外面と内心と
何とか書き終わった手紙をトムに持っていってもらったところ、ファルロン伯爵も明日時間を作ってくれるという返事をすぐに書いてくれた。
で、翌日俺は、ニアを伴って宿営地を訪れたわけだが。
「……待遇が違うのは、ニアが一緒だからですかね」
とか思わず言ってしまったのは許されて欲しい。誰もいないタイミングだったし。
昨日は宿営地の入り口付近にあるテント。
今日は宿舎の中にある応接室。
もちろん簡易に作られた宿舎の中にあるものだから、仮設とも言えるレベルのものではあるんだが、ちゃんと壁と扉があるんだから、待遇としては大違いである。
ま、向こうの都合もわかるから、直接文句をぶつけるつもりもないが。
「それよりは、話の重要度をご理解いただけているから、と思った方がいいと思いますよ? その方が、アーク様もお話しやすいでしょうし」
「まったくもってその通りなだけに、反論のしようもないですね。俺としても、ファルロン伯爵とは上手くやっていければと思っていますし」
ちょっとわざとらしいくらいに真面目くさった口調で言うニアのフォローに、俺は愛想良く応じる。実際、そんなに気分を害してるわけじゃないし。
むしろ、俺が本気で言ってるわけじゃないことをニアがわかってくれてるっぽいのが嬉しい。
出会った当初に比べて、お互いの理解が進んでいるような気がするから。
……まだまだお互い遠慮がちなところはあるが。
でもまあ、無遠慮になるよりはいいんじゃなかろうか。
「……っと、伯爵が来たようです」
「え? あ、はい、そうなんですね」
こちらへと向かってくる足音を耳に捉えた俺が言えば、ニアが一瞬キョトンとしてから頷いて立ち上がる。……ちょっと嬉しい。俺の感覚を信じてくれているってことだから。
なんてしみじみ味わいつつ、俺も当然立ち上がる。爵位が上の人間に会うわけだしな。
「お待たせしましたかな?」
「いいえ、まったく」
昨日に比べたらな! とかいう嫌味に取られないように気をつけながら俺は言う。
牽制しあうつもりならともかく、今日はそんなつもりはまったくないし。
そのニュアンスは伯爵にも伝わったのか、若干ほっとした顔である。
この空気なら、サクサク話を進めてしまっても大丈夫だろう。
「お話の前に妻をご紹介させてください。こちらが私の妻であるニアでございます」
「マクガイン子爵が妻、ニアでございます。どうぞお見知りおきください」
俺が紹介すれば、ニアが整ったカーテシーを見せる。
……どこがどう違うのかわからんが、華やかさが抑えられ丁寧さが伝わってくるその姿に、色んな意味で感嘆してしまう。
つまり、王族風の振る舞いではなく子爵夫人として恥ずかしくない、その中でも最上級の礼を見せた、挨拶を使い分けたってことなわけで。
そういう教育を受けさせられていたと聞いてはいたが、ここまで見事に使い分けるとは。
どうやらファルロン伯爵にもそれは伝わったらしく、感心したような表情になっている。
「これはご丁寧にありがとうございます。この旅団の長を務めております、ファルロンにございます」
部屋に入ってきた時から昨日と違った伯爵の空気が、さらに柔らかいものになる。
いや、ニアが美人だからって鼻の下を伸ばしてるとかじゃなく。
協力関係を持つに値する相手だ、という評価を深めてくれた感じだな、これは。
貴族は侮られたら負けと言ったが、逆に価値があると思われれば力になることがある。
で、礼法を修めているか、教養があるかというのは一種の貴族的バロメーターで、そこを見てまず当たりをつけるのはよくあること。
騎士団に所属するファルロン伯爵だが、無骨一辺倒ではなくそこを見る目もあるようだ。
領地のない宮中伯であれば、上流階級と騎士団の間に立つことも多いだろうから、むしろ必須の技能なのかも知れないが。……やっぱ味方につけた方が良さそうだな、この人。
一通り挨拶も終わり、お互い席に腰を下ろしたところで早速俺は口を開いた。
「手紙である程度お伝えしましたが、例の「野盗」対策に関して相談したく本日は参上いたしました。具体的には、まず使者として幾人か騎士をお借りしたいのですが」
「ええ、そういうことでしたらこちらも異論はございません。野盗を探索させるのには幾日かかるかわかりませんが、使いであれば最悪でも二日あれば行き帰り出来ますから」
ファルロン伯爵の言葉に、なるほど、と俺達は頷いて返す。
