狼牙一閃
俺が一歩前に出れば、一歩だけ周囲にいた騎士達が後ろに下がり。
それから、すぐに持ち場についた。
彼ら、特務大隊から派遣されてきた騎士達は義勇兵達の部隊長。
そして、総指揮官が俺だ。
「総員整列! これより、予定通り前進を開始する!」
そう宣言すれば、義勇兵達の表情が引き締まる。
強張る、ではなく。
……いい顔だ。
揃いも揃って、いい面構えになりやがった。
芯のある奴ってのはこういう奴らだ。
些細なきっかけで、兎が獅子になりやがる。
だが、まだ本物の獅子じゃない。
心に身体が追い付いていない。
そりゃそうだ、心と違って体は急に強くなりはしない。
いや、心もか。
幾度も壁にぶつかって、時に修羅場を乗り越えて、心も体も強くなる。
であれば、こいつらがこの修羅場を乗り越えれば、さぞかし頼れる獅子になることだろうよ。
だから、死なせない。
この俺が、こいつらを、一人たりとも死なせはしない。
「声を立てるな、足音を殺せ! ここからは、どこまで気づかれないかの勝負だ!」
俺の声に、全員が静かに頷く。
俺達がいるのは、シルヴァリオ軍が使った林道から少し離れた場所。
……いくら荒れ地に慣れた傭兵主体とは言え、こんなろくに整備されてない道を使ってあの大軍を進めてきたこと自体は驚くに値する。
こんなことが出来るなら、奴が傲慢になってしまうのも理解できる。
それに、これだけを見たなら、きっと俺は計画変更を考えたことだろう。
だが、その後がお粗末すぎた。
ニアから聞いたところによると、バルタザールは戦場の経験がほぼ皆無。
それを裏付けるかのように、戦場に出てきたシルヴァリオ軍は脳みそがないんじゃないかって動きしかしていない。
皮肉なことに、シルヴァリオ軍は第二王子バルタザールが偏った有能さを見せたからここまで来れた。
そして、バルタザールが先にそんなものを見せてしまったから奴が指揮を執ることに誰も疑いを持たず、結果、戦場でまともに動けていない。
奴にアイゼンダルク卿か同等クラスの指揮官を連れてくることと、その指示を素直に聞くことが出来れば、この状況はなかっただろう。
だが、奴に聞く耳がないことはわかっていたし、そもそもそんなものがあれば、こんな侵攻はしていない。
シルヴァリオ王国第二王子バルタザールの破滅は、奴が侵攻を開始した時点で決まっていたのだ。
俺の指示に従い、騎士達も義勇兵達も声一つ上げず足音を出来るだけ殺しながら前進を開始した。
特務大隊の連中はもちろんのこと、義勇兵達も中々の足取りを見せている。
考えてみれば彼らは農作業に従事したり山道を歩いたりには慣れているはずだから、足元がしっかりしているのも道理といえば道理。
特に山道なんざ、野生の動物に気取られないよう歩く必要があることだって少なくなかったろうし。
おかげで俺たちは、シルヴァリオ軍に気づかれることなく、かなり近くの距離まで近づくことが出来た。
「……直衛の騎士達が前に出ていきますな」
「前線が崩壊しかかってるからな、督戦隊よろしく無理矢理指揮を立て直そうってんだろ」
タイミングよく、俺達の目の前で騎士の集団が馬を駆って前線へと向かっていく。
これだけ間延びしたら角笛の指示も届くかどうか。だったらもう、直接騎士が言って聞かせるしかない状況だろう。
もっとも、奴らがちゃんと言うことを聞かせられるか……特に、全体をまとめられるよう意思統一された指示を出せるかははなはだ疑問だ。
いや、そうでなくとも傭兵達を抑えられなくなるかも知れんが。
「いくぞ。全員、俺が声を上げるまでは口を開くなよ」
俺の指示に、指揮官役である騎士達、少し遅れて義勇兵達が頷いた。
その顔には、緊張と興奮がない交ぜになっている。
無理もない。
なんせ目の前には、これでもかとばかりに幾人もの兵士が掲げたシルヴァリオ軍の国旗がはためいている。
つまり、あの旗の下には総大将である第二王子バルタザールがいるはずで。
あそこを落とせば、俺たちの勝ちなのだから。
だからって、興奮のあまりにここで雄たけびなんぞあげられても困る。
静かにするようもう一度だけ念を押して、俺は隠れていた林から飛び出した。
といっても、即座に全力疾走するわけじゃない。
いくら俺でも、この距離を鎧を着たまま全力疾走なんて息が持たないからな。
駆け足で進むことしばし。
