第14話 ピンチヒッター
「急に北アフリカから呼び戻されたので、びっくりしました」
「すまんな。クラウス課長曰く、どうしてもアルデルトの力が必要だと」
1941年11月末。
勝流は北アフリカから陸軍兵器局に呼び戻された。
理由は秘匿されており、一刻も早く帰還せよ、という旨だけが告げられた。
「招集の理由は秘匿されていましたが、エアハルト先輩は何か知っているのですか?」
空港から車で陸軍兵器局へ向かう車中、隣にはエアハルト先輩が座っている。
「分からん。もうすぐ発表があるらしいが」
「なるほど……先輩も知らないのか」
勝流は呼び戻された理由を探るため、簡単な推理をした。
(この時期にアルデルトが呼ばれるってことは、余程の事が起きたのだろう。北アフリカにいる間、東で何かあったのか……東部戦線……あっ……)
間もなく兵器局に到着した。
中へ入ると、いつもと違う空気に気づく。
皆、しかめ面で騒がしげだ。
(なんだか騒がしいな……まぁ多分、アレのことなんだろうなぁ)
第4課の部屋に入ると、全員がクラウス課長の周りに集められていた。
「アルデルト少尉!ちょうどよかった。来て早々悪いが、時間がない。皆、集まってるな」
クラウス課長はゆっくりと立ち、紙束を取り出して告げた。
「これより総統命令を発令する!第一に、現在行っている開発をすべて停止せよ。第二に、あらゆる知識と工夫を用いて、1942年2月までに、敵の新型戦車を確実に撃破可能な兵器を計画、生産せよ。なお第一の命令に例外はない。以上だ」
全員が呆気にとられた。
「……何やら部屋の外が騒がしいと思ったら、これが理由ですか」
嫌味っぽく言ったのはハンス少尉である。
「もちろん、何の根拠も無くこんな命令を出すはずがない」
クラウス課長はそう言いいながら、手元の資料を全員に配った。
その資料には、恐るべき内容が記されていたのである。
「その資料には、とある戦車についての情報が書かれている。その情報を理解すれば、今回の命令にも納得できるはずだ」
全員が資料を読み込むうちに、深刻な事態が明るみとなる。
「……なにぃ!?Ⅳ号戦車の砲で貫徹不可能だと!?」
「ちょっと待て、Ⅳ号戦車で対抗できないのか!じゃあⅢ号戦車は!?」
「貫徹力の高い5cm対戦車砲でこの結果か……」
「タングステン弾芯なら貫徹するらしいが、それでもな」
「タングステン弾は貴重なんだぞ!?それを基準に考えるな!兎に角、この2輌の戦車は怪物だ!事実上、既存兵器のほとんどが対抗できない!」
「10.5cm軽榴弾砲の直射で進撃を止めた事例があるようだが、逆に軽榴弾砲で被害を与えられたということは……」
ほとんどのメンバーが騒ぐ一方で、二人の技術者は冷静だった。
勝流とベッカー大尉である。
「アルデルト少尉、お話があります」
「ベッカー大尉、来ていたんですね」
「ええ……事は重大ですな」
「質的主力のほとんどが対抗できない。頼りになるのは、空軍の8.8cm高射砲か、砲兵部隊の10.5cm軽榴弾砲、あるいは大口径砲を直射するしかない」
「それに、空軍の支援も常に受けられる訳ではない……結局、今頼れる兵器は無いに等しい」
ベッカーは資料を叩きながら言った。
「すぐにでも、この急場を凌ぐ兵器を作らねばなりません。でないと味方の前線が荒らされてしまう……既にやられているかもしれない」
「T-34とKVか……こいつらを安定して倒せる兵器が、今後の基準になるでしょうね」
勝流はため息をついた。
史実を知っているからこそ、T-34の機動性と傾斜装甲、KVの重装甲がどれだけ厄介かをよく理解していた。
T-34中戦車。
1937年、ソ連軍は次世代戦車の開発に着手していた。
スペイン内戦やノモンハン事件の戦訓を経て、BTシリーズの快速戦車やT-26軽戦車では、防御力があまりにも不足していることが浮き彫りとなったからである。
そこで、BTシリーズの機動力を継承しつつ、火力と装甲を大幅に強化した万能戦車が求められた。
開発の過程で次々と新設計が取り入れられ、1940年1月、ついに試作車が完成する。
その姿はまさに、従来の戦車の常識を覆すものだった。
T-34 1940。
車輛名の由来は諸説あり、T-34のTはTank(танк) の略。
34は開発年であることが最も有力で、1934年に立案された新世代中戦車計画に由来する数字と言われている。
重厚な傾斜装甲を備え、76.2mm戦車砲を標準搭載。
最高速度は55kmに達し、歩兵支援から戦車戦までこなす万能戦車であった。