騎士の操る馬であればストンハント、ディアマンカットの中心都市まで数時間。
馬を十分休ませるために一泊したとしても二日で済むわけだ。
これが応援を要請して王都から送ってもらって、となるとどれだけ時間がかかることやら。
おまけにそれをやっちまえば、旅団の面子にも関わってくるし。
今何をすべきか、手詰まり気味だったファルロン伯爵からすればかなり助かることだろう。
「それから、その後のことですが……」
と、続けて俺は今後の相談に入る。
行政官の派遣については当然必要、護衛の騎士を特務大隊から寄越すのも問題ない。
この形であれば、旅団の面子にも関わりはない。例え、護衛の騎士達がその後も残って、俺の用事をやってくれたとしてもだ。
この辺りは問題ないのだが。
「しかし、子爵夫人も一緒にあちらへ出向かれるのは……」
と、ファルロン伯爵が難色を示す。まあ、普通の反応だろう。
当然これは想定していたので、俺もニアとの打ち合わせ通りに返す。
「実は以前ニアはそれらの町に行ったことがありましてね。顔見知りも居るものですから、そちらから私のことを紹介してもらえば、話が早く済みそうなのですよ」
「なんと、それはまた……でしたら、確かにお力をお借りした方が良さそうですな」
俺の発言にファルロン伯爵は驚いたようだが、それも無理からぬこと。
普通の貴族令嬢なら、国境際の町や村に出かけるなど、領地でもない限りはしないだろう。
この辺りは、学者の娘という設定が活きてくる。……ほんとすげーな、この設定考えた人。
だからこそ、その人の期待を下回るような動きは出来ないし、したくないわけだが。
「妻としても、知己の者が苦しんでいるのを見過ごすわけにはいかないと申しておりまして」
「加えて、お恥ずかしながら私は先日の婚姻をもって貴族の一員となったばかり。貴族たる者の心構えを行動で示せる機会を与えていただいたとも思っております」
ニアが、柔らかさの中にも凜とした強さのある声で俺の発言に続けば、ファルロン伯爵は驚いたような顔でしばし沈黙した。
何しろニアは元王女、それも国民のために動いていた『本物』の王族。
そんな彼女がその気になった時に纏う高貴な雰囲気は、子爵夫人のそれではない。
だからこそ乱発すべきではないんだが……このタイミングでの効果は覿面だったようだ。
「なんと……奥方殿の心根、まさしく貴婦人と呼ぶにふさわしいものでしょう」
演技でもなんでもなく、心から感動した面持ちで言うファルロン伯爵。
騎士の心得として、貴婦人を尊重すべし、といったものがあったりする。
現場叩き上げの騎士にはあんまり根付いてない精神だが、伯爵のような宮中貴族の騎士であればそれが必要になる場面は多いはず。
政略結婚に繋がったりだとか、政治的に意味があるっていうのもある。
それともう一つ、物語に出てくるような騎士として振る舞うっていうのも、目立つ場所にいる騎士には必要なこと。
憧れや尊敬の対象となる騎士がいることで、平民達が身を律することに繋がったりもする。
もちろん騎士を目指したり、それが無理でも兵士になろうっていう子が出てきて国防に繋がるって側面もあるしな。
あ、ニアが貴婦人にふさわしいってのは当然として。
そんなファルロン伯爵へとニアがはにかんだような微笑みを向ける。
……大丈夫、嫉妬してない。大丈夫。俺はそんなに心が狭い人間じゃない。
「ありがとうございます。真の騎士たるファルロン伯爵様にそう言っていただけるのは、身に余る光栄でございます」
……大丈夫、嫉妬してない。大丈夫。ニアが俺のことも真の騎士だって思ってくれてるってわかってるから大丈夫。
今後はニアが騎士や目上の貴族と関わることも増えるんだ、こんな社交辞令で心を乱してたら身が持たないというもの。
「こちらこそ身に余る光栄です、レディ」
言葉通りに感じ入ったような顔で応じるファルロン伯爵。
見ての通り、効果は抜群だ。
流石ニア、という気持ちと、醜い嫉妬や独占欲が同時に湧いてくるが、それも我慢。
俺一人の感情は俺一人で処理出来ること。仕事と感情は別物なんだ。
というか、それを上手く処理出来ないと、ニアの夫など務まらないだろう。
それくらい、ニアは魅力的な女性なのだから。
実際、そこから話はトントン拍子。
この件に関する協力体制に関して、理想的な程前向きな話が出来たのだった。




