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開戦は終わりの始まり

 それは、さほど時間を置かずに訪れた。


「なんだ? 傭兵どもの出足が鈍っているようだが」

「はっ、そのようでございますな……これは、一体。奴ら、よほど鍛え方が足りぬ連中ばかりだったのでしょうか」

「いや、さすがにそんなことは……最低限の確認はしておりますぞ」


 バルタザールが怪訝な顔で言えば、周囲にいる騎士達も首を傾げる。

 彼らの視線の先では、つい先ほど角笛の号令に従って突撃を開始した傭兵達が、見る見る勢いを失っていた。

 それもそのはず。徒歩の人間がまともに突撃できる距離は、限られているのだから。

 少し考えればわかることだが、鎧や武器といった重量物を身にまとった人間が走れる距離などたかが知れている。

 これがアークのような人間であればそんな状態で走る鍛錬を積んでいたりするのだが、普通の兵士や傭兵はそこまでの追い込み方はしない。

 だから、一般的に突撃というものは、もっと近づいてから敢行されるものだ。


 ところが、経験が足りない上に浮かれてしまったバルタザールは、突撃が届くよりも遥かに離れた距離から突撃の号令を発してしまった。

 傭兵達が顔を見合わせていたのはそのためであり、最初の動きが鈍かったのも半信半疑だったためだ。

 だが、角笛まで吹かれて念押しされてしまえば、号令が確かに下されたのだと認めるしかない。

 だから彼らは突撃した。半ば破れかぶれで。

 

 あるいはこれが、彼らの闘争心を十分にかきたてての突撃だったのならば、彼らも勢いを失うことなく突撃を届かせることができたのかも知れない。

 だが、彼らは金で雇われた傭兵でしかなく、仕事以上の意識を持たせることはなかなかに難しい。

 ここまで彼らを順調に進軍させてきたバルタザールではあるが、それはよく言えば彼が合理的にことを進めてきたから。

 悪く言えば淡白でビジネスライクな対応をしていた上に、見下した態度で傭兵達に接する……いや、接することなく上から指示を出すだけだったのだから、そんな彼相手に金銭以上の貢献をしようと考える傭兵など皆無である。

 傭兵達の聞き分けが良かったのは、単にバルタザールの金払いだとか食料の供給だとかが良かったからに過ぎない。

 いや、もちろんそれはそれで、評価すべき点ではあるのだが。

 それを遥かに凌駕する失点が、今まさに積み上げられようとしてるだけの話ともいえる。


 そして、彼らの失策はそれだけではない。


「……そういえば、傭兵達の中に咳き込む者や疲労感を訴える者がいると聞いたような」


 取り巻きたちの一人がふと思い出したようにつぶやけば、一斉に視線が集まった。

 それが示す重大な意味に気が付いたから……ではない。


「なんだと!? 傭兵なんて仕事をしながら、なんと惰弱な!」


 的外れな憤慨をしたからである。

 そしてそれは、声を上げた騎士一人ではなくその場にいる全員の認識であった。

 

 確かに、今回の進行は強行軍気味ではあったが、途中の休憩や食料の提供による疲労回復などの配慮は十分にされていた。

 この辺りはバルタザールの手腕と言っていいし、それをわかっているからこそ取り巻きたちは憤慨しているともいえる。

 それが、不幸でもあった。

 そんな状況であったから、彼らは自分たちに抜かりはないと思っている。

 そして、元々他責志向があり、見下している傭兵達の責任にしがちでもある。

 だから、見落とした。

 そんな状況で体調不良の者が出るということは、何か他の要因があったのではないか、という点を。


「まったく、栄えある我らが軍団の末席に属する栄誉を与えられながら、この辺りの農民どもと同じような弱音を吐くなど!」


 口々に傭兵達を詰る騎士達の一人が、そんなことを口走った。

 彼は、以前この辺りがシルヴァリオ王国の支配下にあった頃、ストンゲイズ地方に来たことがあったのだ。

 そんな騎士へと、第二王子バルタザールは不思議そうな顔を向ける。

 

