第19話 理想と現実
1942年6月28日、東部戦線の南部。
大地を震わせるような砲声とともに、ドイツ軍の夏季攻勢「青作戦」が始まった。
目標はボルガ川西岸への到達、そしてコーカサスの制圧。
ドイツと同盟国を含めた総勢150万の兵が、一斉にロシア南部へ雪崩れ込んだ。
この作戦を好機と見たクラウス課長は、レープ局長に対し、試験車輛の実戦評価を目的とした特別部隊「クンマースドルフ試験隊」の編成を提案した。
提案はレープ局長、そしてヒトラー総統にも認可され、急遽クンマースドルフにて、試験車輛の運用に特化した部隊が編成された。
通常、試作車輛が実戦に投入されることはほとんどない。
だが、クラウス課長の強い意向と、ヒトラー総統の許可をもって、この異例の試みは実現した。
クンマースドルフ試験隊は、第11機甲師団配下の第119砲兵連隊に編入されることとなった。
急ぎ編成を終えた試験隊は、前線へと鉄道輸送された。
1942年7月中旬のことであった。
「アルデルト中尉、到着しました。早速、試験車輛の荷下ろしを」
クンマースドルフ試験隊の指揮官、マルティン少佐である。
「分かりました、行きましょう」
試験隊とホイシュレッケを載せた列車は、目的地の駅に到着した。
蒸気の匂いが立ちこめる中、マルティン少佐の号令が響く。
「荷下ろし始め!急げ!」
ホイシュレッケに続き、編成に組み込まれたⅡ号弾薬運搬車も、次々と貨車から降ろされていく。
「しかしまぁ、何度見ても異様な車輛だな」
「マルティン少佐、部隊の指揮をお願いします」
「お任せを。アルデルト中尉、ホイシュレッケを頼みましたよ」
伝令が駆け寄る。
「荷下ろし完了しました!いつでも出発できます!」
二人はその声を聞きながら、胸の高鳴りを抑えられなかった。
机上の理論でしかなかった兵器が、いま実際に戦場へ赴く。
それは技術者としての誇りと、死地に送り出す不安が入り混じる瞬間だった。
(戦場では何が起こるか分からない。爆弾ひとつ、砲弾ひとつで全滅もあり得る)
「これより、クンマースドルフ試験隊は前線へ向かう!気を抜くな、ここは戦場だ!我が軍は大攻勢の真っ只中である!連携を密にせよ!」
現地時間、午前10時。
クンマースドルフ試験隊は、最前線後方の丘に展開を完了した。
地平線の向こうで砲煙が立ち昇り、地面を伝って低い地鳴りが響く。
「技術官殿、いつ始めます?」
「……支援要請が入ったら、評価試験を開始する」
勝流は、胸の奥に緊張を抱えながら、ホイシュレッケの車長に答えた。
そこへ無線が鳴る。
前線部隊がソ連軍の頑強な抵抗に会い、遅々として攻撃が進まないでいる。
同時に、友軍の砲兵隊からも連絡が入った。
牽引用トラックが故障し、砲を運搬できず、現地で立ち往生しているらしい。
その現場に最も近かったのは、クンマースドルフ試験隊であった。
マルティン少佐は即座に決断した。
「ホイシュレッケのうち1輌は砲塔を降ろせ!残る2輌はそのまま戦闘配置につけ!砲塔を降ろした車輛は、連絡のあった砲兵隊を支援せよ!」
ホイシュレッケのクレーンが唸りを上げる。
鋼鉄の腕が動き、砲塔を静かに地面へ降ろした。
降ろされた砲塔は、Ⅱ号弾薬運搬車がそばに付いた。
砲撃終了後、すぐさま撤収するためである。
砲塔に残された乗員は、不安そうな顔をしていた。
「技術官殿!本当に牽引できるんですか!」
「できる!というより、私ができるように設計した!接続の作業は任せてくれ!」
戦場の喧噪の中でも、金属が擦れ合う音だけははっきりと響いた。
「装填よし!目標座標、確認!」
「砲撃準備完了!」
勝流は息をのむ。自らが設計に携わった兵器が、初めて戦場で火を吹く。
「Feuer!!」
轟音が辺りを裂いた。
砲炎が閃き、地面が震える。
続けざまに二射、三射。
観測班の報告が入る。
「命中!命中!!敵陣地崩壊!」
砲撃終了の号令が下り、試験隊は迅速に撤収を開始した。
そして、わずか数分後、先ほどまでホイシュレッケが展開していた地点に、敵の対砲兵射撃が雨のように降り注いだ。
「……間一髪だったな」
マルティン少佐の額を一筋の汗が伝う。
ホイシュレッケの機動力が、まさに部隊を救った瞬間だった。
無線で、前線部隊からの報告が届く。
「迅速な砲撃に感謝する!見事な砲撃だった!」
試験隊の面々は歓声を上げた。
勝流も小さく頷きながら、遠くに見える戦煙を見つめた。
砲兵隊の救援に向かったホイシュレッケも無事に帰還し、支援に感謝の言葉を貰った。
戦闘後、報告会が開かれた。
勝流は机の上に広げられた記録用紙を見つめながら、各員の意見に耳を傾ける。
当然ながら、砲塔を降ろした状態では砲は自走できず、ただの野砲と化す。
クレーン操作は複雑で、乗員の熟練を要する。
砲塔分離後の指揮系統が混乱しやすい。
誰もが言葉を選びながら意見を述べた。
その中で、一人の若い士官が、ぽつりと呟いた。
「……もっと簡易な自走砲で十分なのでは?」
静寂が落ちた。
その言葉は、皆が薄々感じていながら、あえて口に出さなかった現実を突いていた。
マルティン少佐は耐え切れなかったのか、「煙草を吸ってくる」と言い残し、テントを出ていった。
誰も反論できなかった。
複雑な構造、高価な生産コスト、整備の難しさ。
理論上の万能性はあっても、戦場で求められるのは「単純で強い兵器」だった。
勝流は何も言わず、静かに資料を閉じた。
理想を形にした結果、それが現実によって打ち砕かれる。
「……皆さん、ご苦労様でした。結果は後日、上層部に伝えます」
そう言い残し、勝流は席を立った。
夕暮れの光がテントの隙間から差し込む。
外では、乗員がホイシュレッケを整備していた。
太陽の残光を浴び、 鋼鉄の車体は金色に輝いて見えた。
誇らしく、そして、どこか儚かった。
この話を投稿するかしないかで迷いましたが、良くも悪くも素直な若い士官に、どうしてもあのセリフを言わせたかったので投稿しました。
本題とずれますが、「別に??じゃなくても良くね?」は、現実でも割と爆弾発言だと思ってます笑
その時の状況や言い方もありますが、ズバッと言うと、真剣に考えていた人ほど、ひどく落ち込むことが多い気がします。
言い方があるだろう言い方が!笑
もう少し、こう、何というか、手心というか…
逆にズバッと言った方が良い場合もあるから、ある意味で「質の悪い」言葉だよなーと。




