ストンゲイズ地方中心都市、ビッグデン
こうして俺達は問題なく旅路を進んだ。
一番心配していたニアは予想以上にタフだったし、侍女やメイドといった女性陣も体力的には大丈夫に見える。
いわく『あの王宮の居心地の悪さに比べれば』だとか『余計な仕事を色々押しつけられていて、体力だけには自信があるんです』だとか。
……ソニア王女だけでなくその近辺の扱いも大概だったようだ。
これなら、穏便に乗っ取る分には彼女らも拒否することはないどころか、積極的に協力してくれそうな空気ですらある。
多分その辺りもアルフォンス殿下は組み込んでいくんだろうなぁ……。
元々殿下のプランでは、攻め滅ぼすのではなく叩くところだけを叩いて比較的穏当に併呑するのが基本方針。
こうすることで住民への被害を出来る限り無くし、後の統治をしやすくするのが狙いだ。
言っちゃなんだが、住民、特に平民からすれば、上が誰になろうがあまり関係がない。
大事なのは年貢や税、兵役がどうなるか、日々の暮らしが変わってしまうかどうか、だ。
だからその町や村を統治する人間が変わるかどうかの方が大事だったりする。
……なんてことを苦も無く受け入れて策略に組み込むのが、アルフォンス殿下というお人だ。
普通の王族ならば、王たるものの権威が~だとか不敬だ~とか騒ぐところかも知れないが、殿下はそれが権威として通じる場面とそうでない場面を把握して使い分けている。
そりゃま、王族なんて見たこともない農村の人間に王権がどうだとか語っても仕方ない。
都市部の人間に至っては、税金をぶんどる憎い奴とすら思っていても不思議じゃない。
そんなところに『王族の命令だ、従え!』とか言ったら反感を買うばかり。
最悪、襲われて命を失う可能性だってある。
だからアルフォンス殿下は、王族の権威を絶対視しないし平民の感情まで策略に組み込む。
……たまに、ほんとに悪魔なんじゃないかと思うこともあるが、仕方ないんじゃなかろうか。
ともあれ。当然そんな殿下の策略には、彼女らも組み込まれている。
そのことはもちろんニアにも話しているし、彼女も承諾しているから問題ないとは思うが。
侍女達に危険なことをしてもらうつもりもないしな。
王宮でのことを話してもらったり、親類縁者に手紙を送ってもらったり、といったところ。
もちろん、その親類縁者がスパイ容疑で捕まりかねないような文面にはしていない。
安全かつゆっくりと、密やかに確実に、策は浸透していっている、はず。
俺も全貌は掴めてないんだが、あの人に手抜かりがあるわけがないってことだけはわかるし。
つらつらとそんなことを考えながら、俺は馬の背に揺られていた。たま~にローラが『仕事してんのか』って感じで視線を向けてくるから、適度に緊張感を保ちつつ。
こうして、特に襲撃だとかもなく俺達は無事に領地となるストンゲイズ地方、その中でも領都となる一番大きな街ビグデンに到着した。
「なるほど、これは殿下が急かすわけだ」
思わず、俺の口から本音が漏れる。
街そのものは、よくある地方都市といった佇まいで、これといった特徴はない。
国境近辺の都市にしては防壁が低いから、そこは気になるところだが。
問題は、その外側。
仮設の宿舎が幾棟も建ち並び、大勢の人間、それも鍛えられた男性が行き来をしている。
言うまでもなく、ファルロン伯爵率いる旅団の駐屯地だ。
ビグデンの街の住人が三千人弱らしいんだが、それに倍する軍隊がすぐ隣にいるんだから街の住人も落ち着かないことだろう。
もちろん旅団の一部は各地に派遣して哨戒や治安維持に携わっているんだろうが、見たところ大多数がここに留まっている。