「うん? なんだ、卿はこの辺りに来たことがあったのか?」

「はい、数年前のことですが。殿下が見事にこの辺りの諍いを収められた時の」

「そういえばそんなこともあったな。なるほど、だから知っているわけだ」

「あの時の差配は、実にお見事でございました!」

「ははは、そうだろうそうだろう! 卿もよく働いてくれたな!」


 得意げに笑うバルタザール。

 自身の功績を誇りながら部下へのねぎらいも忘れない。

 そんな自分はやはり上に立つ者だと浸るために。

 騎士も騎士で、おもねるために言っているのだから大きな違いはないのだが。

 

 ちなみに、バルタザールもこの騎士も中途半端なところで放り投げており、最終的に事態に収拾を付けたのは当時のソニア王女だったりする。

 もちろん二人には、そんな意識はない。

 だから、肝心なところを見落としているともいえるのだが。


 農民達が疲労感を訴えていたのはこの辺りの風土病によるもので、傭兵達はそれに罹患してしまっている。

 この辺りの土地に詳しい者が一人でもいれば、そのことはすぐにわかったはずだった。

 だが、そんな人間はこの場にいない。一人たりとも。

 そういう人間のことを、バルタザールが『田舎臭い』と遠ざけたからだ。

 バルタザールには、この地が敵地になっているという意識もなければ、戦において情報こそが何よりも大事だということを真の意味でわかっていなかった。

 戦場は常に変動し、それ故に何が起こっているかを常に察知し続けなければならない。

 ある程度以上の経験を積んだ軍人にとっては当たり前のことが、彼には欠けていた。

 

 だから、全く気付いてもいなかったし、反応もできなかった。


「……何やら先頭がごちゃついておりますな?」

「いや、急にばらけだしましたぞ?」

「ええい、一団となって前進することすら出来んのか!?」


 彼らの目の前では、勢いを失っていた先頭が、さらにまとまりすら失っている様子が見えていた。

 傭兵達の悪口に興じ、駄弁っていた彼らからすればそれすらも傭兵達の怠慢にしか見えない。

 そもそも、彼らは根本的に勘違いをしている。

 まず、一団となって前進するのは難しいことなのだ。

 ある程度仲間意識、帰属意識のある兵士達ですら、行軍訓練を重ねることでしか集団の前進を実現することは出来ない。

 ましてそれが、あちこちからかき集めてきた傭兵ともなれば、至難の業と言っていいだろう。

 そんなことを、バルタザールも取り巻きの騎士達も知らなかった。

 彼らが見る兵達は、そういった地道な訓練を終えた後の者達ばかりだったからだ。



 これで経験とカリスマ性のある指揮官が前線にいれば少しは話が違っただろうが、残念ながらバルタザールの麾下にそんな人間はいない。

 そんな人間はバルタザールについてこないし、バルタザール自身もそんな人間が必要だとはこれっぽっちも考えていなかった。

 彼が言えば周囲の人間は言うことを聞く。例外は、第一王子エルマーの息がかかった人間ばかり。

 だから彼は今回の進攻に際して、エルマーの影響が及んでいる王国軍ではなく彼が中心となってかき集めた傭兵を主戦力にしたところもある。

 もちろん、そもそも先の敗戦の影響で消耗の大きかった王国軍が戦力を回復させられていないという面もあるが。

 そして、かき集めた傭兵達を、バルタザールはここまで大過なく進軍させることが出来てしまった。

 成果といってもいいその事実が彼の自尊心をくすぐり、彼の目を曇らせる。


 彼には必要な物と人員を必要な場所に送り込む能力があり、有能な戦略家になりうる素質がなくはなかった。

 ただその素質を開花させるには、冷徹な第三者視点を叩き込める師が必要であり、彼の前にそんな人間は現れなかった。

 

