第16話 榴弾砲を自走させるついでに、分離もできるようにしたい
陸軍兵器局第4課。
机の上には、紙の束が山のように積まれていた。
勝流は相変わらず多忙だった。
マルダーシリーズの開発をベッカー大尉に引き継いだ後、Ⅱ号弾薬運搬車の改造設計でハンス少尉を手伝った。更に、過去に自分が手がけた自走砲の細部修正が山積していた。
(どれも地味な作業だが、戦場で使われる以上、誤差ひとつが乗員の命取りになる……)
そんなある日の、いつもの午後だった。
エアハルト先輩が唐突に肩を叩いてきた。
「お疲れさん」
「エアハルト先輩、お疲れ様です」
「少し時間を取れるか、クラウス課長から話があるそうだ」
「もちろんです、すぐに向かいます」
課長室に入ると、そこにはいつになく興奮を隠せないクラウス課長の姿があった。
部屋の隅を行ったり来たりしている。顔がにんまりしていることから、少なくとも嬉しい話なのだと感じた。
そして勝流を見るや否や、抑えきれない口調で言った。
「ついに来たぞ、アルデルト中尉。私が長年温めていた計画を始動する時が来た」
「えー……温めていた計画とは?」
課長は資料をまとめたファイルを勝流に手渡した。
そこには、奇妙な車輛のスケッチと仕様書が収められている。
ざっと目を走らせる。巨大な砲を車体中央に搭載し、車体後部には何やら工作機械らしき装置が描かれていた。
「クラウス課長、これは一体……?」
「ふっふっふっ……アルデルト中尉、これはだな。前線で砲を降ろし、運搬も射撃もこの一輌で完結するのだよ。砲を搭載したままでも砲撃可能、砲を降ろせば車体を別任務に転用できる。いわば自走砲に運搬と攻撃という二つの役割を与えた車輛だ」
勝流は息を呑んだ。
それはまさしく勝流が追い求めた兵器、ヴァッフェントレーガーの構想そのものだった。
「提案者は……まさか、課長ご自身で?」
クラウス課長は得意げに頷いた。
「第一次大戦の終結後、私は自走可能な榴弾砲という構想を考えていた。だが当時は……車体として用いる戦車そのものが未知数の存在で、誰も耳を貸さなかった。しかし今なら!自走砲は広く認知された。ようやく時代が追いついたのだよ」
ロマンと実用性が同居した、あまりにも大胆な構想。
勝流は胸の鼓動を抑えられなかった。
アルデルトに憑依する前、熱心に調べていた車輛、それこそがヴァッフェントレーガーなのだから。
「……凄い……これは砲兵運用の新たな可能性と言えます」
「既に総統閣下の許可も下りている、レープ局長も了承済みだ。今すぐに開発を開始する」
「えっ……もう許可を!?」
「やるなら早い方がいい。アルデルト中尉、君に開発チーフを任せたい。今受け持っている仕事と兼任ということになるが」
勝流は震えた。夢のような言葉だった。
「了解しました……しかし、開発はクラウス課長が行うべきでは?」
「あぁ、そのことなら問題ない。その資料に書かれている仕様を満たしてくれればそれでいい。あと、正直なところ……」
「はい」
「開発に熱中できる体力がもうなくてね。エアハルトにも言ってはいるんだが」
「なるほど?」
「持病だってあるのに……」
最後に何かぼそっと言った気がしたが、勝流には聞こえなかった。
開発を任された勝流は、まず仕様の整理から始めた。
1.搭載砲は10.5cm leFH 18。
2.砲塔ごと取り外しが可能で、地上でも射撃可能。
3.Ⅲ号やⅣ号戦車と同じく、全周射撃を可能とすること。
4.砲塔の取り外しに必要な工程は、すべてこの車輛で完結できること。
仕様だけ見れば、まさに夢のような自走砲である。
(前線で分離☆合体!……まさにロマンだな。さりとて、実用性が多少あるのが面白い)
Ⅱ号15cm自走重歩兵砲でも、砲の分離運用を検討したことがあった。
だが、あの時は前線での運用が前提で、敵の砲撃や銃撃を受ける危険が大きすぎた。
分離機構を備える余裕も、現場で扱う余地もなかったのだ。
しかし今回は違う。
10.5cm榴弾砲は、重歩兵砲のように最前線に出る兵器ではない。
例外こそあれど、基本的には遠距離からの支援を主任務とし、敵からの攻撃を受けることはほとんどない。
つまり、脅威が少ない分だけ、安全に砲を降ろして運用することができる。
