第11話 ロレーヌ・シュレッパー(f) 15cm自走榴弾砲
1941年1月中旬。
年が明けて間もない日、気温は−2.5℃。凍てつく大気がクンマースドルフ試験場を包んでいた。
そこへ勝流を始めとした開発陣は、予定よりも早くに到着していた。
理由は単純。
試験場に積もった雪を除雪するためである。
(とんでもなく寒い!!)
防寒具を着込んではいるが、露出している肌に突き刺さる冷気は苛烈だった。
皆でせっせと雪かきをしながら、勝流は学生時代をふと思い出す。
(ガキの頃は雪が降るだけで大はしゃぎしてたのに……今じゃ、ただの障害物だ)
雪遊びをする余裕などない。
今日ここに現れる人物は、一国の長である。
手を抜いたら最後、何を言われるか分かったものではない。
試験部隊は車輛のエンジンを温め続け、凍りついた地面をならしていた。
準備が整い始めた頃、一台の漆黒の車両が到着した。
メルセデス・ベンツ770K。
総統専用車として知られる威容が、試験場の空気を一変させた。
緊張が走る。
勝流が腕時計を見ると、予定より15分も早い。
(早いな。少し休む時間が欲しかったが……まぁあの人らしいと言えばそうだが)
車から降り立った人物を前に、全員が整列する。
勝流は思わず息を呑んだ。
(おぉ……この人が……)
勝流は感動していた。
歴史の文献、映像でしか見ることができない人物が、今まさに目の前にいるからである。
現代においても、彼の話題は尽きることがない。
良くも悪くも、伝説的な存在だ。
(ネットじゃ伍長閣下だの、ちょび髭伍長だの美大落ち閣下だの色々呼ばれていたが……)
鼻の下に短く生やした特徴的なちょび髭は、彼のトレードマークと言える。
(この人が……アドルフ・ヒトラーその人か……!)
レープ局長が進み出て、例のお決まりのポーズの後に挨拶を交わした。
「総統閣下、本日はご足労いただきありがとうございます」
「うむ……早速だが、試験を始めてもらいたい。あの車両がそうかね」
「はい閣下。すぐにでも開始可能です」
握手を交わした後、レープ局長が下がる。
進行役のクラウス課長が口を開こうとした瞬間、ヒトラーが右手を掲げて制した。
総統の声が、凍りつく空気を震わせる。
「我々は今!かつてない戦いに挑んでいる。戦いの勝利を決するのは、兵士の勇気!そして諸君らが築く兵器である!新たな兵器は、ドイツを守り、敵を粉砕する力を我々に与えるだろう。私は今日、この目で!その力を確かめに来たのだ。諸君らの力を示してみせよ!」
短いながらも力強い演説に、場の緊張は一層高まった。
クラウス課長が試験開始の合図を出した。
「試験を開始する!アルデルト少尉、説明を」
「はっ!本計画を担当したアルデルト少尉であります!」
勝流は声を張り上げた。
寒さで震えはしたが、言葉は途切れなかった。
「本車輛は、進撃速度の速い部隊に追従し、的確かつ迅速な火力支援を行うことを目的とした自走榴弾砲です。主砲には15cm lg. sFH 13を搭載し、車体にはフランス製ロレーヌ37Lを使用しております」
ここまで述べると、ヒトラーが早くもを口を挟んだ。
「私の求めた仕様では、主砲は15cm sFH 13ではなかったか」
ヒトラーからの指摘に、付き添い人たちは青ざめたが、勝流は落ち着いて答えた。
「説明いたします。15cm lg. sFH 13は、1917年にクルップ社が開発した15cm sFH 13の長砲身型です。射程は通常型より延伸され、最大射程は8,600m。砲弾の互換性はそのままで、部品や整備手順も変わりません」
「数はどれほどある?」
「多くはありません。調査では50門前後を確認しています」
「通常型の15cm sFH 13も搭載可能なのか?」
「勿論であります」
「……あの布は?」
「雨避けの防水シートであります。オープントップの戦闘室が雨に晒されるのを防ぐためです」
矢継ぎ早の質問に、勝流は淀みなく答え続けた。
ヒトラーの付添人たちは「また始まったか」という顔をしていたが、勝流の背後にいる開発陣は冷や汗が止まらない。
「……続けてくれ」
ようやく質問攻めが終わり、場の緊張が一気に解ける。
勝流も胸の奥で大きく息をつき、気を取り直して言葉を続けた。
「承知しました。では、説明を続けさせていただきます」
ロレーヌ・シュレッパー(f) 15cm自走榴弾砲。
ロレーヌ37L装甲輸送・牽引車の車体を用い、後部の貨物室を戦闘室へ改造。
ここに15cm lg. sFH 13を搭載したのが本車輛である。
戦闘室は四方を15mm装甲で囲み、上部はオープントップ。
戦闘室の後部には、砲撃による反動を逃がすための駐鋤を備える。
砲撃の際には地面に深く食い込み、車体が大きく後退するのを防ぐ仕組みだ。
乗員は6名。弾薬は36発を積載できる。