 そして、戦場で指揮を執る戦術家としての素質は、致命的に欠けていた。


「敵方、弓の斉射を開始しました!」

「ええい、猪口才な! 構うな、進ませろ! 兵がばらけたのであれば逆に好都合、斉射の効果は減る!」


 戦況を見ていた騎士からの報告に、バルタザールは舌打ちしながら指示を出す。

 困ったことに、彼が言っていることには事実が含まれていなくもない。

 弓の斉射は一定範囲に矢を降り注がせるため、兵が固まっているところに打ち込むと大きな効果が出る。

 だから、散開しているところに斉射をしても効果が薄まること自体は事実だ。

 ただ、それが戦場において効果的となるのは、意図的に散開している状況でのこと。

 意図せずばらけさせられている今の状況とはまるで違うということに、バルタザールは考えが至っていなかった。


「前衛接敵! ……だめです、次々討ち取られています!」

「やっと突撃が届いたと思えば、これか! 所詮は下賤な傭兵でしかないということか!」


 バルタザールは怒りを顕わにしながら嘆くが、全て彼のせいである。

 斉射に対する防御においては散開も有効ではあるが、正面切っての集団戦闘となれば、隊列を揃えて固まっている方が圧倒的に強い。

 鍛え上げられ統率の取れた歩兵が槍を並べているところに、ばらばらとまとまりなく突撃していく傭兵達。

 あちこちで多数対一の戦闘が行われているようなものなのだから、シルヴァリオ側の傭兵達にばかり被害が出るのも当然のことである。

 おまけに、この状況はシルヴァリオ軍にとっては予想外だが、ブリガンディア軍にとっては想定通りなのだから。


 突撃した傭兵達がばらけたのは、あちこちに展開された馬防柵によるもの。

 当初、アークとの打ち合わせにおいては馬防柵によって簡易陣地を構築し、シルヴァリオ軍を迎え撃つ予定だった。

 だが、この一か月でブリガンディア軍を率いるファーロン伯爵は戦術を練り上げ、アレンジを加えたのである。


 まず相手の進軍先に歩兵達が馬防柵を一列にではなくランダムに展開した後、速やかに後退。

 まとまっての移動が不得手な傭兵達の集団が進路変更出来ずその馬防柵に引っかかったところに弓を斉射、散々に矢を射かけて損害を与えるだけでなく、馬防柵を取り除こうとする者の動きを阻害。

 傭兵達の選択肢を奪い、馬防柵を避けて各個に前へと出るしかない状況を作り上げたのだ。

 そして、バラバラに突っ込んでくる傭兵達を一糸乱れぬほどに隊列を揃えた歩兵達の槍衾が待ち受け、散々に突き倒していく。

 もちろん、こんな戦術をここまで破綻なく実行しきることは並大抵のことではない。

 相手の主力が傭兵であることを掴んだうえで綿密に準備を重ねて兵をまとめ上げた、ファーロン伯爵の手腕が光る用兵であった。

 

 逆にシルヴァリオ軍からすればそれは悪夢のような光景でしかなく、特にバルタザールなどすっかり顔色を失っていた。

 この損耗の速さでは、倍の数でも足りない。

 中途半端に回る彼の頭は、遠からず訪れる未来を予測してしまった。不幸なことに。

 

「き、騎士達を前に出せ! 傭兵どもを叱咤し、統率を取り戻すのだ!」

「は!? い、いやしかし、それではこちらの守備が……」


 バルタザールの指示に、しかし取り巻きの騎士が珍しく従わない。

 傭兵が主力だとはいえ、王子も前に出てきているのだから、その周辺を固める騎士もそれなりの数が随伴している。

 取り巻きたちからすれば、虎の子ともいえるその騎士達をここで前に出すのは何とも不安に思えてならないのだが。


「守ってばかりで勝てるものか! 数の優位が失われていない今のうちであればまだ間に合う、勝てるのだ!」

「か、かしこまりました!」


 再度バルタザールが声を上げれば、従わないわけにもいかない。

 また、負けるわけにもいかない。いや、勝たねばならない。

 敗戦直後、そして停戦条約を結んだ直後の侵攻なのだ、失敗すれば彼らの地位も名誉も、命も危うい。

 ようやくそのことに考えが至った取り巻きの騎士達の幾人かは、バルタザールの指示に従って騎士達を率いるべく本陣を離れる。

 そして、勝利を絶対に掴まねばならぬ、と視線が前へと向き、正面に構えるブリガンディア軍を注視する。


 これが、この戦の勝敗が決定した瞬間だった。

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― 新着の感想 ―
[一言]  わざわざ討ち取られに行ってますな!(笑) しかし行軍中に他所の地での病気を考慮に入れていないとは、ほんとに紙上訓練くらいしかやったことないんだな……。
[一言] 生兵法と大怪我のもとと言うか、中途半端に頭が回るから変に被害がデカくなると言うか… この人、もう少し頭がいいか、逆にアホならそれなりには使えた人材なんじゃないかな……。それか継承権のある王子…
[良い点] バカのせいで死ぬ傭兵が少し可哀想だ… とはいえ奴らも仕事だし覚悟はしているか
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