いつシルヴァリオ側が仕掛けてくるかわからない今の状況だと、兵力の分散を嫌うのは仕方ないところではある。だが、街の住人からすれば、それこそ知ったことじゃない。
だから、俺という領主が出来るだけ早く来る必要があったわけだ。
旅団と同じ国の人間である俺が領主として街の中に入れば、旅団が攻め込んできたりといった無体を働く可能性は大きく減るわけだから。
もちろん今までだって乱暴狼藉はしてないはずで、襲ったりしてこないと頭ではわかってるんだろうが、感情は別問題なのが厄介なところ。
それも、今日俺が到着したことで解消される……まではいかないかも知れないが、多少は緩和されることだろう。
「まずは旅団長のファルロン伯爵に挨拶しにいかんとな。やれやれ、着いたばかりだってのにやることが多いったらありゃしない」
そんなことをぼやきながら、俺達一行は街の中へ。
もちろん歓迎のパレードなんかは予定されてなかったので、何事だと遠巻きに見られながら進んで、領地の館に辿り着く。
「ニア、お疲れ様でした。どこか身体に痛みなどはありませんか?」
「ありがとうございます、アーク様。ええ、大丈夫です」
馬から下りて一旦近くの柱に繋ぎ、ニアの乗る馬車へと駆け寄って下りてくるところをエスコートしながら尋ねれば、ニアは微笑みながら返してきた。可愛い。
いやそうでなく。彼女の性格上、しんどくても隠したりしかねないんだが、見たところ、言葉通りで無理なんかはしてないようだ。
それから使用人達の様子も観察するけれど、全員大きな問題はない様子。
これで、無事到着と言って良いだろう。
「よし、皆ここまでお疲れさん。連絡して掃除なんかはしてもらってるはずだから、それぞれに割り当てた部屋に私物をまずは運んで一旦休憩してくれ。疲れが酷いものは今日はそのまま休んでくれて構わない。本格的な業務開始は明日から、という認識でいいからな」
俺がそう告げれば、全員がぴしっと背筋を伸ばして立ち「かしこまりました」と返事をしながらお辞儀。長旅で疲れているだろうに、この辺りは実によく教育されている。
各自それぞれ動き出したのを見ながら、俺も自分の荷物を自室へと運ぶ。
ほんとはニアの荷物も運んでやりたいところなんだが、ローラが絶対に許してくれない。
いやまあ。『中には姫様の下着なども入っているのですが?』とか言われたら触れない。
別に荷ほどきまで手伝うわけじゃなし、見るわけでも直接触るわけでもないんだから問題ないはずなんだが、こう、なんか、なぁ?
なお、小声で言われたので、ニアはこのことを知らない。……知られたら知られたで、お互いどんな顔すればいいのかわからなくなりそうだが。
というわけで、俺は自分の荷物だけを自室に運んだ。
ちなみに、ニアの部屋は隣だ。
ついに。
ついに、部屋が隣同士になった!
ただし、二つの部屋を繋ぐ内側の扉は固く閉ざされているが。
これは、領主と夫人の部屋が離れているのは流石に体裁が悪かろうという判断によるもの。
王都内の屋敷ならともかく、領地のど真ん中にあって役所的な機能も兼ねて持つ領主の館だと、ひょんなことから部屋の配置に気付かれる可能性もなくはない。
そうなったら体裁が悪いなんてもんじゃないし、領内におけるニアの活動にも支障が出かねない。ということで、この部屋配置になったわけだ。
……正直、心臓に悪い。
ドキドキしすぎて夜になったら眠れないんじゃないかと心配すらしている。
だがしかし、嬉しいのも嬉しいのだ。
それに、書類上は夫婦になったんだから、部屋が隣同士でも全く問題無い! むしろ隣り合ってない方が問題なんだからな!