幸いなことに、連中は全員が全員、惨憺たる有様の前線に目を奪われていたから、俺たちに気づくことはなかった。
予想よりも遥かに近づけたところで、やっと兵士の一人がこっちに目を向ける。
「……なんだ!? て、敵!?」
その言葉に反応して、まずは数人の兵士が。
それから、波が広がっていくかのように次々とこちらに顔を向けてくる。
距離もいい。頃合いだ。
「総員突撃!! ぶちかませ!!!」
声を張り上げながら、俺は全力で駆け出した。
俺に続いて特務大隊の騎士達が、それに率いられて義勇兵達が駆け出す気配がする。
見ている暇はないから、気配で感じるだけ。
先陣切って走る俺の目の前には、当然敵しかいない。そんな状況で、後ろなんて向けるわけがない。
そして。
目の前には敵しかいないから、俺の全力を出せる。
この手に持った『狼牙棒』の全力も。
「食らい、やがれぇぇぇぇ!!」
俺達の突撃に慌てて向こうの歩兵達も槍を向けてくるが、統率なんてまるで取れておらず、てんでバラバラ。
そこに飛び込んだ俺が気合の声とともに『狼牙棒』を振りぬけば、何かが潰れるようなエぐい衝撃音が響き、薙ぎ払われた歩兵が三人ばかり吹き飛んで後ろにいた連中にぶち当たる。……なんか、いつもより手ごたえがある気がしないでもない。
ともあれ、もの凄い勢いでいきなりぶっ飛んできた成人男性なんて鍛えた兵士でも受け止められるわけがなく、巻き込まれるようにして数人がバタバタ倒れていった。
「……は?」
何が起こったか理解できなかったか、シルヴァリオ歩兵の一人が間抜けな声を漏らすが、聞いてる暇も答えてやる義理もない。
俺はさらに踏み込んで『狼牙棒』を振るい、そいつもろともまた数人薙ぎ払う。
たった二振りの攻撃で、ただでさえ手薄になった敵の守りはぽっかりと大穴が開いたような状態になってしまった。
「今だ、隊長に続けぇ!!」
「う、うおおぉぉぉ!!」
そこに、時間差でうちの連中が突っ込んできた。
浮足立ってろくに陣形が整っていない歩兵連中と、決死の覚悟で一丸となって突っ込んできた俺達。
結果は、火を見るよりも明らかだ。
「な、なんだ、何事だ!? 何故こちらが攻撃を受けているのだ!?」
悲鳴のような声がした方へと目を向ければ、ひと際目立つ、豪華な鎧を着た青瓢箪。
多分、こいつがシルヴァリオ王国第二王子のバルタザールなんだろう。
だったら、やることは一つ。
「そこにおわすはシルヴァリオ王国第二王子、バルタザール殿下とお見受けした! 我が名はアーク・マクガイン! 『黒狼』の牙を馳走すべく、推して参った!」
「こっ、『黒狼』!? 貴様があの『黒狼』だというのか!?」
俺が名乗ればバルタザールの声は上ずり、動揺したことが丸わかりだ。
そんな態度を見せれば、浮足立っていた歩兵達からさらに戦意が失われていく。
悪名高いブリガンディア王国の『黒狼』。
アルフォンス殿下が密かに噂を流していたためか、歩兵達の目に明らかな恐怖が浮かんで見える。
まあ、噂に聞いただろう『黒狼』の武威を実際に目の前で見せられたから、ってのが後押ししてるところもあるだろうしな。
だから、俺が一番に切り込んだわけだが。
危険はあれど、俺が気兼ねなく全力を出せる最前列。
そこで見せた俺の暴れっぷりは、ご覧の有様。
自分で言うのもなんだが、こんなもん見せられてビビらない奴はそういない。
バラクーダ伯爵辺りは血を滾らせるかも知れないが、一応あの人は味方だし。
そして、一度恐怖を自覚した人間は、驚くほど脆い。
「我が欲するは、バルタザール殿下の御首ただ一つ! だが、邪魔するとあらば容赦はせん! さあ、次に死にたいのはどいつだ!!」
大見得を切って『狼牙棒』を一振りすれば、棘の先端についていた血が飛沫となってブワっと音がしそうな勢いで派手に飛び散った。
複数の尖った棘を持つ形状から、『狼牙棒』は平たくなっている剣などに比べて血を払い飛ばしやすいという性質を持つ。
そのため、複数人を殴り倒した後に勢いよく振れば、広範囲に霧状の血飛沫を飛ばすことも可能。
当然、そんな光景はさぞかし凄惨に見えることだろう。
そして、漠然としていた恐怖に明確な形が与えられる。
次は、自分がああなるかも知れない、と。
「うわっ、うわあああああ!?」
「ひっ、ひぃぃぃ!?」
一人が悲鳴を上げながら逃げ出せば、それに釣られて一人、また一人と兵士達が覚束ない足取りでその後を追う。
