初デートの終わりに
その後、出された料理は前菜から主菜、デザートに至るまで素晴らしいものだった。
また、向かい合って食事してる時のニアの所作が流麗で、うっかりすれば見蕩れてこっちの手が止まってしまう程。
おかげでより一層食事が美味く感じた気さえするんだから、不思議なものである。
テーブルマナーってのは大事なんだなぁ、と改めて思う。
いや、理屈ではわかっていたんだが、実感したのは初めてかも知れない。
ああいう店で、きちんとした相手との食事ってのは、やはり一味違う。
それも、これ見よがしとかじゃなく自然に出来るような相手だと。
もちろん場末の店で気楽に飲み食いするのも好きだし、基本的にそっちの方が性に合っているとも思うんだが、もう立場的にそればっかりとはいかんわけだしな。
領主ともなれば、客を迎える立場になることもあるわけだし……。
ニアが夫人としていてくれたら、そういう時に失礼のないよう相手をもてなしたりなんかもしやすいんだろうな。
「アーク様、どうかなさいました?」
「え? あ、いや、ちょっと考え事を」
夜道を歩きながらそんなことを考えていたら、不意にニアから声を掛けられた。
いかんいかん、今はニアを送っていく最中なんだ、あまり考え込んでるのもよくないだろ。
何でも無いと首を横に振って見せ、それから笑ってみせる。
「今日一日のことを振り返っていたら、ニアが婚姻相手になってくれるのは本当に幸運なことだと改めて思ってしまいまして」
「あら、いきなりどうしたんですか、そんな持ち上げるようなことを」
正直に考えていたことを言ってみれば、ニアも笑って返してくる。
ワインを少々飲んだせいか、ちょっと普段よりも柔らかい感じの笑みと声。
ちょっとふわふわしているというか、ほわほわしているというか。
こんな感じになるのは珍しい、というか初めてかも知れない。
「持ち上げてるんじゃなくて、思ったことを正直に言ってるだけですよ」
どっかの腹黒王子とは違うので、とか思ったりもしたが、口には出さない。それくらいの理性は十分残っている。
「ふふ、正直に、ですか。何だか照れてしまいますね」
コロコロと鈴が鳴るような声で笑うニア。
つないだ手をちょっと引っ張ってきたのは、照れ隠しかなんかだろうか。
こういう、ちょっと今まで見たことのない顔を見られただけでも、デートに誘った甲斐があるってもんだ。
「でも……私も、アーク様が婚姻相手で良かったと、心から思いましたよ?」
「ごふっ!?」
感慨に耽っていた俺に予想外の一撃が襲ってきて、俺は思わず咽せて咳き込んでしまった。
そんな俺を見て、ニアがまた笑う。ええい、これはどういう意味で笑ってるんだ!?
いや、どっちでもいいか。ニアが笑ってるなら。
「なんだか、おかしい、ですね。あの強面なバラクーダ伯爵様相手に全く動じなかったアーク様が、これだけで狼狽するなんて」
「そりゃぁ、バラクーダ閣下みたいなタイプはいくらでも相手してきましたからね、平気ですよ」
正確に言えば、あのレベルの圧のある人は滅多にお目にかかれないけども。
それでもゼロじゃないってのは大きいもんだ。
俺としては当たり前なことを返したつもりなんだが、ニアは一層楽しげに笑っている。
「ふふ、ふふふ……嬉しい」
「う、嬉しいって、何が、ですか?」
問いかければ、ニアがくすりと笑う。……何だか流し目風に向けてくる視線が、ちょっと艶っぽい気がするのは気のせいだろうか。
何か心臓が落ち着かないんだが、大丈夫か俺。
「そうですねぇ……アーク様が、お付き合いだとかをした経験が少なそうなことですとか」
「そこを喜ばれるのはかなり複雑なんですがね!?」
男としては複雑なことを言われて、俺は思わず声を上げてしまった。
って、いかんいかん。俺が本気で激高したりしてるわけじゃないのがわかってるのか、ニアは相変わらずニコニコしてるが……万が一誤解されて怖がらせるのは本意じゃない。
……いや、ニアならそんな誤解はしないか?
そもそも、女性は経験豊富な男にリードされたいと思っている、なんて先輩達が言ってたが……あの先輩達だぞ、よくよく考えたら正しいかどうか、かなり怪しいじゃないか。
大体、大事なのは一般論じゃなくて、ニアがどう思うかなんだし。
なんて考えていた俺へと、ニアが彼女の考えを示してくれた。幸運なことに。
「私にとっては、喜ばしいことなんですよ?
だって、アーク様の今までとこれからを、私が独り占め出来るじゃないですか」
……やられた。
もうね、何も言うことが出来なくなるくらいに、撃ち抜かれた。
なんて可愛いことを言ってくれるのかと。そんな独占欲を見せてくれるのかと。
ちょっと正直、意識が飛びかけた。理性は飛ばさない。絶対にだ。
「……俺を独り占め出来るって、そんなに喜ばしいですか?」
「ええ、とっても」
やばいな。これが幸せってやつなのか?