……早く『書類上』ってのがなくなるように頑張ろう、仕事もプライベートも……。
などと感情を上下させまくりながら俺は荷物を自室の中に置き、荷ほどきもそこそこに着替え始めた。動きやすい旅装ではなく、騎士の正装へと。
使用人達には休憩してもらいたいが、俺はそうはいかないし、体力も余っている。
今日着くことも挨拶に行くことも手紙で知らせてるから、すっぽかすわけにもいかんし。
今のうちに、というか出来るだけ早く済ませたい用事を済ませねば。
着替え終わる頃には丁度隣の部屋も荷物の運び入れが終わったようだ。
そのタイミングで、俺は隣の部屋のドアをノックする。
「ニア、すみません。少しだけいいですか?」
「アーク様? はい、構いませんよ」
許可を得てドアを開ければ、ニアもローラもまだ旅装のまま。
これから着替えるところだったんだろう。我ながらいいタイミングである。
まさか着替えてるところにノックするわけにもいかんからな……。
「これからファルロン伯爵のところに挨拶しに行くので、そのことを伝えておこうと思って」
「あ、今から、ですか? 着いて早々、お疲れ様です」
俺が用件を告げれば、少し驚きつつもニアは俺を労りながら頭を下げてきた。
段取り自体は事前に打ち合わせいていたのだが、旅団と俺、その後ろにいる特務大隊の微妙な関係を知っているニアは、着いて早々挨拶に行く意味と効果を理解している。
そもそも向こうの旅団長は伯爵、こっちは一つ下の子爵。おまけに、三ヶ月ばかりの間この辺りの治安維持もやってくれている相手なんだから、急ぎ挨拶に伺うのが筋ってものだろう。
これが文官系の子爵なら、一日休むくらいは大目に見てもらえるかも知れない。
だがしかし、騎士がやった日には『軟弱な』と舐められることになる。
なんなら、到着から休憩の時間を置いて訪問しても同じように舐められる。
その上、王国騎士団と仲が微妙な特務大隊出身とくれば『これだから特務大隊は』と侮られることになりかねない。これは大変よろしくない。
騎士と言えども軍人、荒事専門の肉体労働者である。舐められたら負けだ。
その昔の騎士などは『舐められたら殺す。それが騎士の流儀』とまで言っていたそうだから恐ろしい。そして、今もその精神は多少マイルドになりながらも続いている。
いくらニアと言えどもここまで踏み込んだ騎士心理はわからないだろうが、それを除いても俺が到着早々ファルロン伯爵に挨拶しに行く意義は大きいと理解してくれている。
「あの、私も一緒に行った方がいいでしょうか?」
だから、こんな健気なことを言ってくれるわけだが。可愛い。
しかし俺は、そんな健気なニアの提案を、首を横に振ってお断りした。
「いえ、明日なり後日で大丈夫でしょう。殿下から聞いたファルロン伯爵の性格から考えるに、『長旅でお疲れのレディを引き連れてくるなど!』とか怒りだしかねません」
「まあ、そうなんですか? わかりました、でしたら私は、館内の片付けを取り仕切るよういたしますね。清掃の方は問題なくしてもらえているようですから、その分は楽ですし」
「わかりました、お願いします」
俺の説明に納得したらしく、ニアは一つ頷いたと思えば次なる提案をしてきた。
休んでくれてていいのに、とも思ったが、彼女のやる気に水を差すのもなんだし。
何より、積極的に何かしようとしてくれるその姿勢がありがたい、というのもある。
「ニア、ありがとう。働き者の領主夫人が来てくれて、俺も住民も幸せだと思いますよ」
言いながら、ちょっと照れる俺。そうだよな~領主夫人なんだよな、ニア。
当たり前のことなのに妙にふわふわしちまうんだが、どうやらニアも同じだったらしい。
「やだそんな、そんなこと言われたら、照れちゃいます、よ?」
頬を赤くしながら、上目遣いに俺を見てくるニア。……可愛すぎて心臓が止まるかと思った。
なんとか心臓を動かしつつ、溶け崩れそうな表情筋にも気合を入れる。そうしないと大分気持ち悪い表情になるであろうことが、自分でもわかる。
「本当はもっと照れさせたいところですが……日が暮れても終わらなくなりそうなので。すみませんが、いってきますね」
「……は、はい、いってらっしゃいませ」
ちょっとだけ残念そうだったのは、俺の気のせいだろうか。
気のせいじゃないといいな。
そんなことを思いながら、俺はニアの部屋を後にした。