こいつらも、前に撃退した野盗風の連中と同じで、死ぬ覚悟なんてしちゃいなかった。
一つ違うのは、戦闘の状況推移から『まずくないか?』と漠然とした不安を感じていたことだろうか。
そこに、俺が明確な形で死の恐怖を叩きつけてやったのだから、大半の心がポキッといってしまったことだろう。
「あ、おい!? ば、馬鹿者、逃げるな! 俺を守れ、守らねば打ち首だぞ!」
バルタザールが狼狽しきった声で兵士達を引き留めようとするが、そんなことを言ったところで止まるわけがない。
踏みとどまれば、確実に死ぬ。
多分、半分以上はもうそれしか頭にない。
残り半分弱は、それに加えて『逃げても、王子達に捕まえられることはないだろう』という計算が出来ているかも知れない。
そして、一握りの人間が考えるだろう。
ここでバルタザール王子が『黒狼』に討ち取られれば、そもそも追手がかからない、と。
指揮官たるもの、そんな風に軽んじられてはいかんと自戒を込めて思う。
今はそれを利用させてもらってるわけだが。
「さあ、覚悟をお決めになるがよろしかろう、バルタザール殿下!」
逃げる兵士をうちの義勇兵達が追い立てる楽なお仕事をしているせいで、この辺りは大混乱。
そのせいであまり乗馬が上手くないらしく逃げられずにいたバルタザールへと俺が声をかければ、奴はびくっと肩を震わせた。
ただでさえ血色のよくないその顔は、いまやすっかり真っ青、を通り越して真っ白に近くなっている。
取り巻きの騎士達もいるにはいるんだが、混乱する馬を御することも出来ず、剣を抜くことも出来ていない。
こんな程度の練度で攻め込んでこられたのかと思うと、少々むかつくものはあるな。
「や、やめろ、俺を、俺を誰だと思っている! シルヴァリオ王家の尊き血を持ち、次代の王となる我こそは……」
「わかってるから来てんだろうがっての!」
何やら口上を述べ始めたバルタザールを軽く流して前へ進み出れば、それでも馬に乗った騎士が二人ばかり前に出てやつをかばおうとする。
もっとも、俺からすればいい的でしかないんだが。
「邪魔を、するなぁっ!!」
叫びながら『狼牙棒』を振るえば、騎士達が乗っていた馬が嫌な音を立てながら横転し、転がり落ちた騎士達は打ちどころが悪かったのかぴくぴくと痙攣してそれ以上動けなくなる。
……馬には申し訳ないが、ここは戦場だ。後で埋葬してやるから勘弁してくれ。
「お覚悟!」
「ひっ、ひぃぃぃ!?」
気合の声とともに俺が一気に接近すれば、バルタザールが悲鳴を上げながらのけぞる。
と。それが良くなかった。
手綱の操作を誤ったか、それとも俺にビビったか。
バルタザールの乗る馬が、いきなり大きないななきをを上げながら後ろ脚で立ち上がり、暴れだす。
「うわっ、あっ、ああああ!?」
当然、バルタザールにそんな馬を制御する技術なんてあるわけもなく、奴は為す術もなく転がり落ちた。
地面に叩きつけられた奴は、打ちどころが悪かったのかぴくりとも動かない。
そんな主を一顧だにすることなく、バルタザールの馬はどこへとなく駆け出していってしまった。
「……ありゃまあ。死んだか? いや、多分死んでないよな?」
バルタザールをまじまじと観察するも、首が変な方向に折れたりはしていない。
もちろんそれでも頭の打ちどころが悪くて、なんてことはあり得るが、今確認することでもないだろう。
「バルタザールに縄を打て! それから、シルヴァリオの旗を全部下ろさせろ! 俺達が勝ったのだと知らしめるんだ!」
俺がそう言えば、特務大隊の騎士が一人、手慣れた手つきでバルタザールを縄で縛りあげていく。
その向こうでは、こんな状況でもまだ踏みとどまっていたシルヴァリオの旗持ち兵数人を率いられた義勇兵達が取り囲み、組み伏せていた。
……ほんとなぁ、シルヴァリオ軍の末端にはきちんと鍛えられた兵もいるってのに。
全ては上に立つ者次第、とこんな立場になった今、改めて思う。
だが、感慨に耽っている場合でもないから、俺は続けて指示を出した。
「勝鬨を上げろ!! 俺達の、勝利だ!!」
「うおおおおおお!!!」
「お、おおおおお!?」
特務大隊の騎士達がまず手本となり、それにつられて義勇兵達も声を上げていく。
最初はおっかなびっくり。
続けているうちに、堂々と張りのある声になっていく。
そしてその声は、戦場の隅々へと伝播していった。




