第18話 III/IV号10.5cm自走榴弾砲
1942年6月初旬、クンマースドルフ試験場。
暖かい日差しに照らされながら、砂塵の中に一輌の試作車が鎮座していた。
その特徴的な外観は、既存車輛の全てと異なっており、試験場に並ぶ車列の中でも、一際異彩を放っている。
今日この試験に立ち会うのは、計画に携わった技術者とその関係者のみ。
高官はクラウス課長ただ一人で、純粋に試作段階での性能確認を目的とする場であった。
勝流は手にした資料を片手に、集まった面々へ説明を行う。
もっとも、全員が仕様を把握しているため、実質的にはクラウス課長への報告となる。
「仕様の確認を始めます。III/IV号10.5cm自走榴弾砲 ホイシュレッケ、車体はⅣ号戦車、駆動系はⅢ号戦車のものを流用。搭載砲は10.5cm leFH 18で、全て仕様通りです」
III/IV号10.5cm自走榴弾砲 ホイシュレッケ
総重量はおよそ23トン。
車体はⅣ号戦車、駆動系はⅢ号戦車のものを流用して作られた、自走砲専用車体「III/IV号砲架車」を使用している。
乗員は車長、運転手、砲手、装填手、無線手の計5名。
搭載砲は、10.5cm leFH 18の車載型を採用。
装甲は前面30mm、側面20mmと薄いが、最前線で敵戦車と撃ち合うことを想定していないため、この防御でも十分とされた。
携行弾数は最大60発と、既存の自走砲と比べても十分である。
名称の「ホイシュレッケ」は、砲塔を降ろす際に展開されるクレーンの形状が、まるでバッタの脚のように見えることから付けられた。
「ホイシュレッケで最も特徴的な箇所は、まさしく後部に設けたこのクレーンにあります」
全員の視線が、車体後部に設けられた小型クレーンへ向けられた。
鋼鉄のアームと滑車、固定用の支持脚。
既存の自走砲には見られない構造物が、陽光を反射して鈍く光る。
「まずはクレーンの作動テストから始める」
勝流の号令で、整備員たちが持ち場につく。
走行テストから先に行うという案もあったが、走行中にクレーンが破損すればそれで終わりだ。
安全を考慮し、まずは静止状態で動作確認を行うことになった。
勝流の合図でエンジンが始動する。
振動が地面に伝わり、油圧系統が唸りを上げた。
まずは砲塔の分離。
固定ボルトが解除され、ゆっくりとクレーンが動作を始めた。
クレーンで固定後、砲塔が浮かび上がる。
金属のきしみと共に、クレーンのアームがわずかにしなる。
(……頼むから持ってくれよ)
不安そうな勝流に、アルデルト社のクレーン開発部チーフ、ノルベルトが声を掛けた。
「問題ありません、我が社のクレーンは世界一です」
勝流の内心の声が、回転軸のうなりにかき消される。
やがて、砲塔は車体後方の地面へと無事に降ろされた。
クラウス課長を始め、技術陣が声を上げてしまう。
あの夢のような仕様を現実に作ってしまった、作れてしまった事実にである。
続いて再搭載試験。
作動は良好だが、動作がやや重く、滑らかさを欠く。
操作員の報告では「動きが鈍い」「反応にわずかな遅れがある」とのこと。
「油圧ポンプの圧力がやや不足している。改良すれば軽くなるでしょう。砲塔を軽くすることも視野に入れて良いかと」
ノルベルトが報告し、勝流は頷いた。
(問題なし。致命的な欠陥ではない……これなら次段階へ進める)
無事にクレーンの動作テストを終えて、走行テストを開始。
試験場に設けられた周回コースを二周する。
車輛はゆっくりと発進し、加速する。
砂塵を巻き上げながら、速度計の針は38kmに達した。
「最高速度38km。自走砲としては上出来だな」
クラウス課長は双眼鏡越しに呟いた。
機動性は良好。
だが、課題は速度よりも車体全体の振動だった。
クレーンを搭載しているため、固定部に微細な共振が発生する。
内部のボルトが共鳴するような低い音が響く。
「……確かに、ややうるさいな」
勝流も試乗席で耳を傾けた。
とはいえ、想像していたほどではない。
試験後、乗員への聞き取りを行う。
「今まで乗ってきた車輛の中でも静かな方です」
「これなら長時間の運用にも耐えられると思います」
意外にも好評だった。
試しにクラウス課長自身も運転席に乗り込み、一周して戻ってきた。
「確かに悪くない……静かだ」
午後からは、10.5cm榴弾砲の実射試験が行われた。
この砲の威力は全員がよく知っているため、今回は装填と展開動作を重点的に検証する。
設定では、現地到着後、クレーンで砲塔を降ろした後に展開、射撃姿勢へ、という流れ。
野戦での即応性を測るための試験である。
発砲の号令。
轟音が空を裂き、反動で土煙が舞い上がる。
砲塔はしっかりと地面に固定され、反動吸収も十分。
弾着も安定しており、全員の表情に安堵の色が広がった。
夕刻、全試験が無事終了し、関係者が仮設テント内で報告をまとめる。
課題として挙げられたのは、現時点で主に二点である。
1.クレーンの耐荷重量と油圧系統の強化。
2.,砲塔分離時の固定構造の強化。
心配された駆動系についても、洗練されたⅢ号戦車の物を流用しているため、問題外であった。
クラウス課長は椅子に腰を下ろし、報告書を閉じた。
「……よくやった。試験結果としては申し分ない」
そう言いながら、課長は静かに車輛の方を見やる。
「問題は実戦だ。実際の戦場で、一体どれほどの成果を上げるか……そこが肝心だ」
少し間を置き、彼は立ち上がった。
その声音には、確信めいた響きがあった。
「ホイシュレッケは単なる自走砲ではない!」
周囲の視線が集まる。
クラウス課長は胸を張り、言葉を続けた。
「この車輛はヴァッフェントレーガーである!」
試験場の空気が、一瞬ひりついた。
やがて誰かが小さく拍手し、それが次第に広がっていく。
勝流はその場に立ち尽くしながら、胸の奥が熱くなるのを感じる。
(ついに……この言葉が現実になったか)
武器運搬車、ヴァッフェントレーガー。
武器を運ぶ者の名が、今ここに、正式に生まれた瞬間であった。
しかし、ホイシュレッケを見つめるクラウス課長の表情は、どこか寂しげであった。




