても、真価を発揮できる射撃態勢に持ち込むまでが非常に大変だった。
総じて、運用は困難である。だからこそ、今回の自走砲化が求められているのだ。
(いや、まぁ……良い案だとは思うが……流石に……ちょっとこれは……)
考えれば考えるほど、現実の壁は高くそびえ立っていく。
壁を乗り越えようとするたびに、高く積み上がっていく。
まず第一に、砲そのものが巨大すぎる。
21cmはギリギリ、17cmに至っては砲身長だけでIII/IV号砲架車どころか、最新鋭の重戦車「ティーガーⅠの車体長」を超えている。
砲身長、反動距離、後座装置、砲尾開閉空間……どれを取っても既存車体には到底収まらない。
「この時点で、もう無理がある……」
さらに追い打ちをかけるのが、砲の全周旋回という要求だった。
ホイシュレッケで一度は成功した。
だが、あれはわずか10.5cmの榴弾砲である。
17cmや21cmを全周射撃可能にするとなれば、話はまるで違う。
砲座の旋回リングだけで、堅牢な構造強度が必要になる。
その重さを支える車体も、また異常な規模にならざるを得ない。
最後の問題は、ホイシュレッケのような「着脱式」という、もはや狂気じみた仕様だった。
車体から降ろしても射撃可能。つまり、砲を分離し、野砲としても運用できるようにせよというのである。
流石にこの仕様には、勝流も頭を抱え、天井を仰いだ。
笑うしかなかった。
だが同時に、この無茶な要求の奥に、クラウス課長の意志が見えた気がした。
記録を後世へ繋げること。
「……どうすればいいんだ、これ」
呟いた声は、かすかに震えていた。
それでも、勝流は考え続けた。考えて、考えて、考え抜いた。
勝流にとっても、そしてギュンター・パウル・アルデルトとしても、史上最大の挑戦である。
そんな中、陸軍兵器局第4課に、とある一報が届くのであった。
運命の時、というものが訪れたのだろう。
17cm K 18の射撃?21cmの疑いあり(redditの投稿)
https://www.reddit.com/r/GermanWW2photos/comments/1hjqgul/17cm_kanone_18_in_m%C3%B6rserlafette_heavy_gun_on_a/
こちらも17cm K 18の射撃(redditの投稿)
こっちは恐らく17cmだと思いたいですが……コーレ分からねぇぞ。21cmなんじぇねーかと私は思ってますが……怪しいですが、映像資料として結構良いものだったので、載せておきますね。
https://www.reddit.com/r/WW2GermanMilitaryTech/comments/1ix8fif/17cm_kanone_18_in_m%C3%B6rserlafette_heavy_artillery/
21cm Mrs 18の射撃……であることを祈ります。
多分こっちは21cmで合ってると思います。
https://youtu.be/3lAiNbuIRgE?si=q-GYgWEQKTQ6PELK
21cm Mrs 18の「「「直射」」」(こちらもredditの投稿)
https://www.reddit.com/r/CombatFootage/comments/ez8glj/210mm_morser_18_heavy_howitzers_engaged_in_direct/
1941年、スターリン・ラインの要塞にぶっ放してるそうで。
クソでっかい砲が必要になったんだろうなー(白目)
恐らく現場の兵士達は慣れてしまうものなんでしょうが、まぁー耳がいかれてしまいそうですね……
途中ほんの一瞬だけ写る「後ろに手を組んでる人(恐らく指揮官か?)」は、やれやれ、と思ってそうだ。




