『微笑む氷山』も苦笑い
「結婚の仕方を教えてください」
「何を言ってるんだ、お前は」
翌日。
第三王子執務室に朝一で押しかけた俺は、人払いをしてもらった後、アルフォンス殿下の執務机に両手を衝き前のめりになりながら質問をしていた。
必死な形相の俺を、殿下は呆れた顔で見やる。
……金髪碧眼のいかにも王子様なイケメンがやると、呆れ顔すら絵になるんだから、つくづくイケメンはずるい。
いやそうでなく。確かに唐突過ぎたかも知れないが、しかしこっちだって必死なんだから勘弁していただきたい。
「婚約者も作らず浮いた噂の一つも無いお前が、一体何の冗談だ?
ああ、そうか、休みのせいで頭が緩んで、ありもしない幻想を見てしまったとかそんなところか」
「人を人格破綻者か何かのように言うのはやめていただけませんかね!?」
「じゃあ、酒か。だから言ったじゃないか、安酒ばっかり飲むのはやめとけって」
「アル中でもないです、素面ですよ今は!」
確かに休みの間は悪酔いしたりもしてたが、あの時はタイミングよく素面だったんだ。
おかげでソニア王女から不審者扱いを……受けはしたが、酔っ払いじゃなかった分ましな反応だったと思いたい。
まあ、自分でも突飛なことを言ってる自覚はあるし、殿下からしてみたら胡乱にも程があるだろう。
だからって、もうちょっとだけ容赦はしていただきたいところではあるが……しかし、今日の俺は挫けないのだ。
こほん、と軽く咳払いして、やいのやいのと言い合ってたのを一旦断ち切って。
「実は昨日、運命的な出会いがあったのです。ですから俺は、その方と結婚しないといけないのです!」
「落ち着け、言ってることがめちゃくちゃだ。……勘弁してくれよ、運命だとか真実の愛だとか、兄上だけで十分だってのに」
俺が目に力を込めて力説したら、アルフォンス殿下はそう言ってこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。
殿下の兄、アードルフ第一王子殿下が起こした、婚約破棄騒動。
『真実の愛』とやらに目覚めたとか言い出して侯爵令嬢との婚約を陛下に無断で破棄し、その上、男爵令嬢と婚約するなんていう世迷い言を抜かしくさりあそばしやがった事件。
やらかしたアードルフ殿下はやらかした王族が押し込められる北の塔に幽閉、男爵令嬢は辺境にある極めて規律の厳しい修道院に収容された。
その結果、後々公爵に臣籍降下して程々に国政参加するつもりだったアルフォンス殿下は、突然降って湧いた王位継承争いに振り回されている形になっているのだから、愚痴りたい気持ちにもなろうってものだろう。
第二王子アルトゥル殿下との関係が良好だから、今のところ大きな騒動にはなっていないが、よからぬことを考える阿呆はやっぱりいるからなぁ……。
だが、俺の状況はアードルフ殿下のそれとは違うのだから、是非ここは聞く耳を持っていただきたい。
「運命であればと思ってはおりますが、これにはちゃんと意味がございまして」
と、俺はソニア王女との出会いから彼女との会話内容、そして提案を殿下に余すところなく伝えた。
こうやってアルフォンス殿下に話すことは、ちゃんとソニア王女にも許可をもらっている。
そして聞いた殿下は。
「何してくれてんの、お前は……」
両肘を机に衝きながら、両手で顔を覆っていた。
いや、多分俺が殿下の立場だったとしてもそうなってたとは思うが、ここは上に立つ人間として飲み込んでいただきたい。
「しかし、大きなメリットがあることもご理解いただけると思うのですが」
「ああそうだよ、逃すわけにはいかないと思ってるよ、リスクもでかいけどさ。
まったく、どういう因果だよ、結婚するはずだった人の結婚偽装を手伝う羽目になるって」