(表現するなら……自走榴弾砲と牽引車を兼ねる兵器、と言ったところか。まさに武器運搬車、ヴァッフェントレーガーだな)
だが、問題も多かった。
勝流が認知している限りで、この夢の仕様を支えられる車体が存在しない。
つまり、専用車体を新たに設計しなければならない。
Ⅰ号、Ⅱ号は小さすぎる。Ⅲ号ではサイズが足りない。
ではⅣ号はどうかと考えたが、構造上の制約が多く、そのままでは使用できそうになかった。
鹵獲車輛にも、この要求を満たせるものは見当たらなかった。
さらに、砲塔の取り外しには車載型の専用クレーンが必要である。
このクレーンの設計が最大の壁に思われた。
ドイツ国内で製造できる会社は限られているだろうし、兵器局にも専門家は少ない。
(さて困った……もう壁にぶつかったぞ。まずは専用車体だが……)
「アルデルト」
(確か史実だと、Ⅲ号とⅣ号を掛け合わせてたような?しかし、あの車体の完成って)
「おーい」
(エンジンはどうした?新設計か、流用か?まぁ流用だろうな)
「アルデルトー」
「……あっ!すみません、集中し過ぎてました」
「構わんよ。さて、ずばり解決してみせよう。アルデルトが今、困っていることを」
そう言いながら、エアハルト先輩は資料を手渡した。
「見てみろ」
「……え、これって」
そこには、新たに設計された車体について記されていた。
計画名はIII/IV号砲架車。
Ⅲ号とⅣ号戦車のコンポーネントをできる限り流用して作られた、ドイツ軍初の自走砲専用車体である。
「そいつを使え。役に立つはずだ」
「ありがとうございます。しかし、いつからこの計画を?」
「クラウス課長から頼まれてた。確か去年の2月くらいだったかな……今年になってようやく形になったんだよ。じゃっ、後は上手く使ってくれ」
勝流が資料を読み進めるにつれ、その実用性と経緯が明らかになった。
III/IV号砲架車。
この車輛は自走砲のための専用車体である。
元をたどれば、主力戦車であるⅢ号とⅣ号戦車をできる限り統一し、生産性と整備性を高めようという目的だった。
当初の名称はIII/IV号戦車。戦前から始まった戦車統一計画は、既存車輛の生産が優先され、日の目を見ることなく終了していた。
ところが1941年の末、この計画が再び注目される。
自走砲が有力な兵器であると認識した兵器局と陸軍は、自走砲のための新型車体を求めた。
III /IV号戦車の構想を流用し、自走砲の車体とすべく再設計の果てに生まれたのが「Geschützwagen III/IV」、すなわちIII/IV号砲架車である。
史実でも1942年末頃に誕生し、有力な自走砲の車体として用いられた。
知る人ぞ知る、あの強力な自走重榴弾砲と対戦車自走砲だ。
(これなら使えるだろう。あとはクレーンと、仕様を満たす設計だが……)
問題点は依然多い。
だが使える車体があることは幸運だった。
(……待てよ、もしかしてIII/IV号戦車に目を付けたのって)
課長室から出てきたクラウス課長は、勝流の肩を叩き、激励の言葉をかけた。
「頼んだぞ、アルデルト中尉」
「ご期待に沿えるよう最善を尽くします!必ずこの計画を成功させます!」
クラウス課長は片手をひらひらと上げて、部屋を後にした。
(あれ?もう帰る時間?)
「アルデルト、今日は残るのか」
「先輩も?……ありゃ、もうそんな時間でしたか」
時計を見て、やっと夜であることに気づいた。
何かに熱中している時は、時間の進みがやけに速い。
「今日は残ります。課長から任されたこと以外も、仕事はたくさんありますから」
勝流は第4課の部屋で一人、黙々と作業を続けた。
興奮は冷めない。
あのヴァッフェントレーガー……その源流にいる気がしたからだ。
「そうだ、計画名を与えよう」
勝流は計画名を記した。
「III/IV号10.5cm自走榴弾砲……なんとも無味乾燥な名前だが、ひとまずはこれでいい」
III/IV号10.5cm自走榴弾砲。
火砲運用の新たな可能性……まさに一大プロジェクト、未知への挑戦であった。
しかしながら、野心的な計画には重大な問題が付き物である。
勝流が計画を進めていく中、さも当然のことが判明するのであった。




