第20話 重い夕陽
ホイシュレッケ実地試験から数日後。
勝流は兵器局へ戻ると、すぐにクラウス課長から呼び出しを受けた。
部屋に入るなり、クラウス課長の第一声がそれだった。
「ホイシュレッケは不要だ。今後は……一部の計画を除き、総統の命令に従い、自走砲の開発を行う」
「……えぇ……ふ、不要ですか、間違いなく?それに、一部の計画を除いてというのは……」
クラウス課長は、机の上の書類を指で軽く叩きながら続けた。
「すでに、ベッカー大尉に次の計画を打診している。ひとつはⅡ号戦車をベースにした10.5cm自走榴弾砲。もうひとつは、III/IV号砲架車を利用した15cm自走榴弾砲だ。どちらも、総統の命令による正式な計画だ」
「総統が……?」
「そうだ。総統は当初、ホイシュレッケを面白がっていた。だが前線からの要請は……それ以上に現実的だった。とにかく早く1輌でも数を。多少の性能より即応力を……それが、現場の声だ」
クラウス課長は苦々しい表情で笑った。
広大な戦線を維持する現在、供給の制約は生産方針を左右する。
より早く、より安価に量産可能な兵器が最優先とされたのだ。
極めて自然な判断と言える。
「結果、総統は前線の要望を優先し、より安く、より早く生産できる自走砲の計画を承認した。ホイシュレッケは後回し……いや、事実上の凍結と言える」
勝流は、黙ってその言葉を聞いていた。
デスクの上には、ホイシュレッケの評価報告書が置いてあった。
クラウス課長はそれを見つめながら、深く息をついた。
「アルデルト中尉、突然だが……君は、今の我々が、この戦争に勝てると思うかね」
突然の問いだった。
クラウス課長はゆっくりと席を立ち、窓の外を見た。
ベルリンの街に薄い夕陽が差し込み、静かに、その横顔を照らしている。
「今の我が国の戦況は、国民に喧伝されているほど芳しくないのだよ」
しばし沈黙が流れる。
クラウス課長はそのまま窓越しに、遠くの街並みを見つめながら言葉を続けた。
「私はね……勝利は遠のきつつあると思っている。敵はソ連だけではない。アメリカという怪物までもが立ち上がっている。イギリスも未だ健在、北アフリカではスエズ運河を取れず、東ではモスクワに届かなかった。南方における攻勢も、どうなるか分からん」
「……」
「私は若い頃、一度だけアメリカという国を見た。途方もない資源、膨大な生産力、国家としての活力。あの国は、一度動けばそう簡単には止まらない。そのアメリカと、我々は戦っている……どう考えても分が悪い」
クラウス課長は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
「我々技術者ができることは、一体何だろうか……戦局をひっくり返すほどの兵器など、もはや存在しない。それでも、我々は手を止めるわけにはいかない、止めさせてはくれない」
静かな声だったが、そこには強い意志が宿っている。
「考え抜いた末に……私は、ひとつの答えに辿り着いた。我々が今すべきことは、後世に繋げることなのだ。兵器を計画し、試作し、評価し、その記録を残す。それが、未来の誰かが、同じ過ちを繰り返さない礎となる」
「……ホイシュレッケも、その一環だったのでしょうか」
「半分はそうだ。もう半分は、私の理想そのものだよ」
クラウス課長は穏やかに笑った。
「アルデルト中尉、君はまだまだ若い。私のような老いぼれではなく……君に、その記録の先を見届けてほしい。やって駄目だったでも構わない、やって良かったと思えるなら、それでいい。その積み重ねこそが、未来への記録となる」
「未来……」
「私は後世に残したい。我々が何を考え、何を創り、どう記録したかを……もう、長くはないのだ」
「長くはない、とは?」
クラウス課長は咳き込み、口元を手で押さえた。
その手のひらには、赤い染みが浮かんでいた。
「隠していたが、私は不治の病を抱えている。いつ倒れてもおかしくない。だからこそ、残された時間で、やるべきことをやりたい」
勝流は思わず声を上げた。
「クラウス課長!すぐに病院へ!」
クラウス課長は、慌てる勝流を手で静止した。
「大丈夫だ……アルデルト中尉、聞いてくれ。我々の作った兵器、試み、失敗……それらは、決して無駄ではない。未来へ、今を生きる我々が技術を伝えるということ。それこそが、我々技術者の業であり……使命だ」
課長の声は震えていたが、その瞳だけは確かな光を放っていた。
「アルデルト中尉……頼む。私の意志を、君に託したい。私の理想を……どうか、どうか君が繋いでくれ」
勝流は拳を握りしめた。
目の奥が熱くなり、言葉が出てこない。
それでも、なんとか言葉を絞り出し、はっきりと答えた。
「……私は、兵器局の一介の技術者にすぎません。ですが、クラウス課長のお言葉、決して忘れはしません。クラウス課長の意志、必ず!」
クラウス課長は微笑んだ。
「ありがとう……すまないが、私は少し休む。医者は呼ばなくていい、この間に診断した時と、結果は同じだろうから」
「クラウス課長……本当に、もう長くは……」
「ふっふっ……そう悲しい顔をするな。また呼ぶ。そのときは、私から新たな任務を言い渡す時だ」
「承知いたしました」
「それと、エアハルトを呼んできてくれ」
勝流は敬礼し、静かに部屋を出た。
廊下に出ると、胸の奥が妙に痛んだ。
課長の言葉は、今も耳の奥で響いている。
(後世に、繋げること……)
その言葉を反芻しながら、勝流はエアハルトの元へ向かった。
翌日、勝流に新たな命令が下された。
その命令は、勝流を驚愕させるものであった。
「17cmカノン砲、21cm臼砲の自走化……クラウス課長からの、最後の計画か」
本話含めて、ちょっと重めのエピソードが続きます。
エンジニアというのは、いつの時代も、最期の時まで仕事なんですよねぇ……文字通り、魂を掛けている。