死んだと思われていたソニア王女が生きていて、更に輿入れ予定先だったアルフォンス殿下に抱え込まれていた。
こんなことが露見した日には、あの条約不履行は殿下の工作だったなどと言われかねないし、そうなったらまた一悶着起こるのは間違いない。
時系列は全く逆なのだが、それを証明する手立てはほぼないわけだし。
「リスクはありますが、あの方は十三歳から社交界に出ていないのですから、こちらにやってくる外交官などがあの方のご尊顔を知っているとは思えません。
おまけに今は変装もしていますし」
「それもそうか。なら、後は彼女の顔を知ってそうな人間がこっちに来ないようしておけば……。
いや、むしろお前が話を聞いてた侍女だとかを引き抜いた方が早いな」
「あ、それはありですね。訃報を耳にして心を痛め、仕える主が居なくなったからと暇乞い、という流れなら不自然じゃないし、辞めた使用人の後を追跡するような真似もそうそうしないでしょうし。
そこまでやったらバレる可能性は極めて低くなりますし、メリットの方が上回りますよね?」
「まあねぇ。しっかしかのお方も大胆なことを考えるもんだ。
お前と結婚して、身元の保証を手に入れようだなんて」
そう、ソニア王女が俺に提案してきたのは、俺と結婚して身元の保証を得て、その上でアルフォンス殿下にお仕えするのはどうか、ということだったのだ。
提案の中身を聞く前にノータイムで即答してた俺だが、詳しい中身を聞いても否やはなかった。あるわけがなかった。
渡りに船とはこのこと、おまけにお互いに利のあるwin-winな提案なのだから。
……わかってる、あくまでも彼女にとっては利益があるからするだけのこと、政略結婚みたいなもんだ。
だが、そこから始まる愛もある、はずだ!
当然白い結婚スタートだが、一つ屋根の下に住むんだ、チャンスはきっとある!
なお、ローラもトムも住み込む模様。
……し、仕方ない、仕方ないんだっ、っていうかある意味当然だっ!
様々な葛藤を飲み込んでその辺りの条件を組み込んだ俺は、きっととてつもなく理性的な男だ。
などと思い出している間、顔には出していなかったはずなんだが、呆れたような顔でアルフォンス殿下が俺を見ていた。
「わかってると思うけど、子爵だったら一応平民と結婚するケースはある。
普通は豪商の娘だとかになるわけだけど……彼女達に資産は?」
「あるわけないでしょう、おわかりのくせに」
「ま、そりゃそうだよねぇ」
正確に言えば平民としてしばらく慎ましく暮らす分には十分あるんだが、資産と言える程ではないというのが正確なところ。
身分だけで言えば、子爵までは下位貴族ということになるので、この国ではあまり相手の血の尊さは問われない。
そのため、あまり多くはないが子爵やその令息令嬢が平民と結婚することはままある。
……今回の場合は相手の血が尊すぎるわけだが、それは秘匿するので今回は問題にならないとする。
とはいえ男爵ならまだしも新興とはいえ子爵ともなれば、例えば資産家の娘など、家に入れるメリットがある相手であることが望ましい。
手っ取り早いのはどこぞの貴族家に養子に入ってもらうことだが、事情が事情だけに他の貴族家をあまり巻き込みたくはない。
巻き込むのが可哀想ということもあるし、情報が漏洩する可能性だって出る。
だから『結婚の仕方』に関して殿下にお知恵をお借りしたく参上した、というわけだ。
俺の返答に少しだけ考えたアルフォンス殿下は、何か思いついたのか、ふむ、と小さく呟く。
「……だったら、そうだな……どこぞの国の学者の娘ということにしようか。
こちらに留学に来て、偶然お前と出会って恋に落ちた。
話を聞けば学識豊かで、諸々が落ち着いたら領地を与えられるはずのお前からすれば領政の助けにもなりそうだから、と、こんな筋書きでどうだい?」