ちなみに、車輛名に含まれる「シュレッパー(Schlepper)」は、ドイツ語で牽引するもの、牽引車などを意味する。
史実では、1942年にドイツ軍がフランスで鹵獲したロレーヌ37L装甲輸送・牽引車を改造して誕生した。
改造は主にアルフレッド・ベッカー大尉の指揮で行われている。
(結局は史実通りの設計になってしまったが……修正が必要な部分は無かったから問題なかろう)
走行試験から始まった。
あらかじめ地面をならしていたお陰もあり、スペック通りの数値を出してくれた。
最高速度35kmを記録。
自走砲としては標準的な性能を発揮する。
この結果に対して、ヒトラーの反応は上々であった。
「あの重い重砲を軽々と……素晴らしいな」
次いで砲撃試験。
戦闘室後部にある駐鋤を地面に降ろした後に砲撃開始。
着弾、轟音と共に陣地が吹き飛ぶ。
駐鋤に関してはベッカー大尉の発案である。
勝流が頭を抱えていた問題を、彼は見事に解決してみせた。
勝流は車輛の斜め後方に立ち、駐鋤の動きを食い入るように観察する。
地面に食い込む様子は安定しており、反動を吸収する役割を十分に果たしていた。
戦闘室の内部も滞りなく機能している。
砲撃試験が終了した後、デモンストレーションが始まった。
想定は「味方から火力支援の要請が入った」という場面。
無線で要請を受けるや否や、車輛はエンジンを轟かせ射撃位置へと疾走した。
到着後、即座に駐鋤を展開。
従来の牽引砲であれば、牽引車から切り離し、陣地を構築し……と、時間を要した。
だが、この車輛は違う。わずかな手順で射撃準備が整ってしまう。
轟音と共に榴弾が放たれ、砲煙を裂いて目標へと飛翔する。
着弾、爆炎。仮想陣地はたちまち粉砕された。
直後、後方に停車していたⅡ号弾薬運搬車が前進してくる。
兵士たちが素早く弾薬を運び込み、戦闘室へと補給が行われる。
自走砲の弾薬搭載数という問題を解決した、連続射撃の体制である。
再び砲声が轟き、短時間で複数の榴弾が吐き出された。
砲撃を終えると同時に駐鋤が引き上げられ、撤収作業へと移る。
撤収速度もまた、従来の牽引砲を遥かに凌駕していた。
対砲兵射撃の恐怖がつきまとう砲兵にとって、この迅速さは部隊の生死を分ける決定的な差となるだろう。
一連の流れを見届けたヒトラーの口元が、わずかに緩んだ。
厳しい眼差しが和らいだのを見計らい、勝流は声をかけた。
「総統閣下、本車輛の出来栄えは如何でしょうか」
「実に見事だ。自分の設計したものが、理想通りに動く気分はどうかね」
「代えが効かないほどに、嬉しいものです」
「よろしい。これは兵士の命を預ける兵器だ。君の責任は重いぞ」
「承知しております。兵士たちが信頼できる兵器を、必ず作り上げることが私の使命です」
そのとき、ヒトラーの視線が細められた。
「何故、戦闘室が後部にあるのだ?」
ヒトラーの鋭い質問。
勝流は一拍置き、落ち着いて答えた。
「戦車と比べて主砲の重量がある分、後部に戦闘室を設けることで、全体の重量バランスを安定させています。また、弾薬の積載と補給も容易となります」
「理にかなった合理的な設計、ということだな……装甲が薄いのも、支援車輛と割り切っているからか」
「流石は総統閣下、その通りです。最前線で敵と撃ち合うのではなく、後方から支援する車輛ですから」
全ての試験を終え、総統自らの総評が下された。
「ロレーヌ・シュレッパー(f) 15cm自走榴弾砲は採用とする。すぐさま量産計画を立ち上げ、まず40輌を生産せよ」
その言葉を聞いた瞬間、整列していた者たちの顔に安堵の色が広がった。
凍りつくような寒さの中、肩にのしかかっていた重圧が一気に解ける。
だが・・・
「加えて、10.5cm軽榴弾砲搭載型も、並行して追加の生産を命じる」
鋭い声が響いた刹那、勝流を除く全員の表情が固まった。
予想外の命令に息を呑む者、互いに目を見交わす者。
その場に動揺が広がる。
ただ一人、勝流だけは静かに佇んでいた。
(想定内だ。むしろ、この車体の強みはそこにある。砲を大掛かりな改造なしで載せ替えられる、その柔軟さこそが肝なんだ)
総統は満足げに頷き、最後に勝流へ言葉を残した。
「アルデルト少尉。今後も期待しているぞ」
「総統閣下のご期待に沿えるよう、全力を尽くします」
厳冬の空の下で交わされたその握手は、確かな熱を帯びていた。
試験場を後にする際、クラウス課長が勝流の肩を軽く叩いた。
「アルデルト少尉、今回も見事だった」
「ありがとうございます。私も、今回の計画には満足しています」
「……恐らく、次は北アフリカだろう。アルデルト少尉には現地へ向かってもらうことになる」
「仕様書に記されていましたからね。開発の段階から予想はしていました」
冷たい風が頬を刺す。勝流は白い息を吐き、遠くの空を仰いだ。
(熱砂の大地、北アフリカ……いよいよか。砂漠の狐に会えるだろうか)