何か心臓が聞いたことのない音を立ててる気がするんだが。
「わかりました、ならニアが俺を独り占めしちゃってください。
その代わり……ニアのことも、俺が独占していいですか?」
「ふふ、もちろんです。だめだったら、婚姻を結んだりなんかしませんよ」
死ぬ。
楽しげなニアの笑顔にやられて死ぬ。
今ここで死んでも悔いは無い。いや、ある。だめだ、まだ死んだらだめだっての。
「なら……ニアには幸せになってもらわないと。
折角独占出来るんです、どうせなら幸せなニアを独り占めしたい」
そうだよ、お互い独り占めしておしまい、なんてわけにはいかない。
御伽話じゃないんだ、めでたしめでたしの後にも人生は続く。
そこでニアが幸せになってないと意味が無いし……自惚れていいなら、そこに俺がいないとだめだろ。
つか、俺が嫌だ。幸せなニアの隣にいるのは、俺じゃないと。
そんな俺の独占欲だとかどう表現したらいいかわからない欲のこもった言葉に、しかしニアは小首を傾げた。
「ん~……幸せ、ですか……どういう状態なら、幸せなんでしょうね……?」
俺は、いつかのように涙を溢れさせそうになった。
今まで幸薄い人生だったんだと、改めて突きつけられた気がしたからだ。
だから、幸せの形がわからない。
ようやっと手に入れた今の生活は、決して悪いものじゃないはず。
だが、穏やかな日々ではあれど、幸せを実感するものではないのだろう。
……そりゃま、虐げてきた祖国にやり返すために充実している日々を、幸せと表現するかは怪しいところだしな……。
いかんな、やっぱ俺はまだまだだ。
しかし、だったらこれから何とかすりゃいいだけの話とも言える。そう思おう。
「なら、一緒に探しましょう。幸せってどんなものか。
そして、一緒に幸せになりましょう」
自然と、俺の口から言葉が出てきた。
俺は、ニアに幸せになって欲しい。幸せにしたい。
だけど、それが独りよがりなものになるのは嫌だ。
だったら、幸せがなんなのか一緒に探さないといけないって状況は、いっそ好都合。いくらでもどんとこいってもんだ。
そんな俺の返答は、ニアにとっては予想外だったらしい。
二度三度、目をぱちくりと瞬かせて。
「……いいんですか? 私、アーク様となら、一緒に探したいです、幸せを」
ぽつり、ぽつりとそんなことを言われて。
俺は、ニアを抱きしめた。
「いいに決まってます。ニアが幸せを探す横にいるのは、俺じゃないと嫌です」
むしろ、邪魔する奴や横から入ってこようとする奴がいたらぶっ飛ばす。
我ながら大分乱暴なことも考えてるが、きっと許されるはずだ。
なぜならば。
「ふふ……嬉しい」
俺の腕の中でニアが笑ったから。
それはつまり、承諾ということで。
俺達は、身を寄せ合う距離で見つめ合い、そして……。
「ニア様、お帰りなさいませ。予定通りでございますね」
ローラの声が、割って入ってきた。
はっと我に返った俺達はぱっと離れ、互いに明後日の方を見る。
……くっそう、なんてタイミングだ……いや、むしろ途中から監視してたんじゃないか、ローラめ……。
この俺が気付かないとは、不覚……。
「マクガイン様も、お送りいただきありがとうございます」
「ああいや、これくらいは当然だし、な」
極めて普通の会話なのに感じる『さっさと帰れ』という空気。
ニアの保護者として今まで守ってきたローラとしては、きちんと婚姻が結ばれるまでは節度を持った付き合いを、と思うのは当然のことだろう。
……とは思うが、あれくらいは許してくれてもいいんじゃないか。
だめか、だめだよな、お前はそういう奴だよ……。
「それじゃ、ニア。今日はありがとう、とても楽しい一日でした」
「そんな、私こそとても……とても、楽しかったです、アーク様。きっと私、今日のことをずっと忘れません」
別れの挨拶にと礼を言えば、ニアからも礼の言葉が返って来る。
それを口にするニアは、本当に嬉しそうで。
だから。
「そう言ってもらえたのは嬉しいですけどね、これから何回だって、これくらい楽しいことがありますよ。
……俺が、そうします。あなたが望めば、望むだけ」
これくらいは言うのが、男の甲斐性ってもんだろう。
予想もしていなかったのか、ニアはびっくりしたような顔になって。
すぐに、さっきよりももっと嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
「はい! ……楽しみにしても、いいですか……?」
それでもまだ遠慮がちなのは、今までのことを考えれば仕方ないんじゃないかな。
だから俺は、即答した。
「もちろん!」
と。