「流石殿下、出任せの天才!」
「喧嘩売ってるのか、お前は」
「いやいや、心からの賞賛ですよ。確かにあのお方の知識教養だったら、学者の卵と言ってもまったく違和感がないですし」
実際、こんな設定をさらっと考え出すんだから、虚実入り交じる王宮でその存在感を盤石のものにしつつあるだけのことはある、と本気で感心する。
俺じゃとても考えつかないからな、こんなこと。
「ま、この設定なら万が一彼女がスパイか何かだった時にも切り捨てやすいしね」
「うわ、これだから微笑む氷山とか呼ばれる人は」
ニヤリと意味深な笑みを見せる殿下に、俺はわざとらしく顔をしかめて見せる。
こんな悪ぶったこと言う人だけど、身内と認めた奴は出来るだけ守るように立ち回る人なんだよな。
そういう人だって知っているから、ソニア王女を疑われた俺は平静でいられているわけだが。
「煩いよ。なんだって王族に対してそんなあだ名が付くんだか」
「日頃の行いですかねぇ。でもまあ、あの方は大丈夫だと思いますよ」
俺が自信たっぷりに言い切れば、アルフォンス殿下はしばし俺をジト目で見て。
それから、大きくため息を吐いた。
「普段であれば、お前の勘は信じるんだが、今ばかりはちょっとなぁ」
「何故ですか、何なら今までの人生の中で最高に感度良好ですよ?」
「むしろ良好すぎて変な何かを受け取ってないか心配なくらいだよ……」
そう言いながら、もう一度大きくため息を吐く殿下。失礼な、俺はそんな変なものは受信してないぞ。
「ただ、運命の出会いだとか大げさな言い方はしないこと。彼女に注目が集まるのは良くないからね」
「ですね、そこはもう普通の出会いくらいに。運命であることは俺だけが知っていればいいことです」
「へぇ、彼女は知らなくてもいいのかい? ……ああ、お前が勝手に運命だって言ってるだけか」
「ぐぅっ!」
容赦の無いアルフォンス殿下の言葉が鋭く俺の胸を抉る。
確かに今はまだ、ソニア王女は運命を感じていないだろう。
しかし、今から次第で運命に変えることだって出来るはずだ!
後で振り返ってみれば、『これはきっと運命だったのね』とか思ってもらえたらそれでいい!
……いや、自分でもちょっと気持ち悪いという自覚はあるからな?
そんな俺を、アルフォンス殿下はジト目で見ていたのだが、やがてふぅ、とこれみよがしにため息を吐いた後、話を続けた。
「後はあれだな、彼女は王族としての教育を……形の上では受けていたはずだから、子爵夫人として振る舞うには洗練されすぎてないか、というのが心配だね」
「あ~……それなんですが、あの王家というか王妃サイド、嫌がらせの一環で降嫁先に子爵など下位貴族も考えてたらしく、子爵家レベルのマナーや振る舞い方も教えてたらしくてですね……」
「……色々言いたいことはあるが、結果として好都合だから何も言わないでおこうか……」
低い声で言いながら、殿下はぐりぐりとこめかみを揉み解す。
うん、正直俺も複雑だからなぁ……ラッキーではあるけれど、彼女の不遇の副産物なわけだし。
まあしかし、これで当面の問題は大体なんとかなりそうかな。
「では、この方向で一度あちらとも相談してみます。
あ、問題無かった時は婚姻契約書の証人をお願いしますね」
「いいけどさ、王族を自分の良いように使うってのはどうなんだい」
「まあほら、普段こき使われてますから。
その分今後も働きますんで、勘弁してください」
「はいはい、期待してるよ」
なんて軽口をたたき合いながら、俺は執務室を後にした。
『あいつにも春が、ねぇ』なんて殿下の独り言が聞こえた気がするが……ほんと、これが我が世の春になればいいんだが。
とか思いながら、俺はマナー違反にならないギリギリの速さで殿下の執務室を、そして王城を後にした。