それでいて生産コストは比較的安価で、ドイツ軍のⅣ号戦車と同等か、それ以下で生産可能だった。
独ソ戦勃発後には、急速に量産体制が整えられていき、1942年には月平均1200〜1500輌を生産。
これはドイツ軍のⅢ号、Ⅳ号戦車を合わせた、月平均300〜400輌前後をはるかに上回る数字であった。
KV重戦車。
クルィーロフ・ヴォロシーロフ重戦車は、T-34とは対照的に「重装甲」と「打撃力」を重視して設計された重戦車である。
開発は1939年頃から進められ、いざ実戦配備されると、厚い装甲と堅牢な車体により、当時の多くの対戦車火器を寄せつけない防御力を示した。
T-34と運用思想は明確に異なっており、突破と防御を目的とした重戦車である。
重量は40t級から50t級に達し、機動力こそT-34に劣ったものの、装甲の厚さは群を抜いていた。
初期の戦闘においては、ドイツ軍の通常の対戦車砲や戦車砲ではまったく歯が立たず、比較的薄いはずの側面装甲ですら貫徹できなかった。
対面したドイツ軍の兵士たちは、その圧倒的な防御力に恐怖を抱き、この重戦車を「怪物」と呼んだ。
構造の複雑さと重量ゆえに、信頼性や生産性で課題を抱え、生産数はT-34ほど多くはならなかった。
さらにドイツ軍側の対戦車兵器が強化されると、実際の防御力はT-34と大差ないことが次第に明らかになり、KVの大量生産が見送られた理由の一つともなった。
それでもKV重戦車の存在は、初期の独ソ戦において重大な脅威であった。
伝説によれば、たった1輌のKV-1が1個機甲師団を2日間に渡って食い止めたとも。
(KVはまさに怪物。T-34に至っては全てが高水準だ……乗員のことを考えていないという点を除けば)
しばらく考えた後、ベッカーは勝流に一案を示した。
「アルデルト少尉、私に考えがあります。東部戦線にいた時、とある野砲を鹵獲しまして」
「使えるかもしれない、ということですね」
「その通りです。野砲ですが、対戦車砲としても優れているようなんです。ちょっと手を加えれば、形になりそうでして」
「なるほど……私にも案はありますが、すぐには実行できそうにありません。まずはベッカー大尉の案を先行させましょう」
二人はすぐに計画の骨図を描き上げ、クラウス課長へ提案した。
「目を通したが、悪くない……最優先で計画を進めてくれ」
「ありがとうございます。早速ですが、必要な車輛の許可を」
「構わない。レープ局長からは、使えるものは何でも使え、と言われている。アルデルト少尉、今回は君が鍵だ」
「私ですか」
「そうだ。私は自走砲こそ要だと見ている。総統命令により、ほぼ全ての計画が停止している今なら……普段なら車輛の数にうるさい第6課も、大人しく渡してくれるだろう」
勝流は驚愕した。
ソ連軍の新型戦車のためだけに、兵器局全体が動いているのだ。
T-34ショックは、前線の将兵や司令部だけの話ではなかった。
「アルデルト少尉、ベッカー大尉と協力して、可能な限り速やかに計画を進めてくれ。一刻でも早く完成させるんだ」
勝流とベッカー大尉は専用の部屋を与えられ、寝食を忘れて計画に没頭した。
目的はただ一つ、この急場を凌ぐこと。でなければ、対抗手段を持たぬ兵士たちが、ただ弾に斃れていくだけである。
しかしここに来て、勝流に大きな問題が生じていた。
この場で使えるであろう、あの兵器の大枠は覚えている。
搭載する砲、使用する車台から、おおよその運用法も。
だが、正式名称がどうしても出てこない。
いつもなら真っ先に名を与えるのだが、今回は正式名称が出てこないこともあり、設計と議論に没頭、走り出す方が先になっていた。
「ふぅ……ベッカー大尉、提案があります。この計画に名前を付けましょう」
勝流は作業の手を止め、改めて計画に名を与えることを切り出した。
「いいですね……では、なんと?」
「戦車を狩るから、パンツァーイェーガー計画?……いや違うな……」
「ふむ……では何か動物に例えましょう。森や草木に潜んで獲物を狩る。今回の場合、怪物を狩ることを主目標にしていますから……」
勝流は以前の休暇で見かけた、とある動物を思い出す。
通りがかりの森林官に尋ねると、その名を教えてくれた。
「……マルダー。マルダーはどうでしょうか」
「マルダー……マルダーか、いいですね!この計画はマルダーと呼称しましょう」
森に潜み、静かに獲物を狩る。
対戦車自走砲計画「マルダー」の胎動が始まった。